ショート・ストーリーのKUNI[237]愛しのよね子さま
── ヤマシタクニコ ──

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ご無沙汰しておりますが、お元気でしょうか。

私は今年52歳になりました。あなたは2歳下ですから50歳のはずですね。きっと今でもさぞかしお美しいのでしょう。

私は大学を出たあとP物産に入社、以後、仕事一筋の生活を送ってきました。あなたにお会いしたのは入社して三年目だったでしょうか。当時のことはよく覚えています。私の心の宝物といえましょう。あなたは今でも私の女神、永遠の恋人です。

私は仕事のかたわら、個人的に研究に没頭しております。何の研究かというと、お天気の研究です。お天気というのは人間にとって、とても大事であることは言うまでもありませんね。テレビでも気象ニュースをしょっちゅうやっていますし、台風が近づいたり豪雨になりそうだというときはほとんど一日中気象ニュースが流れています。

昔から人間はお天気に振り回されてきたわけですから、当然といえば当然のことです。かんかん照りの日が続くと人々は雨乞いをしてきましたし、雨が続くとてるてる坊主を作ってきました。

そして、こんな言い方は問題があるかもしれませんが、嵐とか熱波、寒波といった異変は人々に自然に対する無力感とともに、一体感をもたらすものです。ああ、えらそうなことを書いてしまいましたね。お恥ずかしいことです。

お天気はまた、人間の心に大きな影響を与えるものですね。Y県S市の中央部にある「ごろんご山」をご存じでしょうか。先日、私はある雑誌である小説家が、ごろんご山について書いたエッセイを見つけました。

その小説家は、ごろんご山がどんなにすばらしいところであるかを、実に切々と綴っていました。





ごろんご山はその姿形からしてまことにやさしく、雄大で、包み込むようなあたたかさを感じる。慈愛という言葉がふと浮かんでくる、とも。そしてごろんご山には美しい声で鳴く鳥や、他では見られない愛らしい花をつける植物が幾種類も見られる、それは自分にとって母なる山、というのは大げさでもやさしい伯母のような存在であると。

私はびっくりしました。この小説家はあほかと。ごろんご山はそんな山ではありません。むしろ悪魔のようなというか呪うべき山というか。やさしい伯母。とんでもない。根性悪の、性根の腐った、いけずな近所のおばはんというところではないでしょうか。

私は小学校一年のとき、遠足でごろんご山に行ったことがあるのです。そのときは、朝は曇っていたのが着いたころから雨になり、それもどんどん激しくなりました。

ごろんご山は低いのっぺりした山のような丘のようなぺたんとしたものですが、雨宿りする木陰もなく、ずぶ濡れになりました。しかもその日私はおなかの調子が悪く、なんとか持ちこたえましたがあぶないところでした。

腹痛とぬれた衣服の不快感を耐え忍びつつのろのろ歩いていると、先生にひどく怒られ、まったく踏んだり蹴ったりでした。美しい声で鳴く鳥に出会うどころか、頭上から毛虫が降ってきました。ごろんご山は二度と行きたくない山です。ええ、札束を積まれても、泣いて頼まれても、絶対行きませんとも。


高校では地理の成績がまったくだめでした。入学して間もない頃、その日も雨がびしょびしょと降っていました。私は電車通学をしていたのですが、車内は混雑していてむっとするばかりの湿度。そしてぬれた傘がふれないかと、牽制しあう人々で険悪な様相を呈していました。

私も必死で自分の身を守っていたにもかかわらず、電車がカーブにさしかかって揺れた拍子に、隣に立っていた人の傘がべちゃーっ! とふれ、私は思わず顔をしかめました。すると相手は露骨に、私の数倍もいやそうに顔をしかめたのです。その人がなんと、地理の先生でした。

以後、授業でその先生の顔を見るだけで胃液が煮えくりかえり、河岸段丘も柱状節理も頭に入って来ませんでした。私がいまだに秋田県と山形県の区別ができないのは、あの先生のせいです。そもそも雨の日に先生と出会ったのではなく、先生が雨を降らせたのかもしれません。

会社勤めをするようになり、一年間、山陰のうらさびしい街に赴任させられたことがあります。毎日が「曇り」でした。一年もいると私の心の中にまで灰色の雲が布団綿のように敷き詰められ、窒息しそうでした。

それでも毎年、冬になると美しい雪景色が見られるはずで楽しみにしていたのですが、私がいた年は例外的な暖冬でほとんど雪が降りませんでした。私はその街におちょくられたとしか思えませんでした。

また別のあるとき、私は暑くてしかたありませんでした。春から夏に向かうころでしたが、その日は急に気温が上昇したのです。そういえば、お天気ニュースでそんな予報をしていたかもしれませんが、私は聞き漏らしたようです。

うっかりして、ヒートテックを着たまま外出してしまいました。暑くて暑くてたまりません。インナーの、しかもタイツですから簡単に脱げません。もわもわします。地獄です。

そのとき、歩いているとゴッホ展のポスターが張ってありました。ポスターの中の、耳を切り落としたゴッホと目が合いました。ゴッホは「ふふ、暑いだろうね。この天気でヒートテックは」と私を笑っているようにみえました。私はゴッホを見損ないました。なんといやなやつでしょう。帰宅するやいなや、それまで大事にしていたゴッホの画集を物置に放り込みました。


水族館に入ったときは反対に、夏の終わりで薄着をしていたのに思いの外気温が下がり、しかも館内は真夏並みに冷房が効いていて、寒くて寒くて死にそうでした。イワトビペンギンがアクリル板越しに私を小馬鹿にした目線を送ってきました。

それはないだろう、これは水族館の空調が悪いせいなんだからね! 私は心の声で応戦しましたが、ペンギンは知らん顔でぱたぱたと歩き去って行きました。なんと憎たらしい。イワトビペンギンには人の心というものがないのか! 

以後、イワトビペンギンは私の最も嫌いな動物になりました。あれに比べたら、イボイノシシのほうが数百倍かわいいというものです。

なつかしい友達のM君に出会ったときは風の強い日でした。風の強い日っていやじゃありませんか? 私はいやです。私の髪は太くて硬く、量が多い上にくせ毛でたいへん始末に困るものなのですが、風に吹かれてそれはもう、ほんとに、どうしようもなくなるのです。

なのにM君は「おお、ひさしぶりやな! 元気そうやん! どないしてるん! おれ、また会社変わってん! それがな!」と、びゅーびゅー吹く風の中で立ち話を長々と始めたのです。

私のもさもさ髪は固まりごと右に左に揺れ、あるいは上に引っ張られ、時々毛先が目に入り、話が全然頭に入って来ません。M君はというとまったく平気でぺらぺらしゃべり続けます。それもそのはず、M君はぴたっとしたニット帽をかぶっていたからです。ひきょうなやつです。以後私はM君と会わないことにしました。

お天気はそんなふうに人の心を簡単に変えてしまうのです。残念ながら人間はお天気を完全にコントロールすることができません。私のようなお天気に翻弄され、友達を失い、地理の先生を憎みながら生きていくしかない人間が後を絶たないわけです。


そんなことをまだ残っている数少ない友達であるS君と話していると、S君はやさしく諭すように言いました。

「君は特に、お天気に気分が左右されやすいのかもしれないね」

私はどきっとしました。

「そ、そうだろうか」

「うん。君の自由かもしれないけど、ひょっとしたら損をしているかもしれな
いよ」

「そうかなあ」

「そうだとも。たとえばこれまでに会った人が本当はいい人なのに、お天気の
せいで印象が悪くなっているかもしれないだろ」

「あ、そうか」

「もちろん、その反対もあるだろう。ただし、反対の場合は別に問題ないと思うが……」

私ははっとしました。言われてみれば当然のことなのに、なぜかそれまで思いもしなかったのです。よほど私は余裕のない生活をしていたのでしょう。なんだか一方的に思い込んでいたようです。

私はこれまでの人生をしみじみと振り返ってみました。いやなことがたくさんありました。自分はなぜこんなに恵まれないのだろうと、時に自暴自棄になりかけました。暗い暗い毎日の中でただ、よね子さんの面影だけを心の支えにしてきました。本当に、感謝しています。

そう書きながら気づいたのですが、よね子さんと出会ったのは私のこれまでの人生で一、二を争ういいお天気の日でした。空は青く澄み渡り、街は光に包まれ、吹く風はそよそよとちょうど良い加減で心地よく、暑くもなく寒くもなく、そして私は季節にぴったりのインナーを着用していたと思われます。

街でチラシを配っていたあなたは天使のように輝いており、私は思わず住所とお名前を聞き出したのでした。以来、もう一度会おうと思いながらそれが果たせないまま、文通を続けてまいりました。

ということは……ひょっとして……いえ、そんなことはないと思いますが、いや、まさか。

よね子さま。お願いがあります。一度会っていただけませんでしょうか。いえ、私は疑っているのではありません。決してそんなことはありません。単に確認したいのです。会っていただくだけでいいのです。

できればお天気があまり良いことはなく、さりとて朝から土砂降りというわけでもなく、そこそこのお天気の日に。


【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net

http://midtan.net/

http://koo-yamashita.main.jp/wp/


以前書いたかもしれないが、私は「ふるさと」の歌が苦手だ。なぜなら絶対泣いてしまうから。あの歌を歌い出すなり、年とともに「じいんとくる」から「涙ぐむ」へ、そして最近は「ぼろぼろ泣いてしまう」レベル。

しかもこの歌、イベントの「みなさん、一緒に歌いましょう」というコーナーで使われることがたぶん、最も多い歌(ヤマシタ調べ)。

ちょっと前にあった地元のコンサートでもやっぱり出た。そこで歌うと絶対ぼろぼろ泣いて、一緒に行った人に変な顔されること間違いなしだけど、なんだかみんな素直に歌うようで、私も歌わないわけにいかない雰囲気。

そこで、全然関係ないことを考えて気をそらすことにした。たとえば「今度ニトリに行ったら20センチのフライパン買おうーっと」「台所のゴミ箱にぴったりの袋は何リットルだっけ~」とか、もうロマンのかけらもない所帯じみたことを。

結果、効果てきめんで全然泣かなかった。同じように悩んでいる人、おすすめですよ! って、いるんかい、そんな人!