まにまにころころ[131]ふんわり中国の古典(孫子・その11)とことん現実的な孫子の教え
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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コロこと川合です。明けましておめでとうございます……というような日でもないですね、既に。ともあれ本年もどうぞよろしくお願いします。

恒例というか、NHK大河ドラマの話から始めましょうか。『西郷どん』ですね。

まだ三話ですが、お由羅騒動まで進みました。親子でお世話になっていた赤山様が、切腹を申しつけられたところまで。西郷さんと大久保利通の一生が決まる大きな分岐点ですね。

調所広郷が、最期以外、完全に悪役って感じに描かれていたのがちょっと残念に思えました。調所は薩摩藩のためにひたすら尽力した苦労人だと思うので、もうちょっといい感じに描いてあげて欲しかったです。

今回の大河、セリフが薩摩言葉で分かりにくいんですが、そこが面白いと評判になっています。でも、もうちょっと分かりやすいと嬉しいという方は、字幕をオンにすることをオススメします。

私はいつもテレビはだいたい字幕モードで見ているんですが、文字になるとかなり分かりやすいです。邪道ですけど。

さて大河の話はこの辺にして、いつもの孫子を始めましょうか。行軍篇の続きから。何の話をしていたか忘れた方は、昨年のものを読み返してください。

……私も読み返しました。(笑)





◎──『孫子』行軍篇(四〜五)

近くに居ながら敵が静かなのは、険阻な地形を頼みにしているから。

遠くから挑発してくるのは、誘い出そうと謀っているから。

険しい地形ではなく平地にいるのは、何らかのメリットがあるから。

木々が揺れ動くのは敵の侵攻があるしるし。

草むらに覆いがあるのは、伏兵がいると見せかけた牽制だ。

鳥が飛び立ったら、それは伏兵のしるし。

獣が驚いて出てくれば、奇襲のしらせ。

土埃が高く鋭く上がっていれば、戦車が攻めてきている。低く広く上がっていれば、歩兵が攻めてきている。

あちこちに土埃が上がっていれば、薪を調達している。

かすかな土埃が行ったり来たりしていれば、そこに軍営を敷く準備している。

敵の軍使がへりくだった言葉を述べながら、軍備を増強しているなら、進行する準備をしているということだ。

強気の口上を述べて進行の構えをみせるなら、退却の準備をしているということだ。

戦車が両翼に進んできたときは、そこに陣地を構えようとしている。

突然講和を申し入れてきたなら、それは陰謀だ。

奔走して兵士を並べていれば、決戦を期している。半進半退しているならば、こちらを誘い出そうとしているのだ。


◎──『孫子』行軍篇(四〜五)について

敵の動きを知る手がかりについての話が、このあたり続きます。

源頼朝の祖先、八幡太郎こと源義家に「雁行の乱れに伏兵を知る」というエピソードがあり、後三年の役でのこと、隊列を組んで飛ぶはずの雁の群れが、列を乱して飛んでいるのを見て、中国の古典によればこれは伏兵がいるしるしだと看破したって話なんですが、孫子を読んでいたんですかね。

義家は大江匡房に「大将の器であるが、残念なことに兵法を知らない」と評されたことがあり、それを聞いて大江匡房を訪ねて師事したらしいです。

素直に受け止めて兵法を学んだあたり、大将の器という評もまた正しかったってことですね。見抜く大江匡房もすごい。

この「雁行の乱れに伏兵を知る」はよく、絵画のモチーフにもなっています。

行軍篇はこの先もこんな話が続くんですが、義家みたいにぴったりその状況が当てはまることばかりとは限らないし、また戦場で起こりうるすべてのケースを挙げることも不可能なので、ここでは孫子は、些細な変化も見逃さずに、広くアンテナを張って、情報を分析して事に当たるようにって言いたいんでしょうね。

今の時代、雁で伏兵を知ることはなくても、観察をおろそかにしないようにという点では、孫子の教えは活かせるように思います。


◎──『孫子』行軍篇(六〜八)

敵の兵士が杖をついていれば、飢えているのだ。水を汲みに出た者がまず水を飲んだなら、敵陣に水が不足していてみな渇いているのだ。

進軍すれば有利となる場面で出てこないのは、それほどまでに疲弊しているのだ。敵の陣営に鳥が集まっていれば、もうそこに兵士がいないしるしだ。

夜に大きな声で呼んでいるのが聞こえたら、相手は恐怖に駆られているのだ。

軍の統率が乱れているなら、敵将は兵から軽んじられているのだ。

旗指物が敵陣で動いていたなら、動揺が起こっているのだ。

相手の役人が怒鳴っているようなら、敵軍は疲れているのだ。

馬を始末して肉を食べているようなら、敵の兵糧は尽きているのだ。

炊事道具を処分して営舎に戻ろうとしないようなら、敵は決死の覚悟を決めているのだ。

敵将が丁寧に静かに、兵士に語りかけているなら、兵士の信望が失われているのだ。

敵将が兵士にしばしば褒賞を与えているなら、敵は行き詰まって苦しんでいるのだ。しばしば刑罰を与えているのもやはり、行き詰まって疲れているのだ。

兵士を手荒に扱っておいて後から離反を恐れる輩は、考え足らずの極みである。

軍使を挨拶に寄越してくるのは、休息を求めているのだ。

敵兵が怒りにまかせ押し寄せたようでありながら、まともに戦おうともせず、引きもせずとあれば、必ず慎重に観察して相手の意図を探る必要がある。

戦において兵士の数は、多ければ良いというものではない。ただ単に猛進することはしないで、戦力を集中させつつ敵情を計っていけば、勝利できるだろう。

しかし、考えなしに敵を侮っているようでいては、必ず敵に捕らえられてしまうだろう。

まだ兵士の心をつかめていないのに懲罰を行っては、兵は心服しない。

心服しない者は使いにくい。逆に心をつかんでも、だからといって非を見逃し懲罰を与えないでいては、やはり使えない兵士となる。

だから兵士は温情にて従えて、軍規で統率を図る。これが必勝につながる。

規律が普段から守られて、それによって兵士に命令をくだしていれば、兵士は服従する。規律が普段から守られていないのに、それによって命令をくだしていては、兵士は服従しない。

平素から規律が守られていてこそ、兵士と心をひとつにできるのだ。


◎──『孫子』行軍篇(六 〜 八)について

これ、敵がこうしているときはこう、って言ってる部分でも、半分は自軍への戒めを兼ねてるんだろうなって感じですね。

敵将がどんな風に兵士に声かけているかなんて、そうそう分からないですし。もっとも、スパイは送りまくっていて、孫子十三篇のラストである用間篇は、名前の通り一篇まるまるスパイについて書かれているんですけど。

前にも書きましたけどこれ、軍上層部のための書だからいいんですが、兵士は優しく手なづけて、懲罰で引き締めて、ってなこと、一兵卒の立場で読んだらちょっと腹立ちますよね。

でもこんなのマシな方で、兵士は死地に追い込んでやれば必死に戦う、なんてことも書かれています。経営者のバイブル、なんて言われることもある孫子ですが、随所でブラック企業のにおいがします。(笑)

ただ、まあ、とことん現実的なだけでもあるんですが。


◎──今回はここまで

孫子の兵法、十三篇のうち九篇まで進んできて、残り四篇ですが、上巻下巻と分ける場合は、ここまでが上巻になるようです。

毎回少しずつ読んでいる『孫子』ですが、さっさと先を知りたい方は、古書店に行き岩波文庫の『孫子』を探してみてください。

昔から読まれているので、古いものが100円〜300円くらいでよく売られています。安くなくてもいいからすぐに読みたいという方は、電子書籍でどうぞ。

別に急がないし少しずつでも十分という方は、引き続きデジクリを読んでください。(笑)


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
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