Scenes Around Me[40]東京大学駒場寮の事(19)しんげんち祭りに参加する。《4》ノイズ・ループを始める/関根正幸

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以前書いたように、1990年代に私は知人とテクノアーティストの来日公演を見に行くようになりました。

この頃来日したアーティストの中でも、リッチー・ホゥティンのような先鋭的なアーティストは、よりミニマルな傾向を強めていたようです。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/リッチー・ホゥティン

リッチー・ホゥティンの公演に行った知人は、「シンセの音ではなく、物音をループにして、そこにベースとドラムを載せていた。物音テクノだ」と興奮気味に語っていました。

私はその話を聞いて「物音テクノ」に興味を持つと同時に、それなら自分にも出来そうだ、やってみようと思いました。

これはもちろん、負け惜しみではなく、今までの音楽聴取の経験から一つのアイデアが浮かんだからです。






ジョン・ケージが亡くなった翌年の1993年、ケージを追悼して四谷にある東長寺地下P3で展覧会「エッセイ・市民の不服従について」と、それに関連する一連の演奏会が行われました。

http://p3.org/JAPAN/1993/04/project_tochoji_exhibition_essay/

私は、演奏会はできる限り見に行きました。

その中でも、特に興味深かったのが「カートリッジ ミュージック」をはじめとする、マイクを使ったパフォーマンスでした。

ケージの「カートリッジ ミュージック」は、元々レコード針を物で擦って音を出すという曲でした。

この演奏会ではレコード針をピックアップであると解釈して、何度か演奏されました。その中でも、コンデンサーマイクの電極を取り出して数本の針金状の金属をつなぎ、その金属を3〜4人の演奏者が擦る演奏が、印象に残りました。

このパフォーマンスに近い形の演奏がYouTubeにアップされています。



また、今年亡くなられた小杉武久さんのパフォーマンスも印象的でした。

小杉さんは、ケージがアパートメントの隣の部屋に住んでいた、ジョン・レノンとオノ・ヨーコに手紙を書く、というパフォーマンスの再演を行いました。

その際、筆記用具(鉛筆・消しゴム)、机、小杉さんの身体にコンタクトマイクを取り付け、マイクで拾った音を増幅しました。

小杉さんが鉛筆を紙の上を走らせる音、書き損じた文字をこれ見よがしに消しゴムで消す音などが、大音量で会場に流れました。

手紙を書き終えると小杉さんは退場したのですが、ドアから会場の外に出た後、ドアの近くで足踏みしていたようで、小杉さんの足音だけが延々と会場に鳴り響いていました。

それ以外にも、テープループを使ったパフォーマンスなど、大変興味深い内容の演奏がありました。

▽▽

これらの演奏会を聞いた経験を元に、私はマイクを使って物音をサンプリングする事を考えました。

とはいえ、ジャンク品を含め、コンデンサーマイクを安価で入手できる環境ではなかったため、私は代用できるマイクを楽器屋で探しました。

その結果、ギターのチューニング用のコンタクトマイクが使えそうだと目星をつけました。

ギターをチューナーで調音する際、チューナーの機種によってはコンタクトマイクをギターの胴体に吸盤でくっつけて音を拾うものがありました。

そのコンタクトマイクは2000円以下で買える安価なものでした。私はそのマイクを購入、分解して中身を取り出しました。

すると、中に入っていたマイクは、直接触れている物の振動しか拾わない、性能の悪いものでした。

そこで、私はマイクを色々なもので叩いたり擦ったりして音を拾い、ワウやフランジャーなどのエフェクターを通して音を加工、最後にディレイでノイズ・ループにする事を考えました。

これは個人的に何度か実験して録音し、音楽でもノイズでもない結果に好感触を得ていました。

▽▽▽

1997年12月、駒場寮オブスキュアギャラリーでの中村しのぶさんの公演「鳴神」が終わった直後だと思います。

武盾一郎さんから、ライブペインティングの際、一緒に演奏するミュージシャンを探しているが、キョージュはどういう音が出せるか、と訊かれました。

武さんはその頃、さまざまなイベントに呼ばれて、大友良英さんをはじめとするミュージシャンと、ライブペインティングで共演していました。

しかし、彼らはプロのミュージシャンだったため、武さんが自分でライブペインティングをやりたいと思っても、おいそれと声をかけられなかったのです。

この頃、私はコンピレーションCD「kids」が完成した直後で、鳴神公演の打ち上げの最中にも「kids」をかけていました。

そこで、武さんは私が音楽をやっている事を知って声をかけたのだと思います。

私は、こういう音を出そうと思っていると、一通り説明しましたが、要領が悪く、武さんには上手く伝わりませんでした。

それでも、とりあえずやってみることになり、1997年12月23日の晩、ゲリラライブペインティングに参加して、音を出すことになりました。

私は武さんのバンに乗せられて、駒場寮から新宿に向かいました。現地に着くと、私は機材をセットして、駒場寮から持ってきたギターアンプに繋ぎました。

私はその辺りに落ちていたゴミを拾い集めると、マイクをゴミや地面に擦り付けてノイズ・ループにしました。

武さんはその音を聞いてすぐに気に入ったらしく、鷹野依登久くんたちと持参したパネルに絵を描き始めました。

私はそのまま音を出し続けましたが、それほど長くは続けられませんでした。

町会の年末の見回りがやってきたのです。見回りの人たちは、音を出している私の近くに来て、何をしている、と私に問いかけました。

私は、この人たちとコミュニケーションを取ると演奏をやめることになってしまうため、何も返答しませんでした。すると、見回りの一人にアンプの電源を抜かれ、ノイズ・ループは終了になりました。

その様子を見ていた酔っ払いが「バカヤロー」と呟いて去って行きました。

私はそれを見て自分がなじられたと思ったのと、武さんたちはまだ絵を描いていたこともあり、演奏を続けることにしました。

私はバンの車内にあったトランジスタラジオを持ち出しました。そして、武さんたちが絵を描き終えるまで、ラジオのダイヤルを回しながらノイズを出し続けました。

実は、ラジオを使うというアイデアもジョン・ケージ仕込みだったのです。(ツッコミが来るとまずいので細かい事を書くと、演奏時に演奏者がやる事を事前に完全に決めている点で、ケージは即興ではないのですが)

こうして、私はある意味ストリートの洗礼を受けたのですが、これがきっかけとなって、武さんをはじめ、色々な人たちとノイズ・ループで絡むようになりました。

そして今に至るまで細々とですが、演奏は続けています。

●しんげんち祭り

今回は、しんげんちの様子を写した写真を紹介します。

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実は、しんげんち祭りのことは、写真に残したこと以外、あまり記憶にはありません。

私とともにしんげんち祭りに参加したオブスキュアギャラリーの人たちは、車で移動したようですが、私は平日に仕事があったため、大垣夜行を利用して当日の午前中、神戸に着きました。

しんげんち祭りの次の日、機材か何かを返却するために車に乗って、震災の傷痕がまだ残っている神戸市内を移動しました。

その際、沿道のアパートが一部屋を残して壊滅的な状態になっているのに、残りの一部屋が店舗として営業しているのを見た記憶があります。

なので、しんげんちには一泊したはずですが、詳しいことはあまり覚えていません。

また、私はカメラを修理に出していたので、鷹取駅からしんげんちに向かう途中、商店で白黒フィルムの「写ルンです」を買いました。白黒を買ったのは、たまたま見かけて珍しいと思ったからです。

後で鷹野くんから、「何で(壁画を)カラーで撮らなかったんですか」と言われ、2001年にしんげんちの集会所をカラーフィルムで撮り直しましたが、安物のフィルムだったせいか、発色が悪かったのは残念です。


【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos(2019年3月まで)

1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔