日々の泡[005]抽象画のようだった【砂の上の植物群/吉行淳之介】
── 十河 進 ──

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吉行淳之介の「砂の上の植物群」を読んだのは、十六か十七歳の高校生の頃だった。友人たちは「そんなエッチな本を読んで----」と言ったけれど、僕がその小説を読んだ理由は性的な興味があったからではない。

今から振り返ると、性的にはオクテだった僕にその小説に書かれていたことが理解できたのだろうか疑問に思う。ただ、僕は高校生のときに新潮社から出ていた分厚い一冊本の「吉行淳之介短編全集」「吉行淳之介長編全集」を読破するほどの愛読者だった。

また、「砂の上の植物群」は、僕の中から抽象絵画への関心を引き出してくれることにもなった。「砂の上の植物群」とは、パウル・クレーの作品のタイトルから引用したものだと知ったからだ。





パウル・クレーを知らなかった僕は、彼の画集を見つけて開いた。新鮮な驚きがあった。その結果、具象画だけが絵画だと思っていた少年は、心象を描く作品というものが存在するのだと知ったのである。

その頃、吉行淳之介は流行作家(今や死語ですね)だった。週刊誌では座談の名手として座談会の連載を持ち、上品なエロ話ができる作家として売れていた。また、軽妙なエッセイを連載していた。エッセイ集に「栗と栗鼠」というタイトルのものがあり、僕がその意味を理解したのはずっとずっと後のことだった。

「桃栗三年、柿八年」ということわざをモジって、「股尻三年、膝八年」と言ったのは吉行淳之介だという話を聞いたことがある。女性のいる銀座の酒場で、隣に座ったホステスの体をさりげなく触るワザについてのフレーズだという。

吉行淳之介には、そういう「洒脱な遊び人」「性的技巧者」「軽妙だが軽薄ではない都会人」といったイメージがあった。その頃の吉行淳之介は、同じように性的なテーマを描いても、純文学作品とエンターテインメント作品を書き分けていた。

端的に言うと、扇情的に描くか、分析的に描くかという違いである。ポルノグラフィーは性的場面を扇情的に描き、読者を興奮させなければならない。純文学作品では、性的場面を描いても人が生きる意味を考えさせなければならない。

今でも、最初に「砂の上の植物群」を読んだときの印象を僕はよく憶えている。それは、化粧品のセールスマンである主人公が、仕事をさぼって公園で思いを巡らせている場面から始まった。

彼は、ある推理小説の構想を考えている。彼には若くして死んだ父親との葛藤があるらしく、その父親が死んだ後も残った妻の体を凶器にして殺人を図るという小説だが、その肝心なトリックが思いつかない。

やがて、主人公はセーラー服の女子高生(その唇に真っ赤な口紅を塗っている)と知り合い関係を持つ。女子高生には保護者のような姉がいて、その姉を堕落させたい願望があるのか、主人公に姉を誘惑するように持ちかける。

主人公は姉に近づき、誘惑し、関係を持つ。その姉には被虐趣味があり、何度も身を重ねる関係になり、ある日、主人公に手を縛って性交してほしいとねだる。しかし、それこそが主人公の父親が女の体に残した凶器だったのではないか、と主人公は疑い始める。

五十年も前に読んだので、記憶が曖昧な部分もあるのだけれど、ざっと要約すると、そんな物語が展開したと思う。今、書くとしたら、もっと直接的な表現もあるのだろうが、何しろ一九六三年に発表された小説である。露骨な描写はなかったと思う。

吉行淳之介作品は、独特の感覚的な表現が魅力的だった。評論家の川村二郎さんは「感覚の鏡」という長編の吉行淳之介論を書いているが、吉行淳之介の感覚的な文章は僕に大きな影響を与えていると思う。

「砂の上の植物群」では三十四歳で死んだ画家の父親が主人公に大きな影を落としているけれど、現実の吉行淳之介にも三十四歳で死んだ父親・吉行エイスケの影が見え隠れする。父親も作家だったからだ。

NHK朝の連続ドラマ「あぐり」は、吉行淳之介の母親あぐりの人生を描いており、エイスケを野村萬斎が演じていた。ちなみに淳之介の妹は女優の吉行和子と、詩人で後に芥川賞を受賞した吉行理恵である。兄と妹で芥川賞を受賞したのは、他にはいないと思う。

ちなみに「砂の上の植物群」は原作が出版された年に映画化され、一九六四年八月末、東京オリンピックの五十日前に公開された。才人の評判が高かった中平康が監督し、脚本には池田一朗(後の時代小説作家・隆慶一郎)が参加している。

僕は公開当時に見たかったのだが、さすがに中学一年生では映画館に入りにくく、後年、思いを果たした。主人公は「日本のアラン・ドロン」と言われた頃より少し年を取った仲谷昇、女子高生は西尾三枝子、その姉は稲野和子だった。

西尾三枝子は三田明のヒット曲を元に作った青春映画「美しい十代」(1964年)でデビューしたばかりの清純派だったが、この映画への出演をきっかけに大胆派に転向し、後にテレビドラマ「プレイガール」に出演することになる。

稲野和子という女優は、思い出すと今でも背筋がザワッとするほど官能的な人だった。十代半ばの少年にとっては、「イヤラシゲーな」人だったのである。小説は抽象画を見ているような印象だったが、映画はセックスシーンも直截的で僕は戸惑ったものだった。


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