[4707] 足るを知る◇検索! 僕の歴代ラジカセ◇乃木希典と日露戦争の真実

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《人生に必要なのは、》

■日々の泡[002]
 足るを知る
 【清貧の思想・麦熟るる日に/中野孝次】
 十河 進

■グラフィック薄氷大魔王[595]
 検索! 僕の歴代ラジカセ
 吉井 宏




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■日々の泡[002]
足るを知る
【清貧の思想・麦熟るる日に/中野孝次】

十河 進
https://bn.dgcr.com/archives/20190123110200.html

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元日産会長カルロス・ゴーンが逮捕されて二ヶ月になる。やったことが違法だったかどうかは裁判になってからの判断なのだろうけれど、その報道を見る限り、僕の感想は「人間の欲望は果てしがない」というものだった。

日産の報酬だけでも十数億円、加えてルノー会長としての報酬もあり、それで充分過ぎると思うのは僕が乏しい年金生活者だからだろうか。ただし、四十年勤め保険料をせっせと納めたおかげで、今のところひとり暮らしをするには不自由はしていない。食べていければそれでいい、と思っている。

もっとも、僕の四国での生活と言えば、実家の裏の父が持つ借家の一軒を只で使わせてもらっているし、行動範囲は半径二キロくらいに限られている。金はかからない。実家と借家を行き来し、食事はすべて自分で作っている。

早朝の散歩のときに二十四時間開いているスーパーで二日分の食料を買っているが、支払いは二千円足らずですんでいる。十日に一度くらいの割合で四キロほど離れた高松市の中心街に出かけ(電車代は190円)、友人と居酒屋などに入る。その後、ショットバーでウィスキーを飲んで帰るのだが、支払いはせいぜい四、五千円ですむ。

健康保険料、介護保険料、所得税、住民税を引かれた年金は、現役時代から比べれば可処分所得が極端に少ないけれど、労働しないで二ヶ月に一度まとまったお金が振り込まれるのはありがたいとしみじみ思う。四十年間働いた自分に改めて感謝する。

そんなとき「ライムライト」(1952年)のチャップリンのセリフを思い出す。老道化師(チャップリン)が、自分をバレエスクールに通わせるために姉が街娼になっていたのを知って自殺を図ったバレリーナ(クレア・ブルーム)に向かって言うセリフである。

----人生に必要なのは、勇気と、想像力と、少しのお金。

カルロス・ゴーンと対照的なのは、メディアが勝手に「スーパー・ヴォランティア」などと祭り上げたオバタさんだろう。その生き方を知れば知るほど頭が下がる。月六万円足らずの国民年金だけで、ヴォランティアとしての生活を賄っているという。軽自動車のヴァンで寝泊まりし食事も安くあげているらしい。

ヴォランティアにいった現地に迷惑をかけないことを己に課し、謝礼などは一切受け取らない。見返りは求めない。遠く離れた被災地へいくのにはガソリン代もかかるだろうに、と心配になる。おそらく高速道路は使わず、一般道で九州から東北の被災地に通ったのだろう。

そんなことを考えていたら、昔、ベストセラーになった中野孝次さんの「清貧の思想」を思い出した。本が出たのは一九九二年、バブル崩壊直後のことだった。中野さんは本来はドイツ文学者なのだが、「徒然草」や「方丈記」などの解説本も出していて、「清貧の思想」も吉田兼好や西行、良寛、芭蕉などの生き方を取り上げている。

要するに、物質的な豊かさより「心の豊かさ」を持とう、という内容だ。「しぐるるや あるだけの飯 もう炊けた」と詠んだ放浪の俳人・山頭火なども「清貧の思想」的生き方の系譜に入るだろう。

日本語には「足るを知る」という言葉がある。少しのお金があり、生活するのに充分ならそれでいいと思っている今の僕は「足るを知る」状態なのだろうか。うーむ、そこまでは悟っていないかもしれない。ただ、特に欲しいものもないし、食べるものも贅沢したいとは思わない。

早朝のスーパーに行くと、消費期限がその日になっている魚肉類(前日の売れ残り)は割引になっていて、どうせその日に調理するからと、そんな食材を買っている。飲みに出ても、居酒屋の煮込みと焼酎で満足する人間だ。着るものはユニクロですませている。

誰に会うわけでもない。散歩し、実家の両親の様子を見、本を読み、DVDを見、原稿を書き、公園で猫と戯れて終わる日々である。西行、芭蕉、あるいは山頭火のような生活はできないが、放浪の詩人のような生き方に憧れる気持ちはある。物質的豊かさより「心の豊かさ」を感じる方が幸せだとも思う。

日本人の多くがそんな生き方に共感したから「清貧の思想」はベストセラーになったのだろう。しかし、「清貧の思想」がベストセラーになったとき、僕は「中野孝次さんの本がベストセラー?」と少し違和感を感じたものだった。その十四年ほど前、僕にとっての大切な一冊が、中野孝次さんの初めての小説集「麦熟るる日に」だったからだ。

それは、「鳥屋の日々」「雪ふる年よ」「麦熟るる日に」の自伝的小説三編をまとめた単行本だった。出版されたのは一九七八年、新聞の書評を読んですぐに買ったから、僕が読んだのもその年だった。僕は社会人になって三年、まだ学生気分を引きずる未熟な青年だった。

三部作の語り手は、中野さん自身だと思って読んでもいい。記憶だけで書くので少し違うかもしれないが、冒頭の一行は「記憶の世界は薄暮に似ている。そうは思わないか」というものだった。自身の記憶を手探りするように語られる物語は、まだ二十七歳で文学の夢をあきらめていなかった僕をのめり込ませた。

確かに薄暮の世界のように、うすぼんやりとした景色が見えてきた。記憶の中の人物は薄い膜がかかったように、ときには輪郭がゆらゆらと揺れるシルエットだけになったように感じられた。それは、自身の少年から青年にかけての時期を数十年後に回想して描くには、最も適した文体ではないかと僕は思った。

中野さん自身は大正十四年生まれだから、僕の父と同じ歳である。大工の子として生まれ「職人の子に教育はいらない」と中学進学を断念させられる。しかし、優秀だった中野さんは猛勉強をして旧制中学の卒業資格を取得し、旧制第五高等学校へ進み、戦後に東大文学部独文科を卒業する。そんな生い立ち(徴兵令状が届くまで)が小説の形で語られるのだ。

身につまされたのは、同じように僕もタイル職人の子だったからかもしれない。子供の頃は「本ばっかり読んどらんで」と、よく叱られたものだった。家には本が一冊もなかったから、僕の小遣いはほとんど本に費やされることになった。ただ、僕は中野さんほど優秀でもなく、努力家でもなかった。だから、今、ただの年金生活者として、身分相応に足るを知る生活をしている。


【そごう・すすむ】
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■グラフィック薄氷大魔王[595]
検索! 僕の歴代ラジカセ

吉井 宏
https://bn.dgcr.com/archives/20190123110100.html

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見覚えのあるラジカセの画像がTwitterで流れてきた。中学生の頃に使ってた2台目のラジカセだ! ナショナルのRQ-448「MAC ff」という機種。ずっと探してたんだよ、これだこれ!


ツイートはRQ-448の外観テイストのレトロ風ラジカセの話。
http://doshisha-av.com/acoustic/sansui_cd.html


使ってたラジカセは5台。機種名がわからないものが3台あったのが、これであと2台になった。残りも検索してみよう。

今回調べてわかったのは、3台目まで「MAC」と名前のついたナショナルのラジカセばかり。狙ったわけでもない。そもそも質流れ品なのでメーカーさえ選べなかったから。その後Macユーザーになるとも知らなかったしw

◇1台目 ナショナル RQ-447「MAC」
http://plaza.harmonix.ne.jp/~ita/8883/RQ433-447-448.htm


1973年のNHK大河ドラマ「国盗り物語」のテーマ曲が、僕の心を打った最初の音楽だった。録音して何度も聴きたかったけど、ラジカセは持ってなかった。最終回も総集編も終わってしまって、もう永遠に聴けないのか!と悲しかったw


初めてラジカセを買ってもらったのはその直後、小5の三学期、1975年の前半だと思う。ラジカセほしいって繰り返し言ってたのかもね。母の女学校時代からの友人が質屋をやっていて、質流れ品を安く売ってもらったのだった。機種はずっと不明だったけど、今回検索して判明。

主に、洋画劇場の映画音楽をテレビにラジカセ押しつけて録音してた。あと、友達数人でデタラメなラジオ番組を録ったり。

◇2台目、ナショナル RQ-448「MAC ff」
http://plaza.harmonix.ne.jp/~ita/1123/RQ448.htm

http://www.video-koubou-topaz.jp/National-TAPE-RECODER-1973.html


入手したのはたぶん1976年頃。「飛び出すワイヤレスマイク」で人気だった機種らしい。写真を見ると右側面の突起や枠内のスイッチはよく覚えてるのだが、ワイヤレスマイクを取り出した記憶がない。そこがパカッと開くことを知らなかった。

マイク目当てじゃなかったし、取扱説明書もなかったからなあ。タイムマシンがあったら当時の僕に「そこにマイクが入ってるよ!」って教えてあげたいw

前機種同様にテレビ映画音楽や、レコードを録音したり、テレビの「トムとジェリー」を録音してた。やはりライン録音は知らなかった。

◇3台目、ナショナルRS-4100「ステレオMAC」
http://www.geocities.jp/yumesawanachi/radio/national-rs4100.html


76年発売らしいのだが、入手したのはたぶん77〜78年。いつもの正体不明な質流れ品とちがって、CMで知ってた「ステレオMAC」なことがうれしかった。ステレオのラジカセはまだまだ珍しかったはず。

高校後半くらいまで3年間、エアチェックやレコードの録音などに大活躍した。しまいには録音ボタンをギューッと押し続けてないと、モーターの回転数が遅くなってしまう(録音の音程が上がる)故障で使えなくなった。

◇4台目、アイワ CS-J35B「フットワーク」


実はラジカセを検索し始めたのは昨年の春で、このラジカセだけずっとわからなく、決着つかないので記事もまとめられなかった。アイワと思い込んでたけど、サンヨーだったかなあ、とか、時たましつこく検索してた。

先日、1982年のアイワのカタログで「フットワーク」という、なんとなく記憶の隅にあったシリーズ名のラジカセを見つけ、その数年前の機種と判明。画像が出たときには飛び上がった!

高校2年の1979年に、ガソリンスタンドでバイトしたお金で買ったはず。けっこう高かったのに、小型のためかそれほど感心するような音ではなかった。高3の夏にバイトして買った、NECのDianGoというステレオで音楽を聴くようになって以降はサブマシン的な位置に。

◇5台目、東芝 RT-CDW70X
https://minkara.carview.co.jp/userid/389913/car/302518/2498484/photo.aspx


87年頃かな。東芝Aurex初のCDラジカセ。とても大きく重かったが、すごい重低音でいい音だった。CDを倍速でカセットに録音する機能がめちゃ便利で、レンタルCDを録音しまくった。1994年くらいまで使ってた。

◇番外、カシオ MDH-100
http://www.yoshii.com/dgcr/MDH-100_R0011368

ラジカセのようだけどMD/CDポータブルオーディオ。カセットはついてない。1999年頃に買ったものの、MP3によってMDもCDも聴かなくなっており、ほとんど使わなかった。2000年にヤフオクを試してみたとき、「何か売るものないかな?」で、まっ先に売っちゃったw


【吉井 宏/イラストレーター】
http://www.yoshii.com

http://yoshii-blog.blogspot.com/


バイトしたラーメン屋だの映画だの雑誌だのラジカセだの、昔話ばかりするようになってる?  過去の個人的な謎が、ネット検索でどんどん明らかになるのが面白くてw

もうひとつ、去年から検索し続けてるものがある。小田急の去年の初詣関連のポスターや車内吊りなどに使われていたかわいい「犬張り子」(民芸品ではなくたぶん立体イラスト)。

見たとき写真を撮っておけばよかった。ネットで簡単に見つかるだろうと思ったら、1年以上検索してるけどまったく見つからない……。

「国盗り物語」のテーマ曲。後にCDで「NHK大河ドラマテーマ曲集」で入手したし、総集編のVHSビデオも買った。もしかしたら、放送当時もテーマ曲のレコードは売られてたかもしれないな。

最近の大河ドラマはほとんど見ない。若くて細い頼りなさそうなイケメン俳優が、武将や歴史上の人物を演じるのって僕ホントに苦手で。「こういう風でないと!」と思ってた「国盗り物語」の高橋英樹の信長、よかったなあ! ところが、検索したら、当時29歳だったのか! 若っ!

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https://bit.ly/2OZa3n9



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編集後記(01/23)

●偏屈BOOK案内:桑原嶽「乃木希典と日露戦争の真実 司馬遼太郎の誤りを正す」PHP新書 2016(「名将 乃木希典」中央乃木会 平成2年刊を再編集 復刊)

この本は司馬遼太郎の「坂の上の雲」「殉死」に描かれた乃木像の「誤り」を正すべく、中央乃木会(乃木神社の崇敬会)の機関誌「洗心」に連載(1983〜87)したものを私家本の体裁で発刊されたが、神社の社頭のみの販売だったため、知る人ぞ知る伝説の書であった。それが2冊分の厚みの新書として甦った。

日本国民一般が「乃木は精神主義だけの戦下手な愚将」という認識を叩き込まれ定着していったのは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」による。まさしくわたしもその信者の一人であった。ところが、専門の軍事教育を受け、幾多の戦場を経験した陸軍の俊英で、砲兵のプロが、司馬作品の軍事的誤りを完膚なきまで次々と論破するに及んで、次第に司馬の表現の故意、悪意に不快を覚え始めた。

司馬による旅順攻防戦は、精神主義的な乃木と、合理主義的な児玉源太郎という対比で鮮やかに描かれていた。乃木とその幕僚達は愚かな精神主義で、多くの日本人の生命を無駄に失わせた、というのが司馬の描く無能な乃木像の核心だった。それが真実なのか、筆者は多くの論点から鋭く再検証してみせた。

詩人乃木にしか過ぎず、という先入観の司馬は「乃木希典はおもに服装と容儀に関心をもちつづけた」などと杜撰な結論を下す。筆者は「乃木は現役陸軍中将の最古参、その人物識見経験から内外の衆望を一身に担って就任したのである。おそらく当時、何人もこの人事について異論を挟まなかったであろう」と断じる。結果論だけからすると、乃木は旅順要塞攻略の大殊勲者ではないか。

筆者は司馬の小説を「歴史も何も知らぬ人が読めば、いかにも本当らしいが、まさに偏見独断、無知そのものというほかはない」のだという。「(司馬は)いったい何を根拠として誤ったことを書くのか。およそ東西古今の歴史を無視した彼独特の珍説をのべているのは、ただ不可思議としか言いようがない」

「彼の勝手な空想である」「第一線指揮官と後方の上級指揮官との状況判断の次元の相違が、全然わかっていない」「戦術すなわちTACTICSなるものが全然わかっていない。歩兵なるものの本質がわかっていない」「旅順といえばガムシャラな肉弾攻撃だと思っている連中が多いことは全く困ったものである」

司馬は第三軍の参謀長であった伊地知幸介少将をも、馬鹿の標本のように徹底的にこきおろしている。歴史上、現在とは近くに実在した人物を、その係累が存在するのに、あまりの仕打ちである。「司馬氏はいかなる資料を基にして、『これほどおろかな、すくいがたいばかりに頑迷な作戦頭脳』などという暴言を吐くのであろうか」。司馬の乃木、伊地知に対する罵倒は一線を越えた。

「司馬氏の見解は、見当違いも甚だしいといわねばならぬ。いったい司馬氏は何を読んで書いているのかと問いたい」と書くが、ネタ元は判明している。谷中将の「機密日露戦史」をもとに、当時の状況が司馬流の表現で面白おかしく、あることないこと詳しく描かれている。まさに「講釈師、見てきたような嘘を言い」である。そんな与太が歴史の事実になってはならない。続く。(柴田)

桑原嶽「乃木希典と日露戦争の真実 司馬遼太郎の誤りを正す」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B01GPVJ4S6/dgcrcom-22/



●ライムライト、実は見たことがない。名作は見ておかないと。/「ライト」「ナショナル」がかぶった(驚)!

/トイレの電灯続き。ほとんどの部屋で使われているシーリングライトは、蛍光灯だということが、今回のついでに検索してみて判明した。ずーーーっと丸形LEDランプだと思いこんでいた。

10年使っているが切れることはなく、よって交換することもなかった。交換したら省エネ……でも切れてないしなぁ。

大阪という土地柄、電灯関係はすべてパナソニック(松下・ナショナル)。入居時からついていた、こちらで選んでいない電灯関係も。まずはパナを第一候補にしよう。続く。(hammer.mule)