はぐれDEATH[61]はぐれの健康事情(取扱注意w)
── 藤原ヨウコウ ──

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今まで散々書き散らしているので、だいたい察していただいていると思うのだが、基本、ボクは自分の健康状態については無頓着である。そもそも食生活から破綻しているので、健康もクソもないのだが。

表面化するのは、痛くなったり、動けなくなってからだ。

それでもすぐにお医者さんに行ったり、自主的に養生したりすることは滅多にない。我慢できる間は、とにかくひたすら我慢する。

どうしても我慢できなくなったら、渋々お医者さんに行くことになるのだが、辻堂時代の吐血事件でも分かるように「我慢の限界チャレンジ」のような馬鹿なことをして、結局、救急車で病院に運びこまれるという間抜けこの上ないこともしている。

京都に戻ってからは、この手の我慢チャレンジは一切しなくなったのだが、それは今ボクが独居状態だからであり、そうそう簡単に死ぬことができないからだ。大家さんに迷惑がかかるではないか。

吐血以来、胃に大した変化がなかったのだが(あくまでも私感です)、昨年暮れに症状が激変した。詳細は省くが、キョーレツなストレスがかかったからだ。

元々、普段から胃が痛いのだが(!)お仕事とはまったく関係のない、とある案件のせいで悪化した。





●驚きの検査結果

最初は分かりやすく便の黒変である。胃から出血している兆候。これがこの案件が浮上してからずっと続いていたのだが、最初はさほど気にしていなかった。しょっちゅうあるからだ。

痛みもこの頃から少し酷くなったのだが、これも許容範囲内。それでも痛みのレベルは、日に日にジワジワ上がっていく。

決定的だったのは、お昼寝中に胃の痛みで目が覚めた時だ。おまけにこの日、胃酸が逆流しかけた。

以前、吐血した時、その三か月前に同じような症状が出て、病院に行ったのだが、この時は少し酷い胃潰瘍という診察だった。もちろん、内視鏡検査も血液検査もしています。

ボクの胃潰瘍はピロリ菌が検出されないのが特徴で、完全に神経性のものという所見を、色々なお医者さんから言われている。要は胃潰瘍になる時は明らかになんらかのストレス要因があるわけで、それ以外の原因は診療上認められていない。ここに胃酸の逆流が加わるというのは、かなり危険らしい。

この状態については、20代の頃にあるお医者さんから「下手をすると胃潰瘍や胃癌よりも、食道癌になる可能性が高いので吐くのは禁止」と告げられている。このアドバイスはマジメに守っていて、吐きそうになっても必ず飲み込む、という条件反射まで会得してしまった。

ちなみに、このお医者さんの診察を受けたのはやはり胃の痛みで、内視鏡検査でしっかり胃潰瘍を発見された。

それはともかく、経験上、あまりよろしくない状態なのはさすがに分かったので、翌日の早い時間に病院へ行った。

とりあえずこれまでの病歴、及び治療歴をお医者さんに伝えて、一週間後の内視鏡検査にのぞむことになった。本当はさっさと内視鏡検査をして欲しかったのだが、病院に行った日が土曜日だったのと、翌週がなぜかスケジュール一杯だったからだ。採血だけはその日のうちにしてもらった。

血液検査の結果には、正直、ボクが一番驚いた。

「一日一食」なのに(しかも結構不定期)、検査上ではオールクリアである。実は面白い結果を少し期待してたところもあるのだが、なぁ〜んにも出てこなかった。ただ、まぁあくまでも血液のみである。これで「健康体」と胸を張るほどアホではない。

内視鏡検査は、当日これまたびっくりした。胃壁に襞がある上に、今までみた中で一番キレイな状態だったのだ。

そもそも、襞があるというのに驚いた。大抵、潰瘍で襞が爛れてしまい、胃壁がツルツルになっているのがでふぉだったからだ。思わず「じゃぁ、この痛みはなんやねん?」と、心の中でツッコミを入れたのは言うまでもなかろう。

もっとも、ちゃんと異常はあったんですがね。胃の出口に黒い影が写っていた。もちろん、組織検査である。胃の中のあちらこちらから組織を取られて、検査結果は10日後に持ち越された。

以前にも書いたと思うが、もともと胃にも十二指腸にも自律神経にも、異常があるのだ。そこにアホなストレスがかかると、両方が同時におかしくなる。

幸いなことに、組織検査でも特にこれといった異常は出なかった。糜爛はかなりみとめられたものの、総合的にみて「慢性胃炎」ということになった。

これまたイマイチ、おもろいネタにならなかったのだが、ネタになるような異常が出ると、今はちょっと困るのでオッケーである。

タブロー方面のストレスは、どうやらあまり関係なさそうで、この時も1200mmの龍を半日で描いてしまったが、ご機嫌そのもの。

色々苦労はしているのだが、やはり絵に関してはストレスよりも面白味が勝ってしまうようだ。なんて分かりやすい身体なんだ。

吐血にまで追い込まれたのは、やはり関東暮らしのストレスが半端なかったのだろう。あ、あと米軍の戦闘機……。

これまでも何度か触れているが、基本小心者なので、ちょっとした環境変化にすら対応できない。かてて加えて東京である。人混みを人一倍嫌うボクが耐えられるはずもなく、親しい友人がいるわけでもなく、結局見事なまでの引きこもりになったのだった。

●体幹トレーニングの効用

話を戻す。以前にも書いた気がするが、内臓は基本諦めている。ボクにとって重要なのは筋肉と骨。寝たきりだけは避けたいし、死ぬまで自力で動き続けたいという、素朴な欲求だけである。

筋肉も骨も加齢によって確実に劣化するのだが、これを遅らせる方法はある。定期的でテキトーな運動である。

と、ここでオチにするのは簡単なのだが、はぐれとしてはまだ落とせない(笑)

ボクに必要なのは筋力そのものよりも、柔軟な筋肉である。極端に重いものを持ったり、ハードな運動をするわけではないので筋肉量を増やす必要は皆無である。むしろ、必要十分な筋肉量と柔軟さを、可能な限り長持ちさせることだ。

だが、劣化は確実に起きているはずである。だからそれなりのストレッチをずっとやっていたし、実物より重い木刀は相変わらず振っている。だからそれなりに筋肉には自信があったのだが、先日あっさりこの自信が粉砕された。

副業で結構ハードな肉体労働をしているのだが、一日働いた翌朝、起床した時は全身筋肉痛な上に、ほぼ死後硬直初期(いや実物は見たことがないので想像です)並に、ガチガチに硬くなっていたビックリした。

幸いその日が雨天中止だったので、一日かけて休養とストレッチを繰り返し、就寝前にはある程度元に戻したのだが、太腿裏筋肉の張りだけはどうしても取れなかった。

この状態で作業に出たのだが、この日以降、作業を重ねるにつれ筋肉の張りは消えていき、筋肉痛も薄れていった。

ちなみにボクは、筋肉痛を和らげるためにプロテインを飲む。本来は筋肉を増やすために用いられるのだが、今は筋肉の造り方そのものに応じて、さまざまな種類のプロテインが発売されている。

筋肉痛は運動により筋繊維が切れた時に起きるのだが、この切れた筋繊維は再生し、この時に筋肉の量が増えたり、より強い筋肉になるらしい。

ボクは筋繊維の再生を促すために、プロテインを飲んでいるだけである。

話を戻す。これまで経験しなかったハードな全身運動に、ボクの身体がついていけなかったのだが、嬉しかったのは身体がきちんとこの負荷に対応してくれたことだ。

というか、回復して、なおかつこの全身運動に最適化しつつあることだ。体幹トレーニングしておいてよかった。

だが、これで安心は出来ない。厄介なのは関節(及び軟骨)だ。

関節は完全に消耗品である。最近はいろいろなサプリだの医薬品があるようだが、もともと関節は自己修復力がない。いくら薬を叩き込んでも、関節そのものが良くなるわけではない。ボクの場合は、左足首と両膝に爆弾を抱えている。

再生医療がこちら方面にも進出しているようだ。労働力の高齢化が問題になっているが、恐らく高齢化で一番厄介なのは関節痛であろう。というか、将来的に一番儲かりそうな(!)分野である。

膝関節で一番多いのが、変形性半月板軟骨損傷なのだそうだが、軟骨再生をはじめとした、自己細胞を培養して損傷部位を補修する方法が、多方面で研究・臨床が進んでいるらしい。ロボットなり外国人労働者に、席を譲りそうな気がするが。

最近は外骨格式の労働サポート・ツールがある。これなら高齢者でも重労働が可能になるらしい。使ったことがないのでよく分からんのだが。

現場レベルなら、ある程度の問題解決はできるだろうが、日常生活となると関節痛の問題そのものは別である。

●度が過ぎる予防医療・延命医療

ちなみにボクは今年53歳。一昔前なら(普通の一昔ではないかもしれない)寿命で片付けられるだろうし、ボクの関節問題もある意味、この状態が自然なのかもしれない。ちゃんと自然に身体を消耗している証拠なのだ。

こうなると、「健康」とやらもちょっと考えもんである。手術なり投薬なりで健康を取り戻せれば、それなりのメリットがあるのは確かだし、近年の異常なまでの寿命の延びに、こうした医療行為は必要なのだろう。

延命医療の進歩も目を見張るモノがあるが、死を前提とした延命医療にどこまで価値観を見いだすかは、人それぞれである。皆さんは個々人で判断するように。ボクは拒否しますが(笑)

不自然なことを人一倍嫌うボクとしては、異常な寿命の長さ自体が嫌悪の対象にしかならない(プロテイン飲んでるクセに)。

そもそも、定期検診すらまともに受けていないのだ。受けていないというより、受けるのを拒否していると言ってもいい。

受診すれば、どうせじゃんじゃん色々見つかるに決まっている。人間ドックなど論外である。これは、先日、生まれて初めての虫歯治療で散々な目に遭ったので(幸い全治しました)余計にそう思うようになった。

「治療より予防」というのは理解できるのだが、近年の予防医療は少々度が過ぎているような気がして仕方がないのだ。

上述したように、内視鏡検査ではイチイチ細胞を取られ検査をされる。癌細胞の有無の確認なのだが、潰瘍と癌の目視ぐらいは簡単にできるはずである。実際「念のため」と、どのお医者さんも言う。

この「念のため」は、本当に患者さんのためなのだろうか? それとも保身? 保険?

結果が良かったから言うのではないが(密かに何らかのネタを期待していたのだ)、血液検査だけで生活習慣病と言われる病の大半はある程度発見できるだろうし、将来的にはもっと簡単な方法で病を発見できるだろう。

医療技術に限らず、最先端技術というのは停滞こそあれ後退はあり得ない。ボクとしては現状でも十分過ぎるのだ。「便利」も「簡単」も一般的には「技術進歩」と言われるが、本当にその一言で片付けていいのだろうか?

医療分野にもデジタル技術が浸透しているのは周知のことである。スマホひとつとっても、今は単位がGBでありTBに突入しつつある。25年前はKB、やっとMBになりつつあった。

ここまで膨大なデータ量になったのは、単に処理速度が桁違いになったに過ぎない。スーパー・コンピュータの分野で、CPUがGPUにあっさり席を譲ったように、有用なら部品くらいならさっさと役割分担を変えるのだ。これが技術というものである。

情報処理と医療を比較すること自体、大間違いなのは百も承知だが、ひとつの指標として見ることは出来るだろう。というか、その程度の視野は持って然るべきだと思う。大人であり先人を自負するなら尚更である。

どこまで行っても最終的に帰着するのは、基本でしかない。最先端技術から基礎を排除するということは、暴挙以外のなにものでもない。あくまでも使う人間の問題だからだ。

一応ネタは「健康」なのだが、最終的には社会構造・経済バランスにあり、総合的な問題であることは言うまでもない。

暴論であることは百も承知だが、少子高齢化社会で本来投資すべき対象が若者であることは、明白であろう。もちろん高齢者だからというだけの理由でバッサリ切り捨てることはできない。

だから、バランスがめちゃめちゃ高度に重要になる。本来なら政治家と行政のお仕事なのだが、責任者にここまで度胸はあるまい(笑)

ひねくれた見方であることは百も承知だが、世の中の価値観そのものにボクは疑いを持っている。それでなくても疑い深い性格なので、この程度は極初歩的なものだ。期待しないが絶望する気もない。かと言って楽天的になる気もない。

これはあくまでもボク個人の見解であり、他者に押しつける気は毛頭ない。もし気を配るとすれば、せいぜいおねえちゃん(娘さんのこと:編集部注)ぐらいである。

突然死はどれほど気をつけても訪れる時には訪れる。万が一何か見つかっても、お仕事の方はそれなりに手を打つことはできるだろう。要は、その気になればどうにでもなるということだ。

人としてはどうかと思うが、はぐれとはこんなもんである。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】

YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com