晴耕雨読[49]「正しい」教育とは何か/福間晴耕

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少し前の話題だが、トランプ政権になって、進化論だけでなく神が世界を作ったという創生論も、並行して学校で教えるべきだという意見が、米国で出てきて問題になっているというニュースがあった。

また最近では、経団連が執拗に会社で役に立つ実務的な教育すべきだという主張を繰り返しているのを、聞いた人も多いのではないだろうか。

こうした主張で頻繁に使われるのが、「我々は教育に反対しているのではなく『正しい』あるいは『もっと役に立つ』教育が必要だと言っているのだ」というフレーズである。

こうした「正しい」教育を求めるというフレーズは、あらゆる勢力、それこそ政府や国でさえよく使う。

だが、「正しい」教育とは何だろうか。確かに数学や科学などでは、何が正しくて何が間違っているのか解りやすい。しかし、その科学でさえ最先端の分野のみならず、少し前には定説とされていた説でさえ、後に覆されたことも少なくない。

ましてや歴史や社会分野では、少し前には正しいとされていたことが、後に断罪されることすらあるのだ。





では、「正しい」教育の内容のコンセンサスを、どう取っていけばいいのだろう。多くの学問の分野では、学術的に正しい内容を検証する仕組みがあるので、それを使えば良いように思えるが、それが機能しないものもある。

特に道徳や社会のあり方については、一見共通の見解があるようで、実は各自のイデオロギーなどで多くの相違が存在する。

また、内容は問題ない分野についても、今度は何を教えるかという優先順位の問題も発生する。どんな分野でもそうだが、すべてを教えることは不可能だからだ。

とはいえ、それらをすべて個人に任せて、各自が好きなように教え、好きなことを選択できることが良いかと言えば、そうはいかないことぐらいは誰だってわかるだろう。

たとえ望まなくても、最低限の共通知識と常識を各自が持ってくれないと、社会がバラバラになってしまう。

また、経済効率や有益性で教育内容を選択するというのも、けっこう危険な考えだ。少し前に300人以上の死者を出した韓国のフェリー転覆事故では、様々な悪因が重なったこともあるが、その一つに韓国では水泳教育がなかったこともあげられている。

つまり、受験や就職に役立つカリキュラム以外の体育や美術などの、優先順位が低くなった結果、水泳などが教えられてなかったらしいのだ。

これは極端な例だが、いわゆる「役に立つ教育」を追求していくと、多くの場合、より上のクラスとされている学校や会社に入ることが目標になりやすい。しかし、すべての人が良い学校や会社に入れるわけではないし、仮に入っても幸せになれるとは限らない。

これも先程の話と同じように、好きなことを自由に選択できればよいかというと、それもまた難しい問題だ。学ぶ内容を自由に選択したところで、結局は脱落者は出てしまう以上、彼らに対して「自己責任」を問うのはけっこう残酷な話だからだ。

長々書いて結論らしい話にならなかったが、結局は生涯勉強し、行き詰まったら再びコース変更して、学び直し続けるという、地道で困難な方法しかないのかもしれない。


【福間晴耕/デザイナー】

フリーランスのCG及びテクニカルライター/フォトグラファー/Webデザイナー
http://fukuma.way-nifty.com/

HOBBY:Computerによるアニメーションと絵描き、写真(主にモノクローム)を撮ることと見ること(あと暗室作業も好きです)。おいしい酒(主に日本酒)を飲みおいしい食事をすること。もう仕事ではなくなったので、インテリアを見たりするのも好きかもしれない。