ローマでMANGA[134]ガイジンが日本でプロのmanga家になるには
── Midori ──

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ローマ在、マンガ学校で講師をしているMidoriです。私の周辺のマンガ事情を通して、特にmangaとの融合、イタリア人のmangaとの関わりなどを柱におしゃべりして行きます。

●教え子が日本へ行った

学校の教え子ではなくて、19歳の頃からコンタクトをとってきた、今30歳の女性の話。本人に書くよと承諾を取っていないので、仮にマリアさんとします。花子さんみたいなものですね。

マリアは日本のアニメとmangaを見て育った世代。マリアより上の世代だと、アニメは子供のもの、と洗脳されているので、それでも内緒でアニメファンでいるのは少数になってきます。

でも、マリアの世代だとかなりの確率で、manga、アニメ、ゲームファンのまま成長します。




マリアはmanga家になるのが夢。30歳を過ぎてもその夢を捨てられず、ここでも何度か取り上げたコアミックス社のサイレント・マンガ・オーディション(以下SMA)に何度か応募して、昨年のSMA8で、ついに、なんとグランプリを獲ったんです。

SMAでは入賞した人に担当編集者を付けて、短編を作ってもらってSMAのサイトに掲載します。そして、今回日本へ行ったのは、入賞のご褒美の続きで、「マスタークラス」に招待されたからです。

他の入賞者と一緒に、北条司先生など、コアミックスの大御所のワークショップを体験するらしいです。

出発前に、「manga家になるための、次のステップはどうしたらいい?」と相談を受けました。せっかくmangaの本拠地日本へ行くので、manga雑誌に掲載を目指すために訪ねる場所を教えてほしい、というのがその心なのです。

日本の出版社が主催するコンクールで最優秀賞を取ったのだから、日本の市場で通用する、と考えても仕方がないといえば、仕方ないわけです。マリアの立場としては。

そこで、今回は「日本人以外のmanga家志望者が、日本でプロになれるか」という考察をしてみたいと思います。

●ガイジンが日本でプロのmanga家になるための困難
その1・言葉

ヨーロッパ内だと、国が違い、言葉が違ってもそれほど大きな障害にはなりません。下地になる文化が共通してるしね。

日本では、言葉ができないと意思の疏通が難しくなります。

通訳を通して言葉の壁を超えたとしても、メンタリティが違い、仕事の進め方が違い、原稿を作るにあたって、内容の細かなニュアンスを編集者が求めても伝わりにくい、というのを90年代に講談社の「モーニング」での企画のお手伝いをした時に経験しました。

マリア達はmanga言語を使うSMAで入賞したくらいだから、manga作品を作るのになんの問題もないだろうと思うと、そうでもないのが実情です。

●ガイジンが日本でプロのmanga家になるための困難
その2・絵柄のオリジナリティ

アニメとmangaを見てmanga家になりたいと思ったくらいだから、当然絵柄はいわゆるmanga風。当然ながら日本には、いわゆるmanga風の絵柄で作品を描く人がごちゃまんといるわけです。当然彼らは言葉の問題がないわけで、しかもメンタリティの問題もありません。よっぽど変わった人でない限り。

つまり、イタリア人である、という特徴が出ないと、編集部としては言葉や意思の疎通などの問題を苦労して越える、モチベーションに繋がらないわけです。

では、manga風から離れた絵柄だと扱ってもらえるか、となると、これまた問題です。manga作品が売れる条件は絵柄だけではないわけですし、読者が見慣れた絵柄から大きく離れて、市場に受け入れられるかとなると、これまた疑問です。

だいたい、話が元に戻るけれど、mangaとアニメを見てmanga家になりたいと思ったのだから、manga風の絵柄を持ってしまいます。

●ガイジンが日本でプロのmanga家になるための困難
その3・スピードとクオリティ

日本でプロのmanga家として仕事をするということは、連載獲得を目指して作品を次々と作っていき、連載を獲得したら、さらにスピードアップせねばなりません。しかも質を落とさずに。

日本ではアシスタントを使い(編集部でもアシスタントを探してくれます)、イタリア(あるいは他の国)にいながら、質の高いアシスタントを雇えるものでしょうか。

昼も夜もクリスマスも復活祭も忘れて、manga制作に没頭する生活を続けていけるでしょうか。

●知り合いの編集さんに会いに行った

マリアはかつて大学で奨学金を得て、東京の大学に一時期留学してました。その時にも、私の知り合いの編集者に何度か会って作品を見せていました。

今回も、希望を持ってその編集者に会いにいきました。東京で留学中はかなり日本語が上達したのですが、その後、帰国して日本語環境がなくなってだいぶ忘れてしまいました。

というわけで、マリアと編集さんの会見に、FBのビデオを通して私も言葉のアシスタントとして参加したのでした。

マリアの「今後どうしたらいいか」の質問に、やはり、イタリア人としての特徴が出ないと難しい、という意見が出ました。そして、SMAでちゃんと編集が付いて作品制作ができるのだから、それを生かして行くべき。

他の出版社でゼロから始めて、今のSMAとの位置までたどり着くのは大変だ。ということも。

さらには、ソーシャルネットワークを活用して、名前を多くの人に覚えてもらう、という意見も私と一致してました。

要するに、日本で出版したいのなら、日本でmanga家になりたい日本人と同じ道を歩んで行くのが最良、ということのようです。

日本のmanga市場は世界に類を見ないほど大きい。その大きい市場は作り手の山の底辺がとても大きいことも関係してて、多くの人が興味を持ち、色々なテクニックを編み出し、真似してさらに改善され、その大きな土壌を栄養にしてヒットや大ヒットが生まれるわけです。

つまり、プロになりたいとmangaを描く人がたくさんいて、その中で注目を浴びるのに「イタリア人」であることをどうやって特徴にして行くのか、を考えるべき、な訳です。

manga風の絵柄で日本を舞台にした作品を描いて、山の底辺でピョンピョン飛び跳ねても、隣のピョンピョンより高くはならないのです。

●manga風を描くイタリア人manga家志望者はどこへ行くべきか

SMAで賞を取って、「日本で通用する」と思ってしまっても仕方がない、と書いたけれど、それだけではないのです。

フランス人でmanga風の絵柄で少年mangaをフランスの出版社から出版し、日本でも飛鳥新社から翻訳版が出て、あまつさえ、アニメになって10月から放映される「Radiant」という作品が、いまやマリアのようなヨーロッパ人の頭にはあるのです。

ヨーロッパ人が描いた少年mangaが、日本の市場で受け入れられる、という事実の前哨戦なわけです。後に続け!

Radiantの幸運は、絵が上手い、キャラが立っている、という基本的なことの他に、作者がフランス人で(ヨーロッパにおけるマンガ王国であるところの)フランスで出版され、日本にはフランスのマンガ(BD)を出版することに尽力しているフレデリックさんがいることにもあります。

Radiantはフレデリックさん率いる「ユーロマンガ」で翻訳などの編集作業をして、これまでも色々コラボをしてきた飛鳥新社から出版という運びになったわけです。

フランスでは、フランス人作家のmanga風作品を出版する「まともな」(きち
んと作者に報酬を払う)出版社がいくつかあって、市場がしっかりとできてい
ます。

ならば、イタリア人もフランス市場を目指せばいいのではなかろうか、というのが私の結論です。

イタリア人作家がマンガだけで食べて行こう、とするとフランスかアメリカで仕事をする、という悲しい現状がありますが、mangaもその例に倣う、というわけです。

もう一つ、manga風の作品を描くイタリア人に限らないのだけど、生き方として「アーティストを目指す」というのもあるかと思います。

本来、mangaは商品であって、買う人がいなければ存在しないも同様なものです。でも、作者の意図を表現でき、伝えることができる手法であるから、そちらを重視する生き方を選択するのです。

商業用作品と同様に、コンスタンスであることは大事な要素でありますが、それ以上に他に伝えたいことがあり、自分のテーマを持って掘り下げることができるなら、それを目的にしていくのです。

当然、食べるための別の仕事を持つことが条件です。もっとも、日本でも商業誌に掲載されていても、それだけでは食べていけない例はたくさんあると思いますが。

そう考えてきて、ふと思ったのは、私はそれを実践している幸せな人だということ。

今は年金生活に入った元公務員の旦那は定期収入があり、私はたまのガイド、週に二回の授業という、かなり時間が自由になるお仕事があり、貯金に回らない程度の収入ではあるけれど生活ができています。

一冊だけ出したmangaは、知り合いの画家さんに「これはアートだ」と言ってもらったし。週に16ページ作成するために睡眠を削るような生活でもないし。

あとは、ちゃんと主婦の仕事との時間の配分をうまくして、少なくも年に一冊を(どこかから)出版して行けばいいだけです。

マリアは、後は自分のテーマを見つけ、もう少し絵が洗練されていけばいいと思います。どうしても日本で、と思うなら試せばいい。焦らずに自分の道を見つけて欲しい。


【Midori/マンガ家/MANGA構築法講師】

今回はなんとなく「です、ます調」で書き始めてしまって、なんとなくそのまま終わった。なんでそんな気になったのかは不明です。

我が家の一階部の水道管や電線が古いので、取り替えるついでに床も壁も新しくする工事を、この10月に始めます。(まただ)

一階にある私の蔵書をセロハンで何冊かづつ梱包して、運び出しやすいようにする作業に明け暮れてまして、気を紛らわせるのにYouTubeで古事記の解説や「目からウロコの」日本史解説など聞いている。

縄文時代について色々発見があり、以前の常識が覆されいて、縄文時代というよりは縄文文明と言うべきと言うことを知った。

メソポタミア文明やエジプト文明など、古代文明が栄えたところはことごとく砂漠になっているが、日本は今でも豊かな自然を享受している。それは自然にそうなったのではなく、古代から日本人が自然を守ってきたから、と言う説を聞いて、いたく感激してます。

半分日本人の息子に、日本史も文化もほとんど教えていないなぁと改めて思い、イタリア人の日本研究者が書いた「神道」という本を買いました。私がおずおず説明するより、イタリアのメンタリティを持つ息子には、イタリア人が解説した方が入りやすいだろうと思ったから。


[注・親ばかリンク]息子のバンドPSYCOLYT


MangaBox 縦スクロールマンガ 「私の小さな家」
https://www-indies.mangabox.me/episode/58232/


主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
http://midoroma.blog87.fc2.com/


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