[4479] 食器の残兵

投稿:  著者:  読了時間:17分(本文:約8,400文字)



《Show must go on》

■装飾山イバラ道[214]
 食器の残兵
 武田瑛夢

■Scenes Around Me[18]
 AKIRAさんとの事(7:1997年5月〜7月)
 のざらし画廊界隈の展示など・AKIRAさんの引越し
 関根正幸

■エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[009]
 ここでコミを取ってください
 薬指を楽器とする
 松岡永子(超短編ナンバーズ)




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■装飾山イバラ道[214]
食器の残兵

武田瑛夢
http://bn.dgcr.com/archives/20171219110300.html
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コラムとしては今年最後の出番です。一年の長さが短く感じるのは、自分の年齢分の一だからでしょうか。楽しかったから過ぎるのが早かったんだ、と思うのが良いかもしれません。いつも通り本文は「である調」でまいります。

思ったことの何割かが実現し、何割かが進行中だ。この先オリンピックイヤーに近づくので、自分の仕事以外にも影響されることは多くなっていくと思う。あちこちで工事が始まっているし、オリンピックの前にしておいた方がよさそうなことは多い。

家のリフォームなども、人手が足りなくなって大変になるのかもしれない。待てるなら少し待って、大工さんに余裕がある時に依頼するなどがいいのか、どう判断するかは難しい。

うちの前のアパートも取り壊して、何か大きな掘削機のような縦型ドリルで、毎日ゴンゴン土を掘っている。ヒラヒラのビニールシートで少しだけ目隠ししているけれど、大きすぎるドリルははみ出しまくっていてよく見えるのですごく怖い。その前を通る時は、必ず足早に通り過ぎることにしている。

大掃除や粗大ごみ処理は、今年も頑張っている。母の家の古い物を捨てるのを手伝ったりして、「使わないものは、もう捨てようよ」などと言うことで、私自身の反省にもなっている。

「私もなんだけどね」と素直に言うけれど、似たもの同士で指摘しあうことで良くなれれば、それでいいのだ。

豪華な食器やナイフフォークなどのカトラリーセットで、大ナイフ一本とティースプーン何本かになっているようなものも見つかる。昭和を感じるアイテムだ。

はっ、新しい年号になると私たちは三つをまたいでしまうのか。

ナイフは持ち手がゴージャスな作りで重たくて、きっと良いものだったのだろうけれど、肉なんかは全然切れない(笑)。

今はもっと切れ味の良い(ヘンケルスとか)合理的なブランドのものの方が気持ちよく使えるし、かっこいい時代なのかも。そういえば、布張りケースは邪魔で遠い昔に捨てた。

そもそも数が揃っていないのだから、良いお席を設けたとしても使えない。そう場所を取るわけでもないものだから、ついついキッチンの片隅で生き抜いてきたのだと思う。イチゴスプーンやカニフォークなんかも、今は使わなくなったな。

母がいろいろな専用食器を持っているのを見て、私自身の集めた一つのことでしか使えない器具に気がつく。やはり似たもの同士だなと思う。

自分の中で流行っていたので、エスカルゴフォークも持っている。小さくカーブしていないと殻の中から取り出せないので必要だと思ったけれど、年に何回使うだろうか。

残った食器は残兵のようだ。家の片隅に貰い物の歴史や、興味の変遷が落ちている。自分だけでなく、家族の何らかの関わりが、少しづつ溜まっているのだ。

小さな片付け、大きな片付けそれぞれをこなしながら、新しい年を迎える。隙間ができると新しい物が入ってくるとよく聞くけれど、新しい良いものがたくさん収納できるように、まずはどんどん捨てなければ。

昔ほど買わなくなったと思っていたけれど、夫に言わせるとまだ全然買っているみたいだ。


【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/

絵を描く時のスケッチブックが、ここ数年はずっとノートだ。中性紙の無地のタイプで昔からありそうなもの。少しアイボリー色の紙なのは、たまたまなので真っ白でも爽やかで良いかもしれない。

鉛筆ではなく、黒いペン「PILOT G-3 GEL 0.7」で太めの線のものだ。ゲルインキボールペンというジャンルだろうと思う。とても滑らかで気に入っている。

美文字を目指すペン字練習帳もこれで書いている。この手の練習帳って素晴らしくて、一つの講座分くらいの価値はあると思う。

他にも黒ペンを使うけれど、ゲルタイプのインクが一番すぐになくなるような気がする。まとめ買いしたので思う存分使えるけれど、また補充しなければ。


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■Scenes Around Me[18]
AKIRAさんとの事(7:1997年5月〜7月)
のざらし画廊界隈の展示など・AKIRAさんの引越し

関根正幸
http://bn.dgcr.com/archives/20171219110200.html
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KIRAさんは1997年7月に、管理人兼アトリエとして使っていたA倉庫の取り壊しに伴い、父親の住んでいた日光に移り住むことになりました。

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今回は、「いい人」展からAKIRAさんの引っ越しまでの間に起こった、いくつかのトピックを紹介します。

■PAP Factoryのパーティーに参加する(1997年5月上旬)

PAP Factoryは1990年代後半に、千駄ヶ谷小学校交差点の近くにあったギャラリーで、AKIRAさんをはじめ、身の回りの多くのアーティストが展示を行なっていました。

AKIRAさんはPAP Factoryの一周年記念(注)のパーティーに招待されたのですが、都合がつかなかったので、私に代理を頼みました。

(注:AKIRAさんは一周年記念と言っていましたが、PAP Factoryのオープンが1995年なので、二周年記念かも知れません。PAP Factoryのオーナーだった富永剛総さんにも問い合わせたのですが、何のパーティーだったか分からないそうです)

記憶によると、会場は西麻布のOZというバーで、万城目純さんたちのパフォーマンスを撮影しています。

https://farm5.staticflickr.com/4583/25010919628_29c12158bb_c.jpg

女性のダンサーはこの後ウェディングドレスを脱いで、ボンデージ姿になりました。そこに、万城目さんがバレエダンサーの衣装で、手にハエたたきを持って現れました。

写真を見てわかる通り、当日のドレスコードとして仮面を付けることになっていました。

仮面は日が変わる瞬間に外すことになっていましたが、長時間仮面をつけ続けているのに飽きた多くの客は、12時前に仮面を外してしまいました。

私は仮面を持っていなかったので、バンダナで覆面をしていましたが、頑張って覆面をし続けました。

もう一人、カールさん(ジェイソンマスクで右を向いている人)という映像作家も、仮面を外さずにいました。

カールさんは私を知人だと思っていたらしく、12時になったら仮面を外して挨拶しましょうね、と話していたのですが、いざ真夜中になって仮面を外したところ、お互い面識がなかったので、気まずさだけが残りました。

■電話ボックスギャラリイ(1997年5月24日)

のざらし画廊のメンバーだったオダギリとモンコは独自企画を立ち上げました。

二人はメモ用紙大の紙を大量に用意、「いい人」展やパーティーなどの機会を利用して、そこに居合わせた人に絵を描いてもらいました。

その絵を渋谷の電話ボックスに、ピンクビラを貼るような形で展示しました。

https://farm5.staticflickr.com/4538/38166860384_8b3794a8ce_c.jpg
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捨て看板展もそうでしたが、のざらし画廊はアートと法律に触れる行為の境界を追い求めていました。

そこには、赤瀬川源平さんのハイレッドセンターでの活動や、千円札裁判への追随が間違いなくありました。

他にも、実現しませんでしたが、プラカードに絵を描いてデモを行う「デモギャラリー」というアイデアがメンバーから出ていました。

電話ボックスに作品を貼った現場に、たまたま、元気いいぞうさんが居合わせて、石川雷太さんの展示のオープニングに誘われ、皆で東京大学駒場寮内のギャラリーに向かいました。

石川雷太さんは、屠殺された牛の頭部をアクリルケースに入れた作品と、黒い板に赤字で警句を書き込んだ作品を展示していました。

作品が作品だけにここでは紹介しませんが、オープニングパーティーで牛の頭部が入ったアクリルケースをテーブルがわりにしている様が面白く、写真を撮影しています。

駒場寮が「廃寮」になってから、寮内に入るのはこの日が二回目でした。この後、駒場寮に密に関わるようになるとは、この時思いもよりませんでした。

■ミッシェル「ラムネ展」(1997年6月)

のざらし副委員長だったミッシェル(中山裕子さん)は、当時女子美術大学の学生でした。

この頃、ミッシェルから、個展を行いたいが、手頃な価格で借りることのできる場所に心当たりが無いか相談を受けました。

その当時、自転車で度々通過していた板橋区蓮沼の中山道沿いに、メセーヌというギャラリーがあるのが気になっていたので、ミッシェルに教えたところ、ミッシェルはそのギャラリーを借りて個展を行うことになりました。

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壁に貼ってある写真は幼少時のミッシェルで、ベッドの上には包装されたラムネ菓子が置かれていました。

展示の内容については記憶が定かではありませんが、大好きなラムネ菓子を食べ過ぎて、体がラムネ菓子になってしまった自分自身の葬儀がテーマだったと思います。

展示期間中のイベントでは、前回紹介した、TOTOTOの作郎さんと悦子さんが主催していた、山脈ズというバンドの集団即興演奏があり、私も参加しました。

その他、ミッシェルの大学の同級生で、今年の夏にもグループ展の誘いを頂いた立島夕子さんや、後に武盾一郎さんと「月乃YUMA国」を結成する和田綾子さんを知ったのもこの日でした。

AKIRAさんとの交流は、AKIRAさんが日光に引っ越した後もしばらく続くのですが、一旦ここで区切りを付けることにします。


【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos

1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔


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■エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[009]
ここでコミを取ってください
薬指を楽器とする

松岡永子(超短編ナンバーズ)
http://bn.dgcr.com/archives/20171219110100.html
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◎ここでコミを取ってください

この数年、夏に催される小鼓体験講座のお手伝いをしています。
(今年の夏のはこれ)http://www.iwf.jp/11osaka/item_2118.html

お手伝いというのは、具体的には会場の椅子並べと受付での半券受け取りです。

ところで、能の音楽って八拍だってご存じでしたか? わたしはお稽古を始めるまでまったく知りませんでした。

わたしも以前、小鼓を習っていたことがあります。

「どうして鼓(みたいなマイナーな楽器、という意味でしょう)を習おうと思ったんですか」とよく訊かれます。

細かいところを省略してざっくり言うと、やってみたい! という友人たちに引っ張られていって、結局わたしだけ残った、という感じです。

小中学校の音楽の時間にはドレミファを習い、カスタネットやハモニカ、リコーダーの演奏はしたけれど、邦楽はまったく教わりませんでした。今のカリキュラムには邦楽もあるそうですが。

体験講座では、能の舞台や楽器について、また、小鼓の構造や材質について、簡単な解説があったあと、実際に鼓を打ってみます。

鼓の持ち方、構え方。小鼓の音には「ポ」「プ」「チ」「タ」の四種類があって、弱い音である「プ」「チ」は、それぞれ人差し指、薬指一本で打つこと、等々……なにごとも、初めてのときには憶えることがいっぱいあります。

けれども、音楽で一番むずかしいのは憶えることではありません。それは鼓も、リコーダーやハモニカも同じです。

体験講座では、「高砂」の待謡をやります。この部分で小鼓は、五拍め、七拍め、八拍めで打つ、同じパターンを繰り返します。

まず、能楽師の先生が「一、二、三、四、……」とカウントを取りながら手拍子を打ち、生徒の皆さんがそれに合わせて小鼓を打ちます。

少し慣れてくると、先生が「じゃあ、謡をいれますね」と言って手拍子はそのまま「たかさごや このうらふねに ほをあげて」と謡います。

とたんに、バラバラッ、と皆さん混乱して脱落します。

わたしもそうだったので、混乱する感覚はよくわかります。手拍子はそのままなのだから、数えていればいいだけのはずなんですが。不思議です。どうすれば混乱せずに演奏できるようになるのでしょうか。慣れ、です。

能の楽器を習うとき、「ここでコミを取ってください」と言われます。

コミというのは休止です。「高砂」でいうと、小鼓を打つ五拍めのひとつ前、四拍めにコミを取ります。

息を吸ってから、お腹に力を入れて止め(これがコミを取るということ)、ほう、とかけ声をかけて鼓を打つ。と、ちょうど五拍めに当たります。

つまり、「どこで打つか」ではなく、「どこで打たないか」でタイミングを合わせるんですね。音楽の時間にカスタネットやタンバリンを演奏したときには、どこで打つかばかり気にしていましたから、小鼓を習い始めたときには目から鱗が落ちる思いがしました。

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◎薬指を楽器とする

あなたは左の掌を見ている。

ゆっくり、一本づつ指を曲げ、指先同士を触れさせる。まず親指と人差指。次に中指を加える。

すると、薬指もその仲間に加わろうとするのだ。小指は知らんぷりしているというのに。

ひとつまみの形は、小指ぬき、薬指ぬきでできている。けれど薬指は無関心でいることができない。いつも隣の動きに気を配っている。疲れる生き方だ。

雨上がりにいきなり増殖したきのこをつみ取るように、薬指から草をつみ取り楽にしてやる。そして、その楽を器に盛りながめてみる。

あなたは薬指を楽器としてながめている。隻手の音を聞く要領で、あなたは薬指の音を聞いている。


【松岡永子】
mail nifatadumi@gmail.com
blog http://blog.goo.ne.jp/nifatadumi

お稽古をしていて、発表会前に先生に言われるのは、間違ったときにそれを顔に出すな、演奏を止めるな、という言葉です。Show must go onですね。

会では自分以外(小鼓の発表会なら、謡、笛、大鼓、曲によっては太鼓)すべて玄人(プロ)の方が務められます。自分が間違わずに演奏すること、は素人でもできなくはないけれど、誰かが間違った時にそれをフォローして観客に悟らせない、というのはプロの技です。

少しかじってから舞台を見ると、プロのすごさがよくわかります。


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編集後記(12/19)

●ヒッチコックの「北北西に進路を取れ」を見た。ずいぶん昔にWOWOWかVHSで見て、理屈抜きにものすごく面白かった、という朧気な記憶がある。複葉機に追われるとか、高い所からぶら下がるとか、非常にスリリングだったが、どういうストーリーだったか忘れ、出演者の顔さえよく憶えていなかった。

やっぱり面白かった。人まちがいされて逃げる、反撃する。二枚目ながらおとぼけのケーリー・グランド。軽快に走るシーンや身軽なアクションが素敵で、当時55歳には見えない。ヒロインはゴージャスな美女エヴァ・マリー・セイント、産後の37歳には見えない。結構いい歳いったコンビなのに若々しい。

ヒッチコックの映画DVDにはたいていメーキングがあって、これを見るのが楽しみだ。とくに見どころは広大な畑の中で、複葉機から何度も銃撃され、農薬を散布され、殺されかけるBGMなし8分間の長丁場のスリリング・シーンだが、一部はスタジオのスクリーン前での撮影だ。彼が逃げ込むトウモロコシ畑は、スタッフが植えたもので、タンクローリーに突っ込む複葉機のシーンは実写だ。

アメリカ歴代四人の大統領の巨大な胸像が彫られた、ラシュモア山を舞台にしたスリリングなチェイスは、国家的記念碑の上で殺人シーンがあると噂となり、国中で物議をかもした。内務省は公園内の撮影も却下したが、本物で撮影するわけがない、民主主義を損なうものではないとヒッチコックは憤慨したらしい。

胸像はミニチュアを製作し、人物がからむところはスタジオ内のニセの岩棚で撮影された。ラシュモア山は高さ9m、幅45m、映画史上最高の背景画となった。まったく安全なセットだったが、ヒロインを支えるはずのスタッフがいないときに足を滑らせ、彼女は負傷するがそれも映画の中で生かしている。

崖から手だけでぶら下がる超絶に危ない状態でも、彼は余裕でプロポーズしているのだからロマンティック・コメディである。見ている方はハラハラしているのに。なぜヒーローとヒロインをぶら下げたのか。「逃走迷路」では自由の女神で悪役をぶら下げて失敗した。観客は悪役には感情移入しないのである。

公園内での撮影も許可が出なかったので、森のシーンは松の木を少し並べたセットで撮影された。たしかにこのシーンは素人目にもしょぼい。合成処理が見抜けるシーンはいくつもあった。1985年12月16日に78日間の撮影を予算大幅オーバーで終了。ケーリー・グランドの全行程は地図上では3200キロになるという。

本格的なミステリーではない。単純な人まちがいなのに、殺そうと思えば容易に実行できるのに、わざわざ大がかりな舞台を設定して失敗する、人数も少ない悪の組織がしょぼすぎる。マーティン・ランドーという、ボスの付き人を演じる役者の目が怖い。主演の顔を忘れても、この男は忘れられない。(柴田)

ヒッチコック「北北西に進路を取れ」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003EVW5FA/dgcrcom-22/


●受付後にほぼ一方通行のEXPOを通らされるのだが、会場は広いのに細かく区切られていて通路は狭く、人混みで凄く疲れる。風邪予防のためにマスク。大会後にもマスク。体力が落ちている時なのだ。

ショップではほとんどやらない試飲や試食ができる。ジェルや飲料が安いし、サンプル配布までやっていてテンションがあがる。忘れ物を買えるのは、土地勘のない他府県や海外からの選手にはいいはず。しかしブースによってはレジの待ち時間1時間とかで、それだけで疲れそう。

ミズノブースでは、ドラマ「陸王」のシューズが展示されていて人だかり。R×Lのブースでは、同じく陸王で茂木が履いていると、靴下の上に小さなPOPがあったが、目立たず。

ウルトラマラソン専用ソックス「SUNADA」が一番目立つところに表示されていた。100kmマラソン世界記録保持者の砂田貴裕氏との共同開発なのだそうだ。と、ご本人が登場して、来場者とツーショット写真の撮影会になっていた。 (hammer.mule)

TBSドラマ日曜劇場「陸王」に出てくるマラソン足袋 製作秘話とは?!
http://www.mizuno.jp/contents/hakkentai/about/20171117.aspx

R×L
http://www.rxl.jp/

SUNADA。1cm刻み
http://www1.enekoshop.jp/shop/rxl/item_detail?item_id=2281404