ショート・ストーリーのKUNI[229]ぼくは怒れない/ヤマシタクニコ

投稿:  著者:  読了時間:9分(本文:約4,200文字)



「こんにちは。おひさしぶりです、父方の叔父さん」

「おお、純一郎くんやないか。なんや、その説明的な言い方は。まあええわ。何年ぶりやろなあ。なんかあったんか」

「実はちょっと悩んでいることがありまして」

「やっぱり」

「ぼく、昔から怒ったことがありませんでした」

「あーそうそう。それはわしも思ってた。この子はもの静かな子やなあと。いつも穏やかで、近所の子におもちゃ横取りされても黙ってたな。わしやったら瞬時にどついて取り返すとこやけど」

「そうかもしれませんね。でも普通に『それはぼくのものだから返してください』と言って、返してもらえば済むことです」

「『おまえのかあちゃん、でべそー』と言われても怒れへんかったしなあ」

「母がでべそでないことはよく知っています。少なくとも当時はでべそではありませんでした。最近見てないのでわかりませんが、事実と違うことを言われても怒る以前の問題です」

「ほんまに冷静やなあ」





「特に冷静なのではなく、ぼくとしては普通にしていただけなのですが、ふと考えて、どうもこれはおかしいのではないかと考えるようになりました。ぼくは怒ったことがないというより、どうやったら怒れるのかわからないということに気がつきました」

「どうやったら怒れるか……そんなもん考えたことないなあ。腹立ったら怒ってるし、むかついたら怒ってるし」

「それは単なる同義語です」

「すまん」

「でも普通はそんなもんでしょう。いちいち考えませんよね、きっと。ぼくはそれがわからないのです。自分が怒ったことがない、どう怒ったらいいかわからないということが実はコンプレックスとなっていました」

「そうやったんか」

「はい。怒りということが理解できないみたいなんです。『怒りの葡萄』もイカリソースもぼくには遠い存在です。だからずっとカゴメソースを使ってきました。いかりや長介はお亡くなりになりましたが」

「苦労してきたんやなあ」

「そこまではまだいいんですが、実は先日、母から打ち明けられました」

「何を」

「『あなたは遺伝子操作で怒れないようにした子なのよ』と」

「はあ?」

「母が言うには、結婚したもののふたりともすぐにカッとなる性質で、新婚当初から毎日夫婦げんかばかりしていました。ものは壊れる、部屋が散らかる、近所から苦情殺到、お互い体力消耗する。

そんな日々が心底いやになり、せめて生まれてくる子どもは絶対怒らない子がいいと思い、病院に、父にも内緒でお願いしたのだそうです。『カッとしてやったの。今は後悔しているわ、ごめん』と言ってましたが、後悔されても手遅れです」

「ほんまかいな」

「つまり、ぼくが怒れないのはどうしようもないということなのです。ぼくは一生怒れないのです。ショックでした」

「そういえば、確かにきみのお母さんとお父さんはしょっちゅうケンカしてたなあ」

「はい。ものごころついた頃から、朝になって『もう何時やと思てんのん、はよ起きてご飯食べて!』と母が言うと『うるさい! いま起きよと思てたのに言うな!』と父が言うのでもうケンカ。

その後も『パン焼きすぎや。焦げてるやないか!』『文句いうんやったら自分で焼き!』『なんで昨日、阪神が負けたんや!』『知らんわ。あんたが昨日、回転焼き買うてきたからやろ!』という調子でした」

「仲よさそうやないか」

「ぼくは慣れていたのでなんとも思いませんでした。確かに自分は両親と全然違うなと思ってきましたが、まさか遺伝子操作されていたとは」

「そうかー。嫁さんがそういうことをしたとは、わしの弟である君のお父さんも知らんかったやろなあ。しやけど、もう仕方ない。別にええやないか。それも自分の個性と思って割り切ったらどうや」

「ぼくもそう思ったんです。思おうとした、というか。ところが、昨日コンビニで買い物してたら会話が聞こえてきました。女の子二人の会話で『あ、このお豆腐、原料で“大豆(遺伝子組み換えでない)”と書いてあるわ』『ふうん。ほな安心やね』というのです。ぼく、どきっとしました。くわしいことはわからないんですが、遺伝子操作と遺伝子組み換えは似たようなものでしょうか」

「わしもわからんけど、遺伝子組み換えは遺伝子を操作したということちゃうんかなあ。わしは組み替えたことないけど」

「となると、ぼくって危険な存在なのでは」

「ええっ、そうかなあ」

「ぼく、実は好きな女性がいるんです。とてもかわいい子で、今度ごはん一緒に食べる約束したんですけど、ぼくが遺伝子組み換え大豆みたいな人間だと知ったら、ひくんじゃないでしょうか」

「可能性はあるな」

「それを考えると急に不安になってきて。なんとか彼女に知られないようにしたいんです。どうしたらいいでしょう。何しろ母も父も怒りっぽいので、ちょっと何か言いかけただけで、逆ギレされる恐れがあって相談できません」

「えーっと。つまり何やな。別に人間、怒らなあかんわけでもないけど、このままではあまりにも怒らなすぎて、怪しまれるんではと心配してるわけやな」

「そうですそうです」

「わかった。遺伝子操作に打ち勝つのは難しいけど、そのくらいやったら何とかなるやろ。要するに、かたちから入るというやつや」

「かたちから」

「たとえば姿勢を良くしていつもしゃんとしてたら、気持ちまでしゃんとしてくるとか。無理矢理にでもにこにこしてたら、だんだん楽しくなってきて、ほんまに笑えてくるとか」

「聞いたことあります」

「しやから、怒りたいと思ってなくても怒ってるような顔して怒ってるような言葉遣いしてたら、だんだんほんまに腹立って怒る、少なくとも怒ってるようにみえるはずや」

「なるほど。それはどうすればいいんですか」

「そやな。たとえば君がスーパーのレジに並んでいたとする。そこへどっかのおばはんが横から入って来た。君の前に立つ。腹立つやろ」

「いえ、だから腹立つというのが……マナーが悪い人だということはわかりますが」

「ここで普通の人間は腹立てるねん。まず眉をしかめて、横目でこう、こういう顔をしてにらみつける」

「こ、こうですか?」

「まあそんな感じや。ついでに口をゆがめてチッと舌打ちする」

「……チッ」

「そしたらおばはんが振り返る。見るからにレジの横入りでもしそうな、根性悪そうなぶさいくなおばはんや」

「そうなんですか」

「そうや。で、その顔には『なんやのん、あんた、舌打ちなんかして。私に言いたいことあるんやったら言うてみ』と書いてあるわけや」

「え、顔に」

「まあ比喩やけどな。しやからそこで君は『何横入りしとんねん、おばはん! みんな列に並んどるんやで!』とすごむ」

「なんの必要があってそんなことを言うんですか」

「何の必要と言われても……君は怒ってるんやから、それくらいしてあたりまえやねん!」

「はー」

「思い切りコワイ声出してすごんだら、それだけでそこらのおばはんは引き下
がるもんや」

「そうなんですか」

「なんか張り合いないなあ」

「横から入らずに列の最後尾にお並びください、と言ってはだめなんですか」

「それでは怒ったことになれへんがな」

「あ、そうか。ぼくは怒っている……ようにみせないといけないんですね」

「そうや。今はその練習をしてるんやないか。ちゃんと練習して、いざというときには怒ったようにみせへんと、彼女に怪しまれるやろ」

「そうでした。『何横入りしとんねん、おばはん。みんな……列に並んどるんやで』」

「気持ちがこもってないな。とゆうてもあかんのか。えっと。もうちょっと力
を入れて」

「何横入りしとんねん、おばはん、みんな、列に、並んで……る、ねんで!」

「おー、ちょっとましになったな。その調子や」

「何横入りしとんねん、おばはん!!」
「何横入りしとんねん、おばはん!!」
「何横入りしとんねん、おばはん!!」
「何横入りしとんねん、おばはん!!」

猛練習が続きました。


三か月後。

「おっちゃん、いてるかー!」

「おお、純一郎くんやないか。ええっ?! な、なんか感じ変わったなあ」

「変わったに決まってるやろ!」

「い、いきなり怒ってるし」

「怒ってないわ! これが普通やねん」

「そ、そうかいな」

「このあいだおっちゃんに打ち明けたやろ。おれが遺伝子操作されて生まれて
きた、て」

「ああ、そうやった」

「あれ、おかんの思い込みやってん」

「えっ」

「医者に遺伝子操作を頼んだのはほんまらしいねんけど、医者もめんどくさいから適当に『はいはい』言うただけやってんて。最近おかんがたまたまその医者に会うて『その節はどうもお世話になりました』と言うたら、『はあ? そんなことやってませんがな。ていうか、私がそんなんできるわけありませんやろ!』と笑われたらしいわ」

「やっぱり! 医者もてきとーな医者やな」

「それを聞いて、おれも力が抜けたというか……ほな、おれ、やる気出したら『怒ってるようにみせる』どころかほんまに怒ることができるわけやん! そう思って、おっちゃんに言われたように練習したらみるみる成果が出て、出過ぎてこの通りや。やっぱり元々素質があったのにどっかに隠れてたんやな。それがおっちゃんのアドバイスでみごとに花開いたんや。今では毎日親子三人で怒りまくって盛り上がってんねん」

「それはよかった……のかどうか」

「ほんまに、おっちゃんのおかげですわ」

「え、ほんで、その、彼女はどうなった」

「当然別れました。『純一郎くん、最近ひと変わったねえ』とか言われて」

「はー」

「しやけど後悔してない。生まれ変わったようなもんや。おれは単なる純一郎とちゃう。純一郎(遺伝子組み換えでない)や。堂々と表示できる、っちゅうねん」

どこに表示するんでしょうか。


【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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うちの近所はコンビニといえばファミマだった。一時は隣の駅前に二つのファミマが至近距離に並存する事態もあり、どうなることやらと心配したほどだった(やがて一方は閉店したが)。

テレビでは盛んにセブンイレブンのCMを見かけるが、いや、セブンって近所にないよなーと思ってた。それがこの春、最寄り駅の駅ナカにできるらしいので地元では話題(平和だ……)。

しかし、100mほど先のファミマにとっては大打撃だろう。ヤマシタさんもおっちょこちょいだから、しばらくセブンに通うだろうし。セブンのほうが近いし。恨まれるのはいやだから、時々ファミマにも行こうか。でも、最初くらいセブンに行ってもいいよね……いや、そんなに気を遣わんでもええやん。