ショート・ストーリーのKUNI[231]番外編 私は「挨拶」がきらいだ/ヤマシタクニコ

投稿:  著者:  読了時間:8分(本文:約3,700文字)



以前勤めていた会社や、その前の会社では、いわゆる編集の仕事に関わっていた。正確には「編集という仕事の周辺部の雑用係」みたいな感じだと思うけど。

会社を辞めてからもフリーで、あるいはボランティア(というべきか)で似たような仕事に関わっているのだが、どこでも問題になって、でも結局後回しになったりうやむやになるのが、資料整理と表記じゃないかと思う。

表記については、大きな組織だときちっと決めざるを得ないのだけど、(発行部数はそこそこあっても)小さな組織や団体だと「まあいいじゃないですか」となってしまう。

それでも、機会あるごとにこの表記でいいのかどうか、といった議論が起こる。複数の人間が一つの原稿にあたれば、意見が違ってあたりまえ。

感覚的なことを言ってもきりがないので、とりあえず「参考にしよう」と提案されるのが「朝日新聞の用語の手引き」。常用漢字を基本としつつ、朝日独自の考え方を盛り込んだものだが、これもまたけっこうくせがある。

なので、だんだん「これに従わなくてもいいのでは」「うちはうちの基準でやりましょう」となる。





もちろん、それでいいと思うのだけど、「うちの基準」というものをいちいち相談しながら作るのは気の遠くなるような作業で、結果的にどうでもよくなってしまい「まあそのうち……」と忘れたふりをする。

私の場合、小説では思い切り自由に書いて発散しているので、それ以外の、仕事で関わる文章の場合は、自分の好き嫌いはあまり言わない。「朝日新聞の用語の手引き」を基準にするなら全然オッケー。ああ、とことんやってやるぜ。

もし、自分の文章について「(間違いではないが)こっちの漢字のほうがいいのでは」といわれても、そんなもん大きなお世話だと言わせてもらうけど。

でも、なかなか割り切れない人も多い。私みたいに「自由に書ける場」を別に持っていなければ、そんなものかもしれない。

それにしても、思うのが「漢字の好き嫌いってけっこうあるんだ」ということだ。「ここはやはりこの漢字でないと」と異を唱える人たちも、要するに好き嫌いや、それまでの慣れで言ってるだけだったりするし。

かつては、漢字をやたらと使いたがるのは年輩の人と相場が決まっていたが、最近は自分で書かなくてもパソコンやスマホが変換してくれるから、漢字の使用はむしろ増えているかも。

「おいしい」も「美味しい」と書く人が増えてるし、「鬱」も「薔薇」も書けなくても使えるから、使うのは自然だ。

常用漢字も増える傾向だから、ひょっとしたら戦後間もない時代の教育を受けた世代が、一番漢字を使わない人たちかもしれない(1946年交付の当用漢字は1850字だが、2010年の常用漢字は2136字)。そして使い慣れると、もうその言葉はその文字でないと違和感を覚えるようになる。

私だって、ふだん抑えているけど、実は「うー、この表記、勘弁してほしい」と思うのはたくさんある。

【賑わう】

前の職場でも、現在私の関わっている某会でも、(記名原稿以外は)基本、常用漢字で、時々例外を設けることにしている。

「賑」は常用漢字ではないが、これを使いたい人が多いので、例外扱いになることが多い。なんでか知らないが、人気があるのだ。

でも、私はあんまり好きじゃない。なんでといわれたら……なんでかなあ。かたちが好きじゃないんだろうね。ともかく私的には圧倒的にひらがな一択、「にぎわう」「にぎやか」である。

「にぎやか」のほうがにぎやかな感じがしませんかというと、「いや、賑やかのほうがにぎやかな感じがする」と返され、これはやはり単なる慣れの問題か。

【嬉しい】

これも常用漢字でないので「うれしい」とすべきところ、やはり漢字を使いたい人が多いので許容されてしまったりする。なんでかなあ。「嬉」は「うれしい」を表現するには重い気がする。「うれしい」でいいじゃないか。

「う」も「れ」もいかにもうれしそうでしょ。というと「うれい」にも「う」や「れ」が入ってるといわれそうだが、それは漢字で「憂い」と書こうよ。

【偲ぶ】

これも常用漢字ではないが、支持する人多い。謎だ。「にんべんに思う」が「しのぶ」って、それ、できすぎじゃないですか。

一見して何でこの字が「しのぶ」なのかわからず、由来を知って「おお……なるほど!」「不勉強でした!」と、ついかしこまってしまうくらいのほうが感慨深いというものだ。

でも、ひらがなで「しのぶ」と書いても、いかにも「しのぶ」で、なんだか妙にしっとりしてしまう。結局、これは漢字であろうとひらがなであろうと、「しのぶ」に問題があるのかもしれない。

【挨拶】

以前は常用漢字ではなかったのに、2010年の改定で常用漢字になってしまった。私は断然ひらがな派だったので、「あーあ、入っちゃったよ……」と思った。

ひらがなだと子どもっぽい感じがするかもしれないが、漢字の「挨拶」だといかにも「えー、このたび、あー、うー、わたくし、あー……高い所からではありますが……」という堅苦しいだけでつまらないあいさつを連想する。

実際、そういうことが多いと思う。式典のプログラムで「挨拶」の文字を見て、「わーい楽しみだ」と思うのはかなり変わった人だ。

でも、それって本当は逆で、特に中身のない退屈な話を「挨拶」という、一見難しげな熟語でごまかすことができるから「退屈な挨拶」が蔓延するのではないかな。

たとえば「○○自治会20周年、仰天の裏話がいま暴かれる」とか「校長の自己紹介『再起不能と誰もが思ったあのとき』」とか、具体的なタイトルをつけることを義務づけたらいいんじゃない? あいまい文化にさよならするためにも、漢字の「挨拶」禁止、ひらがなで十分だぜっ。

【是非】

朝日新聞の用語の手引きでは、「是非を問う」などの場合は漢字、「ぜひお越しください」のように副詞として使う場合は「ぜひ」とひらがなで書くことを推奨している。賛成だ。

ところが、副詞として使う場合も「是非」と漢字を使いたがる人がいる。いっぱいいる。変換候補として出てくるんだろうな。でも、そこで安易にenterまたはreturnを押さないでほしい。

「是非」をじっくり見てほしい。虫みたいじゃないですか。「非」だけでも足の多い虫みたいだけど、「是非」となると頭部もついて、もう虫として完成形。

そういえば、そろそろ今年も虫が出てくる季節になった。わが家の勝手口の隙間で冬眠してたらしいカメムシが最近、サッシ沿いにのっそりと歩いているところを目撃したばかりだ。また闘いが始まるのだ。話それたけど。

【出来る】

できたら「できる」にしてほしいけど、できないのならなぜできないのか、できたら理由を知りたいところだ。いや、まじ、なんでこれを漢字を使うほうがふさわしいと判断したんだろうな、朝日新聞の用語の手引きは。わからん。

というふうに、朝日新聞の用語の手引きにも「それはなぜ」と言いたくなるのはけっこうある。「ひとりひとり」は「一人ひとり」または「一人一人」ってなぜなのだろう。ひっくりかえして「ひとり一人」はだめなのか。わからん。

しかし、朝日新聞の用語の手引きで「いや、それは……」と思うのは、なんといってもカタカナ語だ。

【メーン】

「メイン」じゃなくて「メーン」なんだよね、朝日新聞では。「本日のメーンイベント」であり「メーンディッシュ」であり、アメリカ合衆国北東部に位置するのは「メーン州」なのだ。羊か。

ほかに「エッセイ」ではなく「エッセー」、「ウェイト」ではなく「ウエート」、「ウインドウ」ではなく「ウインドー」、「コメディ」ではなく「コメディー」、「パーティ」ではなく「パーティー」と、やたら「ー」を使う。「ー」祭りだ。

ここらでめげて、「やっぱりうちはうちの表記基準でいきましょうよ」と考え始める人が多いように思うのだが、どうでしょう。

とはいっても、意識せずに読んでいたら全然気にならない。校正のときはみんな穴があくほど見つめるから、「メーン……メーン……あり得ない!」「ウェイトがウエートだなんて!」「がまんできない!」「やめましょ、こんなの!」となるけど、ふだん普通に使われてて全然気がつかなかったりする。そんなものなんだよ。


【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
http://midtan.net/
http://koo-yamashita.main.jp/wp/

使いやすいバッグってなかなかない。軽くて収納場所がたくさんあって、そこそこおしゃれでもちろん値段も手頃……となると難しい。で、思い切ってリュックを買ってみた。最近、女性でもリュック派の人、増えてるしね。

売り場に行くとかわいいリュックがいっぱい。ポケットなど工夫されてて収納力も高いし、基本カジュアルなのでそんなに高くない。ストラップはソフトで幅広で肩にやさしそう。

だけど、財布の出し入れはどうするんだ……。悩んだ末、ふだんはショルダー風に肩にかけ、サイドのファスナーから財布を出し入れしている。

でもやっぱり、リュックは背負ってなんぼのもんだろう。男性みたいに財布は服のポケットに入れてたら何も問題ないんだが。うーん。まあしばらくこれでいってみる。