まにまにころころ[148]ふんわり中国の古典(論語・その11)孔子先生は許しません/川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito

投稿:  著者:  読了時間:10分(本文:約4,800文字)



コロこと川合です。忘年会の予定や相談がどんどん入ってきます。どうやら、そろそろ今年も終わってしまうみたいです。はやすぎます。困ります。もう。

光陰矢の如しとはよく言ったもので……と思ったところで、「光陰矢の如し」の出典が気になってググってみたんですが、検索のプロが辿り着けていないのを見つけたので諦めました。

・レファレンス協同データベース「レファレンス事例詳細」より
https://goo.gl/Ar6oVG

このサイト、図書館のレファレンス事例を集めたもので、「調べ物のプロ」のすごさを垣間見られるサイトです。非常に面白いので、覗いてみてください。

このサイトやら、Wikipediaやら、眺めているとどんどん時間が過ぎていきます。光陰矢の如しとはよく言ったもので……

ところで「矢の如し」は速いことの喩えでいいとして、「光陰」ってなんだよ、光と影がどう関係するんだよと思うかも知れませんが、光=日、陰=月、で、光陰は日月、つまり月日、歳月、時間のことです。

さて、このままでは時間だけがどんどん過ぎていくので、本編に進みましょう。




◎──巻第二「八いつ第三」二十

・だいたいの意味
「関雎」の詩は、楽しげであっても度を過ぎることなく、悲しげであっても傷つけず。

◎──巻第二「八いつ第三」二十について

「関雎(かんしょ)」とは『詩経』にでてくる詩です。

関関雎鳩(かんかんしょきゅう)というフレーズの略で、関関は鳥の和らいだ鳴き声、雎鳩はミサゴという鳥で、理想的な夫婦のたとえとされるらしいです。

関関雎鳩 在河之洲(睦まじく鳴き合うミサゴが河の州にいるよ)

という句で始まる詩で、この後、ミサゴみたいにいい配偶者を求めて云々って話になるんですが、それは置いといて。孔子先生はこの詩を、バランス感覚が良くていいね、と評価しています。

一説には、詩のないようではなくて、歌にした時のメロディのことではないかとも言われていますが、そんなこと言われても当時のメロディなんて知りようもないですし、この際どっちでもいい話ですのでスルーします。

いずれにしても孔子先生は「節度」というものを大切にされたのではないかと。詩の内容で言えば、現代の歌でも、刺激的な言葉やらストーリーで煽ってくるタイプのものってありますよね。確かにドキッとさせられたり泣かされたりと、ある意味「感動」させられるんですが、品がないというか芸がないというか。

孔子先生はそういう詩は好まれなかったんでしょう。孔子先生はたぶん、沢田知可子の『会いたい』とか大嫌いなんじゃないですかね。

恋人が亡くなった、あるいは恋人と別れた悲しさを歌った歌はよくありますが、「あなた(中略)死んでしまったの」って。なんてド直球な。そりゃあ分かりやすいし、悲しいけど、もうちょっと表現のしようがあるだろうと。

すみません、孔子先生にかこつけて思いっきり私個人の感想なんですが。(笑)

同じくらい古い歌で、こちらは死別ではないですが別れた悲しみを歌ったものでは、プリンセスプリンセスの『M』のほうが上手ですよね。

上手と下手の混在したものでは、童謡の『大きな古時計』。一番だけでいい。二番以降だんだん説明が追加されて、「てんごくへのぼるおじいさん」とか。そんな説明いらなかったのに。おじいさんが生まれた朝に買ってきた時計が、今はもう動かない、だけで十分だったのに。あとは勝手に色々想像したのに。

直接的な表現はちょっと。あと、表現というかストーリーでは、大した意味もなく悲しませたり怒らせたりするのはちょっと。美しくない。

歌だけでなく映画なんかでもありますよね。ここでヒロインを死なせておけばみんな悲しいだろ? 泣くだろ? ほうら、泣かせてあげるよ、みたいなの。

もうまんまと引っかかって泣くんですけど、そこ、死なせる意味あったの? ってな、泣かせるためだけに死なせるようなストーリー、モヤモヤします。

恋人でも友だちでもいいんですが、エピソードを重ねて重ねて感情移入させて、ポンと殺してしまえば、そりゃあ悲しいし泣けるけど、そこにあざとさが感じられると、ちょっと引いてしまいますね。泣きながら作者を軽蔑する。(笑)

……どんどん脱線してしまうので、この辺で。

意味なく受け手を刺激したり、傷つけたりする表現をしない「関雎」の詩はいい、という話でした。


◎──巻第二「八いつ第三」二十一

・だいたいの意味
哀公が(土地神の)社について、(孔子の門人である)宰我に尋ねられ、宰我が答えて言うには「夏后氏は松を使い、殷人は柏を使い、周人は栗を使います」「周が栗(リツ)を使うのは、民衆を戦慄(センリツ)させるためでしょう」と。これをお聞きになられた孔子先生は「成ってしまった事は言うまい、してしまったことは諫めまい、過ぎてしまったことは咎めまい」と。

◎──巻第二「八いつ第三」二十一について

宰我(さいが)のダジャレを非難している話……ではなく。いや、なくもない。社に植える木の話で、余計なことを言った宰我を、諫めまいといいつつ諫める孔子先生です。諸説あるようですけど。

戦慄のくだりは哀公が言ったことで、孔子は宰我に「そのことについて哀公に余計なツッコミはいれなくていいからな」と諭したとする説もあります。

いずれにしても、不確かなことや根も葉もないことを言って、いたずらに人を刺激するようなまねはやめなさい、という話です。

いますよね、余計なことを言う人って。……よくやらかすので気をつけます。


◎──巻第二「八いつ第三」二十二

・だいたいの意味
孔子先生が「管仲は器が小さいね」と仰った。それを聞いたある人が「管仲はケチだったのですか」と。「管仲は三つの邸宅をもっていて、その管理も兼任させずにそれぞれに人を置いていた。どうしてケチと言えようか」と孔子先生がお答えになると、その人は「では管仲は礼を知る人だったのでしょうか」と。

孔子先生は「諸侯は樹の塀で門を覆うものだが、管仲もそうしていた。諸侯は宴席で杯を置く台を用意させるが、管仲もそうしていた。管仲が礼を知る人というなら、礼を知らない人などいないだろう」

◎──巻第二「八いつ第三」二十二について

管仲、でてきましたね。偉人なのですが、孔子先生は批判的です。器が小さいと評されたのを聞いて「管仲はケチだったんですか?」と尋ねた人に、あんな贅沢をしているんだからケチではないね、と。

「じゃあ礼を知っていた?」と尋ねると、身分をわきまえず諸侯と同じような振る舞いをしている管仲が礼を知る人なら、この世に礼を知らない人なんていないだろう、と。

礼の専門家である孔子先生はこういうところ厳しいです。

以前にもありましたが、「礼」には身分に応じた作法というものがあり、低い身分の者が権勢にまかせて上位のものであるように振る舞うことを、孔子先生はとても嫌います。例え相手が偉人とされる管仲であっても。ぶれない。

態度がどうのって話ではなくて、礼儀作法として古式に従っていない、というところを非難するので「管仲ならそれくらいアリだろう」なんていう特例は、孔子先生は認めません。王侯が許しても、孔子先生は許しません。ダメです。ならぬものはならぬのです。


◎──巻第二「八いつ第三」二十三

・だいたいの意味
孔子先生が魯の宮廷楽士長長に語られた。「音楽は分かりやすいですね。はじめはぴたりと揃って打ち鳴らし、そして調和し、響き合い、続いていく。こうしてできあがっていく」と。

◎──巻第二「八いつ第三」二十三について

なんとでも解釈できそうな話です。純粋に音楽の話かもしれませんし、政治はなかなかこうはいかない、という話かもしれませんし。

参考に、下村湖人『現代訳論語』からこの部分を引用します。

『およそ音楽の世界は一如の世界だ。そこにはいささかの対立もない。先ず一人一人の楽手の心と手と楽器が一如になり、楽手と楽手とが一如になり、更に楽手と聴衆とが一如になって、翕如として一つの機をねらう。これが未発の音楽だ。この翕如たる一如の世界が、機熟しておのずから振動をはじめると、純如として濁りのない音波が人々の耳を打つ。その音はただ一つである。ただ一つではあるが、その中には金音もあり、石音もあり、それぞれに独自の音色を保って、決しておたがいに殺しあうことがない。キョウ※(「激」の「さんずい」に代えて「白」)如として独自を守りつつ、しかもただ一つの音の流れに没入するのだ。こうして時がたつにつれ、高低、強弱、緩急、さまざまの変化を見せるのであるが、その間、厘毫のすきもなく、繹如としてつづいて行く。
そこに時間的な一如の世界があり、永遠と一瞬との一致が見出される。まことの音楽というものは、こうして始まり、こうして終るものだ。』


◎──巻第二「八いつ第三」二十四

・だいたいの意味
儀の関所役人が孔子先生への面会を求めた。「ここに君子が来られた時には、私はいつもお目にかかることを願い、叶わなかったことがないのです」と。

従者が面会させると、退出してきたその役人は「みなさん、いま、孔子先生が放浪されていることを憂う必要はありません。天下の道が失われて久しいですが、天はきっと孔子先生を木鐸として人を導く人となさるでしょう」と言った。

◎──巻第二「八いつ第三」二十四について

木鐸というのは指導者が人の注意を引きつける時に鳴らす鐘で、指導者を指すたとえです。振って鳴らすベルの、中の振り子が木製のものだそうです。

なんか唐突に予言者めいた不思議な人がでてきました。なんなんでしょうね。旅路で遭遇した単なるひとつのエピソードでしょうか。実際にあったことだとすれば、門人にとっては印象深い出来事だったことでしょう。

我々にとっては、「ふーん」くらいの感想しかありませんけども。(笑)


◎──巻第二「八いつ第三」二十五

・だいたいの意味
孔子先生が瞬帝の音楽を評して仰った。「美しさを尽くし、また善を尽くしている」と。そして周の武王の音楽を評しては「美を尽くしているが、善を尽くされてはいない」と仰った。

◎──巻第二「八いつ第三」二十五について

ふーん……としか。(笑)

美とは外面的な美しさ、善とは内面的な美しさのことです。

瞬帝は禅譲によって帝位に就き、武王は殷の紂王を倒し帝位に就いたことから、その差を音楽の評価として表したのだろうという説もあります。


◎──巻第二「八いつ第三」二十六

・だいたいの意味人の上にいて寛容でなく、礼を行っていても敬意に欠け、喪にのぞんで悲しみを表さないというのでは、私は(そのような者の)どこを見て(何を思えば)いいのか分からない。

◎──巻第二「八いつ第三」二十六について

これだけでは分かりませんが、きっと具体的にそういう輩が当時いて、それを批判して仰ったんでしょう。下に対してはきつく当たるわ、礼儀は形だけだわ、葬式に出ても悲しそうでないわ、と、そんな奴がいたんでしょうね。

『論語』を編纂した孔子の門人も、もうちょっとエピソードを補ってくれればいいのに、という箇所がいっぱいありますよね。後からここだけ読んだ人には、何のことか今ひとつ分からないという。編纂した人にも分からなかったのかもしれないですけどね。分からないけど、削るのも惜しいし載せちゃえ、と。


◎──今回はここまで。

今回でこの篇は終わりまして、次回からは「里仁第四」という篇に入ります。「仁」の話がいっぱいでてきます。

『論語』は全部で二十篇なので、篇単位で言えば「里仁」で五分の一に。篇によって長短あるので、正確には計ってないですけど、だいたいそれくらいです。全部で約五百章あって、今回で六十六まできているので。

まだ先は長く、脱落した人も多い気がしますが、どうぞお付き合いください。


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