Scenes Around Me[26]東京大学駒場寮の事(5)鳴神[1]
── 関根正幸 ──

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歌舞伎の女形である中村しのぶさんは、歌舞伎「鳴神」を素材にした芝居を、1997年12月20・21日にオブスキュアギャラリーで上演しました。

当初、しのぶさんは武盾一郎さんに舞台美術を頼もうとしていましたが、しのぶさんには気がかりなことがありました。

それは、武さんが個展でキャンバスに描いていた絵のことでした。(写真は再掲載のもの)

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前回の続きになりますが、私が蟻天獄(武さんの連載羽化の作法[60]によると蟻天「国」ではなく蟻天「獄」)で製作中の段ボールハウスの中で目を覚ますと、武さんとしのぶさんが言い争いをしている声が聞こえました。

Scenes Around Me[25]東京大学駒場寮の事(4)学外サークル蟻天国の事
https://bn.dgcr.com/archives/20180410110100.html


羽化の作法[60]東大駒場寮『蟻天獄』
https://bn.dgcr.com/archives/20180417110200.html


しのぶさんは「わたしは武ちゃんが段ボールハウスに描いた絵が好きで、武ちゃんに舞台の絵を任せようと思っていたけど、この前の個展でキャンバスに描いていたような絵を描かれては困る」

「武ちゃんがキャンバスに描いた絵、あれは人に認められようとして描いた絵だ。そんなものを、わたしの舞台の絵に描いてほしくない」と話していました。

一方、武さんの話は「キャンバスの絵を描いている自分も認めてほしい」と、しのぶさんとかみ合わず、酔いも手伝ってか、二人は同じような話を繰り返していました。

私は、二人の話を聞きながら、武さんならしのぶさんの要望通りの絵を描くだろうと、うっすら考えていましたが、起き出すタイミングを失い、狸寝入りを続ける羽目になりました。

しのぶさんの発言は、当時駒場寮界隈の人たちが、武さんを反体制のヒーローだと考えていたことと関係あるかもしれません。

とにかく、私は初めて蟻天獄に行った日にそのような目にあったことに加え、しのぶさんからの役者の誘いをどうしても受けることが出来なかったため、蟻天獄に顔を出すのはしばらくやめようと考えました。



個人的に芝居に関しては、トラウマになりそうな原体験があり、自分の筋のなさを思い知っていました。

小学生の頃、学芸会で二人芝居をすることになったのですが、どういう事情か(相方のやる気がなかったのかもしれません)台本の最後の数ページは、セリフを覚えていないどころか、本読みも行なえないまま本番を迎えたことがありました。

当日、セリフを覚えたところまでは何とか演じることができたのですが、問題の箇所に差しかかると、自分は立ち往生してしまうは、相方はアドリブとも言えないような騒ぎを始めるは、散々な結果に終わりました。

それ以来、芝居のセリフを覚えて、噛まずに喋ることに困難を覚えるようになりました。これは、もともと喋ること自体が得意ではないことも、要因としてあるのですが。

もちろん、喋りは練習によってある程度上達できるかもしれませんが、本番までの限られた時間で、仕事をしながらそれを行うのはリスクがあると考えたのです。



しばらくして、武さんが舞台美術ではなく、役者として「鳴神」に参加したらしいと聞いたのですが、蟻天嶽が芝居の稽古場所となっていたため、相変わらず蟻天嶽には顔を出さなかったように思います。

次に蟻天嶽に行ったのは、オブスキュアギャラリーで開催された小山基彰くんの写真展の時で、それ以降「鳴神」の本番まで、蟻天嶽には行かなかったと思います。

小山くんの写真展はオープニングパーティに顔を出した後、蟻天嶽でしのぶさんに小山くんを紹介してもらった記憶があります。

(羽化の作法[60]によると、私が最初に蟻天獄に行った日に小山くんと飲んでいるそうですが、その時小山くんと話はしなかったのかもしれません)



駒場寮自体は鷹野依登久くんの個展を見に行ってから、オブスキュアギャラリーに定期的に通うようになりました。

何月の展示だったか覚えていませんが、グラフィックデザイナーの立花文穂さんの個展を見た記憶があります。

また、12月上旬、しのぶさんの公演の1〜2週前だったと思いますが、フランスから来日した若いクラウン(道化師)がオブスキュアギャラリーでパフォーマンスをしたことがありました。

パフォーマンス自体は観た記憶がなく(有料だったため観なかったか、単に私が遅刻したのかは覚えていません)、パフォーマンス後のトークイベントには参加しました。

そのイベントでクラウンが、ダンサーのオノ・カズオに影響を受けたと話していたのですが、通訳には誰のことか分からず、大野一雄のことではないかと助け船を出した記憶があります。



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上に書いた話から5年後、私はとある芝居にチョイ役で出演することになるのですが、その芝居の脚本を書いた池田繁くんは、副業としてチンドンでサックスを吹いていました。

今回は池田くんの誘いで観に行った、蒲田フラワーフェスティバルでの写真を紹介します。(2016年4月27日)

この時は、チンドンのチームが何組も参加して蒲田西口商店街を練り歩き、最後はセッションを行いました。

写真は、前にいた見物客の脚の間からノーファインダーで撮りましたが、チンドンの配置が妙にハマっているので、気に入っています。


【せきね・まさゆき】
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1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔