Otaku ワールドへようこそ![300]意識をめぐるクネクネは続く/GrowHair

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意識の謎について、気になって気になってしょうがないのは、もう何年も前からのことだが、それとの関連で、実在論についても気になりだした、という話をここ2回、書いた。両者に共通するのは、主観と客観とにまたがる領域に問いが据えられているというところか。

2月22日(金)は実在論をめぐる問いについて述べた。思想・哲学の界隈では、素朴実在論はとっくの昔に否定されていると言われており、私もそこに異論はない。理屈の上でちゃんと筋の通ったことを言っていると思う。

しかし、それを認めちゃうと、物理学の土台のところがぐらついてくる。外界で起きているさまざまな事象をいくら客観的に捉えようとしても、最後の最後のところで、外界は自分個人の主観を通じてしか認識することができないのだから、認識したとおりに外界が実在するかどうかなんて保証しようがない。それは困る。

たいへんなジレンマだが、両方の顔を立てつつ妥協案を考えようとするならば、外界の実在について絶対的な保証はないにせよ、確率的にほぼ確かなことだと言えないだろうか。それを言うために、ベイズ統計学の考え方を借りてくるのはどうだろうか。

『外界と私との連絡手段はビット列のやりとり以外に何もない』
http://bn.dgcr.com/archives/20190222110100.html

これを受けて、3月8日(金)は、ベイズ統計で世界を理解しにいくとは、どのような過程であるか詳しく述べるつもりだった。ところが、前の回に述べたことが、人々からあまりに理解されていないという気配を感じ取り、同じ説明を繰り返してもしょうがないので、いったいどこの石につまずいて理解が進まなくなっているのだろうかとごちょごちょ考えているうちに、話が脱線しまくり、本題に戻れなくなって終わったのであった。

『外的世界は実在するか[補遺編]』
http://bn.dgcr.com/archives/20190308110100.html

今回こそは軌道を元に戻して、ベイズ統計の窓を通じて外界を眺める世界観の中身について、詳しく説明しよう。という姿勢を見せつつも……。





●またしても反響がひどい……

2月22日(金)に書いたことに対して、みずから「素朴実在論者です」と名乗ってきた人がいて、自分の述べたことの理解されてないっぷりに驚愕した、というようなことを3月8日(金)に書いた。

同じ人物が、今度は、こんなふうに言ってきた。「必要以上に衒学趣味的というか、わざと持って回った言い方をして話を引き延ばしているようにも見えます。単に深遠ぽさを演出して楽しまれているのでしょうか」。いやぁ、すごいな。あの文章が、そんなふうに読まれちゃうんだ。

最初のがよく理解されなかったと感じ、しかし、どこにつまずきの石があったのか見当がつかないので、いろいろな誤解を想定して、懇切丁寧に説明したつもりである。それがけっこう外れてて「無駄に長い」と受け取られたのかもしれない。

しかし、衒学趣味とか、深遠ぽさの演出とか、そんなことはかけらも意図してなかったもんで、そんな読解のしかたがありうるのかと、ますますいっそう驚愕した次第である。そんな解釈の余地がまったくないくらいに、明瞭で一義的な文章をあらかじめ先手を打って書こうと思ったら、いったいどう書けばいいというのだ。クネクネ、極まれり。

内容を理解できない人の立場からすると、その人の目には、おそらく線形代数の教科書でさえ、衒学趣味で深遠ぽさを演出しているように映っちゃうのであろうか。いやいや、自慢じゃないが、オレは、量子論も相対論も中身の数式にまで立ち入ったレベルで理解しているわけではないけど、そんなふうには少しも思っちゃいないぞ。

ベースにはある程度の科学の知識がありつつ、ビジネス方面に関心のある人らしい。頭の悪い人ではなさそうだ、というところがますますおもしろい。

頭の回転が速くて、ある程度の理解力を有していて、科学技術方面における他人の既存研究を理解することには、ある程度長けているようにはみえるものの、人類にとって未解決の問題について、思索をめぐらして見通しを立てるといった方面ではおよそ近視眼的な発想力しかもたず、根源的な問いに対して、原理に立ち返って考えるという姿勢が未熟であるようにみえる。

というか、その姿勢がちゃんとできてる人って、人類の1パーセントにも満たないのかもしれない。そこはもう嘆いてもしょうがなくて、おもしろいなぁ、と受け取っておいたほうが健康的なのかもしれない。

根源的な問いって、一般の人々には立ち入れないように、鍵でもかかっているのだろうか。「人類はこの中に入っておれ」という檻かなんかがあって、たまたま鍵を壊して脱獄できちゃったごく少数の人間だけが、問いに気づけるんじゃなかろうか。

問いに正解を返すのが超ハードなのは当然としても、問いに気づくだけなら、そんなに難しいことではないと思っていた。にもかかわらず、説明してもなお気づけない人が人類の大半なのだとしたら、その壁は「難解の壁」ではなくて、「関心がいかないようにブロックしている壁」なのではなかろうか。

一般の人々の関心はまったく向かないのに、ひとたび問いに気づいちゃうと、今度はそっちにしか関心がいかなくなり、それ以外の問題がみんな霞んじゃうのがまた困ったことで。

それでうっかり駅の自動改札に、勤め先の社員証をかざしちゃったりなんかするわけだ。浮き世からの乖離感がたまらない。離人症的なアレか。

●哲学を襤褸滓にけなしたら、怒られたでござる

あ、「ぼろかす」と読みます。漢字があるなんて、つい今しがた知ったので、さっそく使ってみました。まあ、これを読んだら黙ってられない、というのは自然な感情ですかね。

(ここから引用)フッサール以降、現象主義の側にすっかり偏ってしまい、壮大な時間と労力と言葉の無駄遣いをだらだらやってきた哲学。主観の側から主観を論じたのでは、酔っ払いが「オレは酔ってないぞ」と言っているのと同じで、何の正しさも保証できないのに、「オレからはこうみえている」という与太話をただただ何でもかんでも言いっぱなしにしてきた哲学。ソーカル事件以降も懲りずに出鱈目を垂れ流し続けている哲学。関わっている人たちの大多数が、数学の素養が足りないばっかりにそもそも論理の何たるかが分かっておらず、まともな議論が始まりもしない哲学。(ここまで引用)

ここまで言っておいて今さら言い訳するのもナンだが、哲学をくさすことそれ自体が目的だったわけではない。

件の素朴実在論者氏が、私のことを反科学主義的な思想の持主であると誤解したのではなかろうかという気配を感じたので、そうではないことをはっきりさせるために書いたものである。自分の中で、科学と哲学とを比較するのであれば、前者を圧倒的に上にみている、と。

その誤解を解く目的だったら、もう少しマイルドな言い方があったのではないか、という批判は甘んじて受けよう。

藤井雅実氏が食いついてきた。決して仲が悪いわけではないのだが、哲学と向き合う姿勢が私とは根本的に異なるのが明白で、互いの主張内容のすれ違い感がたまらない。

(ここから引用)これは、全くの偏見です。哲学の展開に関する完全な誤解ゆえ、そこは速やかに改善されるよう期待いたします。

小林さん自身、「心の哲学まとめ Wiki」を参照されているけれど、そこで取り上げられている「水槽脳」などの様々な思考実験の多くは、哲学から認知科学など学的分野の区別なく提出され、互いの学的観点の特性に応じて議論が展開されている。

哲学は、数理的処理に乗り難いテーマも含め、どの分野どの対象についても、その存立条件を問う、という点を最大の特性とする。だからこそ、科学とは異質のアプローチや主題設定となる。

しかし、両者は、同じこの世界を対象とするのだし、この心脳問題のように「同じ対象」について、それが存立する異なった層や次元を照準し主題化しているだけのこと。この、同じ物事についての異なった層で捉えられた姿の関係を、論理哲学・分析哲学系で20世紀後半の日本牽引者だった大森荘蔵は、「重ね描き」と言った。

さらに、独自の緻密極まる構造論的哲学を展開し、科学哲学でも科学諸分野に様々な影響を与えた廣松渉は、心脳問題についても(決定解ではなくとも)昨今の議論に欠落している重要な論点を、様々に提出している。

大森も廣松も、「心の哲学まとめ Wiki」に、独立項目が立てられているので、最低限、そこをご参照ください。さらに、永井均も。昨今、流行りのメイヤスーやガブリエルらよりずっと“論理的に”稠密かつ体系的です。
(ここまで引用)

主張内容については、しっかり理解したという感覚をもっているので、そこについてはご心配なく。だけど、反省はしていない。

哲学に向き合う態度として、自分のほうが正しい、などと主張する気はもちろんない。見方が狭いって点については、多分に自覚的である。ただ、公平無私な視点から哲学全般を網羅的に眺め渡して、ジャンルの全体像がどんなふうになっているか正しく理解したいという動機が自分の中にちっとも沸いてこないってだけの話である。

だったら、よく知らないことに関して大口叩くな、っていうのは、たいへんごもっともなことです。

たとえて言えば、絵画というジャンル全体を司書的に理解したいとは少しも思っていなくて、世界のみんなが絶賛するモナ・リザなんて、自分の感覚からすると、どこがいいのかさっぱり分からない、と言っているようなものである。それくらい、いいよね?

確かに、今までの流れの中で、マルクス・ガブリエルがシンギュラリティを論外扱いするのを取り上げてけなしたり、カンタン・メイヤスーの思弁的実在論を取り上げて、狙いの方向性はいいけど内容が見当外れだとくさしたりしていて、話を横へ横へと野放図に拡げすぎているようにみえるかもしれない。

しかしながら、私の関心のスコープは、煎じ詰めれば「意識のハード・プロブレムの正解を知りたい」という一点に収束してしまうほど狭い。朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり、ぐらいの勢いで。

ただ、この問いは、主観と客観とにまたがって存立しているものであり、科学の枠組みだけでは扱いきれないかもしれず、下手をすれば物理学の土台の部分まで揺さぶられかねない危機をはらんでいるようにも感じられる。どうしたって、哲学方面にもお伺いをたてないわけにはいくまい。

その関心に答えてくれる哲学にだけ興味があるのであって、それ以外の哲学は自分個人にとってゴミと同じ、と言っているのである。

この関心領域に「心の哲学」というのがあり、はっきり言って、私が関わるのは、そこだけでいいかな、と思う。ジョン・サールやデイビッド・チャーマーズは、問いを非常にうまく概念的に整理して、印象に残りやすい名前をいろいろつけているし、核心を衝いた思考実験を提示して、問いの本質的な性質を明確化してくれている。業績に深く恩義を感じている。

また、意識の謎を科学的に解き明かそうとする研究者たちからよく名前が上がる哲学者に田口茂氏(北海道大学教授)がいて、非常に気になっている。意識の科学研究の第一人者である金井良太氏(株式会社アラヤ代表取締役)が「意識を考える上で、非常に役立っているし、自分自身の研究の位置づけを明確にしてくれる」と絶賛している。例えば下記のような著書があり、読んでみなくてはと思っている。

 田口 茂
 『現象学という思考:〈自明なもの〉の知へ』
 筑摩書房(2014/12/11)
 https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480016120/dgcrcom-22/

松田卓也氏(神戸大学名誉教授、宇宙物理学者)からも怒られた。「ジャパンスケプティックス副会長の高橋昌一郎さんは哲学者ですが、きわめてまともです」。メールが届いたのが3月10日(日)7:35amだが、その日の午後には、ご本人と引き合わせてくださった。

2016年11月25日(金)配信分のデジクリ後記で柴田さんが下記の本を「面白く読んだ」と紹介していますね。
http://bn.dgcr.com/archives/20161125140000.html

高橋昌一郎『反オカルト論』光文社(2016/9/15)
 https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334039464/dgcrcom-22/

私の興味の方向性からすると、下記のを読んでみなきゃ、と思っている。

高橋昌一郎『理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性』講談社(2008/06/19)
 https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062879484/dgcrcom-22/

私は哲学をすべてにわたってゴミ扱いしているわけではなく、自分の関心事を対象として取り上げ、なおかつ科学的観点からの読解にも耐えるべく、論理的に明晰な形で記述されている哲学については、高い位置に置いているのである。

じゃあ、それ以外の哲学はどうかというと、マイ・ワールドのデスクトップに置かれたゴミ箱に一切合財丸ごと放り込んである。自分個人にとって価値がないと言っているだけで、一般的な価値まで否定しているわけではない。

喫茶店で隣りのテーブルから聞こえてくる、おばちゃんたちの世間話にたとえたら怒られるかもしれないが、言わんとしていることは、自分個人にとって退屈という名の苦痛にしか感じられないことであっても、当事者にとっては意味がある営みなのであろうから、即刻中断・解散すべし、とまでは言ってないってことである。

さて、藤井氏が挙げてきた、大森、廣松、永井について、件のサイトの記述だけはいちおう読んできた。科学的な方法論や知見を踏まえた上で哲学しよう、という姿勢はよく伝わってきた。彼らの主張内容が自分の疑問に対してかみ合っているかどうかの判断は、保留とさせてください。

それぞれ一冊ずつぐらいは読んでみるべきだろうなぁ、と思い始めているし、読み始めたら、論理運びの粗雑さに怒りが爆発、というタイプの哲学ではなさそうだぞ、とも思っている。

余計な発言をすると、読むべきものが指数関数的に増えていく、の法則。

●一転して、有意義だけど、超難解な議論に

こっちの論旨が伝わっていないことを思い知らされる反響ばっかだと、そこの掲示板に書き込みをする意気までくじけそうだなぁ、と思っていると、さらに何人かが議論に加わってきた。その中には例の「無限後退思考障害」の名づけ親もいる。議論がかみ合ってきて、俄然、おもしろくなってきた。

それはいいのだが、反面、難解さも急上昇し、もはや人を寄せつけないレベルまで来たか、という感じすらする。たいへんおもしろい議論でありながら、火付け人の私からして、ちゃんとついていっているという自信がない。

A氏「答えは簡単で内部状態が見えるかどうかの話です。脳も、その意識も内部状態が分子機械で実装されているので、その仕組みがわかれば良いわけです。

反証可能性を要求するホッパーの科学は狭すぎるでしょう。実験、観察のできない超重力理論なども物理学に取り込まれています。数学と同じで、理論の美しさのみが評価されます。

説明性での評価基準を考慮すると、神学、哲学、SFでの様々な仮説は全て等価で自由でしょう。これは相関主義の考えです。従って、思弁的実在論、唯物史観、唯神論、シミュレーション仮説、なんでもOKです。説明性の高いほうへ人はなびくだけです」。

非常におもしろい議論と思いますが、今度は、私のほうがちゃんと理解できたという自信がありません。だからと言って、衒学的だなどと評したりするつもりはありませんが。

漠然とした印象だけで言うと、これは「意識のイージー・プロブレム」に属することであって、「ハード・プロブレム」のほうは依然として手づかずのまま残ってしまうのではなかろうか、という疑いがあります。

たしかに、昨今の脳計測技術の急速な進歩のおかげで、意識のある状態で、頭蓋骨を開けて脳に電極を差し、意識と脳活動との相関性のデータを取ることが可能になってきました。これが脳科学に劇的な進展をもたらし、例えば、人がみている夢を言い当てるなど、テレパシー的なことが現実に可能になってきています。

しかし、そこが分かったとしても、ライプニッツの「意識を宿す風車小屋」の中の仕組みを仔細に調べているようなもので、意識の正体が見えてくるのかなぁ、という疑問が残ります。

B氏「意識については、私は触れたものはあると思うし、見えたものはあると感じます。たとえそれが、実際にあろうとなかろうと。

ポイントは、カオスは相転移することで、マクロには、不連続な変化を起こすところだと思います。ここが単なる繰り返しの再帰と違うところです。

あえて言うと、外部からのエネルギーを元に、ダイナミックなカオスで、不連続な変化を起こし、エントロピーを減少させる、シュレディンガー先生が言っていた生命に近いかもしれません。この、不連続な変化をさせる方法が意識の原理解明の鍵だと考えます。

ただ、上記のカオスな対抗関係を成立させるためには、無矛盾だが演繹的である(つまり、収束方向の)計算論でなく、何か違うもの、矛盾をはらんでも新しい体系を生み出すもの(選択公理のもう少し先、発散と収束の間、つまりカオス?)が必要に思います。

矛盾だらけの論理がどこかで秩序を生むと言う意味では、不完全性定理の逆かもしれませんね。この辺が、うまく説明できなくて、クネクネしちゃいます」。

いやぁ、いい感じにクネクネしてますね。議論が深まっていく感じが非常にたのしいですが、ついていけているかどうか……。

生命を持ち出してきたところで、ひょっとすると、「自由エネルギー原理」に通じる話かもしれない、と感じました。また、カオスを持ち出してきたところは津田一郎氏(中部大学教授)のカオス脳の考え方に近いのかな、とも思いました。表層的な印象にすぎないかもしれませんが。

そこは別にして、数理体系の上位の体系として、「メタ数学」みたいなものが必要とされていて、既存の数理体系を包摂している上に、推論の完璧さや内部の無矛盾性を強要しない、緩~い体系になっているべきである、という議論かな、とも思いました。

ひとつのOSの上で走るソフトウェアという形で、別のOSのエミュレータが実現できる、って話に近いのかなぁ、とも。論理的に隙のない数理体系をベースに用いて、穴だらけのカオスな体系を構築できちゃうかもしれない。

それらは互いに相容れない体系だったとしても、階層が異なるので、干渉しあわず、両立できる。

そのカオス体系からさらに上の階層に再び秩序が戻ってくるけど、それは元の最下位レベルとは異なり、種々の体系がアウフヘーベン的に統合されており、主観と客観とが橋渡しされて、謎が解決されている、みたいな。

C氏「とても興味深いです。私もクネクネしながら生きてます。

今は数学的宇宙仮説に注目しています。物理的実在は純粋に数学的構造であるといいます。

マックス・テグマーク(著) 谷本真幸(翻訳)『数学的な宇宙 究極の実在の姿を求めて』講談社(2016/9/21)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062169622/dgcrcom-22/

主観的な世界もこの数学的宇宙で説明可能かもしれないしそうでないかもしれない。でも“あらゆるすべて”を頂点とした階層構造を登っていけば、どこかで客観世界と主観世界を統一的に扱える層にぶつかるはずだと思っています。

数学的宇宙の上位には数学的には矛盾を含むような構造も許すが何らかの情報として表現可能な世界(私は情報的宇宙と呼んでいる)が考えられます。これは人間とAIが扱い得る対象の全体であると私は推測していて、今後急速に解明される領域が拡大すると期待しています」。

うわぁ、読むべき本が、また増えた。それはともかく、非常に面白い議論と情報提供ありがとうございます。物理的実在の正体は、素粒子がパチンコ玉みたいに堅牢な実体をもって存在するというのではなく、数学で記述可能な空間の構造があるだけだ、とする考え方は、私にもなんとなく飲み込めます。きっとそんなもんだろうなー、という感じがします。

上位の階層の理論が必要だ、という点は、B氏と似ていると感じられました。私自身が、ちゃんと理解できていない疑いが濃厚で、そこはたいへん申し訳なく思うけれども、お三方の議論は非常におもしろいので、お互いの負担になりすぎない範囲で、細く長く続けていけたらなぁ、とは思います。

意識意識意識意識とずーーーっと言い続けていたら、クネクネ仲間が寄ってきた、この感覚はたまらなくいいですね。


【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
http://www.growhair-jk.com/

このところ、スケジュールが混雑して、少したいへんな思いをしている。しかし、それは私がもともと、多種多様な任務をばりばりこなしていく、政治家や企業経営者のような精力家とはタイプを異にし、マイペースでゆるゆると生きていきたいタイプの人間だから、ガラにもなくちょっと予定を入れすぎただけであたふたしちゃうってだけかもしれない。

世の多くの人と客観的に比較して言えば、まだまだのほほーんと生きている部類なのかもしれない。

考えてみると、忙しいなんて言いつつ、ほんとうに責務として背負い込んでいることなんて大した比率ではなく、ほとんどが、誰からも頼まれてないのに、自主的にやっていることではないか。この原稿、然り。

3月20日(水)の夜、新橋にて「第26回全脳アーキテクチャ勉強会」が開催され、テーマが『自由エネルギー原理』だったため、これは聞き逃す手はありえない、と聴講してきた。あ、誰からも頼まれていない。
https://wba-meetup.connpass.com/event/120441/

乾敏郎氏(追手門学院大学教授)に初めてお目にかかり、講演を拝聴できたのは、非常に意義深いことであった。懇親会で、乾氏と少しお話しできたのも大きい。

3月17日(日)は、AbemaTV『Abema的ニュースショー』に出演した。2時間生放送出ずっぱり。共演者には、舛添要一氏がいらっしゃった。

この番組で六本木のテレビ朝日のスタジオに呼ばれて、2時間出ずっぱりでニュースのコメンテーターを務めたのは、12/16(日)、1/13(日)、1/27(日)、2/3(日)、2/24(日)に引き続き、6回目になる。もちろん、舛添氏や田中康夫氏のようなコメントが私にできるわけではないが、私なりの役割の果たしぶりが、番組的に及第点に達していたということだろうと受け止めている。

もっとも、この回は、もともと台本に私の台詞があまりなく、終始、にこにこしながら座っているだけだった。欽ちゃんの隣りでにこにこしているだけの、香坂みゆきさんみたいな役割か。って、古すぎますか。

前日、3月16日(土)は名古屋に日帰りした。「脳領域/個体/集団間のインタラクション創発原理の解明と適用 第二回 公開シンポジウム」を聴講した。
http://www.er.ams.eng.osaka-u.ac.jp/kawai/crest/index.php/events/second-symp/

これの第一回は、去年の3月5日(月)に銀座「銀座松竹スクエア」13階セミナールームで開催され、デジクリでレポートしている。
『脳内カオスの数理モデルは意識の創発原理に迫れるか?』
http://bn.dgcr.com/archives/20180323110100.html

このとき初めて津田一郎氏(中部大学教授)にお会いし、その後、シンギュラリティサロンでの講演も聴講している。また、第一回で司会を務めていた浅田稔氏(大阪大学教授)は、第二回で基調講演をされている。

浅田氏の講演は、11月25日(日)と12月1日(土)に、それぞれ東京と大阪で開催されたシンギュラリティサロンでも聴講している。私が聴講レポートを書きますからと申し出て、浅田氏からスライド資料を送っていただいているにもかかわらず、まだ書けていない。その状態でまたお会いすることになり、ご挨拶が「どうもすみません」になった。

3月14日(木)の夜は、赤坂でしゃべった。『コンテンツ制作の極意~コンテ
ンツマーケティング最前線 02』出版記念トークイベントである。
https://cmfrontline0314.peatix.com/

書籍の中では6人がインタビューされているが、そのうち3人がスピーカーとして呼ばれた。マーケティング方面の話をするために呼ばれるというのは、私としては異例のことであったが、コンテンツそのものという立場からものを語るというユニークさがそれなりにウケた。いいイベントになったと思う。

3月10日(日)は大阪に日帰りし、シンギュラリティサロンで登壇した。
https://singularitysalon-33.peatix.com/

主宰するのは松田卓也先生(神戸大学名誉教授、物理学者)。著書に『人類を超えるAIは日本から生まれる』がある。
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4331519902/dgcrcom-22/

歴代の講演者にはAIや脳科学の研究者としてスターとも言うべきすごい面々がいる。一部を挙げると。

・石黒 浩氏(大阪大学 教授)
 著書:『ロボットとは何か』
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062880237/dgcrcom-22/
・浅田 稔氏(大阪大学 教授)
 著書:『ロボットという思想 ―脳と知能の謎に挑む―』
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140911581/dgcrcom-22/
・渡辺 正峰氏(東京大学 准教授)
 著書:『脳の意識 機械の意識』
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121024605/dgcrcom-22/
・光吉 俊二氏(東京大学 特任准教授)
・井上 智洋氏(駒澤大学経済学部 准教授)
 著書:『人工超知能』
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4798050458/dgcrcom-22/
・津田 一郎氏(中部大学 教授)
 著書:『心はすべて数学である』
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163903798/dgcrcom-22/
・前野 隆司氏(慶應義塾大学 教授)
 著書:『脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説』
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480427767/dgcrcom-22/
・一杉 裕志氏(産業技術総合研究所 主任研究員)
・高橋 恒一氏(理化学研究所 チームリーダー)
・齊藤 元章氏(スーパーコンピュータ開発者)
 著書:『エクサスケールの衝撃』
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00V7ILQ3Y/dgcrcom-22/
・三宅 陽一郎氏(株式会社スクウェア・エニックス リードAIリサーチャー)
 著書:『人工知能のための哲学塾』
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4802510179/dgcrcom-22/
・山川 宏氏(ドワンゴ人工知能研究所 所長)
・栗原 聡氏(ドワンゴ人工知能研究所 客員研究員)
・金井 良太氏(株式会社アラヤ 代表取締役)
・大泉 匡史氏(株式会社アラヤ マネージャー)
http://singularity.jp/events/

専門家でもなんでもない私に登壇の機会がいただけるなんて、ちょっと考えられないことで、まだ3月だけど、自分にとって、今年最大のハイライトになりそうである。

用意された100席がほぼ埋まった。緊張でガッチガチになることもなく、たいへん気持ちよく話ができた。内容は、前回と前々回、ここに書いた「実在論」について。イベント全体としても大成功だったと思う。

写真:
https://photos.app.goo.gl/QNBubasJEmsZXesL8

ここ数週間、自分らしからぬ、ばたばたした日々を送っていたが、やっと一段落つきそうだ。乗り越えるべき大きなやつは、あとひとつ。出版記念トークイベントがもう一回ある。今度は渋谷で。

コンテンツ制作とどう向き合うべきか?
~『コンテンツマーケティング最前線 02』出版記念トークイベント~
https://content-marketing-booklabtokyo.peatix.com/
日時:2019年3月26日(火)7:00pm~9:00pm
会場:BOOK LAB TOKYO(東京都渋谷区道玄坂 2-10-7 新大宗ビル1号館2F)
定員:80人
参加費:チケット 1,000円 チケット(書籍付き)1,800円
スピーカー:
岡武樹氏[第1章](SUUMO タウン編集デスク)
ヌケメ氏[第5章](アーティスト)
小林秀章[第3章](セーラー服おじさん)
モデレーター:田中森士氏(株式会社クマベイス 代表取締役 CEO)

こういう高密度な生活も悪いとは言わないが、できれば、たーっぷりと自分の時間を確保して、意識研究に関連する勉強に没入したいなぁ、という思いがある。今後、徐々にシフトしていけるかどうか。