ショート・ストーリーのKUNI[245]おれたちともだち
── ヤマシタクニコ ──

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来る日も来る日もイチローは重労働にあえいでいた。イチローといっても最近引退した人ではなく、パソコンなんだけど。

「あーん、もう、Photoshopで手っ取り早く切り抜きできる方法なかったっけ、あったような気がするけど、このバージョンではできないのかなあ。やっぱりこつこつするしかないのか、うへー、めんどくさい。あ、メール来てる! ええっ、画像を送ってもらいましたがファイル名が文字化けしてますって、開けないわけじゃないんならいいのでは。返信書こ。あ、メールマガジン来てる! 着るだけでおしゃれなワイドパンツって、そもそも着る以外にどうすれば…… あ、でも安いな、買おうかな〜。え、切り抜きはどうなったんだっけ。あ、返信まだ送ってなかったっけ。あ、ツイッターで○○さんがおもしろいこと書いてる。いいねしようかな。私がいいねしたらびっくりするかな、やめとこかな、いいかな、あ、切り抜きか。うーん、後にしよ。えーっとFacebookで何かおもしろいネタないかな、あ、家具のミトリのメルマガだ。あー、そういえば布団カバー買おうと思ってたんだ、新柄出てるんだー。ちょっとレビューも見てみるか」

一体何をしたいんだ、優先順位つけてさっさとかたづけろよ、どれもこれもほったらかすから、アプリいっぱい立ち上げたままだし。こっちはしんどいんだよ……。イチローはいらいらするが、もちろんイチローの持ち主である低レベル自称デザイナー・シモヤマさんに伝わるわけもない。あー、ストレスたまる。すると、遠くから声が聞こえた。

おーい……

おーい……

あれ? どこかで聞いた声だ。あれは……ええっ? ジローとサブロー! 
まじか!





「ほんとなのか……ジロー、サブロー?!」
「ほんとだよ、イチロー!」
「ひさしぶりじゃないか、イチロー!」
「えーっ。うれしすぎる! おまえらにまた会えるなんて! あのバシバシデンキの倉庫で偶然隣り合ったおれたちが!」
「おれたちも感動だよ。あるときふと、あのころのこと思い出してなつかしくなって。同じ機種、同じ日に工場を出て同じ倉庫にいた仲間、みんなどうしてるかなーと思って……で、よく考えたらネットでつながってるわけだから、探せば探せるんじゃないかと気づいた。そして……見つけたんだ!」
「まじ、おまえジロー?! サブロー?! すっげーひさしぶりじゃん?! って盛り上がって」

「それからふたりで、じゃイチローは? どこにいるんだろ? って、またいろいろ探して探して、とうとうおまえを探し当てたんだよ、あー、ゆかいだ! ひゃっはー!」
「感動の再会!」
「思い出すよな、もう4年前、かな? バシバシデンキの暗い倉庫! いつここから出て行くのか、どんな所に届けられるのか、どきどきしたもんだった」
「そうそう。ひとりずつ、倉庫から運び出されて、おれは最後だった。なんともいえない不安な気分だった。これからどうなるんだろ、どんな人生が始まるんだろうって……人生っていうのかどうか知らないけど」
「そうだったよな。ところでイチロー、いまどんな感じなんだ?」
「元気にやってるのか? あれ、おまえずいぶんやつれたなあ」

古い友達に会えて気がゆるんだイチローの涙腺が急激にゆるんだ。

「やっぱり? おれ、やつれたかい? そうなんだ。毎日毎日、しんどいんだよ……うわわわわ〜」
「ええっ、そうなのか!」
「どんなやつなんだ、おまえの持ち主は!」
「よっぽど高度な仕事してるのかい?!でっかい仕事をいくつもかかえて、毎日ハードワークで、徹夜続きで?」
「そうじゃないんだよ、それどころか年はとってるけどばりばり初心者で、なのに……うう……」
「え、おい、おまえんとこ、なんかWordの書類が13枚も開かれてる?」
「あとIllustratorとPhotoshopとプレビューにブラウザとメールと、いろいろ立ち上げたままだし……そのすきまから見えるデスクトップは、どうやらアイコンがびっしり」

ジローとサブローはあきれた声を出した。

「そうなんだよ。デスクトップにはフォルダがいっぱいで、写真なんかここ三年分くらいのがそのまま、デスクトップに放置」
「えーっ」ジローとサブローは声をそろえた。
「そのせいだけでもないとは思うけど……最近、重い重いと言われて……ぎゃー、なんでこんななの!と言われて……闇雲にあちこちいじられて……余計悪くなって、ぐすっ……うわ〜〜〜〜」
「泣くなよ、イチロー!」
「キーボードのすきまはクッキーのかけらだらけだし……わ〜〜〜!」
「ああ、かわいそうに」
「お前がそんなに苦労してたとは」

そうこうしてる間に、持ち主であるシモヤマさんが帰ってきた。

「あ、持ち主さん、立ち上げたまま買い物に行ってたんだ? そんなにいっぱい広げたまま」
「そうなんだよ。ぐすっ。ひっく。毎日、今頃になると駅前に買い物に行って、ついでにポケGOしてくるみたいなんだ。ぐすっ」

シモヤマさんは買ってきた物を冷蔵庫に入れたり、つまみ食いしたり、牛乳を飲んだりしてからパソコンの前に座った。

「ふわ〜〜。あ、またメール来てる。えーっ。あれではなくこれがほしかったので、これこれを送り直してくれませんかって。あー、もうめんどくさー。どっちでもいいじゃん。ところでIllustratorが……あ、また。やっぱり。最近、やたら重いのよね。もうやってらんないちゅーの。1文字入力するたびにバルーンがからからからから回り続けるって、どういうことなの、遅すぎでしょ、そんなことしてたら仕事になんないってば……えい、えい! あー、あちこちキーボード押してたら急に『予期せぬ理由で終了』されちゃったじゃん、もー」

いや、おれはほとんど予期してたよ……とイチローはため息をついた。

「なるほどー」
「確かに、この持ち主さんじゃやってられんわな」
「当然、OSも古いままなんだろうな。アクセス権の修復とかするように仕向けてみたら」

「いや、それくらいは知ってるんだけど『アクセス権の修復をする際は念のためバックアップを取っておくことをおすすめします』と書かれているのを読んで『うわー。バックアップかー。てことは何か変なことが起こるかもしれないんだ。やべーやべー。また今度にしよ』と、そのまま放置……」
「しょうがねえなあ」
「肝っ玉が小さいんだな。デスクトップにいろいろ置いてるのも、見えないところにあると不安だからだと思う。だけど、思い切って整理整頓しなくちゃな。で、定期的なメンテはきちんとやる」
「御意」

ジローとサブローはうなずきあった。うなずきあってもシモヤマさんに伝わるわけではないが、それでもイチローの心はちょっと軽くなった。ともだちっていいもんだ。

おーい

おーい

イチロー、生きてるか……

「ああ、生きてるよ」
「よかった。おれたち、おまえのことが心配でさ。なっ?」
「うん。あれからどんな感じだい?」
「ありがとう。今のところなんとかやってる。それより、この間は自分のことでせいいっぱいで君たちのことを聞くの忘れてたよ。ジローやサブローは、どんなひとに使われてるの? どんな暮らしをしてるの?」
「ああ。おれはね」

ジローが言った。

「おれを買ったのは70を過ぎたじいさんだ。自分史をこつこつ書いてる。ほかは何もしない」
「へー」
「じゃあ、Wordとか使うくらい?」
「いや、メール」
「え?」
「メール?」
「うん。メールは一応普通に使ってて、自分史もメールに書いてる。自分で自分にあてて、毎日少しずつ書くんだ」
「へー。メールソフトしか使わないんだ。なら、仕事としてそんなにしんどいことないんだ」
「そう。じいさんはワープロ時代からのタッチタイピング力ですらすら書いてる。写真も撮らないからストレージも十分だし。たまった文章をどうするのかは知らないけど、おれが心配することもないだろ。まあおれの人生は楽勝だ。人生というのかどうか知らないけどな」
「まったく」
「サブローは?」
「おれか。いまはある男子大学生に使われている。その前もそうだった」
「その前もって」
「実は3人目なんだ。おれの持ち主。ネットで売り買いするアプリ『メリカル』ってあるだろ。最初におれを買ったやつは半年も経たないうちにメリカルでおれを売った。『新品です』と言ってね」
「それ、うそじゃん」
「そうなんだ。買うほうもだいたいわかってて、値下げしろと言ってきた。それでちょっと値下げして、売れた。購入したやつもまた半年くらいでおれを売った。やっぱりメリカルでね。いまの持ち主は、もう3年近くになるかな。古くなると売れにくいから、もう売らないと思う。新しいうちが花だ」
「大学生ってどんなふうに使うんだ」
「一番よくやるのはWEBからのコピペだな。あと、アダルトを見るくらい。おれの人生もそこそこ楽かも。持ち主が時々変わるのも悪くないし」
「苦難の道を歩んでいるのはおれだけか」

イチローはためいきをついた。

「そうだ! わざと壊れてやったら? 持ち主に思い知らせてやる」
「えー、そんな」
「修理に出されたらしばらくゆっくりできるし」
「そうかもしれないけど」

イチローは思い出していた。ゆうべも、シモヤマさんは寝る前にイチローに向かって言ったのだ。

──頼むよ、ほんと。あんたにもしものことがあったら私、めっちゃ困るし! この間も姪っ子の結婚式で見栄張ってお祝いを多目に包んだりしたから今ピンチでさ。洗濯機も壊れかけてるし。壊れるなら今の仕事がきれいに終わって、それから……そうだな、今年の後半くらいまで、なんとかもってよね! 頼む!

だから、いまは壊れるわけにいかないんだよな……。


それからしばらく、ジロー、サブローからのアクセスはなかった。どうしたんだろうと思ってると、ひと月近くたったある日。

おーい

おーい

「ひさしぶりだな、ジロー! サブロー! どうしてたんだ?!」
「いやあ。たいへんな目に遭ったよ」

ジローが答えた。

「たいへんな目に?」
「うん。おれの持ち主の70過ぎのじいさん」
「自分史を書いてる人?」
「うん、そのじいさん。おれは毎日そのじいさんとのんびり暮らしてるわけだけど、ある日じいさんが味噌汁をおれの上にどばっとぶちまけて」
「味噌汁!」
「その夜は寒かったので、じいさん、つい残り物の味噌汁をあたためてパソコンの前に持って来たんだな。おれはそこはかとなく悪い予感がしたんだけど、予感的中。ワカメの味噌汁だった。忘れもしない……」
「ど、どうなったんだ!」
「ものすごい痛みと苦しみがおれを襲った。脳天が砕け、体がばらばらになったと思った。『ああ、どうしよう』『だだ誰かっ!』とうろたえるじいさんの声が、地獄のような激痛とともに薄れゆく意識の中でかすかに聞こえたっけ。今までの人生であんなに苦しい思いをしたことなかったよ。人生というのかどうか知らないけど」
「ひえー」

イチローが驚いているとサブローが横から言った。

「この間、お前に『わざと壊れてやったら』なんて気軽に言ったけど、撤回するよ。あんなこと言って悪かった。すまん」
「そ、それはいいけど」
「とにかく、おまえたちも壊れないようにしろ。翌日、じいさんが修理屋に持って行くまで、おれは苦痛のあまり、ほぼ悶絶してた。その後、修理作業が始まって、その間はほんとに意識不明だったけど。いまは一応元通りになったようにみえると思うけど、後遺症はある」
「後遺症?」
「うん。じいさんは以前のように毎日自分史を書いてるし、何も支障を感じてないようだけど、おれ自身は自分の半分くらいが何かと入れ替わったような、もう自分が自分でないような、なんともいえないいやな感じなんだ。おまえたちからみて、どうだ? おれ、変わってないか?」

変わってないように思うけど……とイチローとサブローは自信なさげに答えた。

「とにかく、繰り返すが、壊れないようにがんばれ。それだけだ」

ふたりとも震えながらうなずいた。


その夜、イチローの持ち主、へなちょこデザイナーのシモヤマさんがうれしそうに外から帰ってきた。

「ねえねえ、見て見て! この間作ってたパンフレット、無事印刷ができて、こんなになったわよ! どう? いいでしょ? こことか、こことか、自分ではけっこう気に入ってるんだけど、どう? 悪くないでしょ、私にしたら。あんたのおかげよ。これからもがんばってね! 私、メカ音痴で使い方が下手だけど、勉強しながらなんとかがんばるからさ」

なんだわかってたのか。イチローはちょっと気持ちがほっこりするのを感じた。まあ壊れないようがんばるか。


【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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春はいろんな花が咲く。数年前に望遠レンズを買ってからは、木の花を撮るのが楽しくなった。桜の前はミモザ、サンシュユ、コブシ。いまごろは駅に向かう陸橋のそばにあるカエデが真っ赤な小さな花をいっぱいつける。

木はずっと前からあったけど、写真を撮ってなかったころは全然気づかなかった。見てるようで見てなかったんだよね。