ローマでMANGA[137]ちゃんとmanga言語でネームができているか
── Midori ──

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ローマ在、マンガ学校で講師をしているMidoriです。私の周辺のマンガ事情を通して、特にmangaとの融合、イタリア人のmangaとの関わりなどを柱におしゃべりしていきます。

●誰の目から見ているのか

今回は講師をしている学校の話を。

昨年始まった学校の三年目の専門コース「EUROMANGA」の今年のクラスは十四名。昨年は八名だったので約倍になったわけ。十四名というと、三時間の授業中に一人づつ課題を見るのにギリギリの人数だ。それでも興味を持つ生徒が増えてくれるのは嬉しい。

私の担当はmangaの構築法、というか、manga文法の解説で、かつ実技でなるべく解ってもらう。もう一人の講師は、主に作画の指導にあたる。

manga文法の大きな特徴は、シーンごとに誰の目から見て語っているのか分かること。





全部が全部そうでないにしても、マンガに比べると「語り手」がはっきりしている場合が多い。これは読者が語り手に感情移入をして物語をキャラと一緒に生きる、というmangaの大きな性質を実現するための手法なのだ。

読者は観客席にいて、舞台の上の役者の演技を見ている状態に似ている、マンガと一線を画す。もちろん、芝居の舞台を客席から見ていても、ちゃんと感動するわけだけど、キャラの一人になりきって、他のキャラと一緒に物語を生きるのは臨場感が違う。

あるシーンを誰かの目から見て語っている、というのを読み取る練習から始める。いくつか割と適当に選んだmanga(なるべくイタリア語に訳されている作品から選ぶ)の見開きページをコピーして生徒に配る。

同じものを教室のコンピューターに入れて、大きなモニターに映し出して解説に使う。モニターに映すと、カーソルを動かして「このコマのこの構図が……」と説明しやすくなる。

授業中は、まず私が読み取って解説する。漫画家によって、シーンによってはっきりと語り手がいる場合と曖昧な場合があって、漫画家の特徴も分析することになって面白い。

たぶん、漫画家さんも「このシーンはこのキャラから見た感じで……」と意識して構成する場合ばかりではないと思う。多分ほとんどの場合、無意識に流れの良さを主に考えながら構成してるのではないかと思う。

でも、mangaを読んで育ってmangaを制作すると、自然に誰かの目から語るようになっていく。一番顕著なのは、感情をベースにせざるを得ない、恋愛ものを描く少女mangaだ。

とりあえず、授業の例としてコピーを配ったのは、

1:(古いところで)ファイアー!(水野英子)(飛びページで見開き二枚)
2:乙嫁語り(森薫)(続きで見開き二枚)
3:20 century boys(浦沢直樹)(続きで見開き十一ページ)
4:あっかんべぇ 一休(坂口尚)(続きで見開き二枚)

まぁ、出てきた順番でどのキャラから見たのかわかりやすい→困難になってます。3の「20 century boys」の場合は、最初の半分が思い出なので、このページだけ見るとどのキャラが主題なのか間違える。

4の最初の見開きページは、六人のキャラが出てきてそれぞれの思惑を語っているので主題のキャラが六人、でも、実は主人公の一休さんが最重要。

どれが主題のキャラなのか、だけではなくて、なぜ読者は誰の目から語っているのか分かるのかを解説し、そのキャラの感情、その感情はどうして私たち読者がそう感じることができるのか、を解説する。そして最後にこの見開きで作者は何を伝えたかったのか、を分析して解説する。

manga家になりたい人への解説だから、どういう描き方(構図とか)をすれば主題のキャラとして描けるのか、キャラの感情を描けるのかを、なるべく丁寧に解説する。受け取る生徒側の理解の深さは、生徒によりすごく違う。

先月書いたように、白髪宣言をしてから世間との関わり方が変わって、ちゃんと大人の態度で、客観的に物事を見られるようになってきた私は、今までの授業では生徒が本当に理解したかどうかよりも、私の説明するイタリア語がおかしいと思われてないかとか、講師としての威厳は保たれているかの方を心配してしまっていたこと(無意識に、なんだけど)に気がついたので、日本語アクセントのイタリア語の出来を気にするよりも、生徒の理解度を気にするようになった。

だから、決めた授業プログラムをきちんと進めることよりも、クラスの理解度を計り、プログラムは臨機応変にしている今年のクラスなのだ。ちゃんと生徒に目がいっていれば、プログラムをどのように変えていけばいいのかわかる。今までの生徒には申し訳なかったね。

主題のキャラを見極め、そのキャラを主題と読者に伝える技、伝えたい感情を表現するための構図や表情など、グラフィック的構成要素を分析する、というのは演出の頭をもつ、ということなのだ。

言葉だけで「次からmangaを読むときは監督の目で読んでね」と言うだけでは、生徒には解ってもらえない。例を示した後、自分たちの頭で考えてもらう。

そのために宿題として好きなmangaの見開きを選び、

1:主題のキャラ
2:主題のキャラと理解した要素
3:主題のキャラの感情
4:その感情を表現している構成要素
5:見開きで作者が伝えたいこと

この五つを書いてもらうことにした。

宿題にすることで、誰がどのくらい解っているのか、こちらも判断できる。

●4/14(十四分の四)

宿題の課題は、上記五項目の他に、提出するものは選んだ作品のコピー、それに名前を大文字で書く(イタリア式筆記体ってすごく読みにくい)、書き文字の場合も大文字で書く、という条件を出した。

提出の仕方に色々細かい条件を出す、という案も浮かんだ。manga家は職人、だと思っている。作品を買ってくれる相手がいる。時には自分を売り込むマネージメントをしなくてはならない。提出条件をクリアするのも、プロとしての大事な要素だ。

でも、今回はあえて細かい条件を出さなかった。どんな風に提出してくるのか、それも生徒のレベルの判断にしようと思ったのだ。

その結果、合格(日本製の「よくできました」のハンコを押す)したのは十四名中の四名。

四名のうち二名はコンピューターで書いてプリントアウト。残りの二人は紙にボールペン書き、すべて大文字。

四人とも(提出条件として言ってないのに)選んだ作品のタイトルと作者名を書き、特にプリントアウト組はかなり丁寧に分析結果を書いていた。コピーの方にもタイトルが書いてある。

手書きの一人は、四作品を選んだ。内、二作品はアメコミだ。日本のmangaから選んで、と断らなかったので間違いではない。

アメコミとmangaを比べることになるので分析の幅が広がるし、このコースはEUROMANGAなのだから、ハイブリッドへの道も正しい。四作品をシーンごとに色違いで囲み、最初のシーンで使った色の紙に分析を書く、という楽しいグラフィックデザインをしてきた。

もう一人の手書きは、そうした遊びをせず、分析結果もプリントアウト組ほど丁寧ではなく、淡々とした感じ。でも分析内容は正しい。

この四人の提出態度というのは、他に情報を伝達する意識があるということだ。自分が分かってればいいという態度ではないということ。

「よくできました」のハンコを押せなかった生徒の回答には、いきなりキャラの名前が文章の中に出てくる。私、その作品知らないんですけど。

自分が知ってることは、他の人も知ってるという前提で書いている。あるいは、「他の人」という意識がないと言った方がいいかもしれない。他に見せるという意識がないのだ。

合格の四人は、回答にキャラの名前を出して、カッコ内に何コマ目で出てきてどんな外観をしているキャラなのか簡単に説明をつけて、そのキャラを知らない人が読んでもわかるようにしている。

ほら、やはり、「情報を伝達する」という意志があるのだ。詳細をいうなら、「ある情報を、その件を知らない人に伝達する」ということだ。

自分から伝える時に「他」が意識の中にある四人は、「他」が自分に伝えようとすることに対してもセンシブルでいられるようだ。この四人の分析は的確で、ちゃんと作者が伝えたいことを受け取っているからだ。

●ネームつくりへ

分析して監督の目を手に入れたら、次は実技だ。スピーゲルマンの「マウス」の一ページを題材にする。

アート・スピーゲルマン
http://bit.ly/2RxPuQa


正しくは二コマを題材にする。

「マウス」は、作者のスピーゲルマンの父親が、アウシュビッツで生き延びた実話を題材にしている。

採用した二コマは、主人公のヴラディックと女友達がベッドで事を終えた場面で、二人の会話が吹き出し四つで語られる。

女「ヴラディック、婚約しましょう」
ヴ「もう、遅くなった。家に送るよ」
女「いやよ、お願い」
ヴ「ほら、ご両親が心配してるぞ」

この四つの吹き出しを利用し、ヴラディックから見たシーンとして一ページに引き伸ばして、感情がよくわかるように構成し直す。

昨年は、主題になるキャラを生徒に選ばせ、「はい、では一ページに引き伸ばしてください」と放り出したけど、今年はある程度、枠を決めた方が、迷う人が少なくて済む、と思った。

いきなり海に放りこまない。浮き輪を与え、側について段々手を離していく方法を選んだ。

だから、主題はヴラディックと決め、クラスで二人の関係を決めた。二人は恋人同士ではなく、セックスフレンド。女のセリフは、本気ではなくふざけているだけ。ヴラディックは早く家に帰りたいのでちょっとうんざりしている。

愛し合ってるわけではない二人、という関係に挙手が多かった時、「ロマンティシズムは死んだ!」と叫んだ生徒がいたけど、本当だね。

女がふざけて言っている、という結構癖のある設定にしたため、主題が女になってしまう例が多かった。あまり癖のない方を主題にすると、どういう態度を取らせたらいいのかわからなくて難しいのだよね。

この実技でも、「他」を意識していた四人はそこそこいい結果を出した。

これは初めてのネーム作り。提出させ、私は家に持ち帰って、フォトショップでお直しをした。

「他」を意識した四人のネームもお直したけれど、さっさとお直しができた。直すと良くなる部分がすぐわかる、ということは、ちゃんとmanga言語でネームができているということなのだ。私と同じ言葉を話すので意味が通じる。

伝達できない生徒は、ただ単にコマを分け、セリフを散らしているだけ。カメラの位置も同じ。直したら良くなる部分を探すのが大変で脳みそが疲れ、やたら時間がかかる。

この作業をしながら、ネーム作りのお手伝いを仰せつかってる女性とチャットをしていた。締め切りがあるので、こちらが作業中でも放って置けないのだ。

私の作業の困難さを言うと、「なぜその構図にしたのか、と聞いたら?」という案をくれた。あまりにも時間がかかる場合は、そのようにした。初めからやり直せ、と言いたいところなのだから。

つまるところ、どうしたら「他に伝える」ことを意識できるようになるのか、それを見つけると指導の質があがるのかも。


【Midori/マンガ家/MANGA構築法講師】

着物に興味が出てきてから、あれこれ取り揃えたい欲望はあるものの、なんだかんだ言って高い。着物はまっすぐ縫うだけだから覚えれば簡単、昔は皆自分で縫っていた。という話をネットで読んで、これだ! と思って、縫い方の本を取り寄せ、ジーンズ生地を買ってきて一枚縫い上げたのが昨年5月。

着物好きのイタリア人友人のお誕生日に、一枚縫ってあげようと思い立ったのが昨年12月(彼女の誕生日は12月)。昨年クリスマスからお正月にかけての里帰り時に、あまり高くない反物を買ってきてそのままになっていたのを、今年の誕生日にはあげようと、今必死に縫っている。

縫ってみると、着物の構成の巧みさに感心してしまう。最初の時も現在の二枚目も、襟の部分が今ひとつきれいに行かないのだけど、縫い目をごまかせるように、共衿というものを上にかぶせてごまかせるようになってて感心してしまう。

既成の反物はちょっと小さめなので、昨年ジーンズ地で縫ったみたいに、服地の方が十分に幅も長さもとれていいみたい。オンラインショップで生地屋さんを早速見つけて、いくつか生地をほしい物リストに入れている。あれこれやってみたいことが尽きなくていい青春だ。

[注・親ばかリンク]息子のバンドPSYCOLYT


MangaBox 縦スクロールマンガ 「私の小さな家」
https://www-indies.mangabox.me/episode/58232/


主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
http://midoroma.blog87.fc2.com/


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