日々の泡[003]サヨナラだけが人生だった【黒い雨/井伏鱒二】/十河 進

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市原悦子さんが八十二歳で亡くなった。僕は、セーラー服姿の市原悦子さんを見たことがある。巣鴨あたりのキャバクラにいったら、市原悦子似のおばさんがセーラー服を着て出てきた----とかいう話ではない。

本当に、あの市原悦子さんがセーラー服を着て、女子高校生を演じていたのだ。撮影当時、市原さんは二十歳を過ぎたばかりだから女子高生の役も不自然ではないが、僕が見たのは十数年前だったので、「家政婦は見た」の市原さんがセーラー服を着ているような錯覚に陥った。

その映画は、井伏鱒二原作の「駅前旅館」(1958年)だった。監督は文芸映画の巨匠、豊田四郎である。この映画がヒットしたので、その後「駅前シリーズ」は「社長シリーズ」と並んで、森繁久彌の代表的なシリーズになった。森繁、フランキー堺、伴淳三郎がメインキャストである。





「駅前旅館」の撮影当時、市原悦子は養成所を出て俳優座の劇団員になったばかりの頃である。見た目も、しゃべり方も後年と同じだった。つまり、彼女の演技は当時から完成されていたのである。

僕が井伏鱒二の「駅前旅館」を読んだのは、二十年ほど前のことだ。原作は「私、駅前の柊元旅館の番頭でございます」と始まる一人称の語りである。さらに、「です・ます」調を採用している。

現在、井伏鱒二作品を読む人がどれほどいるかはわからないが、日本近代文学史の中でも重要な作家だと思う。ただ、僕が井伏鱒二という名前を知ったのは、高校の現代国語の教科書に太宰治の「富嶽百景」が載っていたからだった。

「富嶽百景」は、短いので教科書に採用されやすい。小説なのか随筆かわからない内容だし、「私」は「太宰さん」と呼ばれる。さらに、「井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、こもって仕事をして居られる」と実名で書いている。

その井伏鱒二の紹介で「私」は甲府で見合いをし、結婚する決意を固めるのである。その相手が、後に津島佑子さんを生む太宰の正妻になる。「富嶽百景」で有名になった一節に、「富士には、月見草がよく似合ふ」がある。

しかし、高校生のことである。そんな情緒あふれる文章より、生徒たちの興味を惹いたのは、「井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆつくり煙草を吸ひながら、放屁なされた」という部分だった。生徒たちは「放屁」という言い方を初めて知り、休み時間に「放屁するぞ」とふざけあった。

僕も、名作の誉れ高い太宰治の短編に「放屁」という言葉が出てきたのには少し驚いた。教師の話では「井伏鱒二は否定してるけどね」ということだったが、ずっと残る作品にそんなことを書かれても、井伏鱒二は心中するまで太宰の面倒を見たのだなと僕は思った。

甘ったれで破滅型の太宰治に対して、井伏鱒二には「大人」のイメージがある。温厚で包容力があり、作家には珍しく人望のある人物という印象が強い。作品群からも、そんなことを感じてしまう。

その井伏鱒二が唐の詩人の「勧酒」を自由に和訳したフレーズが有名になったのは、井伏鱒二の「貸間あり」(1959年)を映画化(脚本に藤本義一が加わっている)した川島雄三監督が口癖のように言い続けたからだった。

  コノ盃ヲ受ケテクレ
  ドウゾナミナミツガシテオクレ
  花ニ嵐ノタトエモアルゾ
  サヨナラダケガ人生ダ

どちらかと言えば、僕はこの漢詩の和訳の仕方に惹かれて井伏鱒二の作品を手に取った。それは、後に井伏鱒二の代表作になる長編で、当時、出たばかりで話題になっていた本だった。

昭和四十一年(一九六六年)、僕が十五歳の秋に「黒い雨」は新潮社から刊行され、翌年まで続くベストセラーになった。今でも僕は憶えている。初めて、高校の図書館で「黒い雨」を手にしたときのことを----。

僕が棚から「黒い雨」を取り出し、パラパラとページをめくっていると、通りがかったTという同級生が「それ、読んだ方がええぞ」と声をかけてきた。Tは同じクラスだったが、ほとんど口をきいたことはなかった。

僕の学校はヘアースタイルについてはそれほどうるさくなかったのに、Tはスキンヘッドに近い丸刈りだった。制服は詰め襟で、みんな頸のホックを外していることが多かったのに、Tはいつもきちんとホックを閉じていた。だから、僕のTに対する印象は「変なヤツ」だった。

「黒い雨というのは、広島の原爆の後に降った真っ黒い雨のことなんや。放射能がいっぱい入っとって、それに濡れたら原爆症になるんや」と言うと、Tはすっと歩いていった。当時でも、雨に放射能が含まれていて、濡れると禿げると言われたりしていたので、僕は一瞬、Tの言葉を理解するのが遅れた。

しかし、僕は「黒い雨」の意味するところも、その小説の内容もまったく知らなかったのだけれど、Tの説明ですべて納得してしまった。ただ、井伏鱒二という作家は「山椒魚」で評価された人でユーモア作家だと思っていたから、「黒い雨」がシリアスな原爆小説だと知って意外に思ったものだった。

後年、今村昌平監督が「黒い雨」(1989年)を映画化したとき、僕はひと足早く東映本社の試写室で見ることができた。今村昌平監督の盟友である北村和夫の抑制された名演に目を見張り、女優としてカムバックした田中好子の演技に好感を抱いた。

風呂で髪がズルッと抜けるところの田中好子の表情は、今も鮮やかに甦ってくる。まるでホラー映画のように、僕はドキリとしたものだった。「黒い雨に濡れた」という噂で嫁にいけない姪に叔父(北村和夫)は心を痛める。

「黒い雨」は、第十三回日本アカデミー賞の主要部門をほとんど独占した。最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞、最優秀主演女優賞(田中好子)などである。そして、最優秀助演女優賞を受賞したのは、田中好子の叔母を演じた市原悦子だった。


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