ローマでMANGA[127]なぜ分かりにくいのかが分からない生徒たち/Midori

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ローマ在、マンガ学校で講師をしているMidoriです。私の周辺のマンガ事情を通して、特にmangaとの融合、イタリア人のmangaとの関わりなどを柱におしゃべりして行きます。

●ユーロmangaコースのその後

2017年10月から新学期が始まり、20年のセミナーを経てmangaが正式コースに組み込まれた。学校は三年制で、一年、二年で基礎をやり、最終学年の三年生でコースに分かれる。

これまでの「海外(フランスのBDとアメコミ)」「ギャグ」「イタリア」に「ユーロmanga」が仲間に加わったのだった。

イタリア国内でmanga家として作品を発表している、35歳のパオロ君が実技を担当して、私が構築法を担当する。

構築法の中には物語制作の基本(三章に分ける方法を基本として、二章目を二つに分けて「起承転結」にする方法を解説)と、キャラの感情をベースに物語るための方法を種々解説及び実技をする。

先に進む前に「イタリア国内でmanga家として作品を発表している35歳」というところに注目していただきたい。とても微妙な言い方をしてみた。





「イタリア国内でmanga家として活躍している」と書こうとして手が止まってしまった。manga家だけでは食べていけない状態だから。もちろん、manga王国の日本だって、mangaだけでは食べていけないmanga家志望者はいる。

イタリアではさらに難しいことを強調したい気持ちが、手を止めたのだと思う。

参加の生徒は、おしゃべり君、やる気はあるけど追いつかない君AとB。家庭の事情でうつ気味で欠席気味君、絵が上手くて学校の企画に呼ばれて欠席が多くなった君、しつこくネームを送ってくる子ちゃん、授業を熱心に聞く子ちゃん、いつも焦ってる子ちゃんの8人。

既成のmangaページのアレンジから始まって、独自に短ページのネームを作ってもらう実技に移行している。

そして、コミックゼノン社が企画する、サイレントマンガオーディションの参加を義務付けて、1月からはそのネーム作りを始めた。

サイレントマンガオーディションは、その名の通りサイレントで作品を作る。つまり、フキダシは一切使わないのが条件なのだ。キャラに喋らせてはいけないわけ。コマ構成の演出を学習するにはうってつけの方法。

mangaって難しいんですねー。

ストーリーが面白いかどうかの判断は二の次。キャラの感情を中心に語ることが難しい。見たネームはどれも紙芝居だ。共通している「mangaとは呼べないネームになってしまっている理由」は、次の通りとなっています。

・コマと次のコマが連続していない

・感情表現はキャラの表情に限られていて、その表情が一辺倒

・キャラの感情が動いた時に、キャラの顔のアップ一コマで済まして、次の行動のコマに移行。構図がバストと顔のアップに、ほぼ限られている

「コマが連続」というのは、時間が繋がっている感覚を読者に持ってもらうように、コマと次のコマの構図を工夫する必要があるわけで、それを「物語のユニット」ということで課題にしている。

映画のワンカットを表現する時に、最低三コマを使わないと表現できない。それをほとんどの生徒が、一コマで表現してしまうわけ。だから紙芝居。

紙芝居はお話絵で、文章で解説があるからそれでいいのだけど、サイレントマンガではト書きや台詞での説明がないから、ワンカット=一コマでは読者の理解が難しくなる。

生徒の方では自分の頭から出てきた話で、状況がよくわかっているから、読者が理解できなさそうということがわからない。なぜ分かりにくいのかを、生徒にわかってもらうのが難しい。

例えば、しつこくネームを送ってくる子ちゃんの場合。

「ゲーム内の友達としか付き合えない、引きこもりの主人公。遊んでいる途中で友達のアバターが落ちてしまう。何も言わずにゲームからいなくなってしまったことに、ショックを受ける主人公」

ネームはまず家の外観から始まる。夜であることを表すために空は暗い。窓が一つだけ明かりがついていて、それは主人公の部屋で一人だけ夜遅くまで起きていることを示す。

そして、それで主人公が引きこもりであることを表現したという。その後は主人公の部屋のシーンになり、主人公がコンピュータに向かっている姿を、後ろから描いたコマに続く。

「窓一つに明かりがついている家と夜空のバック」だけで、主人公が引きこもりであることを読者に伝えるのは不可能だ。

友達が消えてしまってショックを受けるシーンを描くのに、何コマかコンピュータ画面のゲーム内の絵の後、友達が画面から消えるコマに続く。

その直後にびっくりしてる(ショックを受けた)主人公の目のアップのコマ。そして、ワナワナしているマウスをつかむ手のアップ。

二つとも、紙芝居式になっている。

●感情移入の方法

他の生徒たちも、表現方法は似たり寄ったりだ。どうしても、キャラの行動を追うことでしか、物語を進められないらしい。

正式コースの前は週に一度のセミナーで、参加者は課題にまだ追われていない一年生だった。

だから、スムーズに演出ができないのは仕方がないと思っていたのだが、どうやら演出という能力にかけては、一年生のセミナーの生徒も、正式コースの三年生も、あまり変わりがないことにちょっとビックリしてしまった。

mangaをたくさん読んでる子たちなのに……。

だいぶ前にここで、「イタリア語は過去形がたくさんあって時制にこだわる。日本語は時制が曖昧で、いつの出来事でも現在とつながっている」という意味のことを書いた。

どういうことかというと、イタリア語では物語を書く時には大過去という時制を使い、現在と隔てができる。今読んでいる私と、過去に行動をしたキャラに隔てができるのだ。

その思考の仕方が、manga文法と欧米のマンガ文法と違って来たのではないかという考え方だ。

自分が主人公になったつもりになって、その状況でどう感じるのか、どういう思いになるのか想像してみて、と言ってみた。

しつこくネームを送ってくる子ちゃんは、ダメ出しにめげずに六回目のネームを提出してきた。

「今度は自信がある。私だったらどう感じるかって考えてみたのよ」と言いながら。結果は、だいぶ良くなったけどまだ。カットを一コマで表現している部分があって、今ひとつ読者としては感情移入できない。

さ、もう一踏ん張り。


【Midori/マンガ家/MANGA構築法講師】

昨年に引き続いて、お友達の教授率いる女子学生のご案内でローマ、フィレンツェ、ベネツィアを回ってきた。ベネツィアの由緒ある高級ホテル・ダニエルの見学や、カーニバルの仮面やベネツィアガラスの店を彼女等と回って、ヨーロッパと日本のメンタルの違いを再確認したので、ちょっとそのことを。

日本は「黒子」という認識の仕方があるように思う。歌舞伎や人形浄瑠璃で黒尽くめで役者のお手伝いをし、観客は黒子をいないものと「見なす」のがお約束だ。

それにプラスして、店では「お客様は神様」ということになっている。お客は店員に声をかけられることを嫌い、店員が見えていても自分が必要とするまで彼らは黒子なのだ。

だから、彼らの前で品物を触り、自分たちのおしゃべりに精を出す。買う気はさらさらなくても品に触り、言いたいことを言っていく。

ヨーロッパでは、あるものをないことと見なす、ということはあり得ない。あるものはあり、ないものはない。

だから、店に入って店員(小さい店の場合は店主かも)を居ないものとみなして無視し、まだ自分のものではない品物をあれこれ触り、言いたいことを言って写真まで撮って、そのまま出て行くというのはすごく無作法だ。

「空気を読む」ことが基本のはずの日本人が、ヨーロッパ旅行中の店でその基本に蓋を閉めてしまう。シャイなせいもあって、ことさらに店員を居ないと見なすことに精を出してしまう。

ヨーロッパでは意思を隠すのは奇異なのだ。だから、買う気はないけど店内を見てみたいなら、それを黒子ではないちゃんと存在している店員さんに示せばいいのだ。

言葉がわからなくても構わない。そこに存在する店員さんとちゃんと目を合わせ、ニコッとして「見る」という意味で目を指差してたり、指をあちこち指したりすれば察してくれる。good morningやlookぐらいは言えると思う。

ベネツィアの有名高級ホテルのダニエルを見てみたい場合。あくまでもホテルであって、モニュメントではないことを意識してほしい。

キャーキャー言いながらドヤドヤと、ドアマンを黒子にして入って行ったら追い出される。ドアマンは正式なお客様に不愉快な思いをさせる部外者は、入らせない権限と義務がある。

ダニエルのロビーはティーサロンなので、ドアマンやレセプションの人にお茶をしたい旨を言い、ちゃんとお金を払って落ち着いて座ればいいのだ。


[注・親ばかリンク] 息子のバンドPSYCOLYT


MangaBox 縦スクロールマンガ 「私の小さな家」
https://www-indies.mangabox.me/episode/58232/

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
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