まにまにころころ[146]ふんわり中国の古典(論語・その9)孔子先生は怒りっぱなし/川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito

投稿:  著者:  読了時間:12分(本文:約5,500文字)



コロこと川合です。いつの間にかもう10月も下旬。気候も肌寒く、すっかり秋ですねえ……といいつつ、冷房つけてるんですけど今。

この部屋、閉めきってるとどんどん温度上がるんで……送風程度に軽く冷房を。さて今回は少し長めなので、さっそくスタートです。

◎──巻第二「八いつ第三」七

・だいたいの意味
君子は争いなどしない。あるとすれば、祭礼において弓を射るくらいだろう。争いと言っても互いに挨拶を交わしあい、堂に登り降りし、勝者は敗者に酒を与える。その争いの様は君子の姿だ。

◎──巻第二「八いつ第三」七について

君子というものはつまらないことで争ったりはしないと。君子だから争わないのか、争わないからこそ君子なのか、まあ立派な人ってことですよ君子は。

負けた方に酒を飲ませる部分だけは、君子から最も縁遠い現代の連中にどうも引き継がれてるみたいですけどね。君子の杯は相手を称えてのものでしょう。

孔子は、君子とは、という定義をはっきりとは語りません。振る舞いを語り、緩やかに君子の姿を想像させます。仁など徳目についても同様です。

明確に言語化して定義するのが難しい、ということもあるのでしょうけども、意図的に定義づけを避けている感じがします。

仏典を読んでいると、お釈迦様もそういった語り方をしているように思います。○○とは何か、というような話は出てくるのですが、答えは少し遠回りで。

意味の固定化、硬直化を嫌ってのことですかね。厳密に伝えるためには厳密に言葉にするわけにはいかないという、なんとももどかしい二律背反です。





◎──巻第二「八いつ第三」八

・だいたいの意味
子夏が「詩経に『微笑む口元は愛らしく、目元はぱちりと美しく、おしろいで仕上げをする』とあるのはどういうことを言っているのでしょうか」と尋ねた。(「絵を描く場合は、白い胡粉は仕上げでなくて下地ですよね?」と)

孔子先生は「絵の場合は、白が下地で彩色が仕上げだ」とお答えになった。(素地があって、仕上げで完成させるという話であって、白の順番じゃない)

「人で言えば、礼はその仕上げでしょうか」と子夏が言うと、孔子先生は「私を啓発してくれるのは商、君だね。それでこそ君と一緒に詩を語れるね」と答えられた。(商=子夏)

◎──巻第二「八いつ第三」八について

表情の美しさに化粧で仕上げを加えるという詩を絵画に例えた孔子に対して、人で言えば仁などの徳がまずあって、礼の作法がその仕上げにあたるのですか、と子夏は解釈して、「そうきたかー」って思ったんでしょうね、孔子。

前にも出てきた表現ですが、共に詩を語れるというのは、絶賛みたいですね。価値観が同じ、語るに足る相手、ってことでしょうか。先生、大喜びです。

孔子先生、友だち少なそうですもんね……まあ、いっちばん最初に、遠方より来たるって話してましたが。

◎──巻第二「八いつ第三」九

・だいたいの意味
夏王朝の礼制について私は語ることができるが、夏の後裔である杞にはそれを証明する材料が残されていない。殷の礼制についても私は語ることができるが、殷の後裔である宋には、それを証明する材料が残されていない。文献も、伝える賢人も、足りないからである。それらが足りていれば、私もそれを証拠とできるのだが。

◎──巻第二「八いつ第三」九について

孔子先生は前に、為政第二の二十三で、今の礼制が分かっていれば、百代先の礼制も分かるよって言ってましたよね。周の礼制は殷の、殷の礼制は夏の礼制を受け継いでいて、手を加えた形跡が知れるって。

孔子先生は、現在の礼制から類推して、先のことも昔のことも分かるんですよ。でも、それを証明することはできないんですね。証拠そのものは失われていて。

だからどうしたって話ですが、礼について、それを後世に伝える文献や賢人が足りないがために失われていく現状を憂いているのでしょう。

そんなこともあってか、後の『礼記』に連なる礼の書を記したという話もあるのですが、どうも違うらしいです。書いててもおかしくない流れですけどね。もし本当に書いていれば、『論語』と一緒に残ってるでしょうし。というか、論語に「書いてたよ」って話がでてくるでしょう。

◎──巻第二「八いつ第三」十

・だいたいの意味
テイ(「示」を偏にして帝」という漢字)祭は灌の儀式以降は見る気がしない。

◎──巻第二「八いつ第三」十について

テイ祭とは、天子が天帝を祀る祭り。孔子のいた魯国では魯公がテイ祭を行うことが許されていたらしいんですが、そもそもから言えば礼に外れることで、孔子先生はお気に召さない様子。

しかも、どうも全体的に、礼に外れた形式に改編されていたようで、香酒を大地に注ぐ灌の儀式以降は、見るに堪えないと。そういうことらしいです。真意は孔子にしか分かりませんけど。

テイ祭の話は次に続きます。

◎──巻第二「八いつ第三」十一

・だいたいの意味
ある人がテイ祭のいわれを孔子先生に尋ねられた。孔子先生は「知りません。そのいわれを知っている人がいれば、天下のこともそれをここに示すようなものでしょう」と、ご自分の手のひらを指さされた。

◎──巻第二「八いつ第三」十一について

知ってるんですよ、孔子は。知ってて、知らない振りをしたんです。だって、ここで、そもそもテイ祭とは天子が行うものであって、なんて話をするわけにいかないから……というのが定説です。真意は孔子にしか分かりませんけど。

知ってる自分は天下のこともよく分かる、なんてこと孔子は思ってないと思うんですけどね。

◎──巻第二「八いつ第三」十二

・だいたいの意味
祭はその対象がそこにいらっしゃるかのように祭る。神を祭るなら神がそこにいらっしゃるかのように祭るという。孔子先生は、祭に自分が直接携われない時には、祭ることができなかったように感じると言われた。

◎──巻第二「八いつ第三」十二について

祭る際の心構えとその大切さを語っています。自らの手で誠意をもって、祖霊や神々がそこにいらっしゃるかのように祭るのが筋だと。

テイ祭の話の続きだと考えると、魯国のテイ祭には、その誠意が欠けていたんじゃないですかね。だから見るに堪えなかったし、祭事の意味も知らないと答えた。

ものすっごくうがった見方かも知れませんが、孔子先生この時、魯国のテイ祭に携われなかったんじゃないかなと。それが不満なんじゃないかと。

九からこの十二までをひと続きの話として見つつ、孔子先生の思いを想像して、勝手にいやらしく書いてみます。

孔子先生「テイ祭は本来は天子様が執り行う大祭なんだ。魯公にそれが許されていることも引っかかるが、それよりも、なんだそのやり方は。そんなやり方では儀式が台無しじゃないか。この歴史ある大祭はそんなものじゃないんだ。

いにしえからの礼制を知っている私からすれば、まるでなっていない。ああ、古代の礼制を語って聞かせてやりたいが、絶えてしまっているためにそれらを証明することができないのが口惜しい。私にやらせろ、私なら正しくできる。

それなのに手出しができないなんて。は? テイ祭のいわれだ? ああ知ってるさ。でも、そんなことぶちまけたら、何もかも台無しじゃないか。知ってちゃだめなんだよ、もはや。誰も知らないってことにしないと、今行われてる、あれは、いったい何なんだって話じゃないか。知ってるような人がいれば、その人には天下のことも手のひらの上のことのように何でも知ってるんじゃないですかね、とでも言うしかないだろ。

ああ、もう、分かった、しきたりだなんだには目を瞑ろう。ただ、誠意すら感じられないとは。何をお祭りしているのか分かっているのか? お祭りする対象がそこにいらっしゃるかのように、真心を尽くせよ。

ああもどかしい。自分が携われない祭事というのは、だめだ、祭っている気になることもできないじゃないか」

……こんな風に読めたんですが。まあ、真意は孔子にしか分かりませんね。

◎──巻第二「八いつ第三」十三

・だいたいの意味
(衛国の権力者である)王孫賈が孔子先生に「その奥の部屋にいる神に媚びるより、むしろ竈の神に媚びよ」という諺があるがどういう意味でしょうな」と尋ねた。(衛公より自分に媚びろよ、と遠回しに)

孔子先生は「おかしな言葉ですね、間違っているのでしょう。(部屋の神にも竈の神にもいくら媚びたところで)天から罪を受ければ、祈りもなにもありはしないのですから」と答えられた。

◎──巻第二「八いつ第三」十三について

部屋の神も竈(かまど)の神も、天に比べれば小さなもので、それらに媚びて天の道理をわきまえず、天から罪を受けることになれば祈りも無意味だと。

王孫賈(おうそんか)にしてみれば、上手くかわされて「ぐぬぬ」ってところでしょう。孔子はあくまで祭祀の話をしているだけなので怒るわけにもいかず。

ウィットに富んだやりとりで、好きです。

◎──巻第二「八いつ第三」十四

・だいたいの意味
周王朝は(夏王朝と殷王朝の)二代を鑑みて華麗なる文化を築いた。私は周に従おう。

◎──巻第二「八いつ第三」十四について

周の礼制は先の二代を参考にし、そして優れた文化を築き上げたと。孔子は周の礼制を理想としていて、それを称えている一節ですね。

◎──巻第二「八いつ第三」十五

・だいたいの意味

孔子先生は大廟に入った時、ひとつひとつの儀礼について毎々に質問された。ある人が「スウ(緊の右にこざと偏の漢字)人の子(孔子)が礼に詳しいなど誰が言ったんだよ。大廟に入って、ひとつひとつ質問しているではないか」と言った。孔子先生はそれを聞かれて「これが礼というものですよ」と仰った。

◎──巻第二「八いつ第三」十五について

大廟とは、ここでは魯国にある周公を祀った施設のことです。祭祀の補助で、初めて大廟に入った時のことと言われています。

孔子のお父さんがスウの町で役人をしていたことがあったので、スウ人の子は孔子を指しています。馬鹿にしたニュアンスで。

礼に詳しいって話じゃねーのかよ、いちいち全部質問してるじゃん、と言われ、知っているからといっておろそかにせず、ひとつひとつ丁寧に確認をしながら事をすすめていくのが礼における心構えですよと返したわけですね。

知ったかぶりなど論外、知っていても丁寧に丁寧に。それが礼。

◎──巻第二「八いつ第三」十六

・だいたいの意味
「祭礼において弓を射る場合、的を貫くことを主目的としない」とされるのは、(祭事を執り行う者の)能力はみな同じではないからだ。これがいにしえの道である。

◎──巻第二「八いつ第三」十六について

祭礼の射は心が大事で、的を射貫くことが大事なのではないと。弓の技量にはそれぞれ差異があるもので、それと祭礼への誠意は別物だから。そんなふうに、祭礼においては真心を第一に考えるのが、徳によって治められていた古き良き時代の道なんだよと。なお孔子にとっての古き良き時代とは、周の全盛期です。

射貫くことは射貫くことで、目的のうちではあったはずです。だって、今日の最初に出てきた君子、競ってましたもんね。でも、主目的ではない、と。


◎──今回はここまで。

孔子は周を理想としていて、周の話がよくでてきますが、孔子の時代も一応、周はあります。というか、まだ一応は周王朝の時代です。一応、というのは、周は分裂騒動なども経てすっかり求心力を失っていたからです。

孔子の思い描く周は、全盛期の周。周王朝が成立した頃の周で、敬愛するのは建国の功臣として魯を賜った周公旦。周公旦は魯を賜りながらも、周の政務に忙殺される人生で、一度も魯には行っていません。魯の初代は周公旦の代わりに赴任した息子、伯禽(はくきん)です。

周の礼制は周公旦が整えたものです。孔子が魯国に生まれたのも運命ですかね。あるいは魯国に生まれたからこそ、この孔子が出来上がったのかも知れません。

周公旦については話し出すと長くなるので、またそのうちに。封神演義に出てくる彼です。文王こと姫昌(西伯昌)の四男、文王の次男で武王こと姫発の弟の姫旦(周公旦)です。

それではまた次回。


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