ユーレカの日々[68]夏休みの宿題はオークション/まつむらまきお

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この夏休みは、部屋の整理に明け暮れた。もともと、整理整頓しない(できない)タチで、自宅の仕事部屋は、本やらデジタル機材やら、趣味のプラモデル関係のもので埋まっている。

そこに、以前書いたように、実家から引き上げてきたモノが加わり、まるでゴミ屋敷状態になっていた。





●モノを減らさないと命に関わる

きっかけは先日の大地震である。仕事部屋ではiMacが転倒したりしたが、ぎゅうぎゅう詰めなのが幸いしたのか、モノの破損はほとんどなくて済んだ。しかし、食器棚や、居間の書架は転倒し、復旧が大変だったのだ。

今年は地震に加え、大雨、台風、酷暑と、まるで世紀末のように、災害が続いている。いやもう、モノ減らそう。減らさないと命に関わる。この酷暑、外出も命に関わる。これは部屋にこもってなんとかしろという天命、夏休みの宿題なのだ。

だいたい、年に一回くらいは、「ダンシャリー!ダンシャリー!」と唱えながら、書類や本を整理はする。不要な書類や本を破棄し、スペースを作らないと、物が入らない。

昨年は、撮りためた録画DVD(アナログ放送時代のもの)を、ハードディスクに移して、円盤を大量に処分した。

今回は、今まで手付かずだった、ホビー関係のものを整理することに。よく買っていた食玩、結局作りそうにないプラモデル、もう使わなくなったデジタル機材などなど。そんなにないだろうと思っていたら、出てくる出てくる。分類し、売れそうなものはオークションに出すことにする。

何年か前にも、ヤフオクで売るのにハマった時期があった。その時は、モノを減らすのと、資金調達を兼ねて、ほしいカメラが買えるまで、不要物を売る、というのをやってみたのだ。

目標金額があると、とにかく部屋の中で売れそうなものを片っ端から出品するという行為が楽しくなる。おかげで目標を達成することができたが、その時の経験では、とにかく落札者とのやり取りが面倒、という印象だった。

●ひさしぶりのヤフオクは大進化

ひさしぶりにヤフオクをやってみると、いろいろと進化している。まず決済が楽になった。以前は直接、口座を知らせて振り込んでもらい、入金を確認していたのだが、今はヤフー決済というのに統一されている。

支払う側は、カードやコンビニ支払いなどで、いったんヤフーに入金。それが売り手に支払われる仕組みだ。たしか、メルカリがそんな仕組みで、それに倣ったのだろう。

発送は、以前は「はこBOON」というサービスだった。これは発送先の登録などはネット上でできるが、支払いは発送時に出品者が支払うというもの。今は「ヤフネコ便」というのになっていて、送料決済もヤフー経由。

つまり、落札されたら自動的に落札者に事前に登録しておいた送料込みで請求され、送料と手数料引いた金額が出品者に後日、支払われる。

発送そのものも、計測はヤマト運輸側でまとめてやる方式に変わった。もしサイズオーバーで送料がオーバーしちゃった場合、料金は出品者持ちになる(先に商品代金を徴収しているため)が、店頭での発送はスピーディーに済む。そこさえ注意すれば、便利なしくみだ(他の発送方法も任意で選べる)。

出品・落札双方へのお知らせも、システムが自動でやってくれる。

以前は「送付先を聞く」「送料を算出し、金額を知らせる」「入金を確認し、発送する」というやり取りを、掲示板のような仕組みでやっていたが、今の「取引ナビ」というのだと、直接のやりとりをまったくしなくても、取引ができるようになっている。

「発送してください」とか「連絡を待ってください」など。やらなくてはいけないことがステップごとに示される。

そして最近、匿名取引もはじまった。買い手の個人情報は都道府県までしかわからない。氏名も住所も明かされない。ちょっと不安で、これでいいんだろうかと思うが、お店での売買だって相手の氏名を住所もわからないのだから、いいのだろう。

極端な話、相手の名前も住所も知らず、メッセージも出さずに取引を終了することもできる。味気ないっちゃあ味気ないが、おかげで大量に出品することが可能になってる。

●梱包が楽しい

オークションで面倒なのが梱包だ。出品時に考えておかないと、あとで慌てることになる。デジタル機器は修理などに備えて、基本、箱をとってあるので、売るのも簡単なのだが、箱が無いものとなると、ちょうどいい大きさの箱を見つけるのに苦労する。

送料は箱の大きさによって決まるので、できるだけ小さくしたい。高額な商品なら、送料はあまり気にならないものだが、低額商品だと、数百円の違いは、印象が大きく変わってくる。また、わざわざそのための箱を買ってくるのではなく、手元にある空き箱でなんとかしたい。

商品ごとで、さてどうやって荷造りするのかを考えるのは、面倒ではあるのだが、ある程度やってるとけっこう楽しくなってくる。ぴったりの箱がみつかるとうれしくなる。

逆に、うまい送り方が見つからず、出品がなかなかできない場合もある。この箱に入れて出品できるものはないか、と本末転倒な思考に走ることもある。

今回、大きな箱を切って、縮めてしまうという技を身につけた。落札された商品を発送する寸前に、箱がひとまわり大きなことに気がついたのだ。ちょうどいい箱が手元にない。

そこでダンボール箱を真ん中あたりでばっさりと切る。そして、入れ子にしてやると、縮めることができる。木工ボンドで接着すれば強度も十分。これが手間がかからず効果的。それほど大変ではない。

小さなものなら、箱を作ってしまう。アマゾンで買うと、箱の底に一枚、ダンボールの板が入っているが、あれが大量にあるので、切って折ってガムテープで留める。

当初はブサイクだったが、だんだん慣れてくると、それなりにキレイな箱が作れるようになる。梱包がうまくいくと、とても気持ちがいい。ゲームとして、かなり面白い。RPGで様々な武器アイテムを持っていて、相手にあわせてそれを出して戦ったりするが、あれとちょっと似ている。

荷造りを大量にやってると、道具も最適化されてくる。切れないハサミやカッターだと仕事がはかどらない。今回、発見したのがテフロン加工されているハサミ。ガムテープをハサミで切ると、接着剤がハサミについて、すぐに切れなくなるのだが、テフロン加工でガムテープを切ってもベタつかない。

●宿題の販売が禁止というニュース

そんな、オークションの日々を送っていたところに、あるニュースが。ヤフオク、メルカリ、楽天の三大オークションが「宿題の出品を禁止にすることを、文科省からの要請で各社が合意した」というもの。

なんとまぁ、つまらない話だなぁと思う。宿題は自分でやるべき、というのはもっともな話だが、読書感想文や自由研究、工作などを「宿題」として売ってはいけない、というのを省庁が言って、民間が受け入れているのが嫌な感じだ。

これらを「作品」として売るのはどうなんだろう? 宿題は売ってはいけなくて、作品は売っていいというなら、その境目はどこにあるのか。漢字の書き取りや計算ドリルは、作品ではないが、買い手が何に使おうが自由なはずだ。

宿題になりそうなものは全部禁止にするつもりなんだろうか? だいたい、だれがいったい、こんなツマラナイ、キモチワルイことを考えて言い出したんだろう(文科省らしい)。

文科省は「宿題は自分で取り組むことを周知していきたい」そうだが、いや、そこからして、なんか違う。それをやるのが文科省の仕事だと思っていることが、ものすごくキモチワルイ。

●宿題を売買しても教育とは無関係なワケ

私は教員だが、教員の立場で考えてみれば、学生のレポートにせよ、実習課題にせよ、それを自分でやっているのか、他人にやってもらっているのか、確認のしようがない。

たとえ、オークションで買ったのでなくても、そもそも宿題というモノは、本人がやっているかどうか、確かめようがないのだ。だから、オークションでの出品を禁止したって、なんの解決にもならない。

もう、どうして禁止してほしいと思うのか、その思考が理解できない。どこかの学校で、生徒がみんな、メルカリで買った宿題が大量に発見されたのだろうか? 近年めだっていたのは、代行業というより、去年やった宿題を気軽に出品して小遣いの足しに……ということが増えていたらしい。ダメなの? なにもダメじゃないと思う。

宿題の代行や購入がいけない理由は、点数評価が不公平になるからだろうか?いや、そもそも、宿題はだれがやっているのか確認できない。だから、成績評価において、ウェイトはさほど高くない。公平を期す必要がある評価は、試験にする。

たとえば、自分はまじめに宿題をやって、友人はさぼってオークションで買った宿題を出したとしよう。損をするのはだれか? といえば、言うまでもなく宿題をさぼった生徒だ。あくまでも学習の機会を与えるということに意味があるので、不公平さとは無関係のはずだ。

●ひとりでやるのが宿題じゃない

たとえば、絵や工作の宿題の場合どうだろう? 美大であれば、本人が描いたのかどうかは、すぐわかる。教員は普段の授業の様子も見ているから、違う人が描いているならわかる。

小学校の場合だと、教員も美術の専門家ではないし、小中学生では技術も個性も未熟だから、ひと目で誰の絵かなんて判断はできないかもしれない。

そういえば、うちの娘が小学生の頃、夏休みに工作の宿題があった。で、工作大好きな私は、手をだしすぎてしまうのだ。自転車の模型を作るのに、チェーンを片面ダンボールを利用した「ベルトドライブ」にしたのは、さすがに「やりすぎ」と妻に言われた。

ただ、この宿題は、はじめから「ひとりでやる」「親を含めただれかといっしょにやる」どちらでもかまわないことになっている。自己申告。これはなかなかいい方法だと思う。親が手を出しすぎたのも含めて、夏休みの宿題の成果だ。

ならば、メルカリで気に入ったものを見つけて、それを買うためにお小遣いを捻出するのもまた、夏休みの宿題の成果ではないのか(ないか)。

●宿題の本当の需要は?

高校生ならメルカリもやるだろうが、小中学生の場合、宿題忘れていて、それをオークションで買うというのを、本人がやるとは思いにくい。となると、これに手をだすのは、子どもに恥をかかせたくないという親だろうか?

そうか、わかった。宿題を買うのは、宿題ができてない、勉強ができない子ではないのだ。買うのは「受験勉強が忙しくて、宿題なんかやっている暇がない」子どもと、その親だ。

難関校をめざして、受験勉強をする生徒にとって、学校の授業というのは足かせにしかならない。彼らは、受験に特化した学習を塾や予備校でやっている。

そんな時に、つまらない宿題なんぞに貴重な時間を割きたくない。だったら代行でいいじゃないか。という考え方。だいたい、文科省のお役人には、そういうふうに受験してきた人が少なからずいそうなものだ。

それをなぜ、宿題出品を禁止することが教育上よい、という判断になるんだろう? 自己否定じゃない? そんなことするなら、ちゃんと学校の勉強と受験が矛盾しないようにすべきだろう。

●考えることが勉強です

なぜ、オークションに宿題が出品され、売買されるのか。それを考えず、「宿題は自分でやるものです」と盲目的に言うコト自体が、すごくキモチワルイ。痴漢犯罪を減らすために、ミニスカートをやめましょう、という論理がおかしいのと同じ。

一見正論、正義。だから誰も違うと言いにくい。そういうモノが一番危ない。なぜオークションで宿題が出品されているのか、それを買ったり売ったりすることはどういうことなのか。それを考える方が、ずっと教育効果が高いはずだ。

いっそ、自分の宿題が、いくらでオークションに売れるのかを宿題にした方が、いいんじゃないだろうか。大量にオークションで仕入れて、付加価値をつけて転売するとか。

また、小学生が同学年の宿題を引き受けて、学習もでき、お小遣いも稼げるとか。実際、これは売れるだろうと思うものがなかなか買い手がつかず、意外な物が競り上がっていく。最終的には値段を安くすれば、買い手はつくのだろうが、それではつまらない。工夫も学びもたくさんあるはず。文科省はそういった学習の機会を阻害してる。

オークションサイトの方もあまりにも不甲斐ない。なぜ文科省のこんなつまらない要請にのったのだろう? ヤフオク、メルカリ、楽天。三者とも、ベンチャーの成功者だ。それまではだれも商品、仕事になんかならないと思っていたものに賭けて、大きくなった企業だ。

彼らが社会貢献というのを考えるなら、それは規制に加担するのではなく、規制と戦うことではないのか。宿題の売買を含む、自由経済とはなにかを啓蒙していくのが、彼らにしかできない、世の中をよくしていく方法じゃないのか。

戦うべき相手は、自由を阻害する者なのが、ベンチャーの信条ではないのか。ほんま、失望したわ。

そういえば、こういったコラムの原稿を書く代行(クラウドソーシング)もあるそうだ。数千円でも引き受ける人がいるらしい。今度、ネタに詰まったら発注してみようか。

いやいや、コラムも宿題も、頼む方じゃなくて、頼まれる方が面白いのだ。


【まつむら まきお/まんが家、イラストレーター・成安造形大学教授】
twitter: https://twitter.com/makio_matsumura
http://www.makion.net/
mailto:makio@makion.net

この原稿は、掲載前日に書いているのだが(締切間違えてた)、今日(昨日)の台風はマジ、すごかった。観測史上最大級らしいが、まるでパニック映画のようだった。窓の外を見てるといろんなモノが飛んでいくのが見える。

停電まではしなかったが、部屋の電圧がぶわっと下がる。電柱になにかぶつかったのか。マジで外に出たら死ぬ。そう思うのは生まれて初めて。

台風が過ぎて、外に出てみると、マンションの中庭の大きな木が根っこから倒れている。屋上の柵が地上に落下している。幸い、怪我や自宅の被害はなかったが、関空がえらことに。今年は関西は災害連打だ。このまま年末には世界が滅びても「あー、やっぱり」って思ってしまいそう。


【まつむら まきお/まんが家、イラストレーター・成安造形大学教授】
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