わが逃走[230]FFK(増えて増えて困っちゃう)の巻
── 齋藤 浩 ──

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年末といえば大掃除だが。

ものを捨てると、捨てた分だけ増える。

場合によっては、捨てた分以上に増える。

なので、結局部屋はものだらけのままだ。

10年間開いていなかった本を何冊か処分すると、その翌月に必要になり、買い戻した、ということも一度や二度ではない。




せめて部屋の角度に対し、積まれているものを水平垂直に並べ直して「よし」としたい。

それすらできない年が続いたので、今年こそ大掃除ならぬ大並べを敢行しようと思う。

それはそうと……冬になると池波正太郎を読みたくなる。

とくに理由はないのだが、冬の空気が物語に登場する旨いものを想起させている可能性は大きい。

「鬼平犯科帳」と「剣客商売」を一年おきにゆっくり読み返し、全巻読了するのが梅の咲く頃だ。

鬼平が24巻。剣客商売が16巻。

つまりこの40冊の本は、年間を通してほとんどの時間をインテリアの一部として存在している。はたしてこれは限りあるスペースの無駄遣いなのだろうか。

少ない本棚を有効に使うため、これらの本の電子書籍化も考えた。

しかし、実際タブレット端末で試し読みしてみたがどうも調子が狂う。

内容が頭に入らなくはないのだが、入った内容が紙とは異なる脳の引き出しに保存されるようで違和感があるのだ。

不思議なのは、一律電子書籍はダメ、というわけでもないこと。ただ、私の読む本の7割以上は紙でないとしっくりこない。

それは制作における写真資料についても同様なのだ。透過(モニタ)と反射(紙)の違いだけではない。

たとえ解像度が同じだとしても、紙の資料から得られるアイデアの方が、絶対的に多い。

思うに本の厚みとか質感、重さといった本文以外の要素も手を通して脳に働きかけ、それらが視覚情報と統合されて記憶されているのではないか。

生まれたときからタブレット端末で、インターネットにアクセスしている子供とは、確実に脳の仕組みが異なっているはず。

私は手触りとか匂いとか、数値化できないもので夢を見る旧人類なのだ。

漫画『巨人の星』に、花形満の「星くん、我々現代っ子は……」というセリフがあり笑い転げたものだが、いまの私は笑い転げられる立場にあるわけだ。

本棚を必要としない者たちの部屋は、「カーサ ブルータス」のように広々しているのだろうか。

そんな生活に憧れなくはないが、自身の脳の仕組みから類推するに、それはどう考えても無理なのである。

今書いているクダラナイ文章も、いちいちプリントして校正している。そうすることにより、気づかなかった誤植が発見できるのだ。というか、そうしないと誤植に気づかない。

ペーパーレス社会に求められる人材とは、モニタ内で完結できる者ということなのだろう。

であるなら、私は完全なる不適格者である。

そんな不適格者・齋藤浩には、最近気がかりなことがある。

神田神保町の古本の平均価格が、下落しているように感じてならないのだ。

高くて買えなかった本、貴重な本が安く買えるのは嬉しいことだが、必要としている者の絶対数が減っているのではないか、と感じていなくもない。

質の高いコレクション本が、大量に入荷している。しかも安いとなると、ああ、オレの知らないところで同じ趣味のじいちゃんが死んだのか。などと思ってしまう。

もし自分がその立場だったら、少なくともその価値をわかっている人にひきとってもらいたい。

そして人生を豊かにするために役立ててもらいたい。と思うはずだ。

わかったよ、じいちゃんありがとう。買うよ。

というわけで、また本棚に入りきらない蔵書が積まれていくのだった。

みなさま、今年も大変お世話になりました。


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。