晴耕雨読[50]趣味と仕事と生活の話/福間晴耕

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「好きなことを仕事にするのは是か非か」とは、古くて新しい論争のテーマだが、長らく議論されてきただけあって、どちらももっともらしい定説がある。

一つは、仕事では好きなこと以外もやらなければいけないので、嫌な部分が見えてくるし、税金の話や値段交渉など嫌でも避けては通れない作業があるので、結局は嫌なことも多いし、好きな分「やりがい搾取の罠」に嵌って、安く使われがちだからやめたほうがいいと言う説である。

もう一方で、一生やらざるを得ないのだから好きでないと続かないし、後で人生を振り返った時に、お金のために無為に過ごした時間を後悔するので、好きなことこそ仕事にすべきだという説である。





自分はゲーム系のCG映像制作という、ある意味究極の好きなことを仕事にしたパターンだが、振り返ってみると、そのどちらも腑に落ちる。

若い頃はあれほどやっていたゲームも、今では仕事でさんざん触ってきたせいか、家に帰ってまでやりたいとは思わなくなったし、美しい映像を見てもついつい「どうやって作っているのだろう」と気になってしまう。

それでもいまだにゲームは好きだし、映画などで見たこともないシーンがあるとわくわくしてしまう。

それにしても、こうした好きな事を仕事にしている業界にいると、世の中には本当にそれが好きで好きでたまらない人がいるのを実感する。そうした人は、ゲームであれば家で「気分転換」にゲームをプレイし、絵かきであれば喫茶店のナプキンにも無意識のうちに落書きをしてしまうのだ。

そして、自分がお会いしたその業界で天才や達人とも呼ばれる人の多くは、こうしたタイプであった。

ある分野でプロフェッショナルになるためには、1万時間の練習時間が必要だという説があるが、こうした人達はごく自然に、その1万時間をクリアしていくのだと思う。

とはいえ、たとえ好きで上手くても、それがすぐに売れ行きと繋がらないのが、多くのクリエイティブな世界だ。漫画家や作家やミュージシャンなどは、ある意味、プロスポーツ選手に近い世界でもある。だからこそ、本当に好きな人間が目につくのだろう。

好きな事を仕事にするのと似ているのが、プライベートと仕事の区別というテーマだろう。

かつて昭和の時代には、サラリーマンの多くは会社の同僚とアフターファイブでも飲み歩き、会社の同僚の女性と結婚し、社宅に住んで年に何回も会社主催の花見や忘年会、更にはスポーツ大会といった数多くの娯楽まで、会社と共に生きてきた。

それ以外の分野でも、農家や家内工業では生活と仕事の場は一心同体であった。今ではそんなことは少なくなったとはいえ、ベンチャー企業や家族経営の仕事のように、生活と仕事の区別は薄い仕事は残っている。

自分はかつてベンチャー系の友人たちの会社で働いていたことがあるので、その雰囲気はよく分かる。友人たちと仕事をしていると、気心が知れた分、意思疎通も簡単でいろんなことに融通が利き、仕事と遊びの境界線が薄いこともあって、仕事をしていてもとても楽しく、すべてが順調で上手く回っていくように思えたものだった。

だが、いっぺん躓くと、ビジネスライクに割り切れない分ついつい無理をしたり、仕事上の衝突がそのまま人間関係にも影を落としてしまう。それでもまだ友人同士の間柄ならまだマシなほうで、家族経営ともなれば縁を切るわけにもいかず、仕事のトラブルはそのまま一家の生存に関わってくる。

それどころか、特定の顧客や取引先とも密接な関係があれば、更にしがらみは複雑になってくる。

以前にお寺の家で生まれた人と話した時には、家族だけでなく檀家さんとも密接なつながりがあって、時には人生相談を持ちかけられることもあると聞いたことがある。

光が強ければ、一方で影も濃くなるという諺ではないが、一方でメリットがあれば、その分デメリットもあるのだろう。


【福間晴耕/デザイナー】

フリーランスのCG及びテクニカルライター/フォトグラファー/Webデザイナー
http://fukuma.way-nifty.com/

HOBBY:Computerによるアニメーションと絵描き、写真(主にモノクローム)を撮ることと見ること(あと暗室作業も好きです)。おいしい酒(主に日本酒)を飲みおいしい食事をすること。もう仕事ではなくなったので、インテリアを見たりするのも好きかもしれない。