日々の泡[007]小説も映画も泣いた【二十日鼠と人間/ジョン・スタインベック】/十河 進

投稿:  著者:  読了時間:5分(本文:約2,300文字)



ジョン・スタインベックの「二十日鼠と人間」を読んだのは、中学生のときだった。十三歳か、十四歳だったと思う。だから、「二十日鼠と人間」は僕の精神形成に大きな影響を与えている。

この短編は大恐慌時代のアメリカ・カリフォルニアの農場が舞台で、いろいろなタイプの人物が描かれる。子供のように純粋で善良で心優しい人物、誠実だが世の中を知り尽し人間への絶望を抱えた人物、コンプレックスのために敵意ばかりを肥大させた人物----などなどである。

まず、主人公であるふたり組のジョージとレニーの登場で物語は始まる。ジョージは頭のよい、世の中を知り尽した人物だ。レニーは知的障害のある大男で、すべてジョージに頼っている。ジョージは、レニーの保護者的な存在だ。

今から振り返ると、ジョージもレニーも単純な主人公たちではなかった。作者は他の登場人物たちと同等の距離感を持って、ふたりを描いていたと思う。ジョージには狡猾な部分があるし、レニーの愚かさには僕は苛立ちを感じた。





レニーは小動物が好きで、ポケットに二十日鼠を入れて可愛がったりするが、大男で力が強いくせに加減ができず、力を入れすぎて殺してしまうことが多い。それを悲しむ善良で心優しい人間だが、同じことを何度も繰り返す。その愚かさは、ジョージを苛立たせる。

彼らは季節労働者で、農場を渡り歩いている。いわゆる「ホーボー」だ。ひとつの農場で落ち着けないのは、レニーが何かとトラブルに巻き込まれることが多いからである。時代は一九三〇年代。世の中には知的障害者に偏見を持ち、意味なくからかうような男たちもいる。

ジョージとレニーは、ある農場に雇われる。農場主はそれなりに誠実な人物だが、露骨に黒人を差別する。一九三〇年代であることを考えれば、彼が特に差別主義者であるとは言えないだろう。農場で誰もやりたくない仕事を担当している黒人は勉強家で知的で、愚かな白人たちより立派な人物だ。

農場主の息子は小男で、そのことに強いコンプレックスを抱いている。だから、自分が腕力に優れていることを誇示しようとする。物語の中では悪役だが、僕はその後の実人生で彼のような人物には何人も出会った。彼は最初から大男のレニーに反感を抱き、喧嘩腰で接する。

ジョージは、とにかくトラブルを避けようとする。それが、彼の世渡りの知恵だ。彼には、レニーと一緒に小さな自分の農場を持つ夢がある。そのことを、ことある度にレニーに話し、レニーはその夢がすぐにでも実現するのだと、子供のように信じ込む。

農場には様々な人間が雇われているが、みんな、社会の底辺で蠢くように生きている。ジョージのように、ささやかだが堅実な夢を語る人間は珍しい。彼らは、不運で過酷な人生に痛めつけられている。しかし、不具の老人がふたりの夢に乗っかり、夢が実現する可能性が出てくる。

そんなとき、トラブルの種がふたりの前に現れる。農場主の息子の若い新妻である。彼女は、男と見れば媚びをうるような女だ。どんな男にも気を持たせるようなことを言う。ジョージは、彼女を避ける。しかし、純粋なレニーは彼女の言葉を疑わない。そして、悲劇が起こる。

この短編のラストでは、間接的な表現だったが一発の銃弾が発射される。その場面を読みながら、僕は滂沱の涙を流していた。そのとき、十三、四の少年の胸に「二十日鼠と人間」は熱く焼けた鉄の印を押しつけたのだ。今も、僕の心の中にその焼き印は、はっきりと残っている。

以来、僕はスタインベックの熱心な愛読者になった。すでにノーベル文学賞を受賞していた作家である。ヘミングウェイ、フォークナーに続くアメリカの偉大な作家と認められていた。当時の僕は、スタインベック作品を読むことに誇りを感じていたものだった。

原作を読んでから長い月日が流れた後、映画化された「二十日鼠と人間」(1992年)が公開された。僕が滂沱の涙を流したときから、三十年近くの時間が過ぎていた。もちろん、僕はその映画を見にいき、ラストシーンで再び滂沱の涙を流した。

ジョージを演じたのは、この作品で初めて見る俳優だった。おまけに、彼は制作者であり監督でもあった。彼はゲイリー・シニーズといった。三十七歳になるゲイリー・シニーズは、舞台版「二十日鼠と人間」の演出も担当したという。

二年後、ヒット作「フォレスト・ガンプ/一期一会」(1994年)の主人公フォレスト・ガンプの上官を演じて、ゲイリー・シニーズは多くの人に知られるようになる。フォレスト・ガンプは負傷した上官を抱えて戦場を脱出し、帰還後、上官を訪ねると彼は両脚のない姿でエビ漁師になっている。

大男のレニーを演じたのは、「プレイス・イン・ザ・ハート」(1984年)の盲目の役で記憶に残る名優ジョン・マルコビッチだった。あまり大きな男だという印象がなかったジョン・マルコビッチが、怪力の大男に見えてきたのには驚いたものだった。

ラストシーン、ゲイリー・シニーズの目の演技が忘れられない。鋭い目を持つ(どちらかと言えば悪役の目であり、僕は彼の顔から手塚治虫の悪役キャラクターであるアセチレン・ランプを連想した)ゲイリー・シニーズだが、その目に深い悲しみを湛えていた。

自分が愛し守ってきたものを自らの手で壊さざるを得ないところに追い込まれた深い悲しみが、ゲイリー・シニーズの鋭い視線の中に浮かび上がり、その瞳には人間社会の不条理と理不尽な運命に対する怒りが燃え上がっていた。

【そごう・すすむ】

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