[4531] はぐれの世渡りの基本は挨拶

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《とにかくこの風貌である……》

■はぐれDEATH[46]
 はぐれの世渡りの基本は挨拶
 藤原ヨウコウ




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■はぐれDEATH[46]
はぐれの世渡りの基本は挨拶

藤原ヨウコウ
http://bn.dgcr.com/archives/20180316110100.html
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●とにかくボクは風貌が……

はぐれのボクがマナーを語る。とんでもないコトである。

「国辱だ!」「国賊めっ!」「非国民」「ウソつき」「詐欺師」「馬鹿」「アホ」「キチガイ」等々……言われそうだ。

まぁ、これらの言葉をボクが素直に受け取るコトは簡単である。言う人にもよるけど(笑)

まずマナーの意味をきちんと定義しておきたい。ここは大辞林さんにお世話になることにした。

大辞林 第三版の解説
マナー【manner】行儀。作法。礼儀。「運転の─」

他人のマナーについて言及するのだから、あらかじめボクについて白状しておきたい。

基本、行儀は良くない(笑)

「行儀よくしなさい」と散々言われて育ったので、それなりの素地はあるが、とにかく怠け者なのですぐにダラッとする。さすがに初対面の人には、それなりにお行儀よくしますが、割とソッコーでボロが出る。

会社に入社した時、いわゆる「ビジネスマナー」とやらは叩き込まれたが、残っているのは「挨拶をちゃんとする」程度か?

在社中はかなり気を遣った。とにかくこの風貌である。知らない人のために列挙しておくと

・怖い
・殺し屋
・ヤクザ
・チンピラ
・本職の僧侶(これは本職のお坊さんに間違えられて苦笑したことがあった)
・若過ぎ(これはおねえちゃん〈たびたび登場させるが、ボクの娘〉談)
・目つきが悪い
・職業不詳

・東南アジアの人(タイから帰る飛行機が関西空港に着いた時、客室乗務員の方に「お疲れ様」というような意味(だろう)のタイ語で挨拶された)

・売人(これはタイに行った時、シルバーのアクセサリーを買おうとしたら、お店のお婆ちゃんに「何kg?」と言われてビックリした)

・とにかく得体が知れない

思いつくままに列挙したが、人にどう見られているかは正直よく分からん。上記した項目はどれも実際に言われたことであり、これでボクが怒ったことはない。そう見えるのならその人にはそう感じるのだろうし、人の感想にイチイチ反論するほど狭量ではない。

「そう見えますか、わはは」でたいてい終わりである。

まぁ、大抵ロクな見え方をしていないのは事実だ。特にビシッとスーツを着ると、ヤクザ(最近ビジネスヤクザに昇格した)や殺し屋以外の何ものでもなく、おねえちゃんですら「怪しすぎる」と爆笑する体たらくである。

目つきも相当悪くて怖いらしい。大抵は静かにしている時(考え事をしている・何も考えていない・仕事をしている)らしいのだが、こればかりはどうしようもない。せいぜいお喋りしてる時に笑顔になってるくらいか?

こんなボクがマスクをしていると目だけが目立ってしまい、怪しさ倍増なのは言うまでもない。

これぐらいでご想像いただけただろうか?

とにかく他人には、こういう見え方をするのだ。社内はともかく(!)社外のお付き合いの時は、もうめちゃめちゃ気を遣いまくりである。

特に初対面のクライアントには、ビジネスマナーのお手本のような挨拶を心がけた。お手伝いしてくださる外部のデザイナーさん達にもちゃんと挨拶してたし、めちゃくちゃ気は遣いましたよ。

何しろ印刷業界というのは不条理の塊のような業界で、そんなところに世間知らずで強面の若僧が出てきたら、普通は「何か無茶を言われるかもしれない」とビビっても仕方ない(笑)

●はぐれのスクランブル発進

基本はやはり挨拶。さすがに30°、45°の礼はしませんでしたが(時にはしたなぁ)、どんな時でもきちんと挨拶はした。後は笑顔と丁寧さぐらいかなあ?

デザイナーさんには、時に無茶なことを頼まなければいけない時もあったのですが(こういう時は付き合いの長いデザイナーさんにお願いしていた)、とにかくこちらは平身低頭である。

大体、営業がこんな無茶なコトを後先考えずに受けるから、こっちは迷惑するのだが(もちろんこういう担当には、面と向かってボロクソ罵った)、会社として引き受けた以上は、無茶を承知でどうにかしないといけないではないか。ホンマにたまらんで…(- -;)

ただ、一度だけクライアントにこっそり脅しを掛けたことはある。某大手企業の広報担当部長が相手だ。

36Pぐらいの季節カタログなのだが、もちろん色んな部署の新製品や、次の号でも載せて欲しい既存商品がある。当たり前だ。ここまではイイ。

レイアウト修正を4〜5回繰り返し、最初のレイアウトにまるっと逆戻りしたのだ。これにはさすがに黙っていられない。

色んな部署の要望や希望を聞き、調整してこちら側に伝えるのが広報担当部長の役割なのだが、とにかくこの時はまったく機能しなかった。おかげでデザイナーさんへの負担は大きくなり、スケジュールもめちゃめちゃ押してしまった。

継続してやっていた案件なので、ある程度の修正なり追加なりがあるのは承知していた。スケジュールも見積もりも、その辺りを勘案して作成し提出していたのだが、そのスケジュールはもちろん、見積もりもほとんどパーである。

なにより、デザイナーさんが気の毒で仕方なかった。

ここは営業に任せられないので、珍しく(ボクは危険人物なので、最初の打ち合わや重要な変更がある時以外は、滅多に顔を出さなかったのだ)スクランブル発進である。これに関しては営業も同意してくれた。但し「キレんといてくれ」とは念押しされたけど(笑)

打ち合わせが始まると、部長はもう責任を回避すべくのらりくらりで、お話しにならない。それでも会社の看板と営業の面子があるので、笑顔は絶やさなかったし「大変ですね」とねぎらいの言葉も掛けたりしていた。目は笑ってなかったと思うけど。

打ち合わせ中、机の下で左手にボールペンを握っていたのだが(もちろん怒りで手が震えてるのを隠すためだ)、「無責任にこっちに押しつけてくるから」という発言で、ボールペンがバキッと折れた。静かな会議室に音が響き渡ったことは言うまでもなかろう。

何事もなかったように「あ、申し訳ございません」と謝罪したのだが(当たり前だ)、広報担当部長の目に恐怖の色がはっきりあらわれ、営業は「?!」となったのは言うまでもなかろう。

それでも打ち合わせ中は笑顔を絶やさなかったし、その後のスケジュールや見積もりの再作成等々、こちらの意見は全部通させていただいた。

もちろん、その後このようなことは起きなかった。

営業も「あれは、藤原君よう我慢してくれたなぁ。ボールペンが折れたのにはビックリしたけど」と言ってくれた。

ボクもボールペンが折れたのにはビックリしていたのだが、我慢の限界やったんやろうなぁ。まぁ、ビックリしたおかげで冷静になったし、丁寧な口調ではあるが「こんなコト繰り返していると殺すぞ」という意のこちらの恫喝も通ったので、結果オーライである(笑)

ちなみに「値切り」は絶対にしなかったし、受けなかった。

値切られることに関して事情は察するが、一度「うん」と言えば図に乗るに決まっている。社内で調整できるなら調整させたし、デザイナーさんへの支払いはとにかく調整しまくって額面通りに支払っていた。それだけのことをしたし、していただいていたのだ。

特にバブル崩壊後の業界は暗かった。ボクは幸いなことに、銀行方面とデジタルの研究の部署に異動になっていたので、実害はほとんどなかったのだが、周囲では「Mac倒産」だの「利益率がどうの」などと大騒ぎになっていた。

で、銀行方面の部署に異動した時、ボクはワンレンのロン毛で(!)見た目は更に悪くなっていたのだが、ここはもう開き直るしかなかったので、とにかく徹底してマナーは自ら厳しくした。

ボク自身、髪を切ってしまおうかとも思ったのだが(当時、ADといえども、会社員が髪を伸ばすなどもってのほかだった)、上司も営業部長も「そこまでせんでも大丈夫やろう」と寛大なことを言ってくださったので、「ボクは話のネタということでこのままで」と覚悟した。

もちろん、何かあればそっこーで切るつもりだった。幸いだったのは、こちら
のクライアントはほとんどの場合、頭取・役員レベルの皆様だったので、こん
なボクを珍獣でも見るように面白がってくれたコトだ。逆にウケた。

イヤ、だからといって絶対に真似はしないように。特に今の日本の経済状態で、こんなことをしたらとんでもないコトになる。

幸い、件数が重なってくると営業部長がやたらと持ち上げてくれるようになったし、担当の方も「大丈夫そうやな」という態度に変わってくださった。見た目は無茶でもお仕事はちゃんとしてたし、クライアントからクレームもなかったようだ。

クライアントに関して言えば、もう顔を合わせてきちんと打ち合わせができ、準備すべきものはきちんと準備をする、という繰り返しで信用してくださったようだ。このへん、何度も書いているが銀行業界は厳しいのだ。

●「とてもいい挨拶」とは

フリーになってからも、挨拶には気をつけている。というか、条件反射的に「とてもいい挨拶」をしてしまうのだ。

ちなみに、ボクのいう「とてもいい挨拶」とは「ハッキリと発話する」挨拶である。

別に体育会系的(旧帝国軍的)な挨拶ではない。そもそも、腹の底から声を出して挨拶などしたら、逆に迷惑な気がする。

例えば(ちょっと分かりにくいかもしれないけど)講談社の本社ビル(めちゃめちゃ広い)で、フロア全体に響くような挨拶など、ただのアホである。移動しながら、少しずつ、きちんと挨拶をすればいいのだ。

これは生まれつきなのだが、ボクの声は通りやすいらしい。もちろん、おねえちゃんも同様である。

これがあるから二人とも、恥ずかしくて日常会話は口の中でモゴモゴになってしまうのだが、二人で喋ってる時はたいてい普通に発声している。

クライアントへの電話の時も、もちろんこちらから挨拶するのだが、自覚できるくらい声はワントーン上がってるし、発声もハキハキしている。担当さんに代わった途端(昔からお付き合いのある人に限る)、ダラっとなる(笑)

まぁ、電話口でモゴモゴ喋るくらい間抜けなコトはないので、ちゃんと発声はするんですがね。

もちろん、名の知れた大企業の皆様はしっかり挨拶ができるのだが、社内となると正直分からない。ちなみに会社員時代のボクは、社内でもちゃんと挨拶はしていた。

挨拶ができない、というのはもう社会人としては致命的であるとボクは思っている。

別に改まった挨拶でなくてもイイではないか。相手にもよるが「よっ!」でも「ちーす」でもイイと思う。この程度のコトすらできないというのは、どうも理解できない。

そろそろ一年過ぎになるが、出向先が正にまったく挨拶が出来ない所だった。毎週、しつこくボクが挨拶をしていたので大分マシになったが、黙って入って来て、黙って消えていくなんてのはザラである。副業先も同様だった。

大企業並みにビジネスマナーを教えろとは言わないが、挨拶くらいはなぁ……。

そういえば、コンビニとかスーパーでも、お客さんに挨拶ができない店員さんを散見する。もちろん、そういう店には二度と行かない。サービス業で挨拶ができないというのは論外である。

若い人達だけが、というワケではまったくない。そもそも年配の人が挨拶できなかったりするのだから、恐ろしい時代である。

わりとよく見かけるのが、すれ違いざまにぶつかった時、明らかに年配の方が(といっても40〜50歳くらいだ)原因なのに、さっさと通り過ぎていったりする。スイマセンも言えんのか? ひどい例になると逆ギレしたりする。

逆ギレとなるともう挨拶もクソもなく、「目があった」と言うだけの理由で因縁をふっかけるような手合いとさして変わらん。

ぶつかった相手が転んでも無視、なんてことすらある。

アホ同士でやってる分には構わないが(いや迷惑だし不愉快だけど)、非のない人に迷惑を掛けておいて、さすがにこれはどうかと思う。

ボクは別に「弱者の味方」というわけではないが、目の前で転んだ人に対しては、手が必要そうなら「大丈夫ですか?」程度のコトは言うし、困った人を見かければ必ず手は貸す。

正義感からではまったくない。ただ、「あの時、声を掛けたり、手を貸したりしていれば」と後悔したり、自己嫌悪に陥ったりするのがイヤだからだ。とことん自己チューな発想であることは認める(笑)

●おおきに、ありがとうございます

「スイマセン」や「ごめんなさい」も、ボク的には挨拶の一つだ。謝罪の挨拶という位置づけである。もちろん、上っ面で済ます時もあるし、心の底からの時もある。使い分けはもちろん相手次第だし、内容次第である。

ところが、世の中には「謝罪するのは恥」と思っている人も少なくなく(そういう文化・慣習の地域は実在する)、どう屁理屈をつけようが責任の所在が明らかなにもかかわらず、絶対に謝罪しなかったりする。

こういう人からはできるだけ距離をとるか、さっさと逃げ出すのが吉なのだが、変な肩書きを持ってたりすると手に負えない。

このへんは前にも書いたので省くが、「どうしようもない人というのは挨拶すらできない」という法則があるようだ。

社内(仲間内)で挨拶ができない人というのは、大抵「上から目線」の人だったりする。ボクのようにもともと目つきが悪いせいで、「上から目線の人」と思われている方も少なくないと思うが、挨拶ひとつでこの間違いはかなり軽減する。

わざわざ不快な思いをさせる必要はない。特に初対面の方はそうだ。これが身内となると、もう手のつけようがない。もっともそういう身内に出会ったことがないので実態は分からないが、なんとなく雰囲気が寒そうな気はする。

挨拶と言えば、思い出に残っているコトがある。

ボクは福山から京都に出てきたわけだが、来た頃はどうしても「おおきに」と言えなくて、「ありがとうございます」だったのだ。そもそも関西弁でビビっていたのだ。

前にも書いたかもしれないが、リアル関西弁を聞いたのは入試の時が初めてで(テレビ上のフィクションだと思ってた)、これが在住となると結構なカルチャー・ショックで恐怖だったりする。

当分の間は、無意識に出る福山言葉(もっともボクのは相当怪しい)と関西弁の狭間で揺れ動いていたのだが、結局怪しい関西言葉レベルで留まっている。

それでも入学当初から通っていた、とある散髪屋さんのおっちゃんに、ある日「『おおきに』が板に付いてきたやん」と言われた時は正直驚いた。

ダメはダメなりに「おおきに」を使っていたのだが、関西の方(いわゆる「京都人」かどうかは知らない)にこう言われるとちょっと嬉しくなる。単純すぎやろう……。

関西の言葉でも、イントネーションは違うが「ありがとう」(「と」が強調される)はあるのだが、ボクの場合、こっちを使う方が難しい。というか、もう今はグチャグチャであり、東京の単身赴任時は、これで結構疲れた。

ちなみに、付き合いの長い編集さんには「おおきに、ありがとうございます」で押し通している。

言葉だけでこれだけ苦労しているのである。それでも、やっぱり一番最初に気をつけたのは挨拶だった。正直、まわりに気を遣っている余裕など当然ないし、見た目どころの話ではなかった。

ここに鉾建ての大工さんや、商売をしている方の言葉が加わると、もう本当に無茶苦茶になる。

言葉は職業や環境によって、同一地域でも異なることは割とよくある話で、職人さんなんかは悠長でのんびりした話し方はあまりしない。逆に商売をされているお宅は、言葉遣いが丁寧でしっかりとされている。

これは京都に限った話ではなく、戦前の東京でも同じようだったらしい。ボクは小林信彦のエッセイを読んで知ったのだが、「都会というのはこういうもんか」と感心した。

福山生まれと言っても、基本はよそ者である。小学校三年の時に転校するまでは、怪しい北九州言葉と怪しい標準語がごちゃ混ぜになっていた。

ここに備後・備西特有の語尾変化が加わると、これまためちゃくちゃな言葉にしかならない。

一言で言えば、ボクの話し言葉は最初からむちゃくちゃな上に、変な具合に関西言葉がブレンドされているので、訛りの発生源すら他人様からは分からないような、面妖なものになっているのだ。

人見知りの上にこの変な話し言葉が加わると、当然のことながら、人と話すよりも一人で好き勝手している方が気楽と感じるのは、これまた怠け者の証拠である(笑)

それでも挨拶にだけは気をつけたし、一番に身につけるべきボキャブラリーは挨拶だった。これがないと、本当にロクなことにならんのだ。

せめてもう少し、見た目に柔らかさがあればまた違ったのかもしれないが、こんなコトに時間を割くほどボクは頭を使わない。そもそもがこうなのだ。どうこう言ってどうにかなる話ではない。サッサと受け入れた方が、楽に決まっている。

そのくせ、挨拶にやたらと神経を使っているのは、やはり心のどこかで「社会との唯一の繋がり」と思っているからかもしれない。

おねえちゃんにはあまりアレコレ言っていないのだが、挨拶だけは「ちゃんとし!」と言っていた。この子も恥ずかしがり屋の人見知り(ボクだけの遺伝子ではありません)なので、これだけは折にふれ言っていた。

そういえば、「しゃんとし!」も言うてたなぁ。ボクも母親によく言われてたけど。

別にいつでもどこでもというワケではない。場所や相手による。

ところで、「しゃんとする」をボクは普通に使っているがこれって標準語の中にあるのか? 「シャキッとせぇ」という意味とほぼ同じである。

それはともかく、お行儀の方は保育園で勝手におぼえてきた。もちろん担当の保育士の先生の皆様のおかげである。とにかくボクは楽しんでただけで、親の役目はほとんどしてないからなぁ。

それでも中学に上がるまでは、なかなかちゃんと挨拶出来なかったのだが、これはボクも同様で、部活など始めると簡単に直るのだ。要は中学に至るまでの間に、どこまで仕込んでおくかが勝負になる。

基本は保育園でちゃんとしてくださった。保育園の年少さんから水泳教室に通わせたので、ここでも挨拶は叩き込まれた。予定外だったのは、中学に入って水泳部に入部したことで、これは今までに何度も書いているのでパス。

まさか体育会系に行くとは、完全に予想外の展開だった。

ちなみにボクの中では「礼」と「挨拶」は区別されている。

「礼」の中のほんの一部が「挨拶」であり、「礼」は「礼儀」に直結する。あくまでも私見です。世間様がどう考えているかは知らん。

「礼に始まり、礼に終わる」という言葉があるが、ボクの場合はここまで厳密ではないし、基本は挨拶である。上記したように、礼儀に関してはすぐにメッキが剥がれるような体たらくだし。

せいぜいできる範囲で「ここだけは」というのが挨拶だけなのだが、この程度のこともできない人が少なくないというのは、正直いかがなものかと思う。

というワケで、結局、肝心要のマナーの話まで行き着けなかった。が、その手前のところでこうなのだ。マナーに至ってはご想像いただけると思う。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com


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編集後記(03/16)

●黒川伊保子「アンドロイドレディのキスは甘いのか」を読んだ(2017/河出書房新社)。「人工知能は天使か悪魔か?」という帯の煽りがうまい。筆者は富士通ソーシアルサイエンスラボラトリーで人工知能の研究に従事した後、世界初の語感分析法を開発、マーケティング分野に新境地を拓く感性分析の第一人者だという。株式会社感性リサーチ代表取締役。著書多数。写真では美人。

「人工知能が、人類を超える日? ばか言っちゃいけない。痛みがない人工知能には、生み出せないことばがある。そのことばにこそ、人間の尊厳がある」と断言する頼もしいお方だが、彼女がこの世で一番好きな男友達は、もう25歳の息子である。もうメタメタである。それが鼻につくが、まあ母親だから。

創世記の人工知能エンジニアとして、ひとりの男の母として(やたら強調)、人工知能と人間の境を見極める思考の旅が綴られる。人工知能とは、広義では「人間の知性あるいは感性の一部をモデル化して内蔵させ状況に合わせて臨機応変に動くようにしたシステム」であり、狭義には「脳神経回路モデルの学習機能を内在し稼働しながら進化する疑似脳型のシステム」である。難解だな。

「人工知能は心を痛めない。人工知能は死なないし、産まないからだ。だから、人工知能が、人類を超える日はやって来ない。それは、母としての直感であり、確信である」。以上、終わり。というわけにはいかない。ちゃんと説明がある。この圧倒的な自信に満ちた母親学者の仰ることに、いちいち肯くしかない。

人工知能に心なんてない、と断言する。人工知能の回答はデータの組合せに過ぎない。女心を癒す言葉を並べることはできても、女心なんか分っちゃいない。「お母さんのお腹の中にいたこともない、息も、心臓も、血流も持たない人工知能に何ができるのだろう。生きも死にもしない、天から自分の意思でここに降りてきたという確信のない人工知能に、何があるのだろう、そこに心はない」

心がない人工知能に、心があるふりをさせてはならず、人間のかたちをした、人間のようにしゃべるアンドロイドを作るなど、絶対にしてはならない。人工知能はあくまでもメカらしくあるべきだ。とくに介護ロボットは人間に似せてはならない。法律で禁止すべきであると彼女は主張する。大賛成である。

人工知能に人類を超える日は来ない。人の脳の感受性を網羅するには、悟性、理性、感性の組合せが必要だ。脳科学的には、それが可能とは思えない。悟性と理性は普遍化を持つ情報だが、感性は主観的なものだ。主観に類型を見つけルール化し、人工知能に搭載するのは可能だが、それは本当の感性ではない。

「そもそも女たちに、『なぜ、そんなことをしたのか』を説明できないことが山ほどあるのだもの、学習の『入力属性』を定義することさえ叶わないだろう」「人工知能に、母の愛は学習できない」。いや、人間の男にとっても女は謎だらけだよ。どうしてそんなに機嫌が悪いのか、俺が何をした? の日々だもの。

「どう考えても、人類を超える人工知能が必要なわけがわからない。(略)私は断言する。人工知能が人類を超える日はやって来ない。人間を超える世界観を創生して、人類を蹂躙する日はけっして来ない。そんな心配はしなくていい」素敵な結論だ。うーん、女性は強し。母親は圧倒的に強い。つづく。(柴田)

黒川伊保子「アンドロイドレディのキスは甘いのか」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309247954/dgcrcom-22/


●修理シリーズ ─ まとめて買った家電が、順に壊れていくシリーズ。この修理シリーズの一番乗りは、数年前のSONYブルーレイレコーダーで、放置したまんま。

ブルーレイディスクプレイヤーが壊れてしまい、読み込みやコピーができない。修理してもらおうとしたら、ハードディスクの中身が消える覚悟でね、と書かれてあって、ドライブ交換で済むと思うんだけど、なんとなく修理に出しにくいの。

普段見るための録画程度なら問題ないが、常時パンク状態なので、見るかどうかわからないような古いドキュメンタリーやインタビュー番組、健康番組ぐらいは消してもいいかな、なんて先送り中。 (hammer.mule)