エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[33]牛さんの話 堀の底の生き残り
── 海音寺ジョー ──

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◎牛さんの話

今回は牛さんの話をします。牛、と書くとまず牛魔王みたいな、三叉矛を振り回す武芸者のイメージが湧くかと思いますが、いや、ぼくはそんなイメージがあるんですが、ぼく自身の近年高まってきた、短歌熱の話から始めさせてください。

短歌に興味を抱いた2017年頃、大阪短歌チョップ2という催しに行った。短歌と写真をコラボしたパネル展示。初心者向けのワークショップ。朗読ライブ。トークショー。短歌を使ったカードゲーム。百人一首の実演など、盛り沢山の総合短歌ビッグイベントだった。その主催者の一人が牛さんだった。

その催事で知った、歌人の虫武一俊さんの歌集の批評会にも、批評会って何じゃろ? と興味を抱いて聴きに行ったのだが、会の主催が牛さんだった。





短歌を知るきっかけになり、今もよく行く詩歌専門書店の葉ね文庫には、葉ねのかべという、店の一角を使った短歌とイラスト、俳句とオブジェなどのコラボ展示があるのだが、それを管轄してるのが牛さんだった。

語彙消失歌会というユニークな歌会に昨年参加したのだが、この歌会の選のない形式は牛さん主催で2012年から続けられている、借り家歌会の形式に倣ったものと後で伺った。

自分の作歌修行のため、伊丹公論という伊丹市図書館が出版してる新聞の歌壇に応募し、5回紙面に載せてもらい大喜びしていたのだが、最近これも牛さんのプロデュースだと知った。

もう、牛魔王というより釈迦じゃん! 自分の行く先々に牛さんがおる~! ぼくはお釈迦さまの掌の上を飛び回ってるモンキーのような敬虔な心境になり、牛さんとは何者なのであろう? と畏れに近い気持ちを抱いた。

そして月日が流れる。2019年1月。

夜勤で爛れた心を鎮めようと、葉ね文庫で詩歌の本を立ち読みしてたら、ふらっと牛さんが現れた。ぼくは疑問に思ってることを尋ねてみた。

「牛さんは現代短歌界のフィクサーなんですか?」
「違います!」と言下に否定された。

しかし上記の行きさつから、納得できず牛さん自身から牛さんの正体を聞かせてもらおうと、時間を取ってもらい大阪屈指のベッドタウン・高槻シティーでインタビューを決行したのだった。

葉ね文庫の店主さんによると、店でお客さんが短歌の話を始めると、最後に必ず牛さんが出てくると云う。かように、関西短歌界では知らぬ人がいないほど有名な牛さんは、「縁の下の力持ち」と形容されることが多い。

実際そうなのだろうが、牛さんの拠って立つ所とは、縁の下なのだろうか? そんな疑問が以前からあった。

2月。雨の月曜日。夜勤明けで2時間しか寝てない海音寺、やはり仕事疲れで表情の昏い牛さんは、駅前の喫茶店にフラフラと吸い寄せられるようにしけ込んだ。ブシューッ! バズゴーン! と間欠的にエスプレッソマシンが咆哮する店内は、けっこう混み合っていた。

まず、フィクサーなのか否か疑惑から聞いてみた。

「いや、確かに、ぼくや田中ましろが現在興隆してる、インターネット短歌の中心人物である、という言われ方をされたこともあるんですが、それは違うんです。想像してほしいんですが、インターネットに中心なんてないんです」

田中ましろさんとは、短歌と写真を組み合わせた人気のフリーペーパー「うたらば」を制作してる歌人さんだ。確かにインターネットは構造上、相互通信前提の通信網だから、中枢という概念はないだろう。

牛さんが言うには、現代短歌が通信技術の発展に伴い普及してきたということがまずあって、自分やましろさんがいなくても、自然発生的にちゃんと隆盛したはず、と。

車。マイホーム。出世。昔は欲しいものが均一価値だったが、時代が進むにつれ個人的な価値観が大切になった。自分の、自分だけの価値を人々が求めて行った結果、たまたま俳句、たまたま川柳、そしてたまたま短歌に辿りついた、という流れがあったのだと思う、と。

「ぼくが短歌を広げていったんじゃなくて、短歌が、勝手に広がっていったんです」

しかし、結果論になるかもしれないが、現に今、短歌の発展に寄与する活動を牛さんはめっちゃしている。

例えば借り家歌会という、予約も参加資格もなく誰でも気軽に入って行ける歌会の運営、はじめて短歌に触れる方のためのワークショップ、NHK短歌のテキストにも歌人を紹介する連載を続けてて、プロデューサー牛さんは大忙しであり、そんな中で集客数350人超、読売テレビが取材に来るほどの大イベント、大阪短歌チョップを運営してるんである。

「ぼくの行動原理は『需要に対する供給』です。「こうゆうのが欲しいな」という空気感があって、それを提供する。場作りをしてるという意識はあるんだけど、短歌を広めてる存在かと言えば違うと思う」

大阪短歌チョップは、色々な所から短歌活動の芽が出て、各所で花開いてたんだけど、それらがその位置で膠着、硬直しようとしてる気がして一旦シャッフルしよう、良い意味での交流を持たせようと開催を考えたとのこと。冒頭で主催の一人と書いたが、「やろう」と最初に持ちかけたのが牛さんだった。

牛さんの行動原理はめっちゃシンプルで、かつ執着がない。功利心にまみれきったぼくからは眩しすぎる。

このような短歌の発展に寄与する活躍が短歌をする、特にネットで短歌を始めた方々から絶賛されるために、牛さんが歌人であることが全然目立たない。牛さんは短歌を詠む。でも、プロデューサー牛さんの影に、歌人牛さんが隠れがちで、このことを歯がゆく思う。

「なんで、ツイッターのプロフィール欄に『結社・同人誌所属なし。歌集刊行なし。受賞歴なし。』って書いてるんですか」とぶしつけに聞いてみた。

ぼくは牛さんのこの、自己紹介欄もずっと引っかかっていた。いつも周りの方の短歌の応援ばかりしている牛さんの、牛さんの無意識下に燃えさかる自意識の裏返しなんじゃないのか? と疑っていた。しかし返ってきた答えは、自分の想定をあっさりくつがえした。

「歌集、ですね。歌集を出したいと思ったことはあったんですが、その時の動機は名刺代わりに便利というだけだな、と思い直して。今んとこ別になくてもいいかな、と」

「でも、発表した歌を雑誌に取り上げられたり、褒められたり、いやそこまでのことがなくても感想をもらえるだけでも嬉しいものだと、ぼくは思うのですが、そういった自己顕示欲は牛さんにはないんですか?」

「確かに、自分の歌、褒められたり感想をもらえたら嬉しいです。でもそこはもう通り越してしまって」

「ほんとですかー? 自分の詠んだ最高に良い歌、自分を宇宙一認めてほしいとか高評価してほしいっちゅう、執着はないんですかーっ!?」

「ちょっと顔が近い、ちょっと引っ込んで。静まって。……自分がいいと思った自分の歌はね、海音寺さん。自分がいいと思った自分の歌は、自分が知らない所で絶対読まれてて、むちゃくちゃ感動を与えているはず、という絶対的な自信があるんです」

「……」

「そう思えるから十分なんです」

牛さんのスタンスは今のインターネット短歌の、百花繚乱の情勢との兼ね合いもある。牛さんや他の短歌の間口を広げる活動をされてる方の努力で、結社とか関係なく、誰もが、やりたいと思った人が、気軽に短歌活動に参加できるようになった。

毎週のように短歌ネットプリントが発行され、フリーペーパーが印刷され、ネットでの公募企画があり、全国各地で開催される同人誌即売会・文学フリーマーケットがある。友だちの発表する短歌を、全て読み切ることが困難な時代が出来している。

このような発展の末、短歌を詠む(作る)人の方が、短歌を読む人より多くなったらどうなるのだろう? そのことも牛さんに、おそるおそる尋ねてみた。

「そこは難しい問題なんですが、歌集の自費出版、ということになるのかな。この自費出版文化が成り立つのは、謹呈文化があるからです。このことも色んな問題を含むと思うのですが、この文化がなかったら自由主義になる。つまり売れる本(歌集)以外出せなくなる。それは、短歌の死だと思います」

「……はい」

「売れる本以外は、じゃあどうなのか? ぼくはもうちょっと読者のことを信じてる、というか、もうちょっと幅は広がるんじゃないか。読む人を信じてる。期待してる。希望がある。読む人より作る人の方が多くなる時代がもし来たとしても、読むのが楽しいということは、もっと信じていいんじゃないか?」

ぼくがずっと考えていた牛さんの正体、牛さんの拠って立つ所とは、信頼心なのかもしれない。周りの仲間を信じて、世界を肯定し、そのことによって自分の歌を信じられる。牛さんは、今は出さないと言ったけど、今は出さないだけで、「需要」が来たと直観したなら、牛歌集が誕生するだろう。

その時は、辣腕プロデューサーの牛さんが歌人・牛さんを後押しするだろう。その時は牛さんがこれまで支えていた人々が、牛さんの支えに回るだろう。どんな化学反応が勃発し、新しい伝説が生まれるのか?

喫茶店を出ると、雨は上がっていた。牛さんと阪急の駅で別れ、どっぷりと暮れた高槻を後にした。

牛飼が歌よむ時に世の中の新しき歌おほいに起る  伊藤左千夫


◎堀の底の生き残り

空堀の商店街の一角に小さなカレー屋があって、たまたまアルバイトを募集していたので魚人が応募した。

カレー屋のマスターは履歴書を見て、住所が堀とだけ書かれてたので詳細を訊いてみた。

「堀っす」と魚人は答えた。

マスターは冷や汗をこめかみに垂らしながら「そ、そうか」と受け、これ以上きくまいと思った。

ほかにだれも応募しなかったので採用した。魚人はマスターの心配をよそに良く働いた。忙しいときは厨房で、レードルを使わずに水掻きのついた手でカレーを掬い入れたので、効率がよかった。洗い物も早いし、目と目が離れてるから視界が広く、お客さんからの追加注文、出入りにもよく気づいた。

マスターは文士くずれで、いまだに芥川賞作家への夢をあきらめてなかった。魚人に店を任せて、未完の大作「通天閣オデュッセイア」を天井裏の秘密書斎で書き上げたかった。

「ごめんっす、マスター」
魚人が眉間に縦じわを寄せながら、マスターの提案を辞退した。
「なんでだよ、わしの代理で、店を任せるっていう破格の、メッチャおいしい申し出じゃないか」
「ぼくも長くここで働きたかったけど、江戸城のお堀から、ぼくの仲間が助けを求めて来たんす。行かなければ」

それは、テレビでやってた江戸城の堀で外来魚が違法で放流されてたニュース、のことか。

「あいつ、ぼくの親友なんす」

おまえ、なんちゅうか、情にあついんだなあ、とマスターは感心した。そして、この空堀という堀にやっぱり、こいつ棲んでたんだなあと、妙に得心した。

魚人は江戸城へと旅立っていった。マスターは求人張り紙をまた、出しておかねばと、レジの下の引き出しをゴソゴソとした。おわり

(第一回からほり米俵文学賞佳作『からほり超短編小説』より)


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