ローマでMANGA[126]3年ぶりの里帰りは17年ぶりの年末年始
── Midori ──

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ローマ在、マンガ学校で講師をしているMidoriです。私の周辺のマンガ事情を通して、特にmangaとの融合、イタリア人のmangaとの関わりなどを柱におしゃべりして行きます。と言いつつ、今回は番外編。

●クリスマス休暇で日本の年末年始

デジクリ「行く年来る年」の回で、「15年ぶりの年末年始、7年ぶりの里帰り」と書いたけど、計算を思いっきり間違えていた。

年末年始は17年ぶり、里帰りは3年ぶり。なんだか時間の感覚が鈍くなってるのか。まぁ、どちらにしても久しぶりの故郷。

ここ数年(この表現なら間違わない)、里帰りというと学校の奨学金生徒を引率するお役目で来ていた。悲しいかな、家計が厳しいのでなかなか飛行機代を出せないのだ。

年に一回の予定で4回ほど順調に来たのだけど、震災の年はだめ。翌年は奨学金を取った生徒の親が“放射脳”で、日本行きを怖がって辞退。その翌年は学校が赤字だからダメ。

その翌年は決行で里帰りが叶い、その後、また赤字だったり、引率責任者の教務課長が怪我をしたりで、3年を経過しようとしていた。

10月始めの母の誕生日にメッセージを送ろうとして、いくつになるのか考えたら88歳と言う数字が出てきてびっくりしてしまった。何となく過去の面影を引きずっていてまだまだ若さがある気がしていた。




おかげさまで元気なのだが、ここの数年、骨折したり、軽い脳梗塞を起こしたりしている。脳梗塞の時は、異変を感じて医者に電話をし、文字を書いたり腕を動かしたりの簡単なテストを電話で受けて、脳梗塞が発生・進行中の診断が下り、自分で救急車を呼んで入院したのだ。

発見が早かったので大事に至らず、10日程のリハビリのための入院で済み、後遺症もない。そんなしっかりした人だけど、高齢には違いない。

会える時に会っておかないと! と気がついて、夏のガイド仕事の報酬を飛行機代に回すことに決めた。引率でなく日本へ行けるのは、学校が休みの時だけだ。するとクリスマス休暇しかない。

一人で里帰りなので、家族で過ごすべきクリスマスを旦那と息子だけにしてしまうけど、旦那は納得してくれた。

●故郷とは

里帰りの時期が年末年始、その前にクリスマスがあり、クリスマスの日に生まれた甥っ子の誕生日もある。

勤めの関係で名古屋住まいの弟1も年末年始は帰郷するし、弟2とその家族は母と一緒に住んでいるので、久々に何日もオリジナルの家族全員と過ごす日々となった。父は天国にいるので、5次元の世界からいつでもどこでも我々を見守ってくれている。

故郷というのはそれを構成する人々との心理的な関係だ、ということを20年ほど前に、母と弟ふたりが遊びに来た時に痛感した。

ローマ郊外の我が家に、忽然とニシニッポリの家が降って湧いたのだ。構成員と私のやりとり、構成員同士のやりとり、言い方や言葉の間、その言葉によって起こる私の中の様々なさざ波が故郷なのだ。

それぞれの心身の環境が変われば多少の変化があるものの、ベースは変わらない。また、変わらぬベースを保ち続ける家族関係がありがたい。

●母浸けの日々

弟2と母の住まいは三階建てで、母の居住区と弟2の家族の居住区が別になっている。普段は無理に一緒にご飯を食べたりしないで、それぞれの時間帯で過ごしている。

帰郷した私は、当然母の居住区で寝泊まりして、就寝時以外はほとんど母と一緒に過ごすという旅の目的を果たした。

おかげでほぼ引きこもり状態で、manga愛好家の聖地「まんだらけ」にも「世界堂」にも行かずに、何百回ともなく聞いた昔話や、母の現在のカラオケ友達の状況、認知症になった古い友達の話、子供の時からのご近所さんのその後などを聞き続けた。

何百回も話すのはボケて来たからではなく、若い頃からの癖だ。おかげで弟2の嫁さんは、私たちのことを子供の頃からのエピソードを余すことなく知っている。甥っ子もそうだ。

小学校低学年だった12歳下の弟2をYMCAのプールに連れて行ったところ、迷って戻って来てしまった話はすっかり忘れていた。

「飛行機間違えないでよくイタリアへ行けたね」と言うコメントは、私の数ある迷子エピソードの締めくくりに欠かせない。

●故郷の印象〜家族

現在の家は、文字通り私が生まれて(当時は自宅出産が普通だった)育った西日暮里の家から、徒歩10分ほど離れた場所にある。3年前に母と弟2家族の同居を決めて新築したのだ。同じ年に姪っ子も生まれた。

だから、新居と姪っ子は初めての対面だ。3歳の姪っ子は、私のことをよく知っているお母さん、つまり弟の嫁さんからよーく聞かされて「みどりさん、だーいすき!」と、会う前から言っていたとのことですぐに打ち解けた。

弟2一家が飼っている犬のラテ君は、初対面では後ずさりをしながら唸っていたが、3日目に遊ぼうよと言うようになった。

3年前に会った甥っ子は小学校高学年で、私にですます調で話すので(知らないオバサンだものね)それが寂しかったけど、今回中学生になって、ですます調は変わらないけど、もう少し気さくな感じになっていた。

ガリ勉君だったのが、プレステとmangaとスマホに夢中で成績が下がって、私の甥っ子らしくなっていた。

●故郷の印象〜高齢化社会

最寄りの駅はJR田端で、母方の祖父母が栃木から出てきて新婚生活を始め、母も空襲で家が焼けるまで住んでいた地域。

コンビニもできたけど、まだ個人商店がポツポツと残り、古い面影を残している。そのせいか、何度か駅まで歩いて気がついたのは、道を歩いている人々の年齢層が高いこと。中高年が圧倒的。

「少子化高齢社会」と言う言葉がいやが上にも頭の中を渦巻いた。

●故郷の印象〜儀式

私の記憶にある大晦日から明けて正月三が日の雰囲気は、大晦日の日が沈むまでなんとなくせわしなく、零時過ぎると一転して荘厳な清々しい空気になって、車の往来も人の往来も絶えて静かになる。

17年前もその空気が薄れて感じたが、今回はもっとその忙しなさも荘厳な清々しい空気もかなり薄れていた。私がエトランゼでそこで日常を過ごしていないからだけではなさそうだ。

2日から店が開いたりするし。三が日はお屠蘇飲んでおせちとお雑煮を食べて、グダグダしているべきではないのか。

少しづつ習慣が変化していくのは自然なことなのだろう。でも、節目をしっかりと印象付けるというのはニッポンの、日本人の基本ではないのか。

学校の始業式、終業式、入学式、卒業式。どこの国でもやってることではないのだ。学校や事務所の朝礼もね。あれって、無意味ではなく、これから自分が向かう事への心構えを立てるのに役立つのだ。事あるごとに儀式をするのは日本人の社会生活への知恵なのだ。

何年か前から、弟1が元旦から三が日にはお屠蘇の儀を取り行なっている。ちゃんと水垢離を取り、白い絹の褌を締めて、烏帽子に狩衣を着て、母が永年やっていた都の商工統計調査の御礼で貰った、三つ組杯で三三九度をする。

本来ならシンと静まりかえって杯をいただくところだろうけど、小さい子がいてワイワイ騒ぎながら、取り仕切る弟1のみ厳粛な顔の儀式になっている。少しお正月っぽい気分にはなれる。甥っ子、姪っ子はこうした儀式をしっかりと記憶して行ってくれるかな。

薄れる儀式に反して、薄れていないのはキチンとしてるところ。それは、ことあるごとにちゃんと列を作るところに顕著だ。

3年前に列で失敗した。コンビニでレジがふたつあり、両方でお客さんが会計をしていた。それぞれのレジへたどりつくための足跡が、床に印されてあったのだがそれには気がつかず、イタリア式に二つにレジの真ん中に立ち、先に空いた方に行こうと待ち構えていた。

一つ空いたので、すかさずそのレジにオニギリを差し出すと、レジ係は怖い顔をして「いらっしゃいませ」と言った。ハッとして後ろを見ると、足跡が示す場所に男性が一人、私がスッと寄ってしまったレジの順番を待っていたのであった。

この思い出をしっかりと頭に刻んで、コンビニではちゃんと足跡マークを確かめて、失敗はなかった。

都バスの停留所に、ベンチがある所が多くなっていた。母と出かけて都バスを待つのに、ベンチに中年の女性が腰掛けていたのを見たけれど、なんとなく私の頭は認識しなかった。

バスのドアが来るであろうところまで進んで待っていたら、母が「並ぶのよ」と声をかけて、ベンチの女性の後ろに移動した。そうか! 並ぶんだ! 母と一緒にいたおかげで人非人にならずに済んだ。

並ばないイタリアと並ぶ日本。並ばないイタリアでは、自分と目的の距離しか頭にない。並ぶ日本では他との距離が大事。空気読む。お互い様。リスペクト。と言った単語が頭に浮かぶ。

●故郷の印象〜和食

大晦日から正月にかけてだから、日本食を主に食べた。何人か古い友人と会って食事をしたが、私に気を使ってくれて和食が多かった。少しづつ色々な料理。

ゆっくり食べることになって、お腹いっぱい食べても全体の量は、多分イタ食よりずっと少ない。散々食べたつもりだったけど、2キロ近く減って帰ってきた。動物性脂肪が少ないしね。

時々するガイド業で日本のお客さんと食事をすると、なんでこんなに少食なのか、と呆れたり困ったりなのだが、これはしょうがないよね、とつくづく思う。そして、なんであんなにいちいち綺麗なの?! 器や盛り方。

ヌーベルキュイジーヌは、懐石料理にインスパイアされて出てきたと聞いた。イタリアでも今やシェフの料理はすっかりヌーベルキュイジーヌ風で、大きめな変わった形のお皿にちょこっと盛り付けてソースで飾る。

でも、どこが違うかというと、季節感。欧州の盛り付けには季節感と自然との融合に欠ける。

●故郷の印象〜お風呂

肩まで浸かってじっくり温まるお風呂。いいなぁ、これ。「追い焚き」のボタンも気に入った。

湯船に浸かって「おいだき」のボタンを押して、「追い焚きをします」と言うお姉ちゃんの声を聞いて眼をつぶる。じわじわと熱いお湯が滲み出てきて、一番冷える腰回りが温まっていくのを感じる。極楽極楽。

こんな極楽を毎日当然のように味わえて、日本の皆さんはいいなぁ。何だかんだ言って、日本は豊かなだなぁと思った。

あぁ、やっぱり年に一回くらいは帰りたいなぁ。


【Midori/マンガ家/MANGA構築法講師】

里帰りがあっという間に終わって、時差ボケが、里帰りが確かにあったのだという証拠として体に残っている。朝5時ごろキン! と目が覚めてしまう。このまま早起き癖になってくれるといいのだけど。

[注・親ばかリンク]息子のバンドPSYCOLYT


MangaBox 縦スクロールマンガ 「私の小さな家」
本文で言及した大晦日のワクワク感の思い出
https://www-indies.mangabox.me/episode/19730/


主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
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