はぐれDEATH[60]超論文w はぐれが振り返る日本の近代化/藤原ヨウコウ

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いきなり近代というのも、正直どうかと思う。ただ、最近、明治維新及びその後の大日本帝国史そのものが、変な取り上げられ方をしているよう気がするので、思いつくままに(いつもやん……)だらだら書き綴っていこうと思う。

明治維新については、小学生の時から違和感があった。どうも何か、話がすり替えられているように思えてならなかったのだ。

日本の近代化を語る上で、明治という時代そのものは避けて通れない。これは近世の江戸時代もまた同じはずなのだが、ボクには明治維新という政治的な転換点を、線で区切っているようにしか見えなかったのだ。

歴史の解釈の仕方は人それぞれあっていいと思う。教科書を鵜呑みにする必要はない。定点観測などしょせん無理であり(定点自体がどんどん時間に流されていくしね)、新たな記録が出てくればあっさり覆るのが歴史である。

ただ、流れはできるだけ多く見た方がいいと思う。表に見える(見えやすい)流れもあれば、見えにくい流れもある。観測点を移動させることで、同じ流れでも多様な見え方をするだろうし、それが普通なのだ。むしろ鵜呑みにする方が怖い。

いきなり話が逸れた……。

まず、明治維新前夜の江戸末期に目を向けたい。やはり、転換点はペリーの来航であろう。




話はじゃんじゃん省くが(義務教育で習ってるはず)「尊皇攘夷」の旗の下、血腥い事件がたて続けに起こる。これらの事件はボクには現代で言う「テロ」にしか見えないし、もっと酷い言い方をすれば明治政府の首班は、テロリストの生き残りかその構成員に過ぎないとも思っている。

そもそも「攘夷」とやらはあっさり消し去られ、なぜか「富国強兵」の名の下に日本の近代化は大きく進んで行っている。ボクに言わせれば「舌の根の乾かぬうちに」ということにしかならないが、それが政治だというならボクはそんな政治はご免蒙りたい。

近代化に関しては、明治政府だけの功績ではない。そもそも幕府自体が率先して、西洋技術や知識を元に近代化を推し進めていたし、薩摩藩・宇和島藩も同様である。もっとも規模は幕府には及ばない。

「明治維新があったから、日本は欧米列強に植民地化されずに済んだ」と言う人も少なくないが、実態は単に近代化(工業化)と、当時の帝国主義の風潮の尻馬に極東でいち早く乗っただけの話で、もっと言えば別に明治維新がなくても近代化はできたはずだし、じっさい徳川幕府はその先鞭を付けている。

ここは「歴史に "もし" はない」の法則に従うが、それでも当時の長州藩の見識には正直、首を傾げざるを得ない。薩摩藩も島津斉彬の後継者になってから一気に近代化の速度は落ちる(ブレーキが掛かったと言ってもいい)。それでも、長州に比べればまだマシである。

吉田松陰がよく名をあげられるが、この人の専門は山鹿流兵学(!)であり、陽明学である。もっとも、山鹿流兵学が時代遅れになったことを知って、西洋兵学へと舵を切っているが、語学でつまづいて中途半端な結果に終わっている。

このへん、むしろ村田蔵六(大村益二郎)をボクは高く評価している。

緒方洪庵の適塾に学び、幕府を皮切りに色々な藩(宇和島藩も含む)からの要請で蘭学書の翻訳を行なう傍らで、近代ヨーロッパの軍事を技術・思想面も確実に把握していた気配が濃厚だからだ。

実際、蔵六が長州藩に呼ばれたのは、これらの翻訳作業の業績にやっと長州藩が目を向けたからであり、この功績は村田蔵六本人と、緒方洪庵、当時一緒に適塾で学んでいた同輩達にあるべきだと思う。

適塾は本来西洋医学(蘭学)を学ぶ場所であり、蔵六もその例に漏れない。実家は医者だから当然である。

ただ、だからこそ適塾に西洋の新しい情報が集まったのも事実である。これは緒方洪庵の人徳によるところも大きいとは思うが、それでも私塾として考えれば適塾に入ってきたであろう当時の情報量は相当なものだろう。肩を並べられるのは、幕府ぐらいしか思い浮かばない。

もちろん、同じ私塾でも松下村塾は抽象化された上に、なにやら歪んだ思想しか生み出せなかったことを考えると(私感ですが)その差は歴然としているだろう。

特に医学に端をなす最新技術に関しては圧倒的であり、その典型が村田蔵六だと言ってもいいかもしれない。

徳川幕府は小栗上野介、勝海舟、榎本武揚、山岡鉄舟等々さまざまな人材を輩出している。ちなみに勝海舟に関しては、話半分くらいに調整しておいた方がよさそうである。それでも十分すごいけど。

小栗上野介は不平等条約関連で悪名の方が高いようだが、幕府軍の西洋化(フランスから軍事顧問団を呼んだのもこの人だ)、横須賀製鐵所(後の横須賀海軍工廠)を作ったり、挙げ句の果てには欧米式の小銃(スプリングフィールド銃)・大砲(四斤山砲)・弾薬などの兵器・装備品の国産化にまで手を出している。

とにかく、徳川幕府は目と鼻の先に凶器を突き付けられた実績があるのだ。それなりに格好を付けようとした気配は見受けられるが、欧米の軍事力を目の当たりにする、という当時としては稀有な経験をしているのだ。

その後の不平等条約の評価はさておき(これが結局維新への引き金になるのだが)、ここでさっさと近代化への道を歩んだ、当時の政府首班の自浄能力は眼を見張るものがあるし、もっと評価されてもいいと思う。

残念ながら、幕府の西洋式陸海軍は共に碌な結果を残していないが、この辺は皮肉としか言いようがない。最先端技術を持っていても、使い方がダメなら何の役にも立たない、という好例であろう。

ちなみに、こうした事例は現代にも多々見受けられるので要注意である。

明らかに軍事技術で劣っていたにもかかわらず、政治的なレベルで大政奉還に漕ぎ着けたところまではボクもまだ納得できるが、その後の一連の内戦に関しては正直、腑に落ちない。

「政権が大きく変わるというのがこういう事だ」と言われてしまえばそこまでなのだが、どちらかというと感情が先に立っていた気がして仕方ない。「坊主憎けりゃ、袈裟まで」というヤツですな。

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そもそも、戦国時代の戦いとは明らかに性質が異なるし、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康はまだ穏やかな方だろう。「信長以下」という評価に不満を抱く方は少なくないと思うが、信長の場合、少なくとも初志は見事に貫徹しているし、戦そのものの目的も極めて明確だ。

若い頃は大分ヘマをしてるようだが、ちゃんと学習して地道に先に進んでいる。突飛な行動ばかりが何かとクローズアップされがちだが、総合的な評価から言えば、ありとあらゆる面できちんとしている。

特筆すべきは、長篠の戦いでの用意周到さである。

まず武田信玄が亡くなるまで、あの手この手で待っているではないですか。この判断はある意味、テッパンとも言えるだろう。「年上が先に死ぬ」という法則(?)を素直に受け入れただけだろう。

それぐらい、信玄が信長にとって脅威であったとも言える。だからと言って、黙って指をくわえて待っていたわけではない。

当時の最先端兵器である銃に目を付けただけでなく、量でも圧倒した。飛び道具の威力は個々の戦闘能力によるところが圧倒的に低い(平均化されると言ってもいい)点だろう。

子供が銃を撃っても、当たれば相手は死ぬ。相手がどれだけ屈強で、数々の戦功を立てていようが、相手の間合いの外から撃てば、相手は死ぬ。

殺傷率を高くしようと思えば、とにかく銃弾の量を増やすだけ。もちろん射程はあるだろうが、銃声だけでも相当な効果はあるだろうし、相手が銃の威力を知っていればより効果は高くなる。

一定空間に単位時間で銃弾の量を増やすには、とにかく銃の量である。これが一斉発射となればより効果的である。更に当時の銃の構造からくる、次弾発射のタイムラグの間に別の集団が一斉発射。

めちゃめちゃ簡単に言えば、信長は長篠でこれをやっただけである。もっとも、このような銃の運用を考え、実際に行動したのは当時でもかなり珍しいだろう。だから、長篠の戦いが多様な意味で歴史的な戦いになったのだが。

秀吉はさらにこれを上回る周到さで(信長の功績を見事に掻っ攫ったことも含め)関白に登りつめてるし、家康の関ヶ原前の政略はしたたかとしか言いようがない。

後の帝国陸海軍とは、準備の仕方から武器の選び方、使い方、時間の稼ぎ方、タイミング、どれを取っても「同じ日本人か?」と思うほど、重厚で可能な限りの安全策を取っている。戦場往来のしたたかさは比べようがなかろう。それでも、秀忠はきっちり遅刻してる。アホや。

このDNAがどこで狂ったのかは分からない。江戸の太平がそうだと言うなら、家康の施策は物の見事にはまったと言ってもいい。

詳細はこれまた省くが、江戸時代の平和が戦国時代の乱世の賜物だとするなら、これはもう徳川幕藩体制の盤石さを意味するに他ならず、真っ当ないくさを知らない武士を輩出し、優秀な官僚として扱っていたことこそが評価されるべきであると思う。

となると、明治維新を含む太平洋戦争敗戦までの間の内戦、外戦の情けなさは政府、軍首脳部に帰することにしかならない。

読みも甘ければ、準備も甘すぎだし、戦争という外交手段最後の切り札を切ることの意味を、本当に理解していたのかすら怪しい。

幕末から存命していた伊藤博文、木戸孝允はかろうじて外征に異を唱えているが、所詮は少数派である。二人とも長州出身者だが、後の帝国陸軍の中枢を担うのもまた長州藩出身者やその末裔であるのは興味深い。

なかでも山県有朋は特筆すべきだろう。功罪共にあるにせよ、ボクには「罪」の方にばかり目がいってしまう。初期長州閥の首班であり、政治・軍事共に大きな影響力を持つという、本来なら極めてデリケートなバランス感覚が必要であるにもかか、わらずボクにはどうも定見がなさ過ぎるように見えるのだ。

「功」の要素から山県有朋と再評価する意見もあるようだが、それでもバランスは悪すぎる。

特に「村田蔵六の後継者」という点から見れば、相当レベルは低い。

そもそも、村田蔵六は軍事に特化していた。もっとも顕著な例が、彰義隊の乱であろう。

江戸無血開城を果たしたものの、旧幕臣を中心とした反乱軍の動きの情報収集と、対戦準備を東北戦争と並行して行っている。ここで注目すべきは、政治に対して軍事は従である、という点である。

少なくとも、ボクが知る限り、蔵六から政治的な意見はほとんど見られない。軍事という観点から備えを怠らず、いざ戦端が開かれると前線指揮よりも兵站を重視をする、蔵六の立ち位置はまったくぶれない。

暗殺前から取りかかっていた、後の大阪砲兵工廠などは最たるものだ。軍事にあたって、最も重要な兵站(特に武器、弾薬)の重要性を、彼ほど実直に守り実践した軍事専門家は、大日本陸海軍の消滅まで稀有であったと言える。今の自衛隊ですら、蔵六レベルの見識と実践という点ではかなり怪しい。

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北朝鮮のミサイル開発に慌てて対空装備を進めているようだが、自衛レベルであればもっと前から取りかかっていて然るべきだし、そもそもレーダーのレベルですら、かなり怪しいのだ。もう米軍頼りにも程がある。

軍事の要は綿密な情報収集と索敵であり、その後はもう付け足し程度のものである。

ボクに言わせれば、スパイ衛星など「地震、津波等の防災のため」と言ってじゃんじゃん打ち上げてもいいぐらいである。「記録にございません」「そのような事実はございません」は、現内閣のお得意中のお得意ではないか(笑)

そもそも、この程度のことは先進国ならどこもやっているし、だからCIAのような情報機関が存在する。公的発言など(こと軍事)ハナから信用していないだろうし、そこで下手に突くよりも独自に情報収集をした方が手っ取り早いからだろう。

自衛隊だって、わざわざ国外派遣などする必要はないのだ。注目すべきは北朝鮮であり、有事にさえならなければ、現在のように被災地救援に徹していればよろしい。「自衛官の練度が」という意見もあるだろうが、一兵卒がミサイル兵器を撃ち落とせるか?

そもそも、陸戦になることすらボクには予想しづらい。北朝鮮は隣国韓国とは地続きだが、対日本の場合、海を渡らないと揚陸作戦すら出来ないのである。というか、日本に兵を割けるゆとりが北朝鮮にあるだろうか? 最悪のケースを想定すれば、韓国はもちろん、中国、ロシアだってヤバい。

アメリカ、ロシア、中国のパワーバランスが、かろうじて北朝鮮をロシア、中国から守っているなら、アメリカが思いっきり手を引いたらどうなるだろう。

まぁ、現実にはアメリカとのパワーゲームに表向き譲歩したようだが、ミサイル兵器の保有数をまともに公開している国などどこにもないだろうし、北朝鮮だって誤魔化すことを必ず考えるに違いない。むしろそっちの方が、でふぉな反応だろう。

更に電磁パルス攻撃に至っては、日本は完全に無防備である。

ボクが信頼する情報筋によると、「インフラを含めた対電磁パルス防御にかかるのは10〜20年レベルだが、現在の首都圏は丸裸」と言い切る。ちなみに、お隣の韓国の方が、対電磁パルス防御は圧倒的に上らしい。

軍事上の準備というのは情報収集レベルからスタートし、効果的な対策をきちんと行うことである。

いざ戦争が起こって「武器、弾薬が足りない」「敵がどこから来るのか分からない、居場所が分からない」などと言うのは愚の骨頂なのだが、戦前日本の軍事行動は日清戦争以来ずっとこうだ。挙げ句の果てには、根性論で最新鋭の兵器と対峙し、犠牲者を無駄に出すという間抜けなことも散々やっている。

「皇軍」などという言葉が、いつから出たのか詳細には把握していないのだが、「皇軍」である以上、構成する兵士は上から下まで「天皇の兵隊」であり、下っ端の兵士を蔑ろに使うのは、それこそ不敬以外の何ものでもないと思うのだが、なぜかこの当たり前すぎる道理は通用しなかったようだ。実際、武器・兵站レベルでボロボロである。

弾丸、砲弾の規格がないに等しいなどというのは序の口で、部品すら怪しい。消耗品は規格化して大量生産するにこしたことはないし、そもそも近代工業というのは、規格という概念がベースにあるのだ。だって、大量生産しなきゃ意味ないから。一か所に集中せず、分散して並行に作業を進めるのも近代工業の特徴だろう。

ここで思いっきりコケている上に、最新兵器となるともうお手上げである。基礎研究がなっていない。日露戦争で散々苦しめられた機関銃だって、当座はその気になれば、同盟国のイギリスから調達するなりなんなりできたはずである。イギリスが素直にうんとは言わないだろうが、ここは外交である。

せめてこれに懲りて、機関銃や速射砲などを国産で大量生産すればよさそうなものの、これまた行き当たりばったりで、生産ラインに無理矢理のせるから、結局大量生産できない。できても砲弾の規格が揃ってないから、いちいちそれぞれの径にあわせた砲弾を作ることになる。計画性もなければ合理性もない。

これまた日露戦争ですでに露呈しているのだが、補給路の確保と兵站は敗戦までまったく学習していなかったとしか言いようがない。

当時の日本の国力からすれば、朝鮮半島までがせいぜいであり、それですら再三寸断しているのだ。満州に関しては別稿に譲る。ここでも間抜けなことばかりなのは、今さら言うまでもあるまい。

こんな状態で満州から更に南下、日中戦争など愚の骨頂で(もちろん、当時も反対派はいたが)、もう完全に補給路無視と言っても過言ではない。大戦末期に行った「インパール作戦」(どこが作戦やねん……)は狂気の沙汰である。

結論から言えば、本来の意味での近代工業化という点では、他のアジア諸国と大差ないと言ってもいいだろう。上っ面だけの近代化のツケが全部、戦争という国家を総動員せざるを得ない事態で出ただけの話である。

時代の趨勢とはいえ、本来の原理、原則を無視して、末端ばかりを追えば、当然上記したような結果にしかならないし、そもそもペースが早すぎたのだ。だからと言って、ゆっくりやればいいわけでもないのだろうが、とにかくバランスが悪すぎる。

そういう点では、日本の近代というのは膨大な失敗と多くの犠牲者を残し、戦後の復興こそが、本来の近代化のような気がして仕方がない。

そうして考えると、日本の近代化には150年近くかかったとも言えるだろうし、大きな視点から見ればよけいに、中国とさして大差がないように思える。東洋だけを見れば、壮大な内乱状態と言ってもいいかもしれない。

まぁ、あくまでもはぐれの戯言ですが(笑)


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
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