[4709] 心に残るタイトルだった◇なぜか観てなかった映画◇エセー物語

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《「オールタイムベスト映画を10本挙げよ」って言われたら》

■日々の泡[01]
 心に残るタイトルだった
【心は孤独な狩人/カーソン・マッカラーズ】
 十河 進

■グラフィック薄氷大魔王[593]
 なぜか観てなかった映画を観るシリーズ
 吉井 宏

■エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[30]
 長崎の出島
 水の中の空気遊び
 柴田友美




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■日々の泡[01]
心に残るタイトルだった
【心は孤独な狩人/カーソン・マッカラーズ】

十河 進
https://bn.dgcr.com/archives/20190109110300.html

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昨年末、六巻目となる「映画がなければ生きていけない2016-2018」を出版し、「映画と夜と音楽と---」と題して足かけ20年書き続けてきたコラムに一区切りを付けることにしました。

1999年から、毎週、デジクリに連載し、四年ほど前からは自身のブログで掲載してきました。区切りをつける理由は、最近の映画もそれなりに見ているのですが、週一回の更新ではネタ切れになりそうだということです。

「この映画について書きたい」と思わせる映画には簡単に出会えませんし、昔の映画については書き尽くした気もします。別のテーマにして、新年からブログを再開するつもりでした。

そんなとき、新刊を柴田さんに献本したところ、「デジクリ連載を再開しないか」とメールをいただき、新しく年明けからブログをリニューアル・スタートすることもあり、ブログ掲載の中からデジクリ用にアレンジして月二回の予定で連載をさせてもらうことにしました。

通しタイトルは、どんな内容でも書けそうな「日々の泡」(ボリス・ヴィアンの小説のタイトルで岡崎京子「うたかたの日々」の原作)です。当面は、「読書遍歴」を時系列に沿ってではなく、アト・ランダムに綴ることにしようかと考えています。

本のタイトルから入るつもりですが、結局は本と映画と音楽(JAZZ)の話が中心になるでしょうね。第一回目は、カーソン・マッカラーズの代表作です。

心に残るタイトルだった
【心は孤独な狩人/カーソン・マッカラーズ】

カーソン・マッカラーズの小説が映画化されたと知ったのは、映画雑誌でエリザベス・テイラーの新作が「金色の眼に映るもの」だと読んだときだった。それは映画雑誌の編集者が原題から訳したものらしく、その小説は「黄金の眼に映るもの」というタイトルで翻訳されているのを僕は後に知った。その記事が高校一年生だった僕の記憶に残ったのは、一体どんな物語だろうと思わせるタイトルだったからだろう。

カーソン・マッカラーズは、アメリカ南部を舞台にした小説を書いた女性作家だ。詩人でもあった。「黄金の眼に映るもの」は一九四一年、彼女が二十四歳のときに出版された長編小説である。その前年、二十三歳のカーソン・マッカラーズは初めての小説「心は孤独な狩人」を出して高く評価されたのだった。カーソン・マッカラーズは一九一七年に生まれ一九六七年に没するから五十年間の人生だったのだが、代表作と言われる二作を二十三歳と二十四歳で出してしまったのである。

「金色の眼に映るもの」として紹介された映画は、その後、配給会社が「禁じられた情事の森」(1967年)というタイトルに変更して公開した。巨匠ジョン・ヒューストンの監督作であり、当時、最もギャラの高いハリウッド・スターのふたりだったエリザベス・テイラーとマーロン・ブランドが共演し、ハリウッド・コードが緩んだために正面から同性愛を描けるようになった結果、ゲイ・ムービーのハシリになった作品なのだが、まるで安っぽいポルノ・ムービーのようなタイトルになってしまった。

しかし、なぜ発表後三十六年も経って、初めてカーソン・マッカラーズの「黄金の眼に映るもの」は映画化されたのだろうか。ハリウッドのコードがうるさくて、それまで同性愛をテーマにしてきちんと描けなかったこともあっただろう。ゲイであったテネシー・ウィリアムズ原作の「熱いトタン屋根の猫」(1958年)や、シャーリー・マクレーンとオードリー・ヘップバーンが共演したリリアン・ヘルマン原作の「噂の二人」(1961年)などは、同性愛を正面切って描けなかったためにテーマがボヤケてしまった作品である。

しかし、これは僕の単なる推測だが「黄金の眼に映るもの」が映画化された年に、原作者のカーソン・マッカラーズが死んでいるのが何かを物語っている気がする。それまで一度も彼女の小説は映画化されていなかったのに、翌年の一九六八年には立て続けに「心は孤独な狩人」が映画化されているのだ。その後、カーソン・マッカラーズの小説の映画化は、二十三年後に短編をベースにした「悲しき酒場のバラード」(1991年)があるだけである。「心は孤独な狩人」は「愛すれど心さびしく」(1968年)という邦題で、一九六九年のゴールデンウィークに日本公開された。

一九六九年は、東大闘争と共に明けた。一月十九日、東大安田講堂に立てこもった学生たちは、大学の要請で構内に入った機動隊によって放水と催涙弾を浴び、ひとり、またひとりと講堂(安田砦と呼ばれた)から引き立てられた。その様子はテレビ中継によって全国に流れ、多くの若者たちをいても立ってもいられない気持ちにさせた。十七歳だった僕も同じだった。その年の五月の体育祭、友人で生徒会長代行だったIはいわゆる造反演説を行って停学になり、その後、退学に追い込まれた。

そんな頃に、僕は「愛すれど心さびしく」を見たことになる。よく映画なんか見にいく気になったものだと思うけれど、あの激動と混乱の時期、ふっとひとりになりたくなったのかもしれない。「愛すれど心さびしく」のことは、テレビ番組の映画紹介で知っていた。評判はよかった。主演のアラン・アーキンは、前年に見たオードリー・ヘップバーンの「暗くなるまで待って」(1967年)での冷酷な殺人者の印象が強かったから、心優しい聾唖の青年役に僕は戸惑ったものだ。

口が利けない青年は心優しいが故に、人々の様々な感情のはけ口にされ、心の中に澱のようなものをため続ける。人々は彼に話すことで何かを解放しているのだが、彼自身の屈託や鬱積には出口がない。そんな中で、ただひとり、彼と気持ちを通わせるのは、下宿している家の少女ミックだけである。ミックだけが青年の救いになる。昔、僕は初めて村上春樹さんの「1973年のピンボール」を読んだとき、冒頭の文章から「愛すれど心さびしく」を連想した。こんな文章だ。

----彼らはまるで枯れた井戸に石でも放り込むように僕に向って実に様々な話を語り、そして語り終えると一様に満足して帰っていった。

村上さんはエッセイなどで「愛すれど心さびしく」を好きな映画だと書いているし、カーソン・マッカラーズの短編を翻訳もしている。もしかしたら、十代で「愛すれど心さびしく」を見た後、僕と同じように「心は孤独な狩人」を読んだのかもしれない。だから、「1973年のピンボール」の冒頭で僕が連想したことは、あながち的外れではない可能性もある。「愛すれど心さびしく」を見た後、僕も「カーソン・マッカラーズを読まねば」と妙な悲壮感を抱いて決意した。まだ十七歳の幼い少年だったのだ。

聾唖の青年の救いであった少女ミックを演じたのは、この作品でデビューしたソンドラ・ロックだった。すでに二十歳を過ぎていたが、少女のような儚さと脆さと、意識しない残酷さを持っていた(それが悲劇的なラストを呼び寄せる)。しかし、じっとさみしそう見つめる彼女の視線が印象に残った。そんなソンドラ・ロックはデビュー作で、いきなりアカデミー助演女優賞にノミネートされる。しかし、後にクリント・イーストウッド作品でヒロインとして活躍し、私生活ではイーストウッドのパートナーとして一緒に暮らし、やがて破局を迎え裁判で争うことになるとは予想もしなかった。

昨年末、十二月十五日の新聞の訃報欄にソンドラ・ロックの小さな写真が載っていた。ソンドラ・ロックは十一月三日に死亡していたが、一ヶ月以上経って判明しAP通信が発信したのだという。一九四四年生まれの七十四歳だった。死亡記事を読んだ僕の頭に「コラムを書くとしたら『儚い女----ソンドラ・ロック』というタイトルだな」という思いが浮かんだ。僕はイーストウッドとのいきさつを思い浮かべて彼女の人生を偲び、そんなフレーズを連想したのだけれど、やがて「愛すれど心さびしく」の消えてしまいそうな儚い少女の姿が鮮明に浮かび上がってきた。

【そごう・すすむ】

ブログ「映画がなければ----」
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■グラフィック薄氷大魔王[593]
なぜか観てなかった映画を観るシリーズ

吉井 宏
https://bn.dgcr.com/archives/20190109110200.html

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年末に映画「ペーパー・ムーン」(1973年)を観た。めちゃくちゃ良かった。今、「オールタイムベスト映画を10本挙げよ」って言われたら、ベスト5以内に入れると思う。
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そういえば、僕的「オールタイムベスト映画」って、この連載を始めるちょっと前の2005年に単発の「デジクリトーク『映画の話、5本立て』」として書いて以来、ちゃんと考えたことないかもしれない。

8年前にここにちょっと書いたけど、1990年〜2010年=フリーになって20年間、忙しくてほとんど映画を観てなかった。たぶん、当たった試写会や「スター・ウォーズ」関連やDVD購入・レンタルを合わせても、年に5〜10本くらいか。

80年代末まではそこそこ観てたつもりだったのに、本や会話で引き合いに出されてる映画を観てなくてクヤシイ。映像やアニメーションの仕事の打ち合わせで恥をかくかもしれない! ひどいことに、DVDは格安ボックスセットなども合わせて本棚数段が埋まるくらい買ったのに、大半を観てなかったりするしw

これはマズいと「なぜか観てなかった映画を観るシリーズ」として意識的に見始めてから、年末にようやく500本を超えた。ペースとしては8年全体の平均は1週間に1.2本。ここ数年はちょっと多くなってきて、だいたい3〜4日に1本のペース。

↑ 「毎日寝る前に必ず1本観る」や「仕事しながら一日に2〜3本」の人も普通にいるようなので、本数は不問にしてほしいw 僕の場合はあくまで、「2010年までに観てて当然なのになぜか観てなかった映画を観る=失われた記憶を取り戻す」ようなもの。

あと数年ほどで目的は達成できるだろうから、その後はマイペースに戻す予定。

よほど面白くて引き込まれないかぎり、落ち着きがない僕としては20分も続けて観てられないから、一本観るのもけっこう時間かかるのだ。ながら見できる人がうらやましい。ポッドキャスト的なトークのYouTubeは作業中流しっぱなしにすることあるけど、映画やドラマは無理だなあ。

空白期間1990年〜2010年の映画だけでなく、僕が子供の頃にタイトルだけは知っていたような有名映画や、2010年以降の話題作も観てます。

2005年の記事で挙げた映画は、昔の中高生の選択みたいでなんか恥ずかしい。だいたい、20年間ほとんど映画を観てなかった時期ど真ん中に選んだベスト映画なんて、信用できないw 今観たらぜんぜん違う感想になりそう。

2010年以後に観た500本と合わせて、「新・オールタイムベスト」を挙げたらどうなるか、自分でも楽しみ。そのうち考えてみたい。

「ベスト」には二種類ある。「大好きな映画」と「私的に重要な映画」。その意味で、両方がかぶってる僕のオールタイムベスト1は「ジョーズ」で不動かな。

10本を選ぶのは相当むずかしそうだけど、100本では緊張感がなくてつまらない。20本くらいがちょうど良さそう。

以前、「私を構成する9枚」でアルバム9枚選んでジャケット画像を載せるのが流行ったけど、あれもけっこう悩んだ。

単に好きなアルバムじゃなく、「現在の好みの音楽のルーツとなるアルバムとの出会い」的に捉えると、割とスッキリ答えが出た。あんな感じでイケそう。
https://bn.dgcr.com/archives/20160203140000.html



【吉井 宏/イラストレーター】
http://www.yoshii.com/

http://yoshii-blog.blogspot.com/


年末年始はここ数年、恒例の「クリエイターやアーティスト関連のドキュメンタリー映画の一気見」をして気分を盛り上げた。今年は本気出すw

・スワロフスキー「HOOT HAPPY HOLIDAYS 2018年度限定生産品」
https://bit.ly/2QbNMmg


・スワロフスキー「SCS ペンギンの妹 PATTY」
https://bit.ly/2OZa3n9



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■エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[30]
長崎の出島
水の中の空気遊び

柴田友美
https://bn.dgcr.com/archives/20190109110100.html

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◎長崎の出島

祖母の一周忌で、また長崎に行ってきました。今回は散歩のついでに出島に行ってみました。長崎の出島は、今発掘調査をしていて、出島の街並みが再現されています。

出島はもともと長崎に雑居していたポルトガル人を集めて住んでもらうのにつくられたそうです。(島原の乱などでキリスト教の布教を抑えたものの、貿易は続けたかったためだそうです。ポルトガルと言えばカステラですね)

そのうちオランダが、「ポルトガルよりうちがええよ。」と誰かに言って、ポルトガルとの取引はなくなる事になったそうです。出島はしばらく空き家になったものの、平戸にいたオランダ人達が引っ越してきて、新たな住人になったそうです。(オランダと言えばハウステンボスですね)

そのうち日本が開国し、出島はその役割を終えたそうです。

その後も長崎には外国人がたくさん住んで、南山手にはイギリスの商人のグラバーが住んでいます。(長崎の住人で以外と多いのがロシア人みたいです)

秋の長崎くんちでは、町内が持っている船や龍踊りが長崎市内を巡回していくわけですが(町内には7年に1度当番が回って来るそうです)、船は日本の船だけじゃなくて南蛮船(ヨーロッパの船ですね)、唐船(中国の船ですね)もあります。

おくんちは出し物を追いかけて、町中を行ったり来たりしないといけないので大変ですが、見る価値はあると思います。前に長崎県庁の前で龍踊りを見ている時に、さだまさしも龍踊りを見ているのに気がついてびっくりしたことがあります。

出島には当時の暮らしの再現された部屋、蔵の様子が展示された建物、どんなものが輸出入されていたかが展示されている部屋がありました。お侍の格好をしたスタッフさんもいて面白かったです。

出島の発掘調査には、ヨーロッパや東南アジアにも協力を依頼したそうです。(オランダ人は218年間出島に住んでいたそうです)出島には東南アジアから来た人もいたようで、バトミントンをしている絵が残されているようです。

ちなみに中国とも貿易は続けられていて、中国人は唐人屋敷という出島とはまた違う所に住んでいたようです。中国人はオランダ人よりは長崎の人との交流が許された(?)ため、長崎に色々な中国文化が根付く事になったようです。

出島は今は埋め立てられて、陸地の一部になっています。もしかすると迷子になったポルトガル船や、オランダ船が、あなたの家のベランダにやってくるかもしれません!

もし船が来たら、遊女の手配をしたりしないといけないし、荷物の中に生きたゾウがいたら無事に江戸のお殿様に届けないといけないし、結構大変だと思います。

そういえば、長崎の原付バイクのナンバープレートは出島の形をしていました。


◎水の中の空気遊び

どうしてもあの人の事を考えてしまうのをどうにかしないといけないと思って、川の浅瀬に行って足をつけてみた。

そうすると私の肺が大きくなって、一頭のゾウが出現した。そのゾウと水遊びをしていると、突然男の人が現れて、そのゾウを引っ張って行ってしまった。

「まったくこんな所にいたのか。水ならさっき飲んだばかりなのに」「待ってください、それは私の肺なのです」そう言っても、その人はゾウを連れて行ってしまった。

すると突然空の色がまだらになり、私の口に飛び込んできた。

私の肺は、どうやら新しいものになった。新しい肺になると、声が出しやすくなるようだった。私は「愛してるよ。」とつぶやいてみた。終。

【柴田友美(しばたともみ)】

短いお話を書いています。
huochaitomomi@gmail.com

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私個人のホームページ
http://mrs-mayo.babyblue.jp/menu/index.html



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編集後記(01/09)

●偏屈BOOK案内:伊藤羊一「一分で話せ」SBクリエイティブ 2018
筆者はヤフー株式会社コーポレートエバンジェリスト Yahoo!アカデミア学長、グロービス経営大学院教授。この本は「伝える力」を世界で一番簡単に習得できることを目指しているという。ものすごくわかりやすい。そんな簡単なことでいいのか。30年若かったら、この手法を用いてバリバリ仕事できたのにな。

多くの人が誤解しているのは、「自分が伝えたいことを話せば、人は話を聞いてくれる」ということだ。わたしもそう思っていた。だが、筆者は断言する。「人は、相手の話の80%は聞いていない。場合によっては90%くらいかもしれない。それが当然だと思って下さい」。自分の話を聞いて欲しいならまず「みんな人の話を聞いていない」ということからスタートせよという。そんな……。

「1分で話せるよう話を組立て、伝えよう」これが基本である。「1分でまとまらない話は、結局何時間かけて話しても伝わらない」。逆に言えば「どんな話でも『1分』で伝えることはできる」ということなのだ。5分で話すべきことも、30分かけて話すことも、1時間与えられた時でも、まずは「1分で話せるよう」話を組み立てよ。そんな……。その極意を教えてくれるのがこの本である。

話には結論と根拠がある。根拠は複数あることが多いので、三角形の底辺に並べる。頂点のほうに結論を置く。「1分で話す」の形はここにある。まず伝えたいことの骨組み、つまり結論と根拠を構築する。これができれば、驚くほどの説得力を増す伝え方ができる。型にはめて「ロジカルに」考える癖をつければ確実に説得力を増す話ができる。根拠(理由)は3つあったほうがいい。

ピラミッドがしっかりできていれば、その通りに人に話せばいい。「私の主張はこうです。理由は3点あって、1点目はこう、2点目はこう、3点目はこうです」という感じである。より簡単な言葉を使う。一般にカタカナ語や漢字より、ひらがなの日本の言葉のほうがわかりやすい傾向がある。言葉を削る。最終的には気合いと根性の世界だ。ひたすら「スッキリ、簡単」を目指し削りに削る。

中学生が理解できるレベルの言葉しか使わない。「自分の存在をかける」くらいの気合いで、聞き手に伝えなければならない。そうでないと、聞き手が動かないからだ。筆者は孫正義にプレゼンしたときは、300回練習した。単に毎回、同じことを棒読みし、覚えようとしていたのではない。10回に1回は録音した。

聞きながら、ここがよくわからない、ここは言葉が飛んだといったことを振り返り、毎回、話す言葉を少しずつ改善していきながら、より説得力を増すために練習していたらいつのまにか300回になった。それだけ練習することで自信をもってプレゼンすることができた。その結果、相手が動いたと確信している。

かつて「DTPの伝道者」として(笑……ってる場合ではない)、ずいぶん講演をこなしてきたが、いま思うと若気の至りである。「自分の存在をかける」気概はなく、うけを狙った一方的な雑談であった。ああ恥ずかしい。「1分で話す」型がわかったから、今後の討論の場で活用できそうである。(柴田)

伊藤羊一「一分で話せ」
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●十河さんの復帰が嬉しい!

/図書館で地震。学生たちと並んでテーブルに座って、メモを取りながら本を読んでいた。Apple Watchが振動し、目をやると「ゆれくるコール」。3秒後に震度3。

実はその前日に、「ゆれくるコール」の一斉テストがあって、iPhone 5sには届いたが、9月末から使っているXSには届かなかったので、設定を見直したところだった。

すぐに足元から揺れはじめ、目の前の大きなガラス窓も振動した。ブラインドの紐も小さく揺れ続けた。地盤の弱い場所に大きなトラックが通ったような、そんな揺れだった。続く。(hammer.mule)

「ゆれくるコール」iOS、Android
http://www.rcsc.co.jp/yurekuru