[4728] サヨナラだけが人生だった【黒い雨
── 井伏鱒二】◇12.9インチiPad Pro ──

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《「12.9」を四捨五入で「13」にしてほしい》

■日々の泡[003]
 サヨナラだけが人生だった
 【黒い雨/井伏鱒二】
 十河 進

■グラフィック薄氷大魔王[597]
 新しい「12.9インチiPad Pro」は期待通り?
 吉井 宏




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■日々の泡[003]
サヨナラだけが人生だった
【黒い雨/井伏鱒二】

十河 進
https://bn.dgcr.com/archives/20190206110200.html

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市原悦子さんが八十二歳で亡くなった。僕は、セーラー服姿の市原悦子さんを見たことがある。巣鴨あたりのキャバクラにいったら、市原悦子似のおばさんがセーラー服を着て出てきた----とかいう話ではない。

本当に、あの市原悦子さんがセーラー服を着て、女子高校生を演じていたのだ。撮影当時、市原さんは二十歳を過ぎたばかりだから女子高生の役も不自然ではないが、僕が見たのは十数年前だったので、「家政婦は見た」の市原さんがセーラー服を着ているような錯覚に陥った。

その映画は、井伏鱒二原作の「駅前旅館」(1958年)だった。監督は文芸映画の巨匠、豊田四郎である。この映画がヒットしたので、その後「駅前シリーズ」は「社長シリーズ」と並んで、森繁久彌の代表的なシリーズになった。森繁、フランキー堺、伴淳三郎がメインキャストである。

「駅前旅館」の撮影当時、市原悦子は養成所を出て俳優座の劇団員になったばかりの頃である。見た目も、しゃべり方も後年と同じだった。つまり、彼女の演技は当時から完成されていたのである。

僕が井伏鱒二の「駅前旅館」を読んだのは、二十年ほど前のことだ。原作は「私、駅前の柊元旅館の番頭でございます」と始まる一人称の語りである。さらに、「です・ます」調を採用している。

現在、井伏鱒二作品を読む人がどれほどいるかはわからないが、日本近代文学史の中でも重要な作家だと思う。ただ、僕が井伏鱒二という名前を知ったのは、高校の現代国語の教科書に太宰治の「富嶽百景」が載っていたからだった。

「富嶽百景」は、短いので教科書に採用されやすい。小説なのか随筆かわからない内容だし、「私」は「太宰さん」と呼ばれる。さらに、「井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、こもって仕事をして居られる」と実名で書いている。

その井伏鱒二の紹介で「私」は甲府で見合いをし、結婚する決意を固めるのである。その相手が、後に津島佑子さんを生む太宰の正妻になる。「富嶽百景」で有名になった一節に、「富士には、月見草がよく似合ふ」がある。

しかし、高校生のことである。そんな情緒あふれる文章より、生徒たちの興味を惹いたのは、「井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆつくり煙草を吸ひながら、放屁なされた」という部分だった。生徒たちは「放屁」という言い方を初めて知り、休み時間に「放屁するぞ」とふざけあった。

僕も、名作の誉れ高い太宰治の短編に「放屁」という言葉が出てきたのには少し驚いた。教師の話では「井伏鱒二は否定してるけどね」ということだったが、ずっと残る作品にそんなことを書かれても、井伏鱒二は心中するまで太宰の面倒を見たのだなと僕は思った。

甘ったれで破滅型の太宰治に対して、井伏鱒二には「大人」のイメージがある。温厚で包容力があり、作家には珍しく人望のある人物という印象が強い。作品群からも、そんなことを感じてしまう。

その井伏鱒二が唐の詩人の「勧酒」を自由に和訳したフレーズが有名になったのは、井伏鱒二の「貸間あり」(1959年)を映画化(脚本に藤本義一が加わっている)した川島雄三監督が口癖のように言い続けたからだった。

  コノ盃ヲ受ケテクレ
  ドウゾナミナミツガシテオクレ
  花ニ嵐ノタトエモアルゾ
  サヨナラダケガ人生ダ

どちらかと言えば、僕はこの漢詩の和訳の仕方に惹かれて井伏鱒二の作品を手に取った。それは、後に井伏鱒二の代表作になる長編で、当時、出たばかりで話題になっていた本だった。

昭和四十一年(一九六六年)、僕が十五歳の秋に「黒い雨」は新潮社から刊行され、翌年まで続くベストセラーになった。今でも僕は憶えている。初めて、高校の図書館で「黒い雨」を手にしたときのことを----。

僕が棚から「黒い雨」を取り出し、パラパラとページをめくっていると、通りがかったTという同級生が「それ、読んだ方がええぞ」と声をかけてきた。Tは同じクラスだったが、ほとんど口をきいたことはなかった。

僕の学校はヘアースタイルについてはそれほどうるさくなかったのに、Tはスキンヘッドに近い丸刈りだった。制服は詰め襟で、みんな頸のホックを外していることが多かったのに、Tはいつもきちんとホックを閉じていた。だから、僕のTに対する印象は「変なヤツ」だった。

「黒い雨というのは、広島の原爆の後に降った真っ黒い雨のことなんや。放射能がいっぱい入っとって、それに濡れたら原爆症になるんや」と言うと、Tはすっと歩いていった。当時でも、雨に放射能が含まれていて、濡れると禿げると言われたりしていたので、僕は一瞬、Tの言葉を理解するのが遅れた。

しかし、僕は「黒い雨」の意味するところも、その小説の内容もまったく知らなかったのだけれど、Tの説明ですべて納得してしまった。ただ、井伏鱒二という作家は「山椒魚」で評価された人でユーモア作家だと思っていたから、「黒い雨」がシリアスな原爆小説だと知って意外に思ったものだった。

後年、今村昌平監督が「黒い雨」(1989年)を映画化したとき、僕はひと足早く東映本社の試写室で見ることができた。今村昌平監督の盟友である北村和夫の抑制された名演に目を見張り、女優としてカムバックした田中好子の演技に好感を抱いた。

風呂で髪がズルッと抜けるところの田中好子の表情は、今も鮮やかに甦ってくる。まるでホラー映画のように、僕はドキリとしたものだった。「黒い雨に濡れた」という噂で嫁にいけない姪に叔父(北村和夫)は心を痛める。

「黒い雨」は、第十三回日本アカデミー賞の主要部門をほとんど独占した。最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞、最優秀主演女優賞(田中好子)などである。そして、最優秀助演女優賞を受賞したのは、田中好子の叔母を演じた市原悦子だった。


【そごう・すすむ】
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■グラフィック薄氷大魔王[597]
新しい「12.9インチiPad Pro」は期待通り?

吉井 宏
https://bn.dgcr.com/archives/20190206110100.html

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2018年11月に発売された新型iPad Proの購入をしばらく躊躇してたのは、半年前に旧12.9インチiPad Proを買ったばかりで、悔しかったからなのだったw ようやく入手。せっかくなので、各要素について少しずつレビュー。

●Face ID

びっくりした。非常に良い。顔を立体的に認識させるなんて、ややこしそうと思ってたけど、認証は一瞬。なくなったホームボタンの指紋認証Touch IDの代替なのだが、明らかにFace IDのほうが早くてスムーズ。

スワイプした瞬間に認証が終わり、「ロックを解除する」を意識しなくて済む。顔登録は簡単。

Face IDを搭載してるiPhoneは快適だろうなあ。ホームボタンがなくなると、パスコード入力によるロック解除ができなくなってるんじゃないかと心配したけど、そんなことはなかったw

●サイズ、手の置き場問題

長辺のフチが狭くなった。全体的に少し小さくなって手軽さが出た。しかし、以前から書いてるように、フチは余分ではなくちゃんと機能があるのだ。狭くなるとペンを使うとき手が端からずり落ちるし、本体を持ちにくい。

以前からiPad Proのフチは狭すぎると感じてるので、本格的に描くときはハレパネで作った枠や台を使ってる。

●書き味が変わった?

これは気のせいかもしれないのだが。旧iPad Proでガラス面に直接描く場合、手脂を洗剤で完全に払拭すると「キュッキュッ」といい感じの摩擦が出て、描きやすくなる。しかし、新iPad Proはそのいい感じの摩擦になりにくいようだ。

ペン先は同じものだし、ガラスのコーティングの材質が変わったのかな? しつこく油分を落とすと、ギリギリッと不快な摩擦になってしまう。しかし、う〜ん、やっぱ気のせい?

●Apple Pencil、妙に軽い

第一世代のApple Pencilは、金属製っぽい重さで重心が後ろにあり、バランスが悪かった。新しい第二世代Apple Pencilは軽くなり、重心も中央になった。

一部が平らになって転がりにくくなり、そこにタッチボタンもついた。当然描きやすくなって良さそうなのに、不満もある。

平らな部分のせいか、持ち方が制限される感じがする。ダブルタップはやりにくいし。タッチボタンは使わないので、やはりグリップを付けて使ってる。

本体側面にくっつけて充電と認識ができるのは便利! 旧Pencilで、キャップを外してiPad Pro側面にぶっ差して充電する方式がバカみたいに見えるw

●純正カバー「Smart Folio」

多数のマグネットでピッタリくっつく純正のカバー「Smart Folio」。仕組み的には最高なはずなのに、イマイチな部分もある。カバーを開きにくいし、勢いあまって背面まで剥がしてしまうこともある。

あと、旧型では正面のカバーのみ外せたのに、新型は背面まで全部剥がさないといけない。外したカバーはかさばる。

しかたないので、旧カバーのように前面カバーと背面カバーがセパレートになってるものを探したら、マグネットなど新構造のせいで、そのタイプのものは出てない模様 orz

●キーボード付きカバー「Smart Keyboard Folio」

またついつい買ってしまったが、iPadでテキストを書く機会が多くなければ、やはり不要かな。しっかり立てられるし、キーボードなしカバーとそれほど変わらない重さ。

iPad Proが完全に普段の持ち歩き用になれば活躍しそう。そうなると、11インチもほしいな。

……などなど。現時点では旧iPad Proも併用してるので、旧型のよかった点を必要以上に感じてしまうけど、新型のみ使ってれば慣れると思う。特にFace IDとペンの充電に関してはもう戻れない!


【吉井 宏/イラストレーター】
http://www.yoshii.com/

http://yoshii-blog.blogspot.com/


iPad Proのサイズを「12.9インチ」「11インチ」って書くのが面倒くさい。「L」「M」にしてくれないかなあ。iPad miniが復活する噂もあるから「S」も使えるし。または、「12.9」を四捨五入で「13」にしてほしい。WACOM Cintiqが15.6インチを「16」としてるように。

○吉井宏デザインのスワロフスキー、新製品がいくつか出ました。

・見ざる聞かざる言わざるの「三猿」
https://bit.ly/2UF4LzF


・フクロウHOOT、踊りたい気分! 「HOOT LET’S DANCE」
https://bit.ly/2Dc6p4Z


・恋に落ちたフクロウHOOTたち「HOOT WE ARE IN LOVE」
https://bit.ly/2BlyBC4



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編集後記(02/06)

●偏屈読書案内:藤井聡「クルマを捨ててこそ地方は甦る」

筆者は京都大学大学院教授(都市社会工学専攻)。東京や大阪の都心ならクルマなしでも生活できる。しかし、地方はクルマがなければ生きていけない。実際に、地方の一般的な街では、移動手段の7〜8割以上がクルマである。しかし、藤井氏は断言する。今地方社会が「疲弊」している重大な原因は、まさにこの「クルマ依存」にある。これが「真実」である、と。初めて聞く因果関係。

わたしは生まれてこのかた、都心の近くに住み続けているから、日常クルマを必要としない。免許も持ってない。地方が疲弊していることは知っている。だが、それはクルマのせいだったなんて、思いもよらなかった。わたしだけではあるまい。殆どの人は(もちろん、地方の人も)そんな因果関係は知らない。

皆がクルマを使っていれば、クルマ社会=モータリゼーションが進展すれば、鉄道はどんどん寂れていき、駅前商店街もダメになる。クルマ社会化は、地域の地元商業や公共交通産業に大打撃を与える。クルマ社会になると、郊外の大型ショッピングセンターが賑わう。しかし、地域外資本で作られた店だから、利益の大半は地元に還元されない。住民が稼いだお金が、地域外に流出する。

地域経済はますます疲弊していく。そうなると、地元の市や県に納められる税金も減り、行政サービスも劣化していく。これがクルマ社会化=地方衰退の法則である。地方ではクルマが当たり前という「常識」こそが、地方を疲弊させている。だが、クルマを使えば使うほど人々はクルマなしではやっていけない。

それでも、「クルマを捨ててこそ地方は甦るのである」と藤井氏は断言する。「地方の暮らしには不可欠」のクルマが、いかに地方を疲弊させているかというメカニズムを明らかにし、どっぷりクルマに浸かった地方においても、部分的にでも「脱クルマ」の要素を導入し、それを通して地方を活性化し、創生していく道を明らかにするものである。じつに丁寧に、根気よく説得してくれる。

道路空間をすべて人に開放する「歩行者天国」という大成功モデルがある。人はこういう賑わいが好きだ。また、車道を削って歩道を広げて人を呼び込んだ、京都の四条通りも経済活性化に貢献した大成功モデルだ。地方都市でも一等地からの「クルマの締め出し」が大きな効果を上げている。好例が富山市である。そのレポートの説得力といったら。地方行政関係者たちよ、直ちにここを読め。

つまり「クルマ化社会(人々のクルマ依存)」は「郊外化(中心部のシャッター街化)」を深刻化させる。郊外化した街では人々のクルマ依存度が高くなり、地方都市のバスや電車などの公共交通が弱体化する。地方都市の魅力も仕事も減り、人はどんどん流出し、地域の経済、社会、行政の弱体化に拍車をかける。

いま、モータリゼーション、都市の郊外化、地方の衰退、グローバリゼーションの浸透という、最悪のスパイラルが四位一体で展開している。この本は「クルマを捨ててこそ地方は甦る」というアプローチだ。過激な主張だが、絶対に間違いではない。証拠は出揃っている。大事なところはゴチック体で強調。拾い読みしても理論は明解。そうだ、国家プロジェクト、しよう。(柴田)

藤井聡「クルマを捨ててこそ地方は甦る」2017 PHP新書
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/456983695X/dgcrcom-22/



●コストコ行ってみたい〜。クルマ持ってないので、会員になるほどリピートはできないだろうから行けない〜。

/Face IDを搭載しているiPhoneを使っているが、マスクをしている時や、寝ぼけ眼で認証しないのが面倒。手袋していても認証できるのは嬉しい。

/スマホクーポンをコンビニで使おうとして、クーポン表示前の説明画面を見せながら、「このクーポン使えますか?」と外国人店員さんに見せたら、iPhoneを手にし、読みながら「エート、使えますヨ」とボタンをタップしてくれた。

その次が認証だったらしく、その店員さんは自分の顔を画面に向けたので、「えっと、それは……」と口を挟んだら、赤面して「ア、ちがうネ、そうじゃないネ」と言いながら、返してくれた。

認証と精算が無事完了した後、まだ赤面しながら、クーポンやコード決済をできたことに対して、「日本人(の技術? 仕組み?)はすごいネ」と照れ隠しに言ってくれたのだが、乱立する決済方法や手続きのできる貴方のほうが凄いと思うよ、日本語読めてるし、と言いたくなるところを笑顔でごまかして店を出た。アジアン? ポリネシアン? ヒスパニック? わからないけどイケメンで、赤面してたのが可愛かったわ〜。(hammer.mule)