羽化の作法[80]現在編 アート関係のニュースからアートで自立まで
── 武 盾一郎 ──

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●あるニュース

アート関係のニュースから。2月27日
「会田誠さんらにゲスト講義で自慰写真など見せられ「セクハラ受けた」 
美術モデルの女性が学校法人を提訴」
https://www.huffingtonpost.jp/entry/harassment-at-school_jp_5c761c9ee4b0031d95634396


ツイッターのタイムラインにこんなニュースが流れてきました。そしてこのニュースは炎上し、アーティストやクリエイターたちは皆反応していました。私はこのニュースに関するツイートはしてませんが、とても気になっていました。

私は一応(会田さんが覚えていれば)知り合いですし、それに同じアーティストなのでどうしても会田さんに同情する側なのですが、ちょっと思ったところもあったので、ここに記述しておきます。





このニュースを受けて、手塚るみ子さんは「難しい時代になりましたね。手塚治虫だと思って安心して読んでたら、レイプだのバイオレンスだの、なにこれひどい! って言われかねない。」とコメント。


一方、北原みのりさんは「『天才』とあがめられ、彼への抗議が嘲笑される芸術界の中で、本当に勇気ある声だと思う。声をあげてくれて、本当にありがとう!」とコメントしています。


ツイッター上では賛否両論が喧々諤々巻き起こっていました。

カオス*ラウンジの黒瀬陽平さんは、以下のようにツイートしています。「どれだけ配慮しても、美術の話をする以上、誰かを傷つける可能性はゼロにならない。もし実際に人を傷つけてしまったのなら、まずは当事者の訴えを真摯に受け止めて対応するのが基本ではないですか。その意味では、会田さんや鷹野さんは、その姿勢は持ってると思います。持ってなかったのは大学側です。」


トータルとしては黒瀬さんのように「大学の対応に問題がある」という見解が多い感じでした。

会田誠さんはメディアのインタビューを断り、連続ツイートでこのニュースについて述べています。


「寝耳に水でした。メディアからの取材はとりあえず断りました。自分のツイッターは編集されないので、ここに何か書きましょうか…。遠い記憶ですが、その夜のトークは僕の通常運転だったことは確かです。通常運転とは、学者や研究者のやる講義からはほど遠い、実作者としての言葉だったことです。(続く

続き)落ち着いた文化教養講座をイメージしていたなら、すごいギャップがあったでしょう。僕は芸術が「落ち着いた文化教養講座」の枠に押し込められることへの抵抗を、デビュー以来大きなモチベーションとしてきた作り手です。(続く

続き)そもそも西洋から来た「ヌード」という美術のジャンルが、歴史的に「妙なもの」であるという点を軸に話したつもりでした。研究者でないので結論なくグダグダ話しただけと思いますが。全体的には「人類にとって芸術とは何か」という僕の人生を賭けたシリアスな問いの一環だったはずです。

「モデルをズリネタに」云々という文字がありましたが、おそらくこういう文脈で出てきたものです。美大油絵科の学生としてみんなとヌードモデルを描いていた時に、はたと気づいた。裸の女性が真ん中にいて、たくさんの男たちが(当時美大は男子学生が多かった)それを凝視している。(続く

続き)そして言外に欲情は禁じられてる。これってなんなんだ? 何ゆえなんだ? 歴史的経緯は? 美術・芸術の領域(具体的には芸大上野キャンパス)から一歩出た世間は、まったく違う風か吹いているじゃないか? どっちが嘘をついているんだ? どっちが病的なんだ? そういう問いです。」

会田さんのツイートはまだ続きますが、メディアのインタビューを断ったところになんというか少し希望を感じました。

動画のニュースもありました。
「“ゴキブリとセックス”画で吐き気 大学側を提訴(19/02/28)」


ちなみに会田誠さんのレビューはデジクリでも書いてます。

「武&山根の展覧会レビュー コントと思えばよくわかる──【会田誠展 天才でごめんなさい】を観て」
https://bn.dgcr.com/archives/20121212140200.html


今回のニュースのネット状況を的確に喩えてるのは、デジクリ執筆陣の一人「キョージュ」こと関根正幸さんで、以下のようにフェイスブックにコメントしていました。

「世界の珍味を食するイベントにキャビアやトリュフが食べられると参加したら、昆虫食や特殊な発酵食品が出てきてしまい、我慢して食べたもののあまりに辛いので、主催にクレームを言ったが対応が悪く、公に訴えたら、我が国の食材をディスるとは何事か、と叩かれるようなものだと思ってる。」

これ以上にうまく喩えることは私にはできないので(笑)、その他で気になったことをここに書きます。それは、宮台真司の言う「劣化」のことでした。

「落合陽一×宮台真司 次の時代をどう生きる」
http://www.news24.jp/articles/2019/02/08/07416470.html


宮台真司さんはネットが普及する前から「島宇宙」という言葉を使って、人々のクラスター化について言及していたようなのです。

「見たいものしか見ない、同じ価値観を持つ人達同士でしか付き合わない」コミュニティの出現。ネットはそれらを加速させ「エコーチェンバー現象」と呼ばれています。

「エコーチェンバー現象」
https://www.weblio.jp/content/%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E7%8F%BE%E8%B1%A1


「人間は偶発性、未知性に誘発される存在」なのに、偶発性のほぼない状況になってきています。道で人と人が出会わない。他人と目を合わせない。予想外のことに耐性がない。こういう状況に慣れ切った人たちを宮台は人間の「クズ化」とか「劣化」という強い語気で批判しています。

私が感じたのは、この提訴ニュースも宮台真司さんのいう「劣化」の一つの表出なのかも知れないということでした。

そこで、私は子供の頃を思い出します。

私は子供の頃、音楽のこととか宇宙のこととか「俺って本当にいるのか?」とか、そういうことを話せる人たちと出会いたいと、団地の窓から夜空に向かって強く強く願ったのでした。子供心に孤独だったのです。自分を分かってくれる人がこの世にいるのだろうか? いるとしても出会えるのだろうか? と深く思い悩み、星空に祈ったことを思い出すのです。

そして21世紀の現在、音楽のこと、宇宙や意識の謎、哲学、芸術etc…関心のあることは、即座にネットで共感できる人と出会って話すことができます。現代は子供の頃の夢が叶っている社会なのです。それって素晴らしいことだと思うんです。

しかし一方で、このことが実は人間の「劣化」を招いている、と宮台氏は指摘するのです。

だとするとですね、大学側の対応に問題があったのは確かだとは思いますが、しかし(訴えを起こした方にとっては気の毒かも知れませんが)、そういう予期せぬ出来事を提供する「場」があることは、実は「希望」なのかも知れない、とも思ったのです。それが「大学」という学びの場であったことも含めて。そんなことを思ったのでした。

ただ、提訴した大原直美さんが今後、会田誠含む現代美術的な芸術観に共感を示すことは難しいだろうなあとも思いました。

それはこのツイートを見て思いました。「会田誠氏の講演会をセクハラで訴えた人のブログ見た感じだと、『大人の休日デート』感覚で行ったんだろうね。『芸術』と『癒やし』を同列に扱う人の多いことよ... 何かもう絶望的な気分になる。
http://www.chibacity-ta.or.jp/5beach/hajimemashite-ooharanaomidesu



ブログ先には彼女の活動が紹介されていますが、こういう日常を生きてる人に会田誠作品はやはりちょっと無理かなあと思ってしまいます。

逆に会田誠さんが彼女の活動しているキラキラした場所に居合わせたらきっと居心地悪いだろうなあ、とも。何か相容れない「文化ギャップ」を感じたのでした。

現代日本人はうまく「文化の棲み分け」をしていて、その垣根は高い。多分、ジェネレーション・ギャップよりも「世界観の違い」の方が絶望的に噛み合わないだろう。

「ネトウヨ」と「パヨク」のように、ツイッター上で罵り合うコミュニケーションすら存在しない「文化部族」に別れていると思う。それは同じ日本語を使いながらも、すでに言葉は通じないくらいに。

各々の部族が幸せだったら、それはそれで良いのではないかと思ってしまう。そしてテクノロジーが背後でインフラを繋いでくれているから、経済はくまなく回るので問題も起こらない。

たまに違う部族と衝突してしまったら、今回のように即座に訴え、判断は法に任せてお金という数値で解決を図る、と。

宮台さんの「劣化」批判とは裏腹に、この方向はさらに加速するような気がする。ということは、ある意味、大原直美氏の姿が来たるべき未来系なのかも知れない。

これらを踏まえて、「私はどのような芸術観を持って活動して行ったらいいのか?」と自問してみました。

「今やってることを精一杯やって、アートで回して行けるようになる。自分はどこの部族にも入れてないので、文化経済圏を探してそれらとしっかり接続して回して行けるようになりたい」が答えです。

ひょっとしてニュース関係ないかもですね(笑)。そして具体的な接続(仕事)先ですが、美術界というよりSF界です。

●SF小説の扉絵を描く

今年に入って最初の仕事は、「SFマガジン」4月号に掲載される樋口恭介さん
https://twitter.com/rrr_kgknk
)の『一〇〇〇億の物語』の扉絵でした。


http://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000014150/shurui_71_SFM/page1/order/


以前、「小説すばる」2018年10月号で短編『輪ゴム飛ばし師』の扉絵を依頼され、樋口さんとは2回目のお仕事となります。本当に有り難いです。


http://syousetsu-subaru.shueisha.co.jp/bnumber/2018%E5%B9%B410%E6%9C%88%E5%8F%B7%E3%80%80%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E3%81%99%E3%81%B0%E3%82%8B/


まさか自分がSF小説の絵を描くとは思ってなかったです。やってみると違和感はなく、自分の作品がそこにあるのが楽しげに感じられてとても嬉しい気持ちでした。SFは詳しくないのですが、ひょっとしたらそのおかげで考え過ぎずに済んでいるのかも知れません。

ここ最近、自分の作品に望むことは「展開可能性」のある表現でした。

それは原美術館のジム・ランビーのインスタレーションを観てから、徐々に意識に上るようになりました。
http://ism.excite.co.jp/art/rid_Original_02592/


ジム・ランビーは美術館の床や壁にビニールテープを貼って、インスタレーションにしています。

ビニールテープひとつで、どの空間に対してもアプローチできる、この「展開可能性」にいたく惹かれたのです。シンプルな素材とシンプルなルール。そしてどこにでもインストール可能。

「ある特定の立地条件とか、ある特定の雰囲気にしかマッチしないとか、そういうニッチな作品」ではなくて、「どこにでも展開可能なシンプルなルールで書かれたものすごく柔軟なプログラム」みたいな作品のあり方。

何かそういう方法ってあるのだろうか? また、そういう作品は制作できるのだろうか? 「展開可能」でありたいと切に望んでいたのです。

ジム・ランビーはデジクリでもレビュー書いてます。

「武&山根の展覧会レビュー メンドクサくない感じ【ジム・ランビー:アンノウン プレジャーズ】を観て」
https://bn.dgcr.com/archives/20090121140300.html


シンプルなルールで展開していく例を挙げると、イワシや鳥の群れがあります。こちらに動画があります。

「数千羽のムクドリ達による空のダンス」

「フィリピン・モアルボアルのイワシの群れ」


イワシや鳥の群れの動きはとても美しく感じます。しかし、そこに複雑な動きを指揮する司令塔はありません。各々の個体が「衝突回避」「整列」「結合」の、シンプルな3つのルールで動いているそうなのです。

参照:「イワシの群れは「ルール」にしたがう/身近な科学 信じられない本当の話」
https://news.walkerplus.com/article/158616/


そんな感じで、シンプルなルールから無限の美しい形を生み出すような作品が作れないかと考えてた時期がありました。

作品がシンプルなルールを展開している美しい形であり、かつ、作品のあり方自体も展開されて行く、みたいな。線譜は展開可能なアプリケーションのように生きて欲しいのです。SF小説の扉絵がその実装だったら嬉しい。

ちなみに『一〇〇〇億の物語』なのですが、最初に原稿を読んた時、儚い透明感に「おお〜!」と思って、あれこれイメージを膨らませていました。しばらくすると、修正した原稿が送られてきて、あまりにもガッツリと変わったのでものすごくびっくりしました。その変更のダイナミズムに感動したくらいです。

そして、出版された小説を読むと更に変更してあって、またもやビックリしました。小説自体が生き物のように成長し、分量もスケールも大きくなって、タイトルも出世魚のように変わっていました。完成作品そのものにも感動したのですが、変わって行く原稿のエネルギーにも圧倒されました。

私は出かける電車で完成作品を読んだのですが、赤羽駅で乗り換えてホームに立ちながら読んでいて、思わず泣きそうになってしまいました。

どんどん変わって行く油絵の制作過程のようで、とても贅沢な体験をさせて頂きました。樋口作品は詩であり音楽であるんだなあと思います。ぜひ「SFマガジン」4月号をお手に取ってお読みくださいませ。

これからもいろんなところに接続して展開して行きたいです。

そして今、私は自分たちのアートが展開して行く源となる「場」を作っている真っ最中でもあります。それがこの世界ともうひとつの世界の狭間、結界であり出島である「13月世大使館」です。

●13月世大使館のいま

13月世大使館とはポオエヤヨさん( https://twitter.com/Poelett
)とのユニット「ガブリエルガブリエラ」で運営するギャラリー・ショップです。現在外注工事がほぼ終わり、いよいよ最後のDIYに取り掛かるところです。

室内を白く塗装しました。
「室内は現在こんな感じです」


外装はこんな感じです。
「ひさしの屋根が取り付きました。」


工事開始から一年以上経ってようやく完成が見えてきました。なんだかこれまでは、人生のリハーサルだったような気持ちが湧いてきます。

苦節二十年。いよいよ「アートで自立」への旅立ちが始まります。完成したらまずは自分たちでしっかり嬉しがろうと思います。(つづく)


【武盾一郎(たけじゅんいちろう)/新人画家】

劇団ビタミン大使「ABC」の座長・宮川賢さんのラジオ「宮川賢MT」に出演しました。
宮川賢MT:武 盾一郎 1

宮川賢MT:武 盾一郎 2


こちらにも、インタビュー動画がアップされています。
段ボールアート/武盾一郎


絵画レンタル/販売のCasie かしえさん( https://twitter.com/Casie_jp

で取り扱って頂いてる線譜『惑星』がレンタルされました!


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