[4652] 幼少時の悪行狼藉のツケが押し寄せる・新宿の夜の歴史と地理

投稿:  著者:



《ひょっとしてオレ、死期が近づいてる?》


 ■ Otaku ワールドへようこそ![289]
 幼少時の悪行狼藉のツケが押し寄せる
 GrowHair




━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ Otaku ワールドへようこそ![289]
幼少時の悪行狼藉のツケが押し寄せる

GrowHair
https://bn.dgcr.com/archives/20181005110100.html

───────────────────────────────────

●針のむしろ同窓会

気の進まない女子会だった。小学校卒業以来四十数年ぶりに再会するのはいいとして、問題はその面子だ。「被害者の会」みたいなやつか。行ったら吊るし上げに遭うにきまってる。生きて帰れるだろうか。

まだ分別も分からない子供時代のことゆえ、で、許してもらえないだろうか。あー、もうちょっと品行方正な少年時代を過ごしておくのだった。

S井N美からFacebookでメッセージが来たのは9月1日(土)2:31pmのことだ。N美とは一度も同じクラスになったことがなく、存在を認識してなかったのだが、阿部将や岩本宣子やT内K美と仲がよかったようで、今年になってから、二度ほど会っている。

「N尾E子が帰省します。で、27日(木)なら都合つくみたいなんだけど、小林君は会えますか? H内S子も誘って返信待ちです。三人の初恋物語を聞いたから、このチャンスに再会できたら良いね」。

うぎゃっ! そこ掘るなワンワン。初恋なんてロマンチックなもんじゃなく、封印を解いてはいけない暗黒歴史なんだけど。

幼稚園に入る前から一緒に遊んでいた。Sっちゃんは、真ん前に住んでいた。Eっちゃんは、うちの前の道の一本隣りのしょぼい商店街の床屋の子で、角をふたつ曲がったとこに住んでいた。お互いに仲良しと思っていたが、いま思えば、SっちゃんとEっちゃんの間は微妙だったかもしれない。

Eっちゃんとは結婚することになっていた。こっちが絡め取られたのだと思う。うちまでの距離の不利が逆転した。年長組のとき、幼稚園で、まるで儀式のようにお互いの髪の毛を一本ずつ食べたのもEっちゃんの発案だった。ふつうに抱き合ってキスするのではなく、離れてお互いにべーっと出した舌をくっつけ合っていたのも、いま思えば変だ。

おままごとにおいて、まるで殿様のような扱いを受けていたのは、時代の価値観を反映していたと思う。今の価値基準からすると、差別的とも言えなくもないが、一家の主は絶対的に偉い存在だった。

男性が女性を抑圧していたというよりは、社会全体の合意であって、女性は男性を立てるのがあたりまえの作法だった。バナナが二本あれば、大きいほうをもらうのが当然で、それが夫婦円満というものだった。

Eっちゃんとは、いわゆるお医者さんごっこというのもした。「うんことおしっこが逆の穴から出てくるんです」と言うので、「じゃあ、見てみましょう」とかなんとか。おかげでお嫁に行けなくなったと言われるとたいへん困るのだが、こっちだっていちおう結婚する気ではいた。あ、お嫁には行ったらしい。

ドブ川だった桃園川が暗渠化されて上が細長い公園になったばかりで、鉄パイプを溶接した柵が、まだ横倒しに積んであった。

Sっちゃんに対しては、妹のKちゃんと、横に並ばせて、一緒におしっこをさせ、正面から眺めたりした。

小学校に上がると、世の中は広いということを知り、Eっちゃんよりもかわいい子がいくらでもいると分かって、約束のことはすっかり忘れ、お互い話題にしなくなった。

4年生のときに誕生日会をやって友達がいっぱいうちに来たとき、私がM田N美とイチャコラしてたら、N尾E子はすんごいいじけていた。

あの会は、最後に、私の右手首の骨にひびが入って終わったのだった。一人でうんていにぶらさがっていて、向こうまで行くつもりだったのだが、後ろにいる仲間たちが私のことを話しているようで気になって、途中で飛び降りたとき、足から着地したのに、コケて右手を地面についた拍子に傷めてしまった。

2週間ぐらい、首から下げた白い布で、右手を吊っていた。いろいろあった現場の近くで、怨念というのは怖い。

T村M穂にも申し訳ないことをした。5年生のときだったと思う。どの程度好意を抱いていたのかは分からないが、私のことをすごい尊敬の目でみていて、それが重くてたまらなかった。

M穂にひとつも非はなく、私も嫌う理由はなかった。ただ、M穂が思っているな立派な人ではないことを示し、心の中で勝手に膨らんだ風船を割っておかねばなるまい。

いきなり耳元で大声を出して、泣かせてしまった。何の絶叫だろうと、人が集まってきてしまった。加害者側から発せられたとバレて、ひどく非難された。心臓が悪いのにおどかしちゃ駄目でしょ、と。心臓のことは知らなかった。

Kには、そんなに悪いことはしてなかったはずだけど、少なくとも、スカートめくりの被害者には違いない。ややダークな赤に、黒い線で縁取りされたパンツを穿いていて、めずらしいなと思っていた。

私立中学に進学した私は、小学校卒業をもって旧友みんなと疎遠になった。真ん前に住んでいるS子とは道で見かければ会釈ぐらいはしたと思うが、E子とはまったく会っていない。大学生のとき、あいさつもせずに引っ越した。

これだけ年月が経ってしまえば、たとえ偶然道ですれ違ってもお互いに認識できるはずもなく、このまま誰とも会わずに一生過ごすもんだと思っていた。悪行狼藉がひどすぎて合わせる顔がなかったというのもある。

ところが、セーラー服を着て出歩くようになったことにより、音信が再開してしまった。小説だったら、途中途中にまき散らしてきた伏線を拾い集めたら、結末が近い。ひょっとしてオレ、死期が近づいてる?

9月27日(木)は、被害者の会4人とN美と私の6人の女子会になった。

仕事帰りにカラオケ屋に立ち寄ってA面に変身し、おそるおそる新宿の会場に向かった。西口にある「Y's(ワイズ)」という、バイキング形式の食べ放題飲み放題のお店で、N美が知っていたという。

S子以外の4人が5:45pmぐらいから始めていたところへ、6:30pmごろ合流した。あらかじめ面子を聞いていたのに、会ってもどの人が誰だか分からない。名前を聞いて「やあ、これはこれは!」となり、気まずかった。

しばらく話していたらだんだん記憶していた顔と一致してきた。後から来たS子は、昔のお母さんの姿にそっくりになっていた。

さて、問題の吊し上げはどうなったか? まったく意外なことに、上述した「事件」をどれひとつとして覚えている人がいなかったのである。E子は婚約話のことも婚前むにゃむにゃのことも完全に忘れてて、言われてかえってびっくりしてるし。

S子もむにゃむにゃ方面のことはひとつも覚えていないというし。ついでに言うと、おしっこを漏らしたことも「それ私じゃないんじゃないの?」と否定するし。

いやいや、あれは、環七を渡った向こうにタコの公園というのを発見したので、一緒に行こうとSっちゃんから誘ってきて行ったときだ。

段差のあるところを飛び降りた拍子にしゃがんだのが遠目に見えたので、近寄ってみると、立ち上がって、ケツに貼りついたパンツを後ろ手ではがしはがし「おもらししちゃった」と言ったのだった。朱色の毛糸のパンツを穿いていた。

翌日、2階の物干しに毛糸のパンツと、下に穿いてた白いパンツとが干してあるのが柿の木ごしに見えた。

M穂は絶叫事件のことを覚えていないというし。ここではキャロルという名前にしておいてくれと言うけど、当時はそんな名前では呼んでなかったKは、そんなパンツを穿いていた覚えはないというし。

しまった。だったら、こっちからわざわざ言うんじゃなかった。キャロルは、勉強がよくできた私をちょっと尊敬していたのに、と、当時の素行を聞いて見損なっていたというふうであった。あー、みずから墓穴を掘った。

しかし、みんな、幼少期の記憶って、そんなに残ってないもんなの? オレだけ、ほぼ光速で移動する粒子のごとく、中の時計が進んでないのか。つい昨日のことのように鮮明に思い出せるんだけど。

人生を渡っていくには、ハッタリをかましたりシラを切りとおしたりするのも大事な方便なのだという教訓か。

余談だが、店は9:30pmまでで、そのままお開きとなり、新宿駅でバラけてから、私はゴールデン街にある「汀(なぎさ)」に行った。福島県にある築104年の木造の映画館「本宮映画劇場」の館主の娘さんであるU子さんが、キャサリンの源氏名でカウンターに立つ日なので。

●新宿の夜の歴史と地理

M下S子とは、去年の8月11日(金)に音信が復活した。中野から高円寺まで電車に乗り、ヒトカラ専門店「ワンカラ」に行こうと駅を出たところで、後ろから捕獲された。カラオケはやめて、一緒に飲んだ。

M下は国語と歴史が得意だった。私立桜蔭中学校・高等学校に合格し、日本女子大に行き、証券会社に勤め、職場結婚し、子育てが一段落し、新宿区の職員になっている。男女共同参画課という部署で、職場は荒木町にある。

荒木町には、私の行きつけのカラオケおスナックがある。漫画家の東陽片岡先生のお店である。行きつけと言えるほどの頻度で行っているわけでもないのだが、本宮映画劇場のU子さんがカウンターに立つ日がたまにあり、行くのはそのときだけである。

せっかく近いのだからと、M下にも声をかけたら、3月31日(土)に来てくれた。土曜は出勤日なのだそうである。代わりに月曜が休み。

男女共同参画課では、月に2回ほどのペースで講師をお招きして、土曜に2時間ほどの講演会を開催しているそうだが、講師選定から、講演依頼、内容打合せ、アナウンス、設営等々、そうとうたいへんそうだ。

近々、LGBT関連の講演会を開きたいのだが、講演者としてどなたか適当な方を知らないか、と私に聞いてきた。私に聞けばきっと知っているはずだと思ったかどうかは分からないが、適任者をたまたま存じ上げていた。三橋順子先生。

2015年4月26日(日)、幕張メッセで開催された『ニコニコ超会議』の一角を占めた『ニコニコ学会βシンポジウム』において、『現実をハックする異性装』と題するセッションがあり、一緒に登壇したご縁がある。

三橋先生は、性別越境(トランスジェンダー)の社会・文化史研究家である。ご自身も女装家で、和服を美しく着こなす。戸籍上の性別は男性。著書に『女装と日本人』などがある。古事記・日本書紀まで遡って、女装の歴史を追っている。

私はセッションをきっかけにFacebookでつながっており、三橋先生の書き込みを常々拝見している。

現在、明治大学文学部で非常勤講師として、「ジェンダー論」の授業を受け持っているが、LGBTはこのところ社会的にも関心が高まっていて、そのためもあってか、300人ほどの生徒を抱える超人気講座となっていて、レポート読みやテストの採点がめっちゃたいへんそうである。

M下には三橋先生を薦め、まず著書を読んでみてはどうかと言った。3か月近く経った6月20日(水)、M下から連絡が来た。三橋先生の著書を読んで、ぜひお呼びしたいので、つないでくれますか、と。翌日、Facebookメッセージで三橋先生にお伝えすると、その日のうちに、いい返事がいただけた。

三橋先生からの返信と連絡先をM下に伝え、じゃ、あとは当事者どうしでよろしく、と私の役目は終了。

次にM下から連絡が来たのは9月4日(火)。「お知らせするのが間際になって申し訳ない」と断りつつ、8日(土)に三橋先生の講演会があるとのメール。あ、あの話、ちゃんと進んでたんだー。

仲介した私が便乗して「えっへん」という気持ちになるくらい、すばらしい講演だった。三橋先生は、ゴールデン街や新宿二丁目のお店で働いてきた時期が長く、新宿に育ててもらったというぐらい深い愛着をお持ちで、夜の事情にも非常に詳しい。

今、一般的にはLGBTの社会受け入れが問題になっているけれど、わざわざ「受け入れる」なんて特別な姿勢をもって構えなくても、新宿という街は、そういう人がそこにいることを自然に包摂してきた。それは世界でもめずらしいことで、誇ってよいという。

ただ、行政がそれをよいことだと捉えていたかどうかは別だ、と。新宿にはこれほどの思い入れがあるのに、今まで新宿区からは一度も講演に呼んでもらったことはないとかなんとか。

近く上梓する予定の本の執筆もあり、新宿の歴史を江戸時代からあらためて詳しく調べなおしている。それが非常に面白かった。江戸時代の、縮尺を無視した手描きの地図があり、角筈や四谷大木戸という地名は聞いたことがあったが、追分は聞き覚えがなかった。

お江戸日本橋から甲州街道を行くと、最初の宿場が高井戸で、16kmもあって遠すぎるので、中間に新しい宿場を作ろうってんで、新宿ができた。高遠藩の内藤氏が作ったので、内藤新宿と呼ばれていたのだとか。

しかし、信州方面には大きな大名がいなかったので、参勤交代であまりお金が落ちず、宿場の経営が苦しくて、H方面の風俗を客集めの手段とせざるを得なかったようだ。

吉原よりもだいぶ遅れて赤線地帯に指定されたが、需要をまかないきれず、周辺に青線地帯もできたとか。今のゴールデン街は当時、青線だったとか。売春は違法だが、赤線地帯においてなら、当局は見て見ぬふりをすることにしていた。ところが、青線地帯においては、見つけたら摘発する。

監視の目を逃れるため、いろいろなお店に擬態していた。お茶漬け屋さんとか。飯盛り女というのがいて、形の上では、お客がたまたま女給と仲良くなり、たまたま上の階に住んでいる女給が部屋に招き入れ、自由恋愛により、個人的にそういう関係になっちゃったのであり、お店は家賃を取っているだけであり、どこにも違法性はないという屁理屈。

そうは言っても、摘発されれば営業停止を食らう。三階というか、ひざ立ちまでが精いっぱいの低い屋根裏部屋があり、ふとんが敷きっぱなしだろうが、そこへ至る階段の登り口に板が打ちつけられてふさがれる。

店の代が変わっていくと、三階の存在なんて、すっかり忘れ去られる。火事になり、天井が抜けて布団が落ちてきたことをもって三階が再発見された事例があるという。もしかすると、ゴールデン街には忘れられた三階が今も残っているかもしれない。

ゲイタウンとして栄えるようになったのは、1950年代あたりが始まりらしい。旧千鳥街が発祥らしいが、どこにあったのか謎。今の明治通りから分岐して新宿御苑に突き当たる、無駄に広い道のあたりらしい。

社会は性的多様性を受け入れるべきだという議論は最近になって盛り上がっているが、性的多様性それ自体は、議論になるずっと前、1960年代から新宿の街に脈々とふつうにあり、隠されてもいなかった。

夜の街としての新宿の歴史地理を詳述した単行本が、10月10日(水)に出る。

 三橋順子(著)
 『新宿 「性なる街」の歴史地理』
 朝日新聞出版(2018/10/10)

●同日、もう一件

9月8日(土)、三橋先生の講演が終了すると、私は都営新宿線と山手線を乗り継いで、高田馬場へと急いだ。飲み会があり、そっちでも人をご紹介する役を申し出ているのだ。私が後から到着するわけにはいかない。ご紹介する立場なのに、私もまだお一方にはお会いしたことがなかった。

しかも、自分が一般の平均レベルに照らしても疎い方面に関するスーパーエキスパートのお二人をお引き合わせするという、身の丈の10倍ぐらいのことをしようとしている。

たとえて言えば、数学専攻のエンジニアが、映像を専門に研究してきた名誉教授と映画誌の編集者・コラムニストとを仲立ちするような話だ(うまいたとえが思い浮かばなかった)。なんか緊張する。

8月19日(日)、ご近所の仲間4人で開いた女子会の面子の一人に映像作家の寺嶋真里さんがいた。ダンナさんが、このところ気分が沈みがちなようなのが気になるという話にたまたまなった。腰痛のせいもあってかあまり外出をしなくなり、人と会うこともめっきりなくなったという。

いやいや、それじゃ気分も沈むでしょう。人と会って話をする機会はもっとあるといいんじゃないかなぁ。寺嶋さんのダンナさんは、映像を専門に研究してきていて、早稲田大学名誉教授である。著書をたくさん出している。岩本憲児先生。

そんじょそこらの人の生半可な知識ではとうてい太刀打ちできず、話をしたってきっと退屈するだけでしょう。誰かいないかな。あ。電球が灯った。十河さんがいるではないか!

十河進氏。玄光社で月刊誌『小型映画』などの編集を手掛けて来られた。デジクリには、立ち上げ時から14年10か月にわたって『映画と夜と音楽と…』という連載タイトル 635本のコラムを寄稿している。それをまとめて『映画がなければ生きていけない』という本にしている。

そのときはいい思いつきと思って寺嶋さんに言ったけど、後になって落ち着いて考えると、本当にいいかどうか自信がなくなってくる。

映画好きなのは共通するったって、観賞の対象として見るのと研究の対象として見るのとでは、きっと大違いだし、悪くすれば映画に向き合う姿勢の否定しあいになりかねない。

それよりも何よりも、十河さんとはお会いしたこともない。デジクリでは同じ金曜日担当だった。十河さんは毎週、私は隔週だったけど。正直言って、十河さんの下には書きづらかった。

十河さんのが終わって私のが始まると、もう、文章がまるで大人と子供なのだ。年齢差が10年あると言ったって、あと10年経ったら私が十河さんの文章を書けるようになるかと言えば、それはぜったいに、ない。

あるとき十河さんは「人は皆、己に似おうた舞を舞いますのじゃ」と映画の台詞を引用され、それがまるで自分に向かって言ってくれたように感じられた。そりゃそうだわいな、と、プレッシャーがすっと抜け、開き直ることができた。おかげで私は以来成長することなく、相も変わらず、人としての尊厳を台無しにして、フザケたことを書いている。

8月24日(金)の夜、おそるおそる十河さんにメールを出すと、翌日の午前中にはいい返信がいただけた。「了解しましたが、私などでよろしいのでしょうか」「ご教授いただきたいという感じです」という、この低姿勢が大人ですね。

お互いに多少畏れの気持ちが現れつつも、いい感じに、映画談議がメールですでに始まり、すいすいと話が進んで、実現の運びとなった。発案した自分をほめてやりたい。と自慢しちゃうところが子供ですね。

当日、5:00pmぎりぎりにお店に到着すると、お二人はまだ来てなくて、ほっとしてトイレに行って、出てきたらお二人が向かい合って着席していて、「あれっ?」となった。間抜けでしたすみません。

いま、手帳をみると、書いた本人にも解読困難な文字がのたくっており、分かるのは、話題が多岐にわたったということぐらいだ。

岩崎昶、宮島義勇、赤川孝一、丸谷才一、萬屋(中村)錦之介、佐藤忠男、寺島進、かわなかのぶひろ、黒澤明、山田洋次、佐々木邦、丸山定夫、菊池寛、渡哲也、加藤泰、溝口健二、香川京子、長谷川一夫、原節子、熊谷久虎。

いちばんびっくりしたこと。十河さんは、よく行くお店として、新宿ゴールデン街にある「深夜プラスワン」のことを何回か書いている。内藤陳さんのお店だ。そのことを言うと、十河さんは、最近は別のお店によく行くという。「汀」というお店で...。えっ? そこ、私もよく行くんですけど。

歌手の渚ようこさんのお店だ。渚さんは映画に詳しくて、お店も映画がテーマだ。壁じゅうにポスターが貼りめぐらされている。私は本宮映画劇場のU子さんがカウンターに立つ日に行っているけど、渚さんにも何回かお会いしたことがある。そんなにお話しできてなくて、軽くごあいさつする程度だったが。

U子さんにキャサリンという源氏名をつけたのは渚さんだ。特に理由もなく、ぱっと浮かんだのだそうである。

その渚さんの訃報をYahoo!のトップページで見て、私はびっくりした。ニュースになったのは9月30日(日)だが、他界されたのは28日(金)のことだという。私が汀に行った翌日ではないか。

https://www.oricon.co.jp/news/2120548/full/


U子さんが9月25日(火)20:32に上げたツイートを、おそらく26日(水)にリツイートしたのが、Twitterでの最後のアクティビティになってる。



11月30日(金)四谷区民ホールでリサイタル開催予定だったのに、さぞかし無念だったことであろう。ご冥福をお祈りいたします。

岩本先生と十河さんの会は第二回を開きたいと思いつつ、サラリーマンが本業の私はこのところ期末期初でばたばたしてご連絡できていない。十河さんも小説の執筆にお忙しそうだ。

http://sogo1951.cocolog-nifty.com/



【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
http://www.growhair-jk.com/


9月22日(土)に成都でイベントがあり、行ってきた。海外に呼ばれるのは6月の成都と重慶以来だが、また成都だ。今回の会場は西のほうにある「国色天郷楽園」という遊園地。花がテーマだということで、かつての向ケ丘遊園を彷彿させる。

昭和テイストな作りで、遊具がみんな古い。平和な乗り物ばっかで、来場者はみんなのんびりくつろいでいる。配色のおかしいガンダム像はすでに撤去された後だった。城は、ディズニーランドのシンデレラ城っぽい。

スケジュールを見ると、私のステージトークの時間が30分も取ってある。さて、何を話そう。会場からしてお客さんの年齢層が低そうなので、分かりやすくて楽しい話がいいよなぁ。この前来たときに乗った中国の新幹線をほめちぎろうかなぁ。

などと、あれこれ考えていたのだが、そろそろかという時間になったら、前のが押したとかで、私のステージはあっさり消滅した。園内を散歩して、物販して終わり。飛行機代や宿泊費を出してもらっているのに、こんなにラクしていいのか、と拍子抜けする思い。

通訳は、今までもよくお世話になった、成都在住の羊羹氏。夕食は、熱くない串串香のお店に連れていってくれた。店内にある串を自分でピックアップして、調理してもらう。

ふつうの串串香だったら、各自の手許に置いてあるタレに相当するやつがボウルにどっぷり入っていて、調理済みの串がどさっと浸かってる。熱いと辛いの両攻撃だと、なかなか早く食べられないけど、これだとさっさと食べられて効率的、と羊羹氏。

今回は一人で行ったので、写真を撮ってくれる人がいないかと思ったら、園内にいる間は遊園地のスタッフのカメラマンがについて回って、重点的に撮ってくれた。全コマ送付してくれた上に、後から一部のコマについて色調整したのも送ってくれた。遊園地らしく、がっつり鮮やかな色合いになってるー。

写真:
https://photos.app.goo.gl/m5YnjgKi88opp74HA

https://photos.app.goo.gl/FGQP2E3rc43UoTis5



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記(10/05)

●ソリッドシチュエーションスリラーとは、固定された状況で展開されるジャンルの映画で、そういうスタイルの話はイヤなんだけど、見てしまった「ザ・タンク」。宇宙飛行士候補生6名が、南極の宇宙船内に見立てた密閉タンクの中で訓練をするという設定だ。長期間この狭い空間に生活していれば、何かトラブるのはあたり前。エイリアンもモンスターも出そうにないから、人間関係だけだろう。

候補生6人とは、地質学者、医学博士のふたりが女性、社会学及び人類学者、元空軍パイロット、元海兵隊員、医用生体工学士の男性4人。訓練期間は471日間。ところが、この訓練は失敗する。始めからそれが明示されている。火星探査訓練プロジェクトの責任者ふたりが、査問委員会で激しく糾弾されている。

この火星探査シミュレーションは、9400万ドルの余剰金を消化しないと没収されてしまうので、慌てて構築した杜撰なプランだ。この訓練で宇宙飛行士候補生から死者も出た。そういう結果が始めのほうで分かってしまうので、どういうプロセスで破綻したのかをたどるストーリーになり、それなりに興味深い。

わざわざ南極にセットされた密閉タンクという設定は、脱出不可能という意味だけであろう。苛酷な訓練、というほどの場面はない。そもそも何の訓練なのだ。地球・火星間の往還がまだ達成されているとは思えない。当然起こるであろう、男達の「女の取り合い」はなかった。有能で素敵な女性であったが……。

重大事件が発生! 社会学・人類学者のチョコレートがなくなった(笑)。これが発端で(ホントかよ)、コンピュータや人間関係にさまざまなトラブルが発生。停電、酸素切れまで20数時間とか、うやむやになるけど。ストレスと酸素不足で発作を起こす奴もいる。黒人とデブが対立関係になり危ない雰囲気。

キャプテンの記録「すべてがバラバラだ。自制心を保てない。冒険する楽しさは消え去り、ぎこちない雰囲気が漂っている。隊員は単独で過ごす時間が増えた」。最後の査問委員会の場面、6人を実験台にして命を弄んだ事実は変わらない、今後は刑事事件として責任者の罪を問う、という宣告で終わる。

訓練の最終日。解散は12時予定。だが、本部からの連絡はない。頭がおかしくなった黒人が手製の銃を構え「連中に騙された。俺たちはもう火星に送られている。タンクから出たら死ぬ」と騒ぎたて、暴発、女性が被弾、責めたてられた彼は自殺してしまう。3日前の本部からの連絡を見る。南極一帯に暴風雨が発生、予定日に迎えに行けない。プランBに移行、救援は最長4週間後……。

暴風でタンクが横転、何度も回転する。電源喪失、暖房停止、それでもなぜか酸素は供給されているらしい。デブの足の傷が悪化し、敗血症を避けるためキャプテンが切断! 生き残った(?)のは二人。次第にギスギスしていく人間関係を描く狙いはいいが、けっこうあっさりしているから拍子抜けである。(柴田)

「ザ・タンク」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B07B64T761/dgcrcom-22/



●十河さんだ!

/以前書いた手回しラジオ。納品予定が来年3月になっていた……。そのうち新製品が出たりして。

/TVアニメ「バキ」のオープニングが変わった。刃牙がシャドーをやっているCGがずーっと流れている。

動きが良くて、プロっぽい。繋いでいるとは思うものの、スタミナもないと難しいから現役ではないか? 体重は軽めの人だろう。誰の動きをキャプチャーしたのだろうと気になってしまい、スタッフロールを食い入るようにして見た。

那須川天心だった。そっか〜、天心か〜。 (hammer.mule)

バキ 最凶死刑囚編 第2クール OP(10月から)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm33910969


ぬるぬる動くようになった地上派バキOP(9月まで)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm33464035


【第2クール オープニング映像に格闘家・那須川天心が参戦!?インタビューも到着ッッ】
https://bakianime.tumblr.com/post/178248681823