ユーレカの日々[65]新しい宗教/まつむらまきお

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このところずっと、部屋がカビ臭い。実家を処分することになり、置きっぱなしにしていたモノを自宅に持ち込んでいるからだ。実家は何年も、だれも住んでいない状態だったので、あらゆるものがすっかりカビ臭くなってしまった。その中から、必要なものを運び出すミッション。

●空き家にはモノがいっぱい

空き家が問題となっている。平成25年で、13.5%が空き家だという。予想では15年後には30%を超えるらしい。そういえば、実家の近所も、住んでいないっぽい家がちらほらある。

使わなくなった家なら、さっさと処分した方が世のため人のためだが、いろんな事情で、「住まない」「売らない」空き家があちこちで増えている。

うちの場合、子が独立し、母が亡くなったあと、親父がしばらく一人で住んでいたのだが、今はマンションに移ってしまった。そして、空き家には引っ越しの時にもっていかなかったモノがそのまま置いてある。

物があるから家を売らなかったのか、家があるから物を置いておいたのか。おそらくその両方なのだろう。ずるずると空き家状態が続いていたのだ。

従兄弟が、実家の相続が大変という話をしていた。従兄弟と母親がまだ住んでいるのだが、その家の名義が、亡くなった祖父のものだというのが最近わかったそうだ。で、それを相続するべきだった父も亡くなっている。

相続手続きをしなくても、固定資産税などを払っていれば、故人の名義のままでもOKなのだが、そのままでは売却ができない。名義人が亡くなって、時間がたつと、相続人の構成が変わっていって、とても面倒なことになるそうだ。

今はまだ住んでいるが、そのままほっておくと、だれも住まない空き家ができあがることになる。

おそらく、日本中にそういった「めんどくさい」という理由の空き家がいっぱいあるのだろう。親がめんどくさかったことは、子だってめんどくさい。まさに負の遺産であるが、ほっておくわけにもいかないので、結果、こうやって部屋がカビ臭くなっているわけだ。





●自分のものからサルベージ

まずは自分のものからサルベージをはじめる。LPレコードや、昔仕事で使った資料、雑誌、古いMacのマニュアルなどが山ほど。

すっかり忘れていたものなので、どれも必要はない。当面必要がないから、実家に置いていた。10年以上、必要となることがなかったのだから、なにも考えずに捨ててもいいのだが、見てしまうと捨てられない。

小学生の頃の絵が山のように出てきた。親が大切にとっておいたものだ。覚えがあるものもあれば、まったく記憶にないものもある。大学時代の設計課題も出てきた。建築をやっていたのだが、思っていたよりずっと真面目に製図している。

この先、私が有名になって回顧展をする時に必要になるが、まぁ、そんな確率は限りなくゼロに近い。そのまま捨ててしまうのもしのびないので、写真に撮ってから処分する。デジタル時代でほんと、よかった。もっとも、データ化してしまったものは、ほとんど見ない。まぁ、それでいいのだが。

LPとCDはどうしたものか。どれもすでにデータ化されていて、Macに入っている。処分したいのだが、ジャケットやライナーノーツ、歌詞カードのことを思うと処分できない。これもいつか、スキャンしよう。

●古い写真たち

自分のものはまだましだ。亡くなった母や祖母の物もたくさん出てくる。捨てたり売ったりするわけだが、最後に残るのが写真だ。自分が生まれた当時の写真。中学や高校時代の写真。娘たちの写真。未整理の写真が山ほど出てきた。

当時は残すまでもないと判断され、アルバムに貼られなかった写真は、昔住んでいた家の様子や、表情、いろんな物、事が写っていたりする。そういったクズ写真が、本棚やら引き出しやら、あちこちから出てくる。

うちの子らが写っている写真を中心にサルベージする。ネガはどうしようか。ネガを捨てるというのは、ちょっと勇気がいる。

以前、スキャナーでネガやスライドのデジタル化というのをやりかけた事があるのだが、時間はかかるわ、面倒だわ。もう、紙焼きのスキャンで十分だ。ネガは捨ててしまおう。

自分が子どもだった頃の写真もたくさん出てくる。どうりでうちにないはず、親が整理してなかったのだ。過去の自分の姿には、さほど興味もないが、当時住んでいた家の様子が懐かしい。

自分が生まれる前の写真。亡くなった母の、女学校時代のアルバムが出てきた。どれが母なのかも判別できないが、旧制女学校の様子が興味深い。新婚時代の両親の写真も面白い。

最も古い写真は、曾祖父と曾祖母の肖像写真で、ガラスの乾板。大正14年とあるので、93年前の写真だ。よくまぁ、割れずに残っていたものである。

どれも貴重だが、カビ臭くてかなわない。これらもスキャンしてしまおうと思う。紙焼きの写真はこうやって、あとでだれかがたまたま発見して、見ることがあるが、デジタル写真はどうなんだろうか。

ぼくのMacの「写真.app」には、1999年から5万枚ほどの写真が入っている。僕が死んだあと、だれかそれを見たがるのだろうか? デジタルのアーカイブは存在感が薄い。カビ臭くもならない。はたして未来の子孫が見つけることがあるんだろうか。

●家がなくなるならアーカイブがあればいいじゃない?

うちの姓を名乗っている一族で、ぼくの一階層下の世代は女性しかいない。政府が男女別姓を認めない限り、うちの子の世代で、うちの姓は消滅する可能性が高い。

今後、人口がどんどん減少していくわけで、うちと同様に「家」がどんどんなくなるのは間違いない。実際、姓がなくなるのが嫌で、孫を養子にして姓を継がせるケースなどもあると聞く。

長男が本家を継ぐ。男がいなければ、養子をとって家を存続する。これは親の仕事を子どもが継ぐ「世襲」が大前提となっている。今はそれぞれが、自分で仕事を選ぶのだから、従来の「家」という概念はどうしたって相容れない。

空き家が増えるのも当然だろう。家もそうだが、墓もそうだ。先祖代々の墓、というはもう、維持できない。先祖の墓に入らず、新しく墓を建てるケースも多いし、「墓じまい」という言葉もよく聞く。

ぼく自身長男だが、幸い親は家とか継ぐとか言わないし、ぼく自身、そういうことに意味を見出していないのだが、今回のように親や祖先たちが残したブツが目の前に現れると、めんどくさい。

うっかり受け継いじゃったものを、捨てていくのは勇気がいるじゃないか。ああ、めんどくさい。

ああそうか。そういった気持をなんとかするのが「供養」なのだ。捨ててしまうこと、忘れてしまうことに対する罪悪感。ならば、今、自分に必要なのは、供養するための宗教だ。

物質としてのモノや写真を、置いてはおけないから、せめて画像データにして残しておこうという供養。納骨するのと同じことだ。それならなんとなく納得できる。

ということで、とりあえず写真などをデジタル化していくのはよいのだが、さて、そのデータをどうしたものか。

父がわかっている範囲の家系図などを作ってくれているのだが、これもどうしよう。子に伝えることはできるが、受け取った側は「ふーん」てなもんだろうな。ほとんど知らない人、死んだ人たちの名簿なんぞ、若い時に興味を示すはずもない。

しかし、自分のルーツが大切か、どうでもいいかは人それぞれだろう。ぼくはさほど興味はないが、ひ孫あたりが年をとってから興味を持つかもしれない。価値観は時代や人によって変わる。だから記録というのは、必要かどうかとは関係なく、行うべきものだ。

家系図以外にあればいいなと思うのが、年表。だれがいつ生まれて、結婚して、死んだのか。こういった情報も案外、残らない。別になんの役に立つのかわからないが、なんとなく、供養してやりたい。

永代供養というのがある。万一子孫がいなくなっても、お寺が供養しつづけますよ、というやつ。お骨は預かってくれるが、家系図だとか、住んでいた家の住所だとか間取りだとか、写真だとか。そういった情報は、お寺では預かってくれない。

ならば、永代アーカイブサービスというのがあればいい。写真や映像、家系図などの情報を未来永劫、預かってくれるサービス。

インターネットを使った参拝や供養をやっている寺院もあるようだが、そういった宗教的な儀式ではなく、情報のアーカイブサービスがほしい。

家やお金とちがって、情報の相続なら、子供が何人いようが、住まいがどこだろうが関係なく、相続できる。受け取る側も負担にならない。

デジタル情報がいつまで残せるのか。デジタル黎明期には、独自フォーマットなどが多く、今となっては読み取ること、再生することができないものも多い。しかし、jpegやpng、pdfといった標準フォーマットなら将来読めなくなることは、まずないだろう。

メディアも昔は、フロッピーだ、MOだ、ZIPだと悩まされてたが、今はクラウドのおかげで心配はなくなった。jpegなどのデータを、クラウドで供養する。ありだ。

今、一般の人が手に入れられる、もっとも安定していて安価なクラウドストレージはGoogle Driveだろう。Googleのアカウントを作れば、15GBまで預けておける。

写真ならだいたい2万枚くらい入る計算だし、Googleフォトの最適化を選べば無制限において置ける。家に残っていた古い写真だとか、モノの写真だとか、家系図だとか、捨てるに捨てれない情報を全部、ほうりこめる。

あとは家族でシェアするなり、子孫がアカウントを受け継いでいけばいい。今すぐにでもはじめられそうだ。

ただ、こういったアーカイブは、何年もだれもアクセスしない、という可能性が高い。今は大丈夫っぽいが、ちょっと前までは、Gmailはしばらくアクセスがないと、アカウントが消滅するかも、という規定があったらしい。

供養なんだから、未来永劫アクセスしないかもしれないが、保存しておいて欲しい。しかし、サービスする側は、アクセスしてもらわないと広告収入が得られない。

Googleが無償で最先端のサービスを供給してくれているのは、ユーザーが生涯、使い続けてくれることで広告収入が得られるからだ。うちの大学でも、学生に付与されるメールはGmailだし、Android OSを無償で公開しているのも、生涯サービスを使い続けてくれることを期待しているからだ。

●まさにゆりかごから墓場まで

そうだ、いい考えがある。生まれたときからGoogleのアカウントを発行しちゃうのだ。子ども時代、そのアカウントは親が管理し、子どもの写真だとか、絵だとかをを蓄積していく。その子がネットを使えるようになったら、そのアカウントをそのまま使う。

様々なアーカイブには、現在の共有に加え、「生前〜死後も血縁者には公開可」という分類を追加し、この設定になっているデータは、自動的に子や孫に引き継がれる。

もちろん、親子の縁を切りたい場合もあるから、子がそれを受け継ぐのを拒否することはできるようにする。親側からも、子の管理権限を切ることができるようにする。複数の血縁者に受け継がれるようになっているので、一人が縁を切っても、他のだれかが継いでくれる。

だれも引き継いでくれなくなったデータは、パブリックドメイン(無縁仏)にする(かなり貴重な歴史資料になりそうだ)か、抹消するかのいずれか。これも本人が生前に設定しておけばいい。

まさにゆりかごから墓場まで。永代アーカイブで先祖供養してくれるなら、これはすでに新しい宗教ではないか。パスワードを唱えよ、さすれば救われん。

SF的に考えれば、全人類がGoogleアカウントを取得したある日、Googleが本性(多分、パラレルワールドからの侵略者か未来人)を現し、人類に牙をむくというストーリーになりそうだが、なに、心配することはない。

我々はすでにGoogleに支配されている。部屋のカビ臭さが無くなるなら、それくらいの代償は安いものだ。


【まつむら まきお/まんが家、イラストレーター・成安造形大学教授】
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