ゆずみそ単語帳[25]コミュニティを変えるアメリカのお金持ちのお話/TOMOZO

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アメリカは、実のところ想像を絶する階級社会である。この国にはとほうもないお金持ちがいて、庶民が知ることのない世界に住んでいる。

もちろん封建時代とは違って、どんな身分の人にも均等にチャンスが与えられていることになってはいるけれども、実際には派手な下剋上はそれほど多くない。企業の役員報酬はこの数十年で桁違いに急騰したし、おカネは既得権を守るためにせっせと働くから壁はどんどん高くなる。

ゴシップ欄に漏れてくる現代の貴族階級の話は、おとぎ話のようである。ビル・ゲイツと故スティーブ・ジョブズの娘たちは、どちらも馬術をしているそうだけど、練習用にそれぞれ40億円を超える牧場を、親がぽんと買い与えたらしい。そんな話はべつに珍しくもないみたいだ。

門に守られた長い長い私道の奥、高い壁や生け垣のうしろで、またはまるまる買い占めた島の上で、庶民の知ることのない貴族たちの社会が、庶民の知ることのない活動を日々おこなっている。

その一方で、とんでもなくお金持ちの個人が、庶民のコミュニティにとんでもなく大きな影響を与えていることもある。

最近旅行したテキサス州のヒューストン、そして今住んでいるシアトルで、そんなとほうもないお金持ちによるコミュニティへの貢献を目の当たりにして、あらためてびっくりしたので、その実例をふたつご紹介したい。




◎ヒューストンの「メディチ家」

たまたま仕事で行ったヒューストン。一日自由時間があったので美術館を検索してみると、ヒューストン美術館のほかに、「ザ・メニル・コレクション」という私設のモダンアート美術館があることがわかった。なかなか素敵そうな美術館だと思い行ってみると、その規模にびっくり。

https://www.menil.org/

閑静な住宅街のなかに建つ本館は、ポンピドー・センターも設計した超有名建築家、レンゾ・ピアノの設計によるオシャレな建物。中にはシュールレアリズム、アフリカや太平洋地域のアート、現代美術など、かなり充実した個性的な美術コレクションがとても趣味よく展示されている。

少し離れたところには、ダン・フレイヴィンとサイ・トゥオンブリーという二人の現代アーティストの作品の展示のためだけに、それぞれ独立した建物が恒久的に用意されている。そして入場はすべて無料。

この美術館は、第二次大戦中にナチスを逃れてフランスからアメリカに移住、帰化したデ・メニル夫妻のコレクションをベースにしたもの。デ・メニル氏はテキサスで油田探査企業シュルンベルジェの重役をつとめた人で、夫人は同社創業者の娘。

夫妻は1940年代以降、マックス・エルンスト、ジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグ、ルネ・マグリット、アンディ・ウォホールなどと親しくつきあっていたという。

1986年、この美術館がオープンした当時のニューヨーク・タイムズの記事は、デ・メニル家のことを「モダンアート界のメディチ家」と呼んでいる。

https://www.nytimes.com/1986/05/18/magazine/the-de-menil-family-the-medici-of-modern-art.html

1940年代にヒューストンに引っ越してからというもの、デ・メニル氏はヒューストン美術館の理事としても活躍、地元のカトリック系大学、次いでライス大学の美術学部にもスタッフを投入したりして、おカネも口も出す多大な貢献をした。(デ・メニル氏はニューヨークの近代美術館の理事も務めていた)

同記事の中でヒューストン美術館の当時の館長は、夫妻は「知の真空地帯にやって来た知識人だった」と語っている。ヒューストンの上流社会の人にしてみたら、真空とはなんだ! と大いに異論もあるだろうけど、実際、夫妻がヒューストンに持ち込んだカルチャーは、なにもかもが型破りだった。

夫妻が建てた自宅は建築家フィリップ・ジョンソンの設計で、ガラス張りのすっきりとミニマルでモダンな建物。テキサスの邸宅といえばホワイトハウスのミニ版みたいな、玄関前に白い円柱をいくつも並べたクラシックなスタイルがふつうだった中で、恐ろしく異彩をはなっていたという。

メニル夫妻がサポートしたのはアートだけではなく、政治や宗教、人権活動にも及んだ。

美術館よりも前に夫妻の出資で作られた「ロスコ・チャペル」は、抽象画家マーク・ロスコの絵をぐるりと飾った小さな八角形の建物で、カトリックのチャペルを下敷きにして設計されているものの、特定の宗教や宗派には属さない、抽象的な祈りの場として一般に公開されている。

http://www.rothkochapel.org/
http://livinginnw.blogspot.com/2018/11/blog-post_6.html

このチャペルにはダライ・ラマ、ツツ司教、ネルソン・マンデラなども来訪したことがあり、二年に一度、世界中の「勇気と誠実さを示した卓越した人々」に賞を贈っている。過去の受賞者は、グアテマラの内戦で夫を殺された未亡人の団体CONAVIGUA、アルジェリアの人権活動家、コンゴの児童兵士のリハビリに努めている医師、など。

チャペルの前にはバーネット・ニューマンの彫刻作品「ブロークン・オベリスク」がある。1969年、ヒューストン市が現代彫刻を購入しようとしていたときに、目利きのデ・メニル氏がこの作品を選び、市庁舎の前に設置することと、当時暗殺されて間もなかったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアにこの作品を捧げることを条件に、購入資金を半分提供することを申し出た。

しかし、ヒューストン市は作品をキング牧師に捧げることを拒否。そこでデ・メニル氏はオファーを取り下げて、自己資金のみで作品を買い取り、建設途中だったチャペルの前に設置したという。

このときのヒューストン市のネガティブな態度がデ・メニル氏に火をつけて、1973年の市長選挙ではリベラルな政治家に相当の後押しをして当選させた。この市長は、「僕らがヒューストン市の政治構造をすっかり変えたんだ」と述懐している。

激動の20世紀後半に、保守的な南部の都市に異質な文化の種をまいた、ヨーロッパ発のお金持ち夫妻だった。


◎シアトルの「ルネッサンス人」

今年10月に亡くなったポール・アレン氏も、コミュニティを変えた大金持ちの一人。日本ではあまり知名度がないかもしれない。ビル・ゲイツ氏の幼なじみでマイクロソフト共同創業者であり、マイクロソフト社は80年代はじめに去ったが大株主であり続け、『フォーブス』誌のお金持ちランキングにもいつも上位に入っていた。(2018年のお金持ちアメリカ人ランキングでは21位)。

アレン氏が亡くなった翌日の地元紙「シアトル・タイムズ」には、一面にもスポーツ面にも、紙面の半分以上を割いて彼の大きな写真が掲載されていた。

一面の見出しは「街の経済と文化を形作ったルネッサンス人」。

そしてこれは、決して大げさな形容ではない。シアトルでは、街を歩けばアレンに当たるというくらい、彼の残したものがあっちこっちにあって、本当にカルチャーの底を支えている。

たとえばその一つ、スペースニードルのそばにある、SFと音楽のミュージアム「ミュージアム・オブ・ポップカルチャー」は、建築家フランク・ゲーリー設計のうねうねした海の生物のような建物で、2000年のオープン時からシアトルの新ランドマークになっている。

その近所の映画館「シネラマ」もアレン氏の持ちもので、ロビーに『スタートレック』などSF映画のコスチュームが飾られているという、オタク魂が炸裂する個性的なシアター。60年代風のレトロな外観を残したまま改築して、最新音響システムを導入した珍しい映画館だ。

2017年からは地元にフォーカスした音楽フェス「アップストリーム・ミュージック・フェス+サミット」を開催、3万人以上を集客して地元の若いミュージシャンたちに交流の機会と刺激を与えている。

アレン氏もデ・メニル夫妻ほどの規模ではないがアートコレクターであり、少し前にシアトル美術館で自分のコレクションを公開したこともある。2014年から開催されているシアトルのアートフェアも、彼のアイデアと出資によるもの。

シアトルのダウンタウンの中でも南端にあたる、サウス・レイク・ユニオン地区は、現在、アマゾンのキャンパスが建設されて恐ろしい勢いで開発中だが、数年前まではサラ地や駐車場が目立つ冴えない地区だった。

20世紀後半、開発が何度も頓挫したこの地区に、ニューヨークのセントラルパークのような公園を作ろうという案が持ち上がり、そのために90年代にアレン氏が約4.6ヘクタールの土地を確保した。が、結局住民投票で否決されて公園のプランは実現しなかった。

21世紀になって、アレン氏の所有する不動産開発会社ヴァルカンが、アマゾンのメインキャンパスはじめ一帯の開発を開始。ほんの数年のあいだに、アマゾンだけでなくグーグルやフェイスブックや各種研究機関が軒を連ねる、キラキラなハイテクオフィス街に激変して、若くて高収入のエンジニアたちがどっと流入している。

インディーズやヒップホップのDJをたくさん抱える公共ラジオ放送局KEXPは、そんなキラキラした一画のはずれにある。この局にもアレン氏は何百万ドルも寄付をしたうえ、新しいスタジオ施設をむこう10年の間一年につき1ドルという破格の家賃で貸し出した。

そのおかげでこの局のスタジオは今、誰でも出入りでき、公開収録を聴いたり併設のカフェでコーヒーを飲んだりできる、素敵な公共スペースになっている。

でも、シアトルだけでなく、ピュージェット湾地区一帯の住民に一番深く広く知られているのは、プロフットボールチーム、シアトル・シーホークスのオーナーとしてのアレン氏だろう。

スポーツファンでもあった彼は、まずポートランドのバスケットボールチームを買収、1996年にシーホークスを買った。当時シーホークスが拠点としていたスタジアム「キング・ドーム」は老朽化が進み、シアトル・タイムズによると「いまにも屋根が落ちそう」な状態だったそうだ。

当時のオーナーはチームをロサンゼルスに移そうと試みていたが、NFLと地元の政治家がそれを阻止し、新しいオーナーとしてアレン氏にアプローチ。アレン氏は、住民投票でスタジアム建設に3億ドルの予算が可決されればチームのオーナーとなり、残りの建設費用1億3,000万ドルを出す、という条件を出した。

投票で否決されればオーナーにはなりませんよ、という意図をはっきりさせて住民にイエス・ノーを問うため、選挙の前にテレビCMを流して住民に呼びかけたという。

アレン氏が亡くなった翌日に、スポーツ面に掲載されたシアトル・タイムズの記事は「ポール・アレンはシーホークスにとってもシアトルにとっても、輝く鎧をまとった騎士だった」という見出しをつけて、当時のアレン氏は特別にフットボールの熱烈なファンではなく、「市民としての義務感から」オーナーシップを引き受けた、と書いている。

https://www.seattletimes.com/sports/seahawks/paul-allen-was-a-knight-in-shining-armor-for-the-seahawks-and-seattle/

オーナーとしてのアレン氏はフットボールチームの細かいことには口を出さず、最高の人材を選んできて据えるというやり方で、それまであまりぱっとした戦績を上げていなかったチームに人と資金を潤沢につぎ込んだ。

新生シーホークスは2010年に就任した現監督ピート・キャロルの指揮下で驚きの連勝を巻き起こし、2014年にはついにスーパーボウルで優勝、シアトル中を熱狂させた。

私は2009年にシアトルに引っ越して、ちょうどシーホークスが年々盛り上がっていき、ついにはスーパーボウルに向けて街中が狂乱の渦に巻き込まれていくのを目の当たりにして、スポーツチームがコミュニティに及ぼす影響の半端なさ、シーホークスがもたらす感動の大きさにびっくりしたものだった。

スーパーボウル出場の年には、文字通り街中がチームカラーで埋め尽くされていた。そして2014年のシーホークスは、とても面白い、シアトルらしく個性的なチームだった。

音楽、アート、スポーツだけでなく、アレン氏は科学研究にも資金を投じ、脳科学と細胞研究の「アレン・インスティチュート」を創設したほか(キャンパスはもちろんサウス・レイク・ユニオン地区)、人工知能、核融合炉、宇宙ロケット開発などにも資金を提供した。

去年はワシントン大学のコンピュータサイエンス学部に4,000万ドルの寄付をして、学部の名前に「ポール・アレン」が冠された。

生前に彼があちこちに寄付した額は20億ドルを超えるという。

シアトルにはビル・ゲイツ氏の慈善団体もあるし、そういえば全米の金持ちナンバー1(アマゾンのベゾス氏)もここにいるのだったが、そんなことを忘れてしまうほど、アレン氏のシアトル社会への貢献は多岐にわたり、広く深い。

(ちなみに『フォーブス』誌によると資産額ぶっちぎり1位のベゾス氏は、同ランキングの「フィランソロピー(社会貢献)スコア」では5段階評価で「2」というひどい成績。アレン氏とゲイツ氏はどちらも「5」である)

https://www.forbes.com/sites/denizcam/2018/10/03/the-new-forbes-400-philanthropy-score-measuring-billionaires-generosity/#783303227e1d

デ・メニル夫妻にしてもアレン氏にしても、ただぽんぽんとおカネを出すだけでなく、ビジョンと見識をもってコミュニティに働きかけ、はっきりと目に見える形で多くの人の生活にかかわる違いを作り出した。

アメリカという国では良くも悪くも、パワフルな個人がダイナミックに社会にかかわっていることが多く、だからこそスピーディーにものごとが動くこともある。

それがいつも最善だとも思わないし、そもそもこんなに貧富の差が激しいのは異常なことだと思うけれど、ともかくもこの国のコミュニティには、ありとあらゆるレベルで、大小のお金持ちたちのおサイフが大きくかかわっているのだ。


【TOMOZO】yuzuwords11@gmail.com

米国シアトル在住の英日翻訳者。在米そろそろ20年。マーケティングや広告、雑誌記事などの翻訳を主にやってます。

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