はぐれDEATH[69]娘(おねえちゃん)と私(はぐれ)/藤原ヨウコウ

投稿:  著者:  読了時間:17分(本文:約8,000文字)



ボクは現在「上賀茂追放・伏見遠流」の身である。もちろんボクのせいだ。だから自分の娘に会うのにも、色々と気を使わないとマズい。だから控えているのだが、何じゃかんじゃで折にふれ、会ってはラチもないお喋りをして満足している。「おねえちゃん大好き」病も、ここまでくると末期的である。

というワケで、今回は久々の親バカ全開だ。恐らくアホらしいにも程があると思うので、この駄文を読む時間があるなら、もう少し真っ当なことに時間を費やすのが建設的だと思う。





◎大盛り「娘と私」

以前に書いた「はぐれの娘」でも白状しているように、基本ボクはおねえちゃんの大ファンなので、話は大盛りに盛っている。だから、もしこの駄文を読もうなどという奇特な方がおられたら、話は9割引ぐらいでご理解いただきたい。

娘のこととなると完全に頭がいかれるのだ。普段からやることなすこと大抵狂っているのだが、ここに「おねえちゃん」が入るともう本当に無茶苦茶になる。……以上、警告はしたので本題へ。

年をまたがず、さっさと志望校に合格してしまった(!)ので言えるのだが、正直おねえちゃんの大学受験については、相当心配していた。何しろ頭の構造は、ボクの方によく似ている。奧さんの方に似て欲しかったのだが、これはもう仕方がない。

ボクの大学受験に関しては前述したので端折るが、基本ボクは博打にしかならないし、志望もクソもなく、受かったらさっさとそっちに行く人である。

この惰性そのものの人生を、おねえちゃんが繰り返す可能性を否定できない。だから、まがりなりにも志望校に受かったのは本当に安心した。

冗談抜きの「チャリ圏内国公立」で、いよいよ窮地に立たされたら手当たり次第に受けかねない子だし、受かれば「浪人は邪魔くさい」の一言でさっさと入学するに決まってる。

それはともかく、おねえちゃんと会う時はほとんど枕詞並に「おとうさん若いなぁ」といわれて閉口している。

確かにボクの見た目が実年齢よりも低いのだが、実の娘に感心したように言われると正直凹むわ。

で、おねえちゃんは普通にすくすく(?)育っているのかというと、まぁ正直保育園児さんの頃と中身はさして変わっていない。さすがに身長は伸びているし、それなりに見た目の成長はあるのだが、高校生にもなるとこうした見た目の成長も鈍化する。

それでも、おねえちゃんの目つきというか雰囲気は、園児さん時代からほとんど変わっていない。

中学、高校で、周りの影響からなにか変化があるのかと心配半分・期待半分で見ていたのだが、中身はビクともしていない。変な方に捻れるのを心配していただけの話なのだが、「邪魔くさい」の一言で、周囲の影響をばっさり切り捨てていたようだ。

ボクもそうだったのだが、こういうところはさすがに奧さんの遺伝子に期待したくなるのが人情だろう。と言いつつ、奧さんも「邪魔くさい」の一言でばっさり切り捨てているので期待薄やな……。

それでも、ほんのちょび〜と大人っぽくなってきたかな。同級生に比べれば、本当に微々たるモノだが、「ウチはウチ、よそはよそ」という鉄の法則により(もちろんおねえちゃんもこの法則を保持している)問題なしだ。

受験話に戻す。ここ一番の悪運の強さは、ボクの比ではない。保育園に入園する時もそうだった。この辺の事情は前に書いた気がするので端折るが、入園許可が出ることそのものが奇跡的なくらい、入園するのが厳しい保育園なのだ。

もちろん、歴史ある保育園で実績も十分なので、この保育園近辺の親御さんは競うように入園を希望する。三代揃ってこの保育園、という強者もいる。開園が昭和11年(1936年)なので、この地域の皆様にはお馴染みの保育園である。

で、この入園レースで早くもキョーレツな悪運の強さを発揮した。もちろん、おねえちゃんは知る由もないのだが、ボクと奧さんは「マジか……」とビックリ仰天したのだ。

ダメ元のレベルにすら達していない状態で、他の保育園を血眼になって探していただけに、この結果には万歳三唱した。とにかく、飛び抜けていい保育園なのである。

何はともあれ、この保育園と保育にしてくださった保育士さんの皆様のおかげで、それなりに素直な育ち方をしてくれた。ちなみにボクは、足を引っ張る係だ(!)。

性格はともかく、しつけ・礼儀・体力面では園に丸投げしていたようなもんで、それでも頑健極まりない身体の基礎は、この時にほとんど決定したようなもんだ。もちろん、これは良い意味での惰性の結果にすぎないが、乳幼児期の運動量と筋肉の発達は極めて重要なのだ。

体力面だけを拾えば、なぜかおねえちゃんは中学まで水泳部に所属していた。年中さんの頃からスイミングスクールに通わせていたのだが、水泳選手特有の怒り肩体型になるのを無駄に恐れたボクは、むりやり一度やめさせたのだが、どうも「お水の中でチャプチャプ」は捨てきれなかったらしく、中学入学と共にそっこー水泳部である。

「体育会系はないだろう」と思っていたのだが、見事に期待を裏切ってくれた。おかげで生涯基礎筋力の仕上げがきれいにできた。個人差や遺伝はもちろんあるが、だいたい中学卒業ぐらいまでの運動量で、筋肉の質や最適量はほぼ決まるとボクは思っている。

さらに無駄に遠い高校に入学してしまったので、高校時代はチャリ通学である。上賀茂から金閣寺の向こう側、となると結構な距離で、三年往復なら中学までに作った筋肉が崩壊してしまうということはあり得ない。

ちなみに、わざわざ遠い高校に入学したのは、近隣のそれなりの高校が「私服通学だから服考えるのが面倒くさい」という、これまたどうしようもない理由である。

このへんの機微をボクは充分に理解できるのだが、奧さんにはさっぱり分からなかったようだ。

おねえちゃんとは、別に打ち合わせをしたわけでも何でもないのだが、「とにかく制服を着てればおっけー」というのが、我々の見解である。楽ちん極まりないではないですか、呵々♪

とにかくやることなすこと、ほぼこのペースなのである。保育園入園とは違い、本人の実力と運が最も発揮されるであろう、第一の関門である大学入試で、ボクと奧さんが心配したのは言うまでもなかろう。奧さんにいたっては、体調を壊すぐらい心配していたし。

高校入学時から、「とにかく勉強、特に英語だけはマジメにやっておかないと、受験の時にエラい目に遭うぞ」と脅してはいたのだが、ここはさすがにボクの子である。見事にスルーしてくれた…… _| ̄|○;

予感はありましたよ。ボクもそうだったし。それでも、ここまで露骨に現実を見せられると、心配の度合いも格段に上がる。

とはいえ、中の上ぐらいの席次はキープしていたようだ。三年になってから、さすがにマジメに勉強を始めて、順調に席次は上げていたようで「まだ伸びしろはある」と断言していたくらいだ。このへんは奧さん譲りと言ってイイ。

そして、恐れていた通り、英語の成績が合否の行方を決める事態になってしまった。

おねえちゃん曰く「アタリとハズレがあんねん」らしい。語学でアタリもハズレもないと思うのだが、とにかく本人が言ってるし、模試の結果もアタリ・ハズレが露骨に出ていたので、正直頭を抱えた。

理系全滅のボクが言うのも何だが、英語は比較的安定した点数を取れる科目である。とくに読書慣れしていれば、それほど問題はないはずなのだが。

多少分からない単語があっても、文脈で内容は理解できるのだ。これは漢文も古文も同様で、読書慣れしていればとにかく字面をぼやっと眺めるだけで、ほぼ8割方は把握できる。これは奧さんも言っていた。

ところが、おねえちゃんの場合、ここで稀代の怠けものグセが露骨にあらわれたようなのだ。

他の科目はボーダーを超しているので、本当に本番の英語で「アタリかハズレか」という、間抜けな事態になってしまった。

後から聞いた話だが、公募推薦の受験科目は英語と小論文。英語だけでもバクチなのに、よりによって合わせ技が小論文となると、もうほぼ絶望的である。

この作文で十分ご理解いただけると思うのだが、ボクの作文能力は極端に低い。書かなくて済むならそれに越したことはない、とすら思っているぐらい苦手なのだ。対して奧さんは大のお得意である。おねえちゃんは見事にボクに似てしまった。本当に遺伝子を呪いましたよ。

それでなくても狭い枠なのに、英語はバクチ、小論文は高ハードルとなると、結果は絶望的でしかない、というほかはない。

ここにきて、持って生まれた悪運の強さが発揮されたようだ。小論文はともかく、英語はどう転んでもアタリ・ハズレ。ここでアタリが出たとしか思えない。

「英語やっぱりアタリやったん?」
「よう分からんけどアタリやったみたいやなぁ」
……どうしようもない会話である。

小論文は予想通り、奧さんがみっちりしごいていたようだ。そもそもボクの作文は、一時期まで奧さんの推敲で9割削られるのがでふぉだったのだ。このことをおねえちゃんに教えたら、「わたしもそうやで」と身も蓋もない返事。

最近は「論理力」とやらを偏重するきらいがあるが、「論理力」というのは「解読力」「分析力」「整理力」「出力」などの総合力であって、どれが一つ欠けても「論理力」があると判定できないはずなのだ。

ボクとおねえちゃんは頭の中では、それなりに解読・分析・整理できているのだが「出力」が著しく欠けている。この一点でもって「論理力」は崩れるのだ。

何をもって「論理力」と言っているのか、ちょろっと興味深かったので調べてみたのだが、正直まともな(あくまでもボク基準です)意見はメチャメチャ少ない。というかほとんどない。

とにかく、どれもこれも刹那的すぎるのである。その場をこなせればおっけー、みたいなことを教育現場で行うのは正直どうかと思うし、その程度の指標しか出せない国は、論理力の欠片すらないと言ってもイイ。正直、こんなもんをわざわざ持ち出してくること自体、余計なお世話である。

その上「無駄を省け」という、これまた間抜けなことを言い出すので始末に負えない。

ボクの知識は正直、エカキとしては無駄しかない、と言いきってもいいぐらい無茶苦茶だが、この無駄がないと専門分野で視界が狭くなりがちなのである。

分野が専門化すればするほど、本来はまったく関係ない無駄な知識の蓄積もないと、確実におかしなことになるし、実際そういう例は腐るほど見ている。

もっとも、専門化というには程遠いレベルで「専門」と胸を張っている人が多いのも事実で、ボクに言わせれば狂気の沙汰であり、こんな人が教育の現場にいるなどもってのほかである。

良い専門家ほど好奇心と知的欲求の範囲は広いし、知識量も半端ではない。鳥瞰できる能力がないと、自分の専門分野の座標すら分からないのは当たり前の話で、実際できていない人の方が圧倒的に(絶望的とも言う)多いのが現状である。

はぐれのボクが言うのもなんだが、大人がこれじゃ、子供には災難以外のなにものでもないではないか。……話が逸れた。

自分の子供といえど、一人の人格として認めることができないと、上記したようなアホなことになる。別にボクは意識したわけではないのだが、基本、おねえちゃん本人の意見を尊重しているし、好きにさせている。

娘とはいえども、親だからといって何をしてもいいわけではない。むしろ、可能な限り障害物を排除するぐらいの覚悟は必要だと思う。もちろん、大怪我もするだろうが、それもまた成長する上で必要なことだ。

とはいえ、ボクが障害物を排除していたかというと、そんなことはまったくなく、ただ面白がって眺めていただけの話だ。

おねえちゃんの「好き」だけを優先させるという、見ようによっては恐ろしことを平気でやらかしている。うすらぼんやりではあるが、その時々の「好き」は必ずあるし、続くか続くか続かないかなんてのは予想不能なのだ。

結果として続いたモノが「好き」なものであり、そういうものこそが身につくということを、自身の経験から導いたに過ぎない。もっとも、経済的にどうかと問われればめちゃめちゃ苦しいのだが、好きなことすらイマイチ分からないという状態よりはずっとマシだと思っている。

「間違っている」という意見があるのは百も承知だが、ウチはこれで回っているので(ボクに関して言えば大いに疑問はあるが)それでイイのだ。

これまた多くの方からお叱りを受けそうだが、「大学に入ってからゆっくり長く付き合えそうな『好き』を見つけることを最優先し」と、おねえちゃんには明言している。

大学に入ったかと思うと、もう就職がどうのなんてもっての外で、本当の「学問」の基礎をしっかり身につけろとすら言っている。そのためならフリーターになってもイイと言ってるようなもんだが、就職は経済活動の一環であり「学問」とはまた違った側面があるのだ。

ああ、これはあんまり信用しないように。就職しても学問は必要で、むしろどんどん厳しくなるのがボク的なでふぉだからだ。

就職をするために大学に行ってもらうわけではない。「知」という、生涯楽しめる世界の一端を経験するために大学に行かせるのである。もうここで世間様と完全にずれているので、真に受けると酷い目に遭います。

おねえちゃん本人ですら、さすがにここまでボクが言うとは思っていなかったようで、「ええっ?! そんなもんなん?」と驚いたぐらいだ。

もっとも、あの子の性格を念頭に置けば、まともな社会人生活など望むべくもなく、だったら「好きな学問を好きなだけせい」と言った方が、よほどしっくりくるのだ。

悪運の強さは証明されたも同然なので(!)好きな学問を好きなだけやって、就職活動はてきとーでもどうにかなる気がする。一応「学芸員の資格はマスト」とは言ってますがね。

それでも、好きな学問を続けようと思えば教職なり、研究職なりなんなりにつくしかないし、そう考えれば学芸員の資格はもちろん、場合によっては博士号ぐらいは取っててもいいぐらいなのだ。

誤解のないよう断っておきますが、「高学歴指向」ではないのです。好きなことをしようと思えば、結果としてそうなってしまうだけの話。恐らく世間の大半の親御さんとのズレの一番の要因は、この点だと思う。

そもそも「実学」ってなによ? 今の時代ぐらい「実学」(この呼称の使い方があまりに浅薄すぎるのでよけい腹が立つ)が役に立たない時代は珍しいのだ。

だって技術はどんどん進化しているし、情報量だって昇華できないぐらいある。柔軟に対応するためには、それこそ無駄な知識と貪欲な知的好奇心が必要なわけで、現場ではその時々で対応すればいいだけの話なのだ。

「対応力は知的好奇心によってのみ継続される」と言い切ってもいい。

特におねちゃんが専門にする歴史の世界は、昨日まで「○○」だったことが、新しい発掘物や資料の発見で、あっさりひっくり返るのだ。多様な見方と柔軟な対応力が必要なのは、いうまでもあるまい。これは他の専門分野も同様で、エカキの世界ですらそうなのだ。

イマイチ結果が伴わない、ダメなおとおさんなのは事実だが、アプローチの量と質だけはそれなりに自信がある。それぐらいやっているし、今だってしつこくやっている。

おねえちゃんがどう見ているかは別だが、少なくともボク自身は実践しているのだ。理想論で片付けて欲しくない、という思いは人一倍ある。

これでもう少し収入があればなぁ……。

それはともかく、好き嫌いに関してはまったく心配していない。何しろ、LINE事件を起こした子なのだ。

スマホは中学に入った時にiPhoneを買い与えたのだが(一応「今時の中学生なら必要かな」と思ったからだ)、とにかくスマホが邪魔くさい子なのである。

本人曰く「学校で毎日顔会わせてるのに、何を好きこのんでスマホで連絡とりあわなあかんねん。急いでるなら電話で済むやん」とバッサリである。

まぁおねえちゃんの言うことは間違ってはいない。実際、おねえちゃんの言う通りだし、ボクだっておねえちゃんと連絡を取る時は電話しか使わない。

これがLINEとなると、もう恐ろしいまでの抵抗を見せていたのだ。

同級生で仲のいい子(この子は小学校入学時からのお友達である)から「LINEしようなぁ」と散々いわれていたのだが、「めんどくさいから絶対イヤ」と突っぱねていたらしい。

その後も、手を変え品を変え、おねえちゃんをLINE友達にしようと頑張っていたらしいのだが、とにかく誰に似たのか(もちろんボクと奧さんだ!)こうと決めたらテコでも動かない頑固者である。

高校に入ってクラブの連絡網がLINEになったので、渋々解禁したくらい面倒くさがり、という一段は前にも書いた気がするので端折る。

それでも、しつこくなんだかんだで4年ずっと使い続けて、「タッチパネルが反応してくれへん」という状態になるまで使い切ったのである。

もちろん買いましたよ。その時のやりとりがこんな感じ。

「iPhoneじゃなくてもAndroidで色々でてるよ」
「Androidはぜったいイヤ! 使ってるところ見たけどさっぱりワケ分からん」
「じゃiPhoneにしかならんなぁ。6sとか6sPlusか?」(当時の話だ)
「でかいし! 友達が使ってるけどでか過ぎやわ」
「ならSEやな。今まで使ってたのと、見た目ほとんど同じで、中身は別もん」
「どう別なん?」
「とにかく速いらしい」
「じゃ、それ」
「色どうする? ちょっとアップルのサイト開いてみて」
「ああ、きたきた。シルバー!」
「分かった。すぐ注文するわ」

たったこれだけで決まるのだから、楽ちん極まりない。それにしてもAndroidアレルギーとは知らんかった。まぁ身の回りはApple製品しかないからなぁ。

でもさすがに高校生である。みんなちゃんとスマホ持ってるのね。クラスの中でこっそり実機評価をしていたのにも驚いたけど。

で、スマホにまったく興味がないのかというとそうでもないどころか、ほとんど裏技に近いことまで知ってたりするのでビックリである。

それも何かの本を読んでいるわけでも、同級生から情報を仕入れているわけでもなさそうで、「あれこれいじくってたら出てくるで」とあっさり言うのだ。こういう怖いもん知らずなところがあるのは、正直知らなかった。

この手のネタは、実を言うと腐るほどあるのだがパス。とにかく、どんなことであれ、興味が向けば気が済むまで(済んでるのか?)やり倒す、というありがたい子に育ってくれた。興味が向かなきゃとことん無視だけど、この辺は両親がそうなのでしゃぁなしだ。

とことん狂った親子だとは思うが、色々分かりやすい親子でもあると思う。

先に「自分の子供と言えど一人の人格として認めることができないとダメ」というのは「子供を信用しろ」ということでは決してない。だって、欠点はイヤというぐらい見えてるんだもん。

信用できないところがあって当たり前の話で、ボクとしてはそういう負の部分も含めて、おねえちゃんの将来を可能な限り楽観視しながら味方するしか、できることがないのだ。

もちろん、おねえちゃんを客観視するなどという高度なことを、ボクができるはずもない。「世界中敵になってもおとおさんだけは味方になる」と、とんでもないコトをいう人なのだ。

さすがにおねえちゃんも、「いやいや、そこまで無茶はせぇへんから」と苦笑混じりに言っていたが、可能性だけの話なら大いにあり得る。「周り敵だらけ」なボクならではの発想なのかもしれないが、こういう状態で放置されるキツさは人一倍知っているつもりだ。

とにかくボクの「おねえちゃん大好き」は、死ぬまでぶれないだろうし、下手をすれば、死んでも背後霊になって引っ付きそうな気すらする。これはこれでどうかと思うが。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com