映画ザビエル[63]A-Ha?
── カンクロー ──

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◎パターソン

英題:PATERSON
公開年度:2016年
制作国・地域:アメリカ
上映時間:118分
監督:ジム・ジャームッシュ
出演:アダム・ドライバー、ゴルシフテ・ファラハニ、ネリー、永瀬正敏


●だいたいこんな話(作品概要)

アメリカ、ニュージャージー州の街パターソンに暮らす、パターソンという名の男の物語。在来線のバスの運転手で、美しい妻と愛犬と共に規則正しい日々を過ごしている。

パターソンは、街も彼自身も経済的物質的に格別豊かとは言えないが、彼に不満はない。日常の美しさに目を向け、詩を綴る彼の7日間を切りとった作品。第69回カンヌ国際映画祭において、主人公の愛犬マーヴィンを演じたネリーが、パルム・ドッグ賞を受賞。




●わたくし的見解/毎日がBrand New Day

最近、白菜を切る夢をみた。

週末なのをいい事に、明るいうちから白ワインを頂き、ほろ酔いで洗濯ものを片付けてから午睡を貪っていたら、どういう訳だか白菜の夢である。

とくに好物でもないし、実家が白菜農家でもない。村上春樹のように「それは、しるしのようなものだ」とか言ってもいいけれど、正直そんな風には全く思えない。

夢占いや、夢による現在の精神状態の分析みたいなものを持ち出されても、つい私は眉に唾を塗ってしまうような人間なのである。つくづく可愛げがない。

私にとって夢は、得た情報を脳が処理(整理)する時の副産物だと信じている。

記憶の、どのステージに情報を配置するか、寝ている間に脳がせっせと作業している。すぐに取り出さなければいけないような情報は、記憶の浅いステージに。とくに重要ではなかったり緊急性の低い情報は、めったに思い出すことのない、記憶の深ぁーいステージに。


時々あるいは、ほとんどの夢が支離滅裂だったり極端に飛躍した展開になったりするのは、一体いつ得たのかさえ分からないような、些細な情報まで処理していくため、作業段階で複数の情報がザッピングしたようになっているに違いない。

白菜。

少しもそんな事は覚えていないけれど、どうせ私のことだから「涼しくなったし、そろそろ鍋も悪くないかな」とか思ったのだろう。

夢で見た白菜は、今までの人生で私の知る、どの白菜よりも美しかった。ちょうど半分に切ったところから覚えている。虫食いはおろか、しみのようなものも一切なく、繊維はきめ細やかで、切り口はとても瑞々しかった。

雪の下でしばらく保存していたような、ちょっとしたブランド白菜だろうか。こんなに白菜自身のポテンシャルがあるなら、雑多に鍋に放り込むよりも、豚バラ肉を一枚ずつ挟んでミルフィーユ仕立てにするべきではないのか。

とっさに夢だとは気づかなかった私は、半分から四分の一に、さらに切り分けていく間、とてもワクワクしていた。たかだか白菜で。


パターソンという名の街で暮らす、パターソンという名の主人公。彼の人生のうちの、それほどドラマティックでもない7日間を、まるで風景を眺めるように鑑賞する映画である。

パターソンは、運行前のバスの運転席や、滝を背景に臨む鉄橋が見えるお気に入りの場所や、あるいは自宅の地下室兼書斎で毎日熱心に詩をしたためる。

妻や職場の同僚に、創作活動を遮られても意に介さず、そこに苛立ちみたいなものは全くない。かと言って、詩に対するスタンスが冷めている感じでもない。とても純粋に真摯に詩と向き合っていて、その上で完全に生活の一部となっている。

彼には詩を書くことが、好きなコーヒーや煙草で一服するような、いたって日常的なことなのだ。

バスの運転手であることも象徴的で、毎日ほぼ同じ時間に同じルートを走る。決して大きな都市ではないので、乗客も通勤や通学で見慣れた顔ぶれがほとんどだろう。車窓の景色も変わり映えはしない。

しかし、ささやかながら日々、季節は移ろい天気も変わる。耳にする乗客のたわいもない会話も毎日違う。目覚めた時に横にいる妻、悩み多き同僚の愚痴、一日の締めくくりに出かける愛犬との散歩と小さなジョッキのビール。

たとえ大きな変化がなくても、一日たりとも同じ日はないのだ。パターソンはそれらを慈しみ詩に綴る。

暮らしている街や、あるいは自分の人生について、特筆すべきことは何もないと感じるのは、見方が違うだけなのかも知れない。視点を変えれば、パターソンの街や彼のように、本当は何かがあるのかも。

そして、映画としてはあまりにも牧歌的に思えた7日間も、もしかしたらパターソンにとって、人生で最も劇的な一週間だったのではないか、とも思うのだ。

作品の後半で、パターソンと同様に秘密のノートにポエムを書き綴っている女の子が登場する。彼女は、自らの詩を誇らしそうに披露してくれるが、しきりに「でも韻は踏んでいないの」と繰り返す。

そんな彼女にパターソンは「韻を踏めているところもあったし、中間韻もあったよ」と励まし褒めてあげる場面が、とても印象的だった。実は映画全体も、詩のような構造をとっているようだ。

ウィリアム・カーソル・ウィリアムズという現代アメリカの詩人の名が、映画の中で何度か出てくる。パターソンが最も敬愛する詩人なので、妻がわざと名前を間違えて言ったりするのだ。


彼の作品にそれこそ「パターソン」という長編詩がある。当然、この映画の元になっている作品だが、興味深いのは小説からの映画化のように、ストーリーを中心に下敷きにするのではなく、構造を映像作品にしている点だと思う。

さらに重要なのは、映画の中に散りばめられた韻とかリフレインとか擬人化だとかを、全く気にしなくても、十分に楽しめる作品だと言うこと。登場するキャラクターは犬にいたるまでチャーミングだし、実に穏やかな物語なのに退屈させない。

しかも、今までの人生で私の知る、どの映画よりも美しかったと言っても良い。まるで夢で見た白菜のように。ほんの束の間の、とても幸せな午睡のように。


【カンクロー】info@eigaxavier.com

映画ザビエル http://www.eigaxavier.com/


映画については好みが固定化されてきており、こういったコラムを書く者としては年間の鑑賞本数は少ないと思います。その分、だいぶ鼻が利くようになっていて、劇場まで足を運んでハズレにあたることは、まずありません。

時間とお金を費やした以上は、元を取るまで楽しまないと、というケチな思考からくる結果かも知れませんが。

私の文章と比べれば、必ず時間を費やす価値のある映画をご紹介します。読んで下さった方が「映画を楽しむ」時に、ほんの少しでもお役に立てれば嬉しく思います。