羽化の作法[77]現在編 意識について 茂木健一郎さんの最新動画と「最新物理学説で読み解く、『生まれ変わり』の実在性」動画の紹介

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こんにちは。武盾一郎です。

ところでデジクリ執筆陣のセーラー服おじさんことケバヤシさんは、意識の謎についていくつも執筆されてまして、そのレポートはどんどんハイクオリティになっております。

人工意識研究の第一人者・金井良太氏のツイートをご覧ください。

「セーラー服おじさん、意識研究相当詳しい。研究者でもIITの意味についてここまで理解している人少ないのではないか。」


意識の最先端の研究について、科学者の話を聞いてもちょっと分からなかったりしますよね? そんな時はケバヤシさんのデジクリ原稿をオススメします。ケバヤシさんのデジクリアーカイブ。
https://bn.dgcr.com/archives/GrowHair/


私も懸命に意識の謎を追いかけているのですが、ケバヤシさんのように数学が分かってる訳ではないので、理解に限界があります。それでも自分なりに意識の謎を追いかけています。そこで今回は二つ動画を紹介します。





● #もぎけんの意識ばなし

ひとつは茂木健一郎さんが意識について語っているYOUTUBE動画です。「#もぎけんの意識ばなし」とタグを付けて、今年1月12日から始めています。動画は1本2分台とコンパクトです。再生リストを作りましたので、ぜひご覧になってください。


茂木さんの話を、ざっと自分流にまとめてみます。※は私のコメントです。

『自由意志の両立説について』


私たちは自由意志を持っていると思っています。しかし、実は無意識の因果的決定論に基づいていて、それを自分の自由意志だと錯覚してる。という構図が現代の科学では主流になっている、と。

ではなぜ自由意志という幻想が必要なのか? それは脳の状態をチェックするためなのではないだろうか。「自由意志をもって生きていると自覚してる」という「錯覚」が起こっている時の脳はうまく働いていて、「自由意志をもててないと思う時」は脳はうまく働いていない、といったように。

※意識の謎を調べるほどに、なんで意識が必要なのか? という疑問が湧いてしまう。例えば、AIシンギュラリティが起きたとして、そのAIに意識は宿ってなくていいんですよね。もし違和感なく会話できるロボットができたとしてもそのロボットに意識は宿ってなくていいんですよ。哲学的ゾンビで充分なんですよね。そう考えると「意識が在ること」に対して、どこか超越的な何かを期待してしまうのです。

『自己意識の中心の空虚さについて』


意識には自己意識というが当然あるのですが、この私《セルフ》というのは、中心に行けば行こうとするほど無色(void)になっていきます。

視覚・聴覚などの感覚的クオリア(sensory qualia)はtangibleで実体がある。そして志向的クオリア(intentional qualia)はその感覚的クオリアに解釈を与えるもので、抽象的になる。そしてそれはセルフに近い。つまりセルフに近付くほど抽象化して実体がなくなっていく。

※これは仏教でいう「空(くう)」の概念だろうか。空(くう)とは事物の抽象化の行くつく先である。それが「私」ということでもあるのだろうか。具体的な私と抽象的な私の、両極を併せ持つのが《私》ということなのだろうか。

『志向性と感覚性のマッチング』


志向性とは言葉の意味である。あるものが何かを指し示している、ということである。「シニフィアン」と「シニフィエ」のようなものでもある。

「シニフィアンとシニフィエ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A8


例えば、「30億光年離れた場所にある恒星」と聞くと、私たちはイメージの中で「30億光年も離れた場所にある恒星」に行けます。これが志向性です。

それに対して感覚的クオリアとは、「赤の赤らしさ」だとか「水の冷たさ」で、明からに両者は様子は違います。

空間構築も志向的クオリアではないだろうか。「志向的な空間の構成」と「その中での感覚的クオリアの配置」というのが、志向性と感覚性のマッチングの基本であるだろう。空間という不自由さと、言葉の意味という自由さはかけ離れているように見えるが、志向性クオリアとしてひとつのスペクトラムで繋がっているのだろう。

『意識の中の時間の構造について』


主観的な時間の流れは物理的な時間の流れと違う。心理的な時間は現在の連続で、数直線上に点が並んでいるのとは違う。実数ではない。広がりのある今の連続です。物理的な時間を使って心理的時間の流れは説明できないであろう。

※まあ、そりゃそうだろうという感想ですが、ひょっとしてすごく難解な含みがあるのでしょう。「広がりのある今」ってひょっとしたら複素数なのかな? とか、ちょっと思ったりしました。それは意識と虚数って関係あるような気が漠然としていまして、マンデルブロ図形が複素数だからという雑な根拠なのですが。
http://samidare.halfmoon.jp/mathematics/ChaosAndFractal/ChaosAndFractal7.html


『人格の同一性について』


夜寝て朝起きても私という意識の連続性は続いていますが、それはよく分からないのです。睡眠の前後で意識が連続している、自我が連続している、という事をもし認めるとするならば、人は死なないという事になります。

例えば、死んだとしても宇宙の歴史の中で私と同じ生命体が生まれたら、それは寝て起きて私が連続してるのと同じ事になるのではないでしょうか。

※「人は死なない」に一瞬ハッとしましたが、よくよく聞き返してみるとすごく難しいです。でも私が死んだ後、いつかどこかで「私だ」と意識が戻ると思うと、なんだか安堵するのも確かです。

意識はなぜか「永遠」を求めます。それは永遠と関係があるからですよね。ひょっとしたら、意識は永遠かも知れないとも思いますが、これは日本の風土に無意識的にある宗教観の影響かも知れませんし、または単なる欲望かも知れません。ただ、ひょっとして茂木さんはマインドアップローディングをディスりたかっただけなのかな?(笑)、とも思いました。

『ベルグソンの純粋記憶について』


ベルグソンの「純粋記憶」について、小林秀雄が講演の中で取り上げています。それは「脳はなくても記憶は残る」ということで、外套とハンガーに喩えられます。ハンガーがなくなっても外套は残る、と。外套は記憶で、ハンガーは脳である、と。

それを空間的に考えると納得いかないが、時間的に考えることができそうです。5歳の時のあのクオリアと同じ質感の豊穣が現在も立ち上がる。それは時間軸上に「純粋記憶」があると考えるとスッキリします。

仮に私の完璧なレプリカントが、たった今作られたとします。過去から生きてきた私を「自然状態の私」とすると、「レプリカントの私」と「自然状態の私」の違いはあるのか? という問題を「ベルグソンの純粋記憶」で考えることができるかもしれません。

体験(クオリア)が今ここの脳状態に規定されるドグマを採用すると、両者は区別できないことになります。ところが、直感的には「レプリカントの私」と「自然状態の私」は違う気がします。それが「ベルグソンの純粋記憶」と関係しているのではないかと思うのです。

※なぜかこの話がとっても好きです(笑)。それは私が死んでも、私の思い出の質感は残っていて欲しいという願望があるからです。いつに何をした、などの具体的な記録が残って欲しいのではなくて、「あの感じ」が残っていて欲しいのです。「純粋記憶」とはその願望が、哲学的概念として形式化したもののように感じます。

『意識と間主観性について』


意識の存在理由は他人とのコミュニケーションにある、という説があります。メタ認知ができて、それを他人に報告できることが進化論的に大事だということです。意識とは「私」という主観に基づいたアプローチがほとんどなのですが、間主観性から意識を議論する方向です。

間主観性
https://plaza.umin.ac.jp/kodama/ethics/wordbook/intersubjectivity.html


※意識の存在理由を自分に求めても、見つからないのは当然のような気がしてきました。コミュニケーションのために意識が必要であるとすると、ポンッと腑に落ちるところがあります。なぜかこの話も好きです。

『志向性の構造について』


「恐竜たちがいた頃の地球の気怠い午後」と言うと、恐竜たちがいた頃の地球の気だるい午後をイメージできます。この志向性を作っている意識は、私のローカルにあるんですよね。このローカルにある意識が遠くを志向できる志向性はとても面白いのです。

これによって長い間の計画を立てることができるとか、何かを欲することができたりだとか、機能として進化的な意味があるのです。この志向性は運動や選択や処理とかに開かれたものなので、ひょっとしたらAIなどに接続できるのかも知れません。

以上の8本の動画が現時点でアップされています。

これらの動画を観てから次の動画を観て欲しいのです。種市孝さんという理論物理学者の講義です。

●パラサイト・フェルミン・モデル(PFモデル)

「最新物理学説で読み解く、「生まれ変わり」の実在性」


37分間ありますが、自分流にざっと説明してみます。

量子論と相対性理論を統合する仮説として、「超弦理論」があります。この宇宙はひもの振動でできているとするもので、この理論によりますと、宇宙は10次元空間になります。

ちなみに私たちが認識している世界は、空間3次元に時間1次元が加わった「時空4次元」です。高次元の宇宙をイメージする時に、この時空4次元を「ブレーン」、膜のようなものとして考えます。

例えば、5次元宇宙に時空4次元の「膜」があるとするのです。私たち素粒子はすべてこの「膜」に張り付いています。5次元方向に飛び出すことはできません。それを湯川相互作用といいます。

また、5次元方向を見ることもできません。それは光子もほとんどが「膜」に張り付いて飛び出せないからです。飛び出せるとしたら、超高エネルギーとなります。

そこで、4次元時空の「膜」に張り付かない、別種の物質粒子(フェルミオン)を考えてみます。

場の理論で計算をしてみると、ちょうど5次元方向にポテンシャルのくぼみがあることが分かりました。そうすると、そこに物質粒子(フェルミオン)が存在できるのではないだろうか、と。

それを「パラサイト・フェルミオン(PF)」と名付けます。PFで構成される物体を、「パラサイト・フェルミオン・オブジェクト(PFO)」と呼びましょう。

そして、時空4次元の「膜」に張り付いてる、私たちの世界の物質粒子を「ホスト・フェルミオン(HF)」と名付け、HFで構成される物質を「ホスト・フェルミオン・オブジェクト(HFO)」と呼びましょう。パラサイターとホストの関係のように、PFOはHFOと相互作用するものとします。

さて、いよいよここからが問題です。我々の「精神活動」、つまり意識であるとかクオリアは、脳の活動の結果だとされていますが、この常識を否定してみます。

脳は時空4次元にある物質「ホスト・フェルミオン・オブジェクト(HFO)」ですが、意識の実体は時空4次元にはなく、5次元にある「パラサイト・フェルミオン・オブジェクト(PFO)」と考えることが出来ます。

脳と意識の関係は、「ホスト・フェルミオンとパラサイト・フェルミオンの相互作用」によるものとなります。

するとどうでしょう。脳が死滅した後も意識は残ります。死とは何かというと、「脳とパラサイト・フェルミオン・オブジェクト(PFO)とのコネクションが断たれるイベント」である、ということになります。

そうすると、茂木健一郎さんの動画にあった『ベルグソンの純粋記憶について』の「純粋記憶」の外套とハンガーの喩えは、このPFモデルとほとんど同じ形であることが分かります。

また、茂木さんの動画に出てくる「30億光年離れた場所にある恒星」と言われるとそこに行けてしまう意識の志向性も、PFモデルで説明できてしまいます。

種市孝さんの動画では「生まれ変わり」も「胎内記憶」もこのPFモデルを使うと説明できると言っています。

さらに種市孝さんは攻めます。「このPFOは独立した生体と考える事ができる」と。もうこうなるとすごいです。死んで幽体離脱してるなら、目も耳もないのに見えて聞こえるのは変だ、という誰もが思うことにも「感覚野、感覚神経、受容体、それぞれに相当する部位を有する」PFOで説明が付きます。

そしてそれらは「互いにコミュニケーション可能」であると言います。もし、5次元に空気のようなものが存在してたら、「音波」で、または電磁波のようなボゾンがあるかも知れない、と。

そこで私は、この世界時空4次元では発見できてないグラビトンかも? と思ったりしました。なぜなら気分を表現する言葉は「気が重い」とか「気分軽やか」とか重力に喩えてるじゃないですか(笑)。

そして、PFO生体として「意志と個性を持つ」と締めくくります。私たちのすぐそばに、見えないけど、独立したPFO生体が意志と個性を持ってわんさかと蠢いてると思うと、かなりゾッとしますが、ありえなくもないと思ってしまいます。

ところで、この意識の実体であるPFOと脳は、どうやって繋がっているのでしょうか? 無線でしょうか? 有線でしょうか? という話が出てきます。

計算によるとこれは有線で繋がっていると言うのです! てことは、ジャックに相当する部分が、私たちの身体のどこかにあるはずなんですよ。脳の中なのか、チャクラなのか、ツボなのか。

また、これらのPFモデルを使えば「気」の技も説明が付くと、動画で説明していました。ざっくりと説明してきましたが、ひょっとしたら勘違いしてる個所もあるかも知れないので、気になった方はぜひ動画を観てください。

さて、この理論で用いてる仮定はたったふたつです。
1・この宇宙が多次元(5次元以上)であること。
2・湯川相互作用しないフェルミ粒子が存在すること。

1については、ほぼ間違いないと現代科学では言われています。湯川相互作用しないフェルミオンがあるかないかは今のところ、実験方法も含めて何も分かっていないようです。

ゴーストとシェル、ボディとソウル、心と体、などなど、「意識」または霊とか魂とか精神とか、それらはこの世界とは別の場所にあるような世界観を、人類は古今東西共通して持ってきたと言えるでしょう。

それは人類共通の妄想なのか、それとも自然科学としての事実を言い当てていることなのか、これから解き明かされることを期待しましょう!

ただ、意識の実体が5次元にあったとしても、ではなぜそこにクオリアが生じるのかの説明にはならないので意識の謎は依然として残ります。

「パラサイト・フェルミオン・モデル」あなたは支持しますか?


【武盾一郎(たけじゅんいちろう)/頑張りました】

小説すばるの「輪ゴム飛ばし師」に続き、SFマガジン4月号(2月売り)で樋口恭介さん( https://twitter.com/rrr_kgknk
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