はぐれDEATH[68]はぐれの大学受験・理系と文系の揺れ/藤原ヨウコウ

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年をまたがず早々と、おねえちゃん(編集部注:娘さんのこと)の合格が決定した。「チャリ圏内の国公立」という得体の知れない第一志望と、「歴史がやりたい」という、真っ当な志望動機が叶えられたのは誠に喜ばしい。

まぁ正直ビックリした。本人と一緒に「ダメ元」と話していたし、願書だの書類だのを出した後は(全部奧さんがやった。ボクは何もしてない)本番に備えて、インフルエンザの予防接種を受けに行ったくらいである。

公募推薦とやらで合格したのだが、とにかくボクには公募推薦なるものがさっぱり分からんので(おねえちゃんから聞いて初めて知った)詳細はもちろんパスだ。

受験にあたって何がボクを悩ませたかといって、よりにもよって中身がボクと酷似している点である。ここは奥さんに似て欲しかった。

ここで毎度のように親バカ全開作文を展開することもできるのだが、今回はやめておく。なんか災いが起きそうだから。





●「会社員=技術屋」という概念

というワケで、ボクの大学受験の話を蒸し返すことにする(笑)

小学校でよく「将来なりたいもの」を、書かされたり、聞かれたりの経験がある方は少なくないと思うのだが、ボクは「会社員」でずっと通したし、「会社員」とは「技術屋」の別称であると思い込んでいたことは、以前にも散々書いているのではしょる。

で、技術屋になるためには、それなりの大学に入っておかないとどうしようもないことになるのは、福山での生活で痛感していた。何しろ企業城下町だし、ボクが住んでいた一帯は、親父が勤めていた会社の社員のための新興住宅地という側面が非常に強かった。

それでも、よその家のことはあまり知らない。技術屋として生きるサンプルは、親父以外知らなかった。で、正直、このサンプルが悪すぎた。いやいい意味で。出来過ぎなのである。

ここで他にサンプルを探せばよさそうなものだが(とにかく、近隣住民はサンプルだけなのだ)ナゼか親族の方に目がいってしまい、ここでも親父同様のサンプリング結果しか得られなかった。

揃いも揃って旧帝大工学部がずらりと並ぶと、それはそれで結構なプレッシャーなんですよ。それでなくても、一族でボクの代は男がボクしかいないんだから…… _| ̄|○;

要するに、もう国公立上位の工学系に行くことしか、基本、頭になかった。これは完全にボクの歪な会社員像を前提にしている上に、見聞の狭さはピカイチなので「選ぶ」というよりは「そうするしかない」という気分の方が強かった。

一方で真逆の、「歴史をやりたい」という気分もあったのは事実である。

それでも上位国公立に合格するために、敢えて県を越えて当時の備後・備西地区屈指の進学校に無謀に挑み、まぐれ同然で合格してしまった。一応、当初目的の「会社員」への道は、この段階ではまだ可能性が大いにあった。

だが、進学校というのは成績優秀者が集まる場所でもある。更に言えば、同じ学年でもトップ10の席次が、大変動することはほとんどない。

うろ覚えだが、ボクの学年は200人ぐらいで、ボクは120〜160位代をうろちょろしていた気がする。極稀に60位の末尾に名を連ねたこともあるが、あくまでもこれまたまぐれであり実力とは程遠い。

そもそも、マジメに勉強する気を完全に失っていたのだ。この辺の気分は前にも書いたのでざっくり行くが、「成績優秀な連中の頭の中身は果たしてどうなってるんだろう?」と思うぐらいに、連中の吸収・応用能力はボクとは比べものにならないぐらいすごかった。

ボクが努力してどうこうなるレベルではないのだ。で、こういう連中に限って、ナゼか努力も忘れないので手に負えない。基礎的な学習能力で既に大きな差がついている上に、努力が積み重なると、ボク程度の凡人の努力などもうどうでもいい気がしてくるし、実際ボクはこれで完全に戦意を失った。

進学校で努力を怠る、というのは即落ちこぼれを意味する。ボクはものの見事に、この落ちこぼれ集団の仲間入りをすることになった。

それでも席次が120〜160位代で推移していたのは、英語・社会(ボクの場合は倫社・世界史・日本史)と漢文・古文で、それなりに点が取れていたからだ。

「ってそれって完全に文系やん!」と特に突っ込んでいただかなくても、当時からそれは十二分に理解していたし、肝心要の「会社員」(しつこいようだが技術屋)への道が、ものの見事に遠のいていく実感はものすごく強かった。

まず数学。数Iでいきなりこけてしまい、数IIB、数III(当時の呼び方です)は、それこそ「相対性理論」や「統一理論」のごとき体をなしていた。それでも内容はほぼ理解できていたのだが、解答の仕方である数式がボクには理解不能で、完全にお手上げ状態だった。

「抽象概念ですら脳内で視覚化されて把握する」というボクのアホな能力は、理解を進められても解答は出来ないという、どうしようもない結果しか生み出さなかったのだ。

「絵に描いて解答してもよろしい」というような設問の仕方はあり得ないので、どうしようもないではないか。

これと同じことは、化学・生物・物理でも起きた。もちろん全滅である。

普通ならここで、「理系は向いていないから文系コースのクラスに行こう」と思うのだろうが、踏ん切りの悪さとしつこさは、ここでもものの見事に発揮されてしまい、理系クラスに進学した。アホや……。

理由は単純明快で、まだ「会社員」への道を諦めていなかったからだ。しかも、この期に及んで、まだ技術屋である。というか、高三になっても「会社員=技術屋」という概念は、まったく崩れていなかったのだ。

進学校なので、稼業であるお医者さんや歯科を継ぐために、この学校に来ている学生も多かった。文系に目を向けると、銀行員・弁護士・会計士等々の子弟がうようよいる。

もうちょっと目を向ければ、目の前に日本史・世界史・倫社の先生がおられたので、好きな歴史をやって教員になるというてもあったのだが、これは母方の祖父が実践している。

「母方の祖父が実践していたのに、なぜそちらに行かなかったのか?」という疑問を抱く方も少なくないだろうが、以前に書いたかもしれないが、母方の家は一言で言えば大地主なのである。経済的なゆとりは十二分にある。

好き勝手やっても、教員をしている限りは、特に家そのものを傾けることにはならないのだ。本の重みで家を実際に傾けて、建て替えたけど(笑)

会社員の子であるボクが、このような方向へ進むのは正直無理だと思っていた。だから、しつこく理系に席を置き続けたのだ。

●斜め上にも程がある

さすがに3年の夏休みが終わる頃には、「ホンマに努力でどうこうできるような状態ではない」ことを自覚していた。悲しいかな、ロクに勉強もしていない文系科目は順調に成績があがり、世界史(共通一次試験の関係で、ボクは倫社と世界史を選択していた)は、常に上位に位置していた体たらくである。

ちなみに世界史を選択したのは、筆記試験で固有名詞の誤字を避けたかったから、という身も蓋もない理由からである。大体カタカナで大丈夫やからな(爆)

歴史というのは、基本はただのストーリーである。起承転結の「結」が次の「起」になる法則だけを理解していれば、黙っていてもボクの場合、頭の中にすんなり入るし、それ以外の解釈の仕方は基本あり得ないとすら思っている。

これに普段の読書癖が加われば、努力らしい努力をしなくても、勝手に頭の中でストーリーは繋がっていくのだ。ちなみにおねえちゃんも同じだし、母方の祖父も母も同様で、遺伝子の恐ろしさが垣間見えるエピソードである。

ひそかに「歴史方面にいこうかなぁ」と思ったのは、三年の二学期の半ばだ。自分で突っ込むのもなんだが、遅すぎるわっ!

にもかかわらず、「教員」という選択肢はなく、なぜか「学者」にまで飛躍する。極端すぎるにも程があるのは理解していたが、やる以上は専門家としてとことん行こうと、無駄に張り切ってしまったのだ。

そして運命の共通一次試験。がっつり予想通り、化学・物理で致命的な点数しか取れなかった上に、現国が全滅というおまけまで加わり、唯一の志望校(歴史です)のボーダーラインを遥かに下回ってしまった。

呆然としているボクに、京都工芸繊維大学を薦めてくれたのは他ならぬ親父だった。しかも意匠工芸学科という、得体のしれない(失礼)学科である。

「斜め上にも程がある」と思ったのだが、浪人はほぼ確定していたし、普段はこの手の気遣いを露骨に見せない親父の薦めである。受けるだけ受けてみることにして、赤本を探したのだが見つからない。

36年前の話なので、受験に関する情報は事前の模試なり、参考書・赤本に頼らざるを得ないのだが、何しろ「京都工芸繊維大学」という大学名すら、ボクは知らなかったのだ。

ボクが使っていた参考書に学校名が載っていれば、知識として知っているはずなので、ボクの守備範囲外だったのだろう。

で、赤本が届いて目んたまが飛び出そうになった。以前にも書いたが、実技試験があるのだ。もうここまでくると、想定外を通り越している。

何度も書いているのだが、ボクは美術の成績が良かったことは皆無である。むしろ、苦手意識の方が強かった。絵を描くのは好きだが、強制されて描かされるのがイヤでイヤで仕方ないのだ。

だから、基本、美術の授業は居眠りか、雑に描くか作業するかでお終いである。興が乗った課題だけはマジメにした。

これまた何度も書いているので恐縮なのだが、そもそも美術デッサンなるものをボクは、大学時代にアテネ像を描いただけの経験しか持たないし、アカデミックなデッサンなど、高校時代にしてるはずもない。今だってまったくやってないのに。素描はしてますが、あくまでも主観による素描なので性格はまったく異なると思う。

とにかく、実技である。この辺も前に書いた気がするので端折るが、美術の先生に頼み込んで2月いっぱい、やるだけやって観光気分で京都へ向かった。

ボクが宿をとったのは、三十三間堂の東隣のホテルである。真ん前には京都国立博物館まである。さすがに試験前に行くのは憚られたので行かなかった。

それでも三十三間堂は行ったな。試験そっちのけで、壮観としか言いようがない仏像の列に見入っていた。もちろん、合格祈願のために行ったのではない。単なる興味本位である。

実は宿に入る前になって、このお寺の存在を初めて知ったのだ。「気になる」と思えば、そっこーで行動に移すのがボクの悪い癖である。さらにホテルのお隣という近さも手伝って、めんどうくさがりのボクには、うってつけの(!)気晴らしの場所である。

で、実を言うと2泊3日の受験の思い出は、これと関西弁ショックくらいで、試験そのものについてはほとんど憶えていない。

●その時任せの運と狂気の人生へ

「遊びもここまでで、帰ったら予備校の資料集めとまた受験勉強」という試練が待ち構えていたからだ。ただ、合否判定を電報(!)で教えてくれるというサービス(?)には素直にのった。わざわざ不合格の発表を、京都くんだりまで見に来るほどつまらんことはない。

更に父の東京本社栄転が決定していたので、ボクも一緒に行って東京で浪人生活を送るつもりだった。だから、この時点で本来は京都とは接点がなくなり、ただの思い出にしかならないはずだったのだ。

もちろん大学は東京の国公立しか受ける気はなかった。下宿などという面倒臭いことは真っ平ご免で、「自宅から通える範囲」というおねえちゃんのことをちょっとも笑えない理由だ。もうアホなコトしか遺伝せぇへんな…

ところが、どこでどう間違えたのか届いた電報は「サクラ サク ゴウカク オメデトウ ゴザイマス」だったので、ビックリ仰天である。だが、ボクは一度大喜びしたものの、「もしかしてタチの悪いイタズラとちゃうか?」と疑い始めた。悪い癖である。

大学から正式な合格通知と、入学手続きの必要書類が届いて初めて「受かってしまった」と納得したのだ。

後から分かったことだし、これまた何度も書いているのだが、今回は詳細に記述しておく。合格決定の最大の理由は、共通一次試験結果と実技試験が、思いのほか良かったためだ。

今は知らないが、当時ボクが受けた学科は、共通一次試験を傾斜配点として組み込んでいた。英語は200点満点で、他は全部100点満点に半減させて、合計の600点満点で計算するという方法である。二次試験の数学100点・実技A200点・実技B100点、合計1,000点満点で合否が決まる。

英語は幸いなことに180以上取っていたので、これがかなり有利になった。むしろ現国や化学・物理の大失敗は、配点上半減である(ひたすら0に近いのだが)。数Iは満点を取っていたし、社会は合計で198点。傾斜配点のメリットは十分過ぎるほどあった。

想定外だったのは実技である。これまた入学してから分かったのだが、周りが下手すぎただけの話である。ちなみに二次試験で数IIBと数IIIがあったのだが、これは100点満点で32点(後から教授が教えて下さった)。

実技1(デッサン)は200点満点で140くらいだったかな? 実技2は100点満点で67〜68だったように思う。決して立派な成績ではないが、ボクよりも実技で下回った受験生の方が、圧倒的に多かったのだとしか思えない。まぁ、実技の授業が始まってすぐに、納得はしたんですけどね。

真っ当な受験態度とはとうてい思えない状態で受けた大学だったが、浪人するのは面倒臭いのでさっさと路線変更したのは言うまでもないし、この後まったくの未知の領域に足を踏み込んでしまい、紆余曲折を遥かに通り越した自爆・胴体着陸・沈没を繰り返し、それでも当初予定の会社員になったのは、今にして思うと相当無茶苦茶な話である。

いや、実話ですがね。おねえちゃんが合格したと聞いて思いだしたのは、これらの恥の歴史である。

ボクも親父の背中をみて育ったのだが、ボクの場合は明らかに真っ当なサンプルを見て、なおかつ文字通りその時任せの運と狂気の人生へ向かったのに対して、おねえちゃんはこの狂気の父の背中を見ていながら、真っ当で予定通り(ちょっと怪しいけど)すんなり第一志望校へと進もうとしている点である。

余談だが、ボクの歴史熱は大学院時代の論文でものの見事に発揮され、未だにこの領域を足がかりに雑食・増殖を続けている。「技術史」というジャンルは、高校時代には思いもよらなかったからなぁ。

●「好き」を常に最優先させたから

こうして些か強引ではあるが、「技術」と「歴史」はボクの中で結合された。考えてみれば、高校時代の矛盾は矛盾ではなく、このような方向性もあったわけで、あくまでも結果として「技術屋」(エカキになっちゃったけど)と「歴史」という二つの願望は叶えられていることになる。

結果論だし、我田引水の誹りは到底否めない上に、王道から遥かに遠い道ではあるが(だから面白いんですがね)こうして振り返ってみると、十分シヤワセな人生であることを再認識して、自分でも驚いている。

もっと分析すれば、ボクは好きなことしかしていないし、この先も好きなこと以外しないだろう。徹底的に自己チューで、ありありとあらゆる責任と義務を放棄してでも、「好き」を常に最優先させたことが、この結果になったとしか思えない。

「好き」であることが最大の武器であり、知識と技術もこの「好き」があったからこそ、どれだけ無茶苦茶なコトをしても、平気でいられたし楽しんでいるのだと思う。

だから、おねえちゃんには「好きなことをしたらええねん。ただ好きなことを続けたかったら一生勉強やで」と言い続けたし、無茶苦茶な背中であるにもかかわらず、この一点に関しては決してブレなかった自信はある。彼女がどう見ているのかはもちろん別です。

素直に真っ当に「好き」を彼女には謳歌し欲しい。幸い「知識を得る」ための方法論は自得できているようだし、できるだけそうなるように仕向けてはきた。おかげで21世紀生まれとは思えない価値観の持ち主になってしまったが……。

「好き」は徹底的に好きだし、イヤなことは何をどう言おうが、何をしようが絶対に「イヤ」な子なのである。後はいい方へ転んでいってくれることを祈るしかない。

結局、オチは親バカ話になったか。まぁしゃあない。おねえちゃん大好きだし(笑)


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com