まにまにころころ[141]ふんわり中国の古典(論語・その4)ここが「論語」の根幹
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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コロこと川合です。ロシアでのサッカーFIFAワールドカップが熱いです。毎日、熱戦続きです。一昨日の土曜からは決勝トーナメントが始まり、さらに熱量が。

もちろん日本を応援してはいるのですが、まあ、世界はすごい。健闘と幸運を祈るのみです。別のスポーツなんじゃないかってくらい、実力差を感じます……

ただ開催国であるロシアの活躍をみると、気持ちの力ってすごいんだなあってつくづく思わされますね。もうトーナメントなので、気合いでも運でも奇跡でも、なんでもいいから日本にも頑張ってもらいましょう!

それはさておき、今日も『論語』です。




◎──巻第一「学而第一」を振り返って

ここまで見たように『論語』は、ひと続きのストーリーに沿ったものではなく、短い章の集合体です。で、テーマの似た話が篇にまとめられています。

篇のタイトル「学而」などは、最初の節の言葉から取っているだけで、そこに意味はありません。が、この最初の篇は「学び」に関する話が並んでいます。

これから孔子先生の教えを学んでいく人に向けて、心構えを説いたような篇になっています。前回も書きましたが、おそらくそれは『論語』が教科書として作られたからだろうとのことです。

なんにせよこの篇は『論語』の根幹となるもので、この「学而」十六章の上に、残りのすべてが積み重なっていきます。

時期も話者も様々な話の集合体なので、部分部分を抜き出せば整合性がとれていないと感じられる話もあったり、また何を言いたいのかわかりにくい話もあるのですが、それもこの「学而」を根本にして考えることで、議論や解釈に一本筋が通る感じです。

ということで、「学而」を踏まえつつ、以降どんどん読み進めていきましょう。続く「為政」も、面白いですよ。


◎──巻第二「為政第二」一

・書き下し文

子曰わく、政を為すに徳をもってすれば、譬えば北辰のその所に居て、衆星のこれにむかうがごとし。

・だいたいの意味

政治を行うにあたって徳をもって行うようにすれば、それは、例えば北極星がその場所から動かずにいて、他の星がその周囲を回っていく姿のようなものだ。


◎──巻第二「為政第二」一について

徳によって政治を行えば、周りはその徳を中心として自然と帰服し、従うようになる。それを北極星に例えたんですね。うまい。


◎──巻第二「為政第二」二

・書き下し文

子曰わく、詩三百、一言もってこれをおおえば、曰わく、思い邪なし。

・だいたいの意味

『詩経』の三百編をひとことでまとめるなら、「詩人の思いに邪念なし」だ。


◎──巻第二「為政第二」二について

そのまんまなので、説明も何もないんですけどね。孔子は詩も教養として大切にします。ここは詩に表れる心のまっすぐさ、純粋さ、美しさを讃えています。

この「思い邪(よこしま)なし」というフレーズも、『詩経』に収められている詩の一節からです。


◎──巻第二「為政第二」三

・書き下し文

子曰わく、これを道びくに政をもってし、これを斉うるに刑をもってすれば、民免がれて恥ずることなし。これを道びくに徳をもってし、これを斉うるに礼をもってすれば、恥ありてかつ格し。

・だいたいの意味

民を導くにあたって政治力をもって行い、刑罰で統制をはかるなら、民はその法の網をくぐりぬけて恥を感じることもないような性質になる。そうではなく、徳をもって導き、礼をもって統制をはかるなら、恥を知り、正しい性質になる。


◎──巻第二「為政第二」三について

読みにくいなと思いつつ、あえて漢字を残しましたが「斉うる(ととのうる)」、「格し(ただし)」です。それぞれ、整える、正しい、です。

この「格」の部分を「格る(いたる)」とする解釈もあります。まあ、全体的な意味はたいして変わらないですけどね、ここでは。

書かれていることは、現代にもそのまま通じるものだと思います。民衆なんてそんなものだという意味でも……

法律や刑罰で縛ろうとすると、その隙間をついて悪事をはたらいて、のうのうと開き直る輩が出てくる。道徳心や倫理観で行いを正すようにすることで、人は恥を知って正しい道に進むようになる、と。

偏見交じりで言えば、前者は西洋的、後者は東洋的な方法に思えます。そして、現代の日本では前者が優勢なようにも思えます。

ただ西洋の場合、為政者の姿勢が法律や刑罰により統制をはかるものであったとしても、道徳や倫理の部分は宗教がカバーしてきたのではないかと。

日本はその点、宗教観がふんわりしているので、もう少しそのあたりを家庭なり教育なりでフォローしないとまずいんじゃないですかね。学校の道徳教育はろくな話を聞きませんが……


◎──巻第二「為政第二」四

・書き下し文

子曰わく、われ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲っする所に従いて、矩をこえず。

・だいたいの意味

私は十五歳で学問の道を志した。三十歳で独り立ちし、四十歳であれこれ惑うことがなくなった。五十歳で天に与えられた使命を知り、六十歳には人の意見を素直に聞くことができるようになった。七十歳には仮に心のままに行動したとしても、道に外れることはなくなった。


◎──巻第二「為政第二」四について

超有名な箇所ですね。晩年に人生を振り返っての言葉とされています。

十五歳:「志学(しがく)」
三十歳:「而立(じりつ)」
四十歳:「不惑(ふわく)」
五十歳:「知命(ちめい)」
六十歳:「耳順(じじゅん)」
七十歳:「従心(じゅうしん)」

と、それぞれの年齢を指す言葉のもとになる箇所ですね。不惑だけ飛びぬけて有名ですが。

「十有五」というのは、十と五、つまり十五です。

「耳順う」の部分を、「人の意見を素直に聞くことができるようになった」と書きましたが、そのまま読むと、遅すぎるだろとつっこみたくなりますけど、ここは、相手の言葉からその意図や心情なども含めた真意をくみ取れるようになった、というようなことだと思われます。

それにしても遅いように感じられますが、それだけ人の言葉を聞くということは難しいことだということを言いたいのではないかと。

同じく「従心」も、孔子ほどの人ならもっと早いんじゃないかと思いますが、これもまた、それだけ難しいことだと言いたいのではないでしょうか。若造は油断することなく、意識的に自分を律することを心掛けろと。


◎──今回はここまで。

私、不惑を迎えて一年以上が経つのですが、日々、惑いしかないです。而立もかなり怪しい。せいぜい志学レベルでしょうか。三十年弱ほど遅れてますね。人生振り返るの楽そうです……

次回は、このまま為政の続きを。為政は二十四章あるので、次々回かさらにもう一回先くらいまで続くと思います。全部で五百章ほどあるので、少しスピード上げていこうとは思っていますが、気長にお付き合いください。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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ロシア、スペインに勝っちゃった。すごい。