[4480] フェイクなニュースのかわし方

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《新作「スター・ウォーズ」を毎年観れる幸せw》

■ゆずみそ単語帳[16]
 フェイクなニュースのかわし方
 TOMOZO

■グラフィック薄氷大魔王[548]
 「Kindle本の表紙が省略されてる?」他、小ネタ集
 吉井 宏




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■ゆずみそ単語帳[16]
フェイクなニュースのかわし方

TOMOZO
https://bn.dgcr.com/archives/20171220110200.html

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少し前、ワシントン大学のレクチャー「Finding "Fake News" in Times of Crisis: Online Rumors, Conspiracy Theories and Information(危機の時代のフェイクニュース:ネットの噂、陰謀論、情報)」を観に行った。

このレクチャーはYouTubeでも公開されてます。


これはタイトルからすると、社会学部やコミュニケーション学部のイベントのようだけど、そうでなくて工学部が主催するレクチャーシリーズのひとつで、この日の講師はケイト・スターバードさんという、人間中心設計&工学部の助教授。42歳だけど可愛らしい感じがする、すごく若々しくて元気でおもしろいハカセで、ガイジンの私にとっても、とても聞きやすい講義だった。

去年の大統領選挙のあたりから、米国ではますますフェイクニュースが猛威をふるっていて、しかも現職大統領が大手メディアを「フェイクニュース」だと攻撃してはばからないので、ニュースそのものに対するこれまでの社会的信頼感がグラグラしてしまっている、今日このごろ。

スターバード助教授はソーシャルメディアと群集行動の研究が専門で、その研究成果を発表するとともに、ここで一体フェイクニュースとは何かをもう一度おさらいして、対策を考えてみようというのがレクチャーの主旨だった。


まず、フェイクニュースが広まる背景には二つの条件がある、とスターバードさん。「エコーチェンバー」と「フィルターバブル」がそれだ。

「エコーチェンバー」は、自分の周りには同じ考えの人ばっかり集まりがちなので、たとえばSNSのフィードに自分が賛同できる意見だけが表示されるというような現象。

さらにSNSは、「あなたはきっとこういう情報が好きでしょう」と類推して情報を集めてくれるので、輪をかけて自分の耳にやさしい情報ばかりが集まってくる。

これが「フィルターバブル」。フィルターを通した情報だけが入ってくる、閉じた小さな世界(バブル=泡の中の世界)という意味ですね。

「バブル(泡)」という言い方には、包まれているのが透明な膜なので、自分がそのなかに閉じ込もっているのに気づかない、といった含みがある。

「何度も繰り返し観たり聞いたりすることで、その情報は見慣れたものとなり、真実であるかどうかにかかわらず、その人の世界の捉え方の一部になる」とスターバードさん。つまり、偏った情報によってその人にとっての現実世界が構築されてしまう。

そして、非常に残念なことに、反復によっていったんニセ情報が刷り込まれてしまうと、正しい情報でそれを外から「修正」しようとしても、なかなかうまくいかないのだという。

それが長い期間慣れ親しんだ考えであればあるほど、「あっそうなのか、自分が間違っていたんだ」と認めるのは、誰にとってもなかなか大変だってことはちょっと考えてみてもよくわかる。しかも周りにいる人が自分と同意見(のように見える)場合にはなおさら。

しかし、風評だのウワサだのというのはもちろん、インターネット登場以前からあるもの。人類はウワサと共に歩んできた。

噂というのは、災害などの事態に直面したときに説明を求める集団的な行いだと、スターバードさんは指摘する。

何かしらわかりやすく、自分にとって腑に落ちやすい物語を作り上げる行動、ということなんだろう。

たとえば、2013年に起きたボストン・マラソン爆弾テロ事件では、事件発生の直後から、「これはCIAの陰謀だ」とか、「海軍特殊部隊の人が怪しいバックパックを背負って現場近くにいたのがこの写真で確認できた」とかの陰謀説ツイートがじゃんじゃん発生したという。

こういう「オルタナティヴ・ナラティブ(もう一つのストーリー)」、つまり語っている人からすると、「みんな知らないけど、自分だけは知っている本当の話!」は、悲劇的な事件が起きると必ず言い出す人がいて、またたく間に広がる。

同時多発テロ、サンディフック小学校の銃乱射事件、フロリダのナイトクラブでの銃乱射事件などの惨事のあとにも、すぐにこういう「みんなが知らない本当の話」=陰謀説が語られ始め、拡散していったという。


スターバードさんは「フロリダの事件も、サンディフックやボストンやサンバーナーディーノの事件とおなじく、みんなユダヤ資本の支配するメディアが捏造したウソだ」といったツイートを、その典型として例示していた。

スターバードさんのチームは、2016年に9カ月にわたってTwitter上で「shooting, shooter, gunman, gunmen(銃撃、狙撃者)」というキーワードで、5800万件以上のツイートを調査したという。

そこでこういう陰謀説などの相関関係を追跡すると、ウソのニュースを作っては流すのが専門の一握りのウェブサイトが、ボットを使って投下しているウソ情報が、途方もない量拡散されていることが確認されたという。

興味深かったのは、イランやロシアなどの国家が出資するメディアが投下する、嘘ニュースの量も突出しているということ。

大統領選挙へのロシアの関与が取りざたされているけど、インターネットを使った人心への攻撃作戦というのは、実際にかなりの規模で行われているのだという。

こういった、国家や組織による「戦略上や地政学上有利な結果を得るために国内または外国の政治的意見を歪める行為」は、Facebookの2017年4月27日の白書で「Information Operation(情報操作)」と定義されている。

スターバードさんのチームは、マレーシア航空事件の後の情報を調査研究していたのだが、この事件では特に政府機関のものと思われる情報撹乱が激しく、調査チームのメンバーが神経衰弱になりそうなほどだったという。


そして、このレクチャーでもう一つ面白かったのは、嘘ニュースの背景になっている政治的なプロパガンダは、リベラル(左)VS保守派(右)ではなくて、ナショナリストVSグローバリストという構図なのだ、という指摘だった。

陰謀説には極端な左の人が言うものから、極端な右の人のものが言うものまで、ほんとうにたくさんの種類があるが、そのほとんどは「ナショナリズム」的な傾向があるというのだ。

どちらもグローバルな存在、メディア、国家に大きな不信を持ち、それが「別の物語」を作り上げる動機になっている。

そうか、たとえばワクチン陰謀論とか、メディアや企業になんでもかんでも不信を抱く傾向も「ナショナリスト」なのか。

ナショナリストの気持ちというのは、つまり慣れ親しんだ範囲にものごとを置いておきたい、昔ながらの方法がいい、という方向の情熱なのだろう。

トランプ支持者から欧州の極右から日本のネトウヨさんまで、共通しているのは「守りたい」「変わりたくない」「こっちに来るな」という感情。恐れにもとづく反発と怒りだ。


スターバードさんのレクチャーの締めくくりは、さて、それではそんな嘘ニュースであふれ返ったこの時代の対処法は? という課題だったが、情報管理のベストプラクティスに万能薬などない、というのが身もフタもない結論。

ただし個人レベルでできることとして、自分自身の認知バイアスを自覚すること、そして、自分が情報に対してどんなふうに感情的に反応するかに気をつけて観察すること、という二つを提案していた。


そして最後に、メディアリテラシーというのは必ずしも論理的な部分だけではないのですよ! と強調していたけど、これはすごく重要なポイントだと思う。

リテラシーというと「知識」の部分にどうしても目がいくけれど、本当に重要なのはそれを自分の認知・感情のシステムがどう処理しているかに目を向けることなのかもしれない。

自分がどんな物語を求めているのか、どんな物語に反応しやすいのかを、常によく観察すること。

それで「話がうますぎる」「自分が慣れ親しんだシナリオにうまく合い過ぎてる」と思ったら、まず疑ってみること。

「簡単に騙されないようにメディアリテラシーを向上させよう」というスローガンはよく見るけど、言うほど簡単ではない。知識ってそんなに簡単に身につくものじゃないし。

これだけ情報があふれ返っていて、リテラシーを身につけるにも何をどこから手をつけていいのやら、どう選択していいのやら、もう最初からさじを投げたくこともある。私は時々、世の中にある情報の量を考えただけで気持ちが悪くなる。

自分はすべてを知ることができないという無力感は、きっと人の持つ恐怖の根源のひとつなのだろう。だからこそ皆、シンプルな説明(物語)を必要とするのだと思う。


だから、嘘ニュースに飛びつかないようにするには、自分の内面をよく観察して直感を磨いておくことが、知識を蓄えるのと同じくらい大切な気がしている。

嘘か嘘でないかを見分ける力は、言葉よりも直感のほうが優れていると思う。直感は言語化されていない漠然とした情報を受取る力で、そっちの情報のほうが言葉になっている情報よりも圧倒的に多いからだ。(圧倒的に大事だという意味じゃなく、ボリュームとして多いという意味)

もちろん知識を得ていくのは重要だけど、その前にまずとりあえず足元を固めておこうという意味で、認知バイアスと自分の感情の流れをよく観察する、というのはすごーく有効なアドバイスだと思う。

誰でも物語なしには生きていけない。この世界には実に無数の物語があって、それぞれが複雑にからみあい、利害にもとづいて情報を発信している。

わけのわからない国家や組織が、悪意をもって流すニセ情報もたくさんある。世の中は恐いところである。

ナショナリズムのエネルギー源は、変化に対する恐怖だ。自分や、自分が所属する(と信じている)国やコミュニティが脅かされているという恐怖。

自分が恐がっていることを自覚していないと、恐怖はどんどん膨らんで、そのコミュニティに属していない人やものへの攻撃になる。

いったい自分が何に対して攻撃的になっているのか、何を怖がっているのかに気づくことで手放せるものは、ものすごく大きいのだと思う。


誰だってある程度の認知バイアスがないと、正常に生きてはいけない。でも、自分にどんなバイアスがあるのかを知るのは、自分を自由にしていくことだ。

わたしは30代のときに鬱になって病院に通ったことがあるんだけど、その時に医師に紹介してもらったのも、認知行動療法的なメソッドだった。

自分が持っている強迫的な考えを(コントロールしようとするのではなく)ニュートラルに観察するというもの。

これはむちゃくちゃ役に立っている。このメソッドに慣れてくると、生きるのがだんだん楽になってくるのだ。

インターネットにかぎらず、実は自分の中にも嘘ニュースはいっぱい詰まっていたりする。生まれてこのかた真実だと思っていた(自分にとっての)常識が実は根拠のない情報だったということが、私の場合はけっこうたくさん見つかって、それに気づくたびにどんどん身軽になっていけた。

自分が何に振り回されているのかに気づくだけで、状況は変わっていなくても気が楽になるものなのである。

気が楽になると、イライラして消耗することにムダな時間を費やさずに済むし、ごはんはおいしくなるし、いろいろ便利である。


人工知能やVRがどんどん進化していくこの先の世界では、きっと、嘘と現実の境目はますます曖昧になる。

何が真実かを自分で選ばなければならない日が来る。ていうか、もう来ている。

その時に重要なのは、結局一人一人が情報をどう受け取りどう感じるか、どういう立場でどう活かすかという、主体的判断になってくるのかもしれない。そんな世界で正気でいるためには、自分が恐いと感じるものをよく知っておくことが大切だと思うのだ。


【TOMOZO】yuzuwords11@gmail.com

米国シアトル在住の英日翻訳者。在米そろそろ20年。
マーケティングや広告、雑誌記事などの翻訳を主にやってます。

http://livinginnw.blogspot.jp/

http://www.yuzuwords.com/



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■グラフィック薄氷大魔王[548]
「Kindle本の表紙が省略されてる?」他、小ネタ集

吉井 宏
https://bn.dgcr.com/archives/20171220110100.html

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●Kindle本の表紙が省略されてる?

先日、映画公開に合わせてかようやくリリースされたスティーブン・キングの「IT」Kindle版、全4巻を購入。開いてみて藤田新策氏の表紙イラストが無いことにショックを受けた。氏のイラストは30年以上、キング作品と「不可分」で「一心同体」なのに。

http://amzn.to/2kHDPPk


最近買ったKindle版の本のいくつかにも表紙がなかった。正確には「AmazonやKindle上でサムネールとして使われてるイラスト入りの装丁」ではなく、「カバーを取った本体表紙みたいなデザイン」が、表紙に相当するページになっている。

そもそも、Kindle版が出始めた初期に憤ってたのが「ダウンロードして最初に開くページが表紙ではなく目次の前の大扉ページ」なことだった。表紙を見るにはページを戻さなくてはいけなかったのだ。

電子書籍ではサムネールが表紙(平置き)と背表紙(本棚)を兼ねてるから、機能的には表紙ページが不要なことは理解できなくもない。けど、本の顔をなくしちゃっていいのか? Kindleデータを作る出版社が本の顔はサムネールで十分って考えてるんだったら残念!

僕はイラストレーターで元グラフィックデザイナーだから、「表紙は大切に決まっとる!」。

でも、表紙っても本来はディスプレイ兼保護用カバーだし、図書館ではカバー外して収蔵されることも多かったようだし、そんなに重要じゃないのかなあ。

たとえば、作家は自分の小説の顔としてデザイナーが考えたデザインやイラストが使われるのって、どう思ってるんだろう??

いやしかし、本やレコードやCDや映画のキービジュアルとしての、表紙やジャケットやポスターって、ぼわーとしてるかもしれない中身のイメージを凝縮してアイコン化するもの。

その意味ではサムネールで十分かもしれんけど、やっぱ本体に付属してなきゃおかしい。せめてiTunesストアの大きなジャケット画像みたいな扱いででも。

●3Dプリンタ

知らないヤツが「ちょっと3Dプリンタを使わせて」と、長時間独占して機械のシャーシ部分みたいなものを出力した。その出力物は中まで詰まっていてずっしり重い→大量にフィラメント(樹脂材料)を消費する。

買ったばかりのpolymakerのグレーのフィラメント、一気にリールが空になってしまった。僕は怒って抗議した。「充填率を下げて中空にするの知らないのかよ! 僕のフィラメントなのに!」……という夢を見たw

MODOでポリゴンモデリングやってる夢はしょっちゅう見るけど、3Dプリンタが夢に出てきたのは初めてで、ちょっと驚いたのでした。

10月に3DプリンタFinderを購入して以来、3個を塗装して仕上げた。例によって、いろんな塗料や絵具による塗装テストに時間を費やし、今も2個を作業中。けっこうハマりつつあるのかもね。

●スター・ウォーズ:コンセプト・トレーラー

おお! ラルフ・マッカリー(最近はマクォーリーというらしい)のスター・ウォーズのコンセプト画が動画になってる!

1977年当時、ロードショー誌か何かに載ってたコンセプト画を見て、頭の中で動いてた映像はほぼこれなんだよ〜! フロリダのデジタルアニメーション学校DAVE Schoolの学生作品だそう。

The Star Wars: Concept Trailer


ルークに相当するのが女の子だったり、ファルコンの形がブロッケードランナーだった設定も、マッカリーが描いた頃には変更されてたはずだけど、これはこれで良いw 非常にイイ。

77〜78年は、高校受験の時期を挟んでアメリカより一年遅れのスター・ウォーズ公開を死ぬほど待ちくたびれつつ待ったのだった。ロードショー誌以外にもいろんな雑誌を漁っては、スター・ウォーズの記事を探しまくったし。

ボツになった案や途中段階を使った、「こうなるはずだったかもしれないスター・ウォーズ」を30分くらいのCG映画にしたらおもしろいよなあ。ルーカス自身が考えたのにボツ食らったep7〜9も見たいw ついでに「デューン(ホドロフスキー版)」もおねがい。

●新作「スター・ウォーズ」を毎年観れる幸せw

「最後のジェダイ」。初日の朝、観に行ってきた。素晴らしい! 大満足。

旧ファンへのサービス過剰とか言われた「フォースの覚醒」の新キャラクターたちは魅力的ではあったけど、新しい物語の流れが出来るのか不安が残ってた。ちゃんと繋いでくれた上に、もうその新しい物語が疾走している。ep9が楽しみだ。

一年に一本、スター・ウォーズの新作を観れるなんて思わなかった。まだ全9作と言われてた「ジェダイの復讐(帰還)」の頃から、「3年に1本ペースだとエピソード9は何歳頃だな」とか指折り数えてた。

で、来年6月のスピンオフ「ハン・ソロ」以降、ペースが早まるらしいよ! ep9で「スカイウォーカー家の物語」が完結後の新しい三部作のみならず、テレビドラマ版も計画されてるらしい。

そのためか知らんけど、ディズニーは自前で動画配信会社を用意するらしいし、なんと先週にはHulu(と二十世紀フォックス)が、ディズニーに買収されるというニュース!


【吉井 宏/イラストレーター】

HP  http://www.yoshii.com

Blog http://yoshii-blog.blogspot.com/


今年は前半に予定外のバタバタがあったし、後半は3Dプリンタに夢中。2017年にやろうと思ってたこと、すっかり忘れてた。来年はちゃんとやろうw

・スワロフスキーのフクロウのHootのクリスマスバージョンが出てます。
http://bit.ly/2ntjOAX


・スワロフスキー干支モチーフの「ZODIAC」
https://www.fashion-press.net/news/33277


・スワロフスキーのLovlotsシリーズ「Hoot the Owl」
http://bit.ly/2ruVM9x


・パリの老舗百貨店Printemps 150周年記念マスコット「ROSEちゃん」
http://departmentstoreparis.printemps.com/news/w/150ans-41500


・rinkakインタビュー記事
『キャラクターは、ギリギリの要素で見せたい』吉井宏さん
https://www.rinkak.com/creatorsvoice/hiroshiyoshii


編集部からお詫びと訂正:連載ナンバー546が抜けていましたので、調整して前回と同じ548とします。お詫びして訂正します。


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編集後記(12/20)

●東雅夫編「山怪実話大全 岳人奇談傑作選」を読んだ(山と渓谷社/2017)。2015年に山と渓谷社刊の田中康弘「山怪」が記録的大ヒット、山の怪談実話ブームが到来し、類書が多く出版された。たぶん全部を読んできたと思う。もはやハイキングでさえ行かなくなっているのに、なぜか山の怪異が大好きなのだ。

東雅夫編では「文豪山怪奇譚」という近現代の文豪12人のアンソロジーがあるが、意外に退屈だった。今回は実話怪談、実録怪談などと言われる分野の作品のみに的を絞ったセレクション26話を、6つに分類している。その第5パートが岡本綺堂「木曽の物怪」に始まる、主に猟師が山で遭遇する怪異物語である。

そして、岡本綺堂「炭焼きの話」、白銀冴太郎「深夜の客」、杉村顕道「蓮華温泉の怪」、岡部一彦「一ノ倉の姿無き登山者」と続く。奇妙だがストーリーはよく似ている。「再話文学」という言葉を初めて聞くが、伝承的な昔話や伝説に文学的魂を吹き込み語りなおすことを言う。そういう系統なのだろう。

1)山奥の炭焼き小屋に暮らす父と子。7歳の少年が異常に怯えるのは、夜間に訪れた旅人。2)山奥の温泉宿に暮らす父と子。7歳の少年が異常に怯えるのは、夜間に訪れた旅人。3)山奥の温泉宿に暮らす父と子。8歳の少年が異常に怯えるのは、夜間に訪れた旅人。って、同一のシチュエーションである。三話とも、その旅人を猟犬が狂ったように吠えたてる。さすがにオチは少し違っている。

この「お父さん、怖いよう」文学、何度も読み返したが(酔狂な読者だ)、1)の怪しい旅人の正体は死ぬために来た男で、翌朝炭窯に首を突っ込んで焼死していた。2)3)の怪しい旅人の正体は人殺しで、巡査に追われていたのだった。それだけでなく、彼らの背中には血みどろで髪を振り乱した若い女が、恐ろしい顔をしておぶさっていた。それを見た少年と犬はおびえて反応したのだ。

このあとの一篇は、戦前の一ノ倉、旧道の出合いに天幕を張って数日を過ごす若者たちの遭遇した怪異。午前3時にツレションしていたら、その時刻に一ノ倉を下りてくる足取りの確りした足音、ピッケルの音が聞こえてきた。目の前を姿なき登山者が通過して行った。二人とも怖い、不気味だという思いがまるでない。同じクライマーとしての友情を感じたという。これはいい話だ。

なぜ山登りする人は怪異とよく出会うのか。実際、登山には一歩間違えば死に至る危険がつきものである。「死と隣り合わせの場に身を置く岳人たちが、他界の消息にことのほか敏感であり、ときには死者たちの声を聞いたり姿を見たりするするのも、首肯されるところだろう」と、筆者は分析する。そうかも。

収録された26篇の山怪はあまり怖くない。ほとんど怖くないといってもいい。本当に怖いのは安曇潤平の「山の霊異記」シリーズである。「山怪」ブームのずっと前から、山の怖い話をド真ん中に投げてきた。読み返す勇気がない。福澤徹三も加門七海も最近は読んでいない。怖い話が苦手になってきた。(柴田)

東雅夫編「山怪実話大全 岳人奇談傑作選」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4635320111/dgcrcom-22/



●古典なんかだと、表紙イラストが誰かで売り上げが変わるのに〜。/TOMOZOさんの話、めっちゃ為になった。/「エコーチェンバー」。友人にはフィーチャーフォンを使い続ける人がいて、ほっとする。仕事絡みだとスマホを持っている人しかいない。逆に友人にとってはApple Watchを使う私は変わり者。

もうそろそろ斜陽だなと思うようなイロイロは、実はまだこれから広まるところ、なんてのも多くて、個人的には失敗しがち。こんなの要らないだろう(簡単にできるので)、というサービスが流行ったりして、業界外の人たちと会話しないとなぁと思うことしばしば。

/SNSはあまり利用していない。ネットニュースでは、キュレーション機能はほとんど使わない。テレビもネットも見る。雑多な情報が欲しい。スーパーで野菜の価格を体感するのも大事だと思っている。知らない世界(分野・業界)の話を聞くのが好きだ。

/テレビや新聞ばかり見ている人と、ネットばかり見ている人とでは、政治関連の意見が違っていて面白い。芸能人や政治家、スポーツ選手の印象すら違うようだ。若い人たちがテレビや新聞を見なくなっていくなら、ネットの意見が主流になっていくのよね。

雑食にして、気をつけるようにしているけれど、反復されると信じてしまうし、想像のつかなかったあまりにも意外な情報も信じがちになる。万能薬はない、に頷く。

認知・感情の件にも。自分が信じた人やメディアの発信するものは正しいと感じがちなんだよなぁ……。いきなりかかってくる電話でのうまい話には乗らないけれど、つき合いのある人や、その紹介だと、悪いことはしないだろうって思ってしまうわ。

直感をねじ伏せてしまったり、説明を求めるのを後回しにしたり。信じたいように信じ、その上衝突を避けてしまう。これで何度泣かされたか……。検証や衝突を避ける=楽して、余計に大変になるパターン。 (hammer.mule)