ショート・ストーリーのKUNI[238]【番外編】お米の重さ/ヤマシタクニコ

投稿:  著者:  読了時間:10分(本文:約4,800文字)



諸般の事情から今回はまた、小説ではなく、雑文というかいわゆる近況報告的なもの。

最近、メルカリを始めた。主に夫の遺品の本を売るため。大切にしていたことを知っている本はさすがに簡単に処分できない。さりとて私には理解できないし、価値の分からないものばかり。興味を持ってくれる人の手にわたるならこんなにうれしいことはない。ただでもかまわないのだ。と言いながらそこそこの値段をつけているけど。

おそるおそる始めたら、けっこう売れて、うれしいが割と大変である。少し前にまつむらさんがヤフオクでの経験について書いておられたが、やはり梱包に悩む。ぴったりの段ボールや封筒がなかなかない。




詰め物したり箱を作り替えたり(適当に切り込んだりして)してなんとかやっているが、大きさを何段階かで変えられる段ボール箱(になる段ボール)を作って安く売ってくれたらなと思う。この線で折ったらこの大きさになるけど、この線ならこうなる……と示してあるような。あるのかな、すでに。

そういうわけで、先日も、売れると思ってなかった本が売れて、梱包してコンビニまで抱きかかえて行った。広辞苑くらいの重さのごっつい本なのだ。帰りは買い物に寄って、その前にポケGOをして、「おっ」と思うものがあれば写真も撮って、などと思うのでリュックには普段通りのもろもろの装備が。

それを肩にかけ(私はリュックをいつも右肩にかける)たぶん2.5kgくらいあった本を抱えて歩くとかなりきつい。ひと足ごとに地面に体がめりこむ感じだ。

というと、何をおおげさなと思われるかもしれないが、朝目覚めたら、どうやって布団から起き上がればいいのかわからないくらい、どうにもこうにも体が動かないような腰痛を経験すればおのずと慎重になるのである。

年をとって出てきた腰痛は基本、治らない。できるのは「用心」することだけだ。またあんなふうになったらと思う「恐怖」もある。だから、まあ花瓶に、もとい過敏になっているのだとは思うが。花瓶になって花を生けられたりするよりはましではないか。

ミリ単位の正確さとか分刻みの忙しさとか言うが、それを言うなら私は「グラム単位で生きている女」なのである。

私の愛用のカメラはLumixのGM1というミラーレス機で、本体の重さ204g、標準レンズ(12~32mm、70g)をつけてもそこらのコンデジより軽い。

ただし最近は高倍率ズームを使うことが多く、これがなんと265g。一挙に重くなる。でも、本体が重いカメラだと当然もっと重くなるわけで、本体が軽いからちょっと重いレンズも使えるわけだ。と自分を納得させる。バッテリーが29g、替えをいつも2つ入れてるので合計三つで87g。

モバイルバッテリーを最近購入してリュックに入れているが、いちばん軽いのを探してネットで購入。でも124g。iPhoneはまだ「6」を使っているので129g。

財布が重くていやなので、最近は無印良品のトラベル用ウォレットを愛用。40gだ。布製なので、本当に軽い。硬貨もできるだけためないようにしている。10円玉が1枚4.5g、100円玉が1枚4.8gだからばかにならない。リュックもなるべく軽いものを選んだつもりだが、300~400gはあるだろう。

一方、玉ねぎが1個平均150~200g。キャベツ半玉は500gくらいある。帰りに野菜や調味料を買わなければならないときは、モバイルバッテリーやカメラをリュックに入れるのはあきらめなければならない。

この間出た新しいMacBook Airは1.35kgだった旧型より軽くなったが1.25kg。MacBookは0.92kgだけど、MacBook Pro13インチは1.37kg。

いま私が使ってる2012年製のMacBook Proは2.56kgだからだいぶ軽くなったけど、もう少し軽くならないものか。MacBook ProがMacBook並に軽くなれば、私でもパソコン持ってカフェで優雅にモバイル生活できるのに。

カフェで何をしたいのだと聞かれても困るけど。いや、することがないことはないんだよ。言うとくけど。

とにかくカメラやノートパソコンの新製品が出る度に目が行くのは「重さ」だ。性能はどうでもいい……ことはないけどね、もちろん。

そんな私だが、ちょっと前に郵便局でお米をもらった。

郵便局に行ったのは貯金が満期になったとか、そういう手続のためである。郵便局では時々キャンペーンをやっていて、何か景品をくれるが、はっきり言ってあんまりほしくなるような景品がない。どんな人が企画しているんだろうと首をかしげたくなるラインナップである。

そのときも「この中からどれか」とチラシを示しながら言われて、ざっと見ると、やはりろくなものがないようだ(読者で郵便局にお勤めの方がいたらすいません)。

うーん困ったな……と思いつつ、ラップの画像が見えたので「あ、これで」とさっさと決めた。すると係の人は「ラップですね。ちょっとお待ちください」と言って奥のほうに姿を消し、しばらくして現れると「ラップが切れてまして……お米はどうですか」と言う。

「お米? ああ、お米でいいです」

袋入りのコシヒカリ1kgだという。ラップよりずっといいじゃないか。すると担当の人はまた奥に入っていき、お米の袋を持って現れた。間違いなくコシヒカリ。ちらっと精米の日付が見えたが、別に古いものでもない。思いがけずお米をもらって喜んでいると

「もう一袋いかがですか」と言う。
「え? もう1キロ?」
「ええ、ちょっと重いですが」

かなり悩んだ。10秒くらい。ラップ1本がコシヒカリ2kgになるって、なんか変じゃないか。裏があるのでは。まるで舌切り雀に出てくるおばあさんみたいに、試されてる気がする……するけど、もらうことにした。単に余ってたんだろうか。なんで……?

係の人はまた奥に入っていき、同じようにお米の袋を持って現れた。私は2kg
のお米を持って郵便局を後にした。

歩き出すなり私は後悔した。その日もカメラやiPhone、モバイルバッテリ等普段通りの装備。いや、最近、一眼用の「宙玉レンズ」一式を購入したので、それと、でも普通に撮りたいものが出てくる恐れがあるので、高倍率ズームも入れていた。

ついでにいうと、硬貨も10枚以上入っていたと思う。そこへお米。案の定、ひと足ごとにずん、ずんとめり込む感覚がやってくる。

やはり試されていたのか。やっぱり私は大きなつづらを選んでしまう、舌切り雀のおばあさんなのか。自分の強欲ぶりを思い知れというのか。

ふだんから重さに敏感になっているくせに、2kgのお米を受け取ってしまう。これは何だろう。お米だけは別というのか。数ある食品の中でも、一粒でも捨てたら「目がつぶれる」と言われるちょー特別な食品、お米。

私もさすがこの国に長いこと生きてきて、その教えがしみこんでいるとでもいうのか。

話がそれるが、私の父親もお米、というかご飯は特別扱いしていてご飯粒ひとつでも粗末にすると罰があたると言ってたが、自分の気に入らないおかずは思い切り粗末にした。魚の食べ方が下手で骨に身がいっぱい残っていた。お米はとにかく特別なのだ。

とりあえず郵便局の帰りにあちこち寄るというプランはあきらめ、直帰することにする。家までそんなに遠くない。がんばれ私。あたりはもう夕暮れの色をしている。秋はなんて暮れるのが早いのだ。

また話がそれるが、何かのハリウッド映画で、だれだったか女優さんが研究者っぽい職業で(←ほとんど何も覚えてないじゃないか)資料をキャリーに入れて通うシーンがあった。ショルダーバッグとかリュックではなく。

私は「ああ、そうか。荷物が重くなればキャリーに入れたらいいんだ」と大いに納得した。日本では旅行でもないのにキャリーを引いてたら年寄りと思われるだけだが、ハリウッドのかっこいい女優さんがやると、それはかっこよく見えるのである。

私がやるとかっこよく見えないだろうか。見えるはずない。しかし、あの映画は何だったのだろう。

ああそういえば。私はまた思い出した。

昔、職場の昼休みにお米の話が出たことがあったのだ。だれかが「若いころは10kgのお米を持てたけどもう無理」というと、そうそう、という声が続いた。ほとんど女、というよりおばさんばかりの職場だ。

さらにだれかが言った。
「10kgのお米は持てないけど、10kg以上ある子どもは抱っこできるのが不思議なの」
「お米も抱っこしたらいいんじゃないの?」
「いや、抱っこしても重いよ」
「お米の袋のかたちを人のかたちにすればいいのでは……。抱っこしやすいように」

ええっ? とだれかが言って、笑いが起こった。
「いっしょじゃないですかねー」
「重さは変わらないもんね……」

人のかたちのお米。そのとき、私の頭に浮かんだのはお猿さんのお人形、いわゆる「さるぼぼ」のかたちだ。

私は子どものころに祖母から、「お猿さんのお人形」の作り方を教えてもらった。たまたま赤い端切れがあったのだと思う。布を真四角に切り、四隅から縫い込んでいくとそれだけで胴体に手と足がついた形になる。

この手足の先っぽをぎゅっとまとめて縫い付けると、お猿が背を丸めたようになる。頭は別に作り、この胴体に縫い付ける。

祖母が教えてくれたのは、針金の芯を入れた長いしっぽもつけるもので、こうしておくとしっぽをひっかけて連結したり、どこかにぶら下げることもできるのだ。そんな作り方がむかし流行ったことがあるものなのか、祖母のオリジナルなのかは知らない。

成人して、あのかたちの基本は全国各地でみられる「さるぼぼ」といわれるものだということを知った。

どこかの資料館で見たさるぼぼは、頭もなく、白い布で作られたものだったが、人間の子どもくらいの大きなものだった。

縫い目がところどころほつけて中から綿がのぞき、かなり不気味なものだったが、それがこっちに向かって手足を広げ(もちろん、祖母の人形のように手足の先がひとつにまとめられたりしていない)、抱きつこうとでもするように見えてぞっとした。その記憶が脳裏にあったせいかもしれない。

さるぼぼのかたちの米袋なら子どもを抱っこするように楽に運べるだろうか? 袋をかかえようとすると腕の部分が自然にこちらの肩にきて……介護の現場でも、相手に抱きつかせるようにしている様子を見たことあるような。

私は思わず自分の肩にかかる、ぼってりと重い腕を想像した。肩に、お米のつぶつぶの感触がわかる。私の耳元でささやく声がする。

──コウスルト ラクデショ

いやいや、それはない、ない! 変な想像はやめよう。だが、さっきからだいぶ歩いているのになかなか家に着かない。おかしいなあ。すっかりあたりは暗くなっているというのに。

ふと見ると、私は両腕にお米ではなくひとりずつ、とても重い子どもをかかえている。私はあわてて手を離した。だが、子どもは離れない。小さな手で私にしがみついているからだ。お米のようなつぶつぶの触感を伝えるその手。そして、私の体は文字通りひと足ごとに沈み込み……。


【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net

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「やあ、○○○(私のアカウント)また会えてうれしいよ!」と呼びかけ、「改めて感謝したいんだが、きみがいないと研究が思うように進まなくてね。助かっているよ」とおだて、「さて、またきみに手伝ってもらいたい調査があるんだ」と言ってひとに仕事をさせるウイロー博士に最近すっかりのせられているような気がする(ポケGOの話です)。

博士は(童顔の)中年男性の風貌だが、私よりは年下だろう。その割にはよくわかっているじゃないか。やっぱり人をその気にさせるのは「まずちゃんと名前で呼ぶ」「仕事の内容や目的をわかりやすく説明する」そして、完了したらどーんと「ごほうび」。これが大切ですよね、みなさん?