はぐれDEATH[65]妄想MIX はぐれと歴史・近代満州編
── 藤原ヨウコウ ──

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なかなかにエラそうなタイトルだが、実を言うとめちゃめちゃ混乱しているところである。特に清朝末期から日中戦争までの、大陸側の事情がすっぽり抜け落ちていることに、つい最近気がついたせいだ。

教科書に書いてあったことは知っているのだが、周辺情報が見事なまでにワヤである。

ことの起こりは『馬賊戦記 上・下』(朽木寒三著・徳間文庫)を手にしてからだ。そもそも、なぜこの本を入手しようとしたのかすらよく覚えていない。

馬賊戦記
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有機溶剤の影響で、頭がパーになっていたとしか思えないのだが、パーになっているのに、この本を古書とはいえきっちり手に入れている自分のことは、ちょっと褒めてやりたい。

ちなみに、大陸への憧れとやらは、ボクにはこれっぽっちもない。もちろん、戦前(特に日露戦争後あたりからか?)の、満蒙への憧憬はさっぱり理解ができない。

そもそも、関東平野を一望して度肝を抜かれた人である。これが中国大陸となると、もうお手上げである。さらに厳冬の満蒙を想像するだけで、凍え死にしそうになる。

こっち方面に興味が向かないのは、こうしたアホな想像と妄想が先に立っていたからである。シベリア出兵時の写真など見ると、「絶対イヤ」としか思わないのが寒さ嫌いの真骨頂であろう。

とりあえず、ボクが知っていた清朝末期から日中戦争までの歴史と言えば、ざっと以下のようになる。






アヘン戦争が止めになり、西洋列強の植民地化し弱体した清国は、日清戦争で更に手酷い目に遭い、それでなくても見切りをつけられていた大衆の怒りを一身に背負うこととなり、数々の内戦が勃発した。義和団の「扶清滅洋」は代表的な例だ。

辛亥革命によって中華民国が成立、南京で臨時大統領として孫文が擁立され、混乱した国内の鎮撫に励むことになる。しかし、孫文は宣統帝退位後に辞職。北京で袁世凱が第二代臨時大統領に就任するものの、北洋軍閥化した政府は再び民心を失うことになる。

内戦は更に拡大。孫文による第二次革命、国民党の躍進、チベット・モンゴル・満州・東トルキスタンの独立運動も加わり、軍閥割拠時代へと突入。この間に日本は、満州事変・満州国成立、さらに盧溝橋事件を契機に中国に侵攻を開始。泥沼の日中戦争に突入することになる。

相当、はしょったのだが、このはしょり方自体が、ボクの偏った知識を露見させているではないか。

そもそも辛亥革命の前身となる革命組織は、興中会(華南地区)、華興会(湖南地区)、光復会(蘇浙滬地区)及び、後に成立した中国同盟会により実行されたのだが、これらの組織は政治結社というより、自治結社と言った方がいいだろう。

また青弊(チンパオ)に代表される、大陸の秘密結社的な側面も持っている。実はこの知識が欠落していると、辛亥革命はおろか軍閥割拠も八路軍(後の中国赤軍)も、中共戦争も理解不能になるし、張作霖爆殺事件の真意はもっと分からなくなる。

「五族協和」は満州国のスローガンのような記述が目立つが、元は辛亥革命のスローガンである。

話を分かりやすくするために、この稿では当時の中国を長城を境にざっくり二つに分けて、長城の北部、東三省(現在の遼寧省・吉林省・黒竜江省)、満州地域に限定したい。それでも十分過ぎるほど広いのですが。言うまでもなく、大日本帝国の大陸侵略の舞台となった地域である。

元々は満州族が点々としていたようだが、清になってから漢族(この言い方も何だかなあ?)が移住、定住化して農業を始めるところから、満州のややこしさがスタートするらしい。



できるだけややこしい話は飛ばして、ダイジェストで書くが、中央権力・行政がイマイチ機能しないこれらの地域では、中央から派遣される官(役人のことだが、この稿ではこの言葉で通す)と地元住民の間では、トラブルしか(!)起こらなかったようだ。

特に警察力が極端に弱く、地域住民は独自に自治体を構成する。これらの大小の自治体が争いを繰り返していただけではなく、官による略奪的な納税(東三省に限った話ではない)にも苦しめられていたようだ。

自治体同士の争いの元は、農産物の収穫量によって起こっていたようだ。

たとえば、Aという自治体は極端な不作により、住民の食料が確保できなくなる。そうすると、Aは豊作だったB自治体地域に略奪に行く。

こうして、A自治体の住民は食糧の確保ができるわけだが、話がこれで済むはずがない。当然、B自治体からの報復がくる。食糧を取り返すだけではなく、有力者を拉致して、身代金をせしめるというようなこともやっていたようだ。

当然のことながら、各自治体は保衛団と呼ばれる組織を持つことになる。日本で言えば一領具足のように、普段は農業をしているが、いざとなると武装する人達である。この保衛団が争いの先頭に立つわけだが、こんなことを繰り返していれば、A自治体とB自治体が共倒れになるのは火を見るより明らかであろう。

これにより、有力な保衛団を持つ自治体を中心に、連荘会という官とは別の自治ネットワークが構成されることになる。もちろん、地域事情の方が中央の行政区分よりも優先されるので、ややこしさ倍増である。ただ、この官の行政区分と異なるネットワークには、地域住民にとって大きなメリットがある。

例えば、官が収奪する税の重さに耐えかねて、官庁を襲撃する。当然のことながら、この行政地では罪人となるのだが、隣の行政地に逃げてしまえば官の手は及ばなくなる。

当時の官吏の収奪ぶりは相当悪辣だったらしく(詳細は省く)、住民からすれば官は憎悪の対象でしかなく、極端な話、殺しても別にどうということはなかったようだ。

こうなると、官と民の血で血を洗う争いである。官は警察組織を中心に、住民は連荘会から更に選ばれた武装組織・自衛団を中心に戦闘が行われたらしい。らしいというのは、ボクもイマイチ完全に把握しきっていないから断定できないのだ。

もちろん、連荘会同士の争いもあるのだが、こちらはむしろ実際の武力衝突よりも、自衛団による対話で解決していたケースの方が多いようだ。それでなくても、官相手に争っているところである。住民同士で争うゆとりはない。

自衛団の予算は、連荘会からの献金で賄われていたようだ。もちろん、有事には特別手当てが出るわけだが、地域に根差している組織なので金銭的な利益はほとんど求めない。あくまでも、必要経費内で賄っていたようだ。

清朝末期になると、混乱は更に激しくなる。各自衛団は地元住民だけでは手が足りなくなり、戦闘に特化した傭兵を集めざるを得なくなる。

こうした人々も元は農民で、故地を奪われ流民化していた人々の中から、武力に秀でた人がなったようだ。もちろん、元農民なのでそれぞれの地域住民の心情は、察してあまりあるものがあるだろうし、かつて故地を奪われた悲しみもあるのでマジメに(?)従事する。

こうした傭兵は一年単位で自衛団と契約するのだが、自衛団内での活躍ぶりや人柄が評価されると、他の自衛団に移籍するのではなく、在籍していた自衛団にほぼ常雇いのような形で所属することになる。

さらに、彼らは彼らで部下となる人物を見つけて、自衛団に参加するわけだ。こうして連荘会を中心とした自衛団は、武力を徐々に大きくしていく。

先にも書いたが、自衛団の役割は地域住民の安全・利益の保護である。連荘会内で強盗、略奪などしようもんなら即刻死刑だ。もちろん、いくら組織力が強くてもどうしようもない人間は現れる。

こうした人々は自衛団から逃げて(見つかったら殺される)、いわゆる匪賊・盗賊・山賊になる。こうなると官民共に犯罪者扱いになってしまう。

日本で馬賊と呼ばれた人々の大半は自衛団の人達なのだが、残念ながらこうした事情を把握しきれない日本側は、十把一絡げに匪賊として扱っていたようだ。もちろん、例外的に事情をよく知る人がいるにしろ、圧倒的に少数派である。

そもそも広大な地域である。機動力を最大限に生かそうと思えば、馬を運用するのは当然であり、これは自衛団・匪賊・盗賊・山賊同様である。

馬賊という言葉の複雑さは、こうした事情によるところが大きいだろう。自衛団のことを「正統馬賊」というのもここに起因する。

さらに馬賊関連の資料を読んでいると、よく出てくるのが「任侠・仁義」という言葉である。もちろん、現代日本人の感覚で受け取ってはいけない。

この思想自体は、三国志時代の劉備、関羽、張飛あたりですでに露骨に出ているのだが、めちゃめちゃ簡単に言えば、「自己犠牲を前提に弱きを助け、強きを挫く」である。どうも根っこには道教の思想があるらしい。

官の儒教に対する民の道教、と言った方が分かりやすいかもしれない。詳細はこれまた省く(笑)



道教は神仙思想を源流とした民間思想である。だから、当然のことながら、一般大衆に受け入れやすい思想になっている。特に自己犠牲を顧みず、民衆のために抵抗する姿勢にもっとも強く表れやすく、こうした中から英雄、武侠といった人物が大衆の中から浮上するらしい。

完全に『水滸伝』の世界だが、現実に戦前の満蒙地域では存在していたのだ。

自衛団員は、所属する自治体住民にとってはあくまでも正義の味方でなければいけない。この場合の正義とは、命をかけてでも地域住民の利益・安全を守ることである。

さらに、連荘会とは別に独自の行動も絶対にしない。あくまでも連荘会の依頼を引き受けて行動する。いわゆるシビリアン・コントロールが徹底されていたとも言えるだろう。

自衛団はやがて官だけではなく、関東軍の暴挙にも対抗し始めることになる。そもそも土足で家に入りこまれたようなもんなのだ。怒るなと言う方がおかしい。こうした動きから抗日組織が生まれ、やがて軍閥にまでなるケースもあったようだ。張作霖あたりは代表例だろう。

張作霖は東三省の一つ、吉林省から波乱の人生を送ることになる。当時は馬賊の頭目として東三省の治安維持に努める一方、阿片の密売にも手を染めていたと思われる。

治安維持と阿片という両極端な側面を持つように見えるが、実のところこの両立はまったく矛盾していない。

阿片栽培は重要な輸出産業であり、これらの運送には当然自衛団が警備している。匪賊や盗賊、山賊に襲われるケースはよくあったようだ。特に農産物の収穫がのぞめない地域での阿片栽培は、極めて重要な資金源(生活費)と言ってもいい。

張作霖のややこしいところは、親日になったり抗日になったりと、見ようによっては日和見にも程がある態度だが、潜在的にあるのはやはり住民保護の観点であろう。

独立した組織として行動した方が住民にメリットがあればそうするし、逆に日本と通じた方がメリットがあれば、さっさと親日派にもなる。

これで政治力を発揮しなければ、立派な「大頭目」(正式には「大攬把」(ターランパ))と呼ばれたのだろうが、組織と権力が巨大化すれば、やはり易きに流れるのが人間である。この段階で、張作霖と一般大衆の関係は途切れたと言ってもいいだろう。

一時は中華民国の主権者を宣言するまでになるが、蒋介石率いる国民党軍、関東軍に翻弄されながら、最終的には日本軍に爆殺される。

当時の大陸がいかに混乱し、関東軍、各種軍閥、東北共産党軍が跋扈していたかを示す一つの例なのだが、大なり小なりこうして非業の死を遂げたのは、張作霖に限った話ではない。

要は抗日・反日の軍事的パワーバランスが、いかに不安定だったかを示しているだけなのだが、話はそれほど単純ではなさそうだ。

抗日一つをとっても、国民党と東北共産党が一時期、共闘戦線を張ることになるが(国共合作というヤツ)、中途であっさり分裂している。

とりあえず、これで以下は省く。それでなくてもややこしい中国内の事情に、関東軍がしゃしゃり出てくると、極端に話がややこしくなるからだ。

そもそも関東軍内だって、一枚岩だったわけではない。親中派もいれば、露骨に大陸を支配下に置こうと考える連中もいる。中国からすればどちらも迷惑極まりないのだが、日本はそんなことに構わない。自国優先だからである。だから、平気で満州事変を起こして、満州国という傀儡国家すら成立させる。

「五族協和」と言えば聞こえは良いが、当初の目的は対ソ戦にある。「満州は日本の生命線」と言われたのは、何も資源に限った話ではなく、むしろ軍事的な理由の方がウエイトは大きいと思われる。

先にも述べたが、日本の補給路はどうしても海を越えることになる。満州に限って言えば、朝鮮半島だけで軍事物資・兵站を調えるには前線が近すぎる。

むしろ、もっと広大な満州に拠点を置く方が、重厚な対ソ防衛線を引きやすいというのが実情だろう。だから当初は、日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人の宥和を計り(五族協和)、安定した地域にすることが最優先項目だった。

ところが、ご存じのように、こうした理念はあっさり崩壊する。日本人の利益を優先し、現地の人を蔑ろにしたからだ。

この手の話は満州に始まった話ではなく、琉球、アイヌにだって行っているし、アメリカ合衆国に至っては、ネイティブ・アメリカンを絶滅寸前にまで追いやってる。

もっと歴史を遡れば、ローマ帝国だって同様だし、ネアンデルタール人の絶滅もこうした機微があったように思えて仕方がない。実際、ネアンデルタール人と現在人類の混血種は存在していたようなので(もう今となってはワケ分からんのだろうが)それなりの付き合いはあったようだ。

それにしても、どうもこういった学習能力が人類には備わっていないらしい。話を戻す。



対ソ戦防御の必要性を熱心に説いたのは、満州事変の首謀者の一人、石原莞爾である。後の戦線拡大・南進論にも強硬に反対しているが、結局は東条英機と対立し、帰国させられている。石原莞爾の評価については避けたい。ボクもよく分からんのだ。

興味があれば自分で調べてください。幸い、本人による著書『世界最終戦論』『戦争史大観』が、中公文庫BIBLIO20世紀から出ている。

世界最終戦論
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戦争史大観
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この石原莞爾をもってしても、どうも当時の中国は理解が及ばなかったように思える。特に保護団は悩ましいところだったのではないだろうか? もし石原が保護団を正しく理解していれば、積極的に交流を深めたはずである。メリットの方が圧倒的に大きいからだ。

まず、行政に手を出す必要がなくなる。連荘会があるのだから、金だけ出して任せっぱなしにしてしまえばいいのだ。そうすれば、現地の人も不満を抱くまい。上記したように、連荘会の成立は官の略奪的納税にある。これを撤廃するだけでかなり友好的な関係が築けただろう。

さらに、対ソ戦という点でもメリットは大きい。自衛団の圧倒的な機動力は索敵・斥候にはうってつけだし、何より地の利があるのは心強い。

もっと積極的に行動すれば、関東軍そのものを連荘会に組み込めば盤石だろう。一筋縄ではいかないだろうが、「五族協和」を謳うのなら、本来避けては通れないはずなのだ。

それでも、東条英機が出てくれば、どうせしっちゃかめっちゃかにしてしまうのだろうが(笑)

ちょっと妄想が先走りすぎた。

現実には「匪賊狩り」と称した、現地住民の無差別殺戮を繰り返した結果、抗日勢力を新たに生み出すというアホなことをしている。上記したように、基本は農民であり、自衛団と言っても半農半兵なのだ。

このような人達に非道の限りを尽くして、ただで済むはずがない。当時の中国観が、いかに浅薄であったのかが露骨に分かる。まぁ、現代だから言えるのかもしれないが。

本来なら、もっと満州地域の実情をつぶさに調べるべきであろう。島国・日本とはまったく異なるのだ。自分たちの価値観を無理矢理押しつけようとしても、無駄に決まっている。武力解決は戊辰戦争以来の常套手段だが、前にも記したように、本来は外交の最終手段である。

もっと言えば、「日本も清国のように植民地化される」という危機感から発したはずの明治維新、及び政府が朝鮮半島を併合してどうする。盗っ人を恐れて自ら盗っ人になったようなもんで、噴飯極まりない。

当初の目的・計画はあっさり放棄され、目先の利益に飛びつく近代日本のアホな習性は、少なくとも敗戦まで続く。まぁ、現代でも大概なのだが。

西欧諸国の基盤となる思想から、近代という時代を築いたのだとしたら、そもそも基盤が異なる地域で、同じような発展を遂げるとは限らないはずである。

アジア諸国は当然だし、中東などはもうどんだけ長い間、紛争を繰り返していることか。

だからと言って、アジアの場合、中華思想が基盤になるとも思えない。元々の中華思想が効果を発揮できる地域は限定されているだろうし、清朝末期は上述した通りである。

日本だって、かつては大陸文明・文化の恩恵に預かっているものの、長い時間を掛けてそれなりに消化して、日本という地域に根差した基盤に変化しているのだ。

めちゃめちゃ時間が掛かっているのは当然である。何しろ、新しいものというのは一種の異物なのである。抗体が働いても何の不思議もない。むしろそれが自然であり、免疫が付いてやっと馴染む。

本場ヨーロッパでも産業革命で一悶着あったのだ。そんなものをまるっとアジアに持ち込むのは無理がある。

そういう意味では、近代アジアはヨーロッパからもたらされた一種のウィルスに罹患した病人状態、と言ってもいいかもしれない。で、日本は発熱で脳がおかしくなったようなもんか?

とてもではないが、総合的な見方とは言えないが(実際、偏りすぎている)、このような側面があったような気がして仕方がないのだ。

偏っているのは間違いなくボクの知識と価値観の偏りに他ならないが、だからと言って無視していいものとも思えない。

まぁ、このような見方もあると言うことでご勘弁願いたい。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com