[4770] 令和に向けて◇東京インディペンデント◇デジタルの○と×

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《人として大切な三種の神器とは》

■装飾山イバラ道[243]
 令和に向けて
 武田瑛夢

■Scenes Around Me[48]
 番外編:東京インディペンデントへのステートメント全文
 関根正幸

■crossroads[62]
 デジタルの良いところと悪いところ
 若林健一




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■装飾山イバラ道[243]
令和に向けて

武田瑛夢
https://bn.dgcr.com/archives/20190409110300.html

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元号が決まってなんだか落ち着きましたね。令和は柔らかくて好きな雰囲気です。令和関連の記事やニュースに飽きてしまっている人も多いでしょうが、滅多にないことなのでしょうがないですね。

●私的事柄

私は昭和天皇の誕生日と自分の誕生日が同じ日。4月29日。ずっとGW中に誕生日が来ていたわけです。なんだかお友達にも会えない連休のどさくさに紛れてしまう感じの誕生日。でも結構気に入っています。

前回は受験のトンネル時代の暗めな話をしましたが、今回の私はお花見もしてきて楽しい気分。そもそも春というのは、明るくてあたたかくて、花が咲いて素敵なシーズンですね。

今年は春の気分を堪能できています。桜はもう葉桜になってきていましたが、お花見はできるならしたいイベントの一つです。とても綺麗でした。平成最後の桜ですよ。

私用ではお墓参りを終えて、健康診断や歯のメンテナンスをして美容院にも行きました。歯は長くかかりそうなので、それだけはしょうがないです。夫は本格的な人間ドックに行きました。人間ドックって準備だけで色々大変なんですね。食事の有る無しは私にも関係があるので、こっちも大変でした。

私の健康診断は、設備が整っている病院ですべての検査をすることができなくて、合計3つの病院に行きました。レントゲンだけを隣の病院で受けたのです。毎年早めに行こうと思いつつ、ギリギリなのが悪いのです。

今回は自然にですますの文体になっています。論じる内容がかたくないなら、自然にですますになるのも良いかもしれません。

●選択する

環境は変わることがないけれど、自分で作るものだけは変化を起こしてトライしています。自分で起こす変化なので、覚悟も出来ていて楽しいことばかり。公開はもう少し先になりますが、自分のこれからの土台をしっかりと作りたいと思っています。

50歳位の同じ世代の人に会うと、やはりしておきたいことを再確認している人が多い気がします。周囲のために使う時間だけでなく、自分の時間もしっかりと確保して、何かしたいのです。

それは、「できる時にしておかないと、突然できなくなる何かが起きてもおかしくない」という思いが強いのだと思います。実はこれもきっと、今までだって同じなのに急に気がついているだけのことかもしれません。

前回の記事で、「自分の選ぶ環境の中で生きられる」という感覚が今はあるけれど、実は若い時からずっとそうだったと書いたのと似ています。

自分で選択した世界をしっかり生きておけば、何が起きてもそれに合わせて対処する覚悟を持てるということだと思います。

選べることを選んでおけば、選べないことを受け入れられる自分になれる。一行でまとめるとこんな感じです。

●三種の神器

若い頃は、他の人に選択を仕向けられていると感じたことがありました。人はズルいところがあって、自分から頼んで何かしてもらうことを避けがちです。そういう人は自分の望みを言いません。これが欲しいと言えません。

欲しいと言ってしまうと、頼んだことになって借りを作るからでしょうか?

欲しいと言わなくても、そうなるように流れを持っていく人がいるのです。ただ、この方法は実は他の人からはお見通しで、人に物事を頼まない人だと思われます。

人に頼む時はしっかりと頼む。自分の願いだと伝える。これは私がとても大切だと思っていることの一つです。ビジネスの世界でも、この依頼やお願いができない人が、とても多いと思います。

もしかすると状況を不利にしないための、何かのテクニック? を信じている人がいるのかもしれません。

頼み事をまっすぐにできる人は、とても気持ちの良い人で、大好きなタイプの人です。そういう人には多くの人が手を貸すでしょう。

「ありがとう」と「ごめんなさい」が大事なように、「おねがいします」はとても大事です。人として大切な三種の神器だと思います。

若さゆえの突っ張った感覚で言えないお願いや、年上だからメンツで言えないお願いがあるのを見てきました。もちろん、自分でもそういう感覚がわかるから、気をつけなければいけないと思うのです。

お願いを言えないタイプの人には、そのことを指摘するのではなく、何かお願いしてみましょう。

お願いばっかりされて損だと思ってしまう人なら、残念。悪くないなと感じられる人なら、関係が変わるかもしれません。でも相手をどうにかしようと思うのではなく、自分の願いとして接します。

私も自分から発すること、受け身でない姿勢でこれから生きたいと思います。


【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/


健康診断の問診票、行く前に書くものとは別に、行ってからも何枚も書いた。全部に住所と名前も書かなくちゃいけない。ペン字検定みたいだと思った。上で良いこと書いたのに、もう泣き言書いちゃったな。


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■Scenes Around Me[48]
番外編:東京インディペンデントへのステートメント全文

関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20190409110200.html

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まずは告知です。4月13日(土)から5月5日(日)まで、東京藝術大学陳列館で開催される無審査の美術展、東京インディペンデントに富永剛総氏との共著のzine『4747』(よなよな)と、写真を1点展示することになりました。

https://live.staticflickr.com/4295/36119506885_d0a26d0f7a_c
(写真は展示予定の写真と関係はあるが別のもの)

写真にはステートメントを付けるつもりですが、長文になってしまったため、会場で読んでもらうことが期待できないおそれもあり、今回は番外編としてステートメントを転載することにしました。

◆以下がステートメントになります。

今回、私は富永剛総さんと共著のzine『4747』(よなよな)を展示するために東京インディペンデントに参加しますが、zineの製作を全て剛総さんに任せているため、私はzineとは別に写真を展示することにしました。

ところが、その写真は個人的に公にするには、少々問題があると考えています。そのため、今回あえてその写真を展示する理由を、ステートメントとして記すことにします。

今回展示する写真は、2006年に山手線の車内で撮影された、いわゆる山手線ハロウィンの写真です。この写真を展示しようと思った理由は三つあります。

一つめの理由は、zine『4747』に使われる写真が何になるか、自分でも分かっていないのですが、断片的な情報を見る限りあまり穏やかな写真ではないようです。そのため、私が展示する写真もそれに負けないものを選びたいと思いました。

二つめの理由は、私が高円寺岡画郎、東京大学駒場寮、246表現者会議、芸術公民館など、色々な場に関わって、個人的な立場から写真記録をしてきたことがあります。

それらの場の中には、今ではなくなってしまったものも多いのですが、いくつかの場とは長期間関わって、その場が終了していく過程も見ています。今回、山手線ハロウィンを選んだのは、それが終了していく過程が非常に分かりやすかったということがあります。

三つめの理由は、今回の東京インディペンデントに「一筋縄では行かない祝祭性」を期待しているからです。

このステートメントを書いている時点で、参加する作家は200名を超えたという話を聞いています。

もちろん、蓋を開けてみないとわからないことはあるにしても、私が東京インディペンデントに少々の問題作を展示しても大丈夫、というより、問題作を展示した方が相応しい状況を期待しています。

今回、zineおよび写真を展示する機会を与えてくださった、東京インディペンデントの企画者およびスタッフの皆さまに、お礼を申しあげます。

次ページ以降に、山手線ハロウィンに関する個人的な覚え書きを掲載します。

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■山手線ハロウィンのこと
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山手線ハロウィンのことは2005年に友人Cから聞いた。テクノ系のフリーパーティーの情報に詳しく、自らもパーティーに参加していたCは、山手線ハロウィンの情報がチェーンメールで出回っていることを教えてくれた。

残念ながらその時のメールが見つからないが、毎年10月最後の土曜日、新宿駅21時06分発山手線外回りの電車に仮装して乗り込み、山手線が一周して新宿駅に戻るまでの間、仮装パーティーを行う、というものだったと記憶している。

この文章を書くにあたりネット検索したところ、山手線ハロウィン(ジャック)は2006年から2008年にかけて起こったとされているが、実際にはそれ以前から続いていたと思われる。

私が山手線ハロウィンのことを最初に知った時は、まだ後述する騒ぎが表面化する前だったし、面白そうなイベントだと思った。また、私自身は仮装して騒ぐ気はなかったが、主催者(首謀者)が不明で、告知がチェーンメールで出回っていることには興味を覚えた。

それは、同じ年(2005年)に渋谷アップリンクで作曲家リュック・フェラーリのドキュメンタリー映像(宮岡秀行「リュック・フェラーリ ある抽象的リアリストの肖像」)を見たのだが、その時ゲストだった高橋悠治氏の発言が記憶にあったからだった。

高橋悠治氏は、リュック・フェラーリとブリュンヒルド・フェラーリ夫妻の仲の良さについて、「孤立しているのだから団結せざる得ない」と、にべもなく切り捨てた。

また、「ピエール・ブーレーズのように大きな存在になれば、体制に取り込まれてしまうリスクはあるが、世界を変えることが出来るかもしれない。一方で、(リュック・フェラーリのように)小さな存在で居続けることも可能で、その場合は全てを偶然の成り行きに任せることになる。大きな存在になるか小さな存在で居続けるかは、選択の問題でしかない。」というようなことを話していたが、他に次のような発言があった。

「昨今の海外のデモは首謀者は顔を出さず、デモの参加者はメールで連絡を取り合っている。そのネットワークは竹の根の様であるが、竹の根は大木を枯らしていく。」

この発言がどういう話の流れで出てきたかは覚えていないが、メールがSNSに置き換わったものの、数年後に起こったジャスミン革命がまさにその一つの例となったし、山手線ハロウィンのやり方に興味を持ったのも、この発言が記憶に残っていたからだった。

◎2005年

話を戻す。私は山手線ハロウィンの情報の真偽を確かめるため、2005年10月29日21時前に別の友人と新宿駅に行った。すると、15番線ホームの渋谷寄りに仮装をした人たちが談笑しているのを見かけた。

私は仮装できる物を何も持っていなかったので、申し訳程度にGoreTexの青いレインコートを羽織ってみた。仮装した人たちは21時06分発の山手線の電車が到着すると、大挙して電車に乗り込んだ。その結果、電車の後方の2、3両は仮装客により占拠されてしまった。

私の乗った車両も見渡す限り仮装した人たちで埋め尽くされていたが、あまりの混雑に車内で身動きが取れず、同行した友人ともはぐれてしまった。仮装客は外国人の割合が多かったので、普段、満員電車に悩まされている外国人が意趣返しに山手線ハロウィンを企画したのではないかと、考えたりもした。

後日、その考えを別の人にしたところ、彼らがそんなラッシュ時の電車など使うわけはない、と一笑に付されたが、後から参加した外国人はともかく、少なくとも山手線ハロウィンを思い付いた人は、そのような状況だったのではなかったかと思っている。

電車が池袋を過ぎると他の乗客が下車して少し余裕が出来たのか、わずかではあったが車内を移動できるようになり、はぐれた友人と合流できた。私はカメラ以外に特に何も持って来なかったが、友人は持ち込んだ缶ビールを開けて一息ついていた。

電車はもちろん山手線の各駅に停車するため、ダイヤを知っていれば途中駅で合流することも離脱することもできた。実際、仕事の都合で新宿駅に間に合わなかったCは、秋葉原駅で犬の着ぐるみを着て乗車した。

仮装客は電車内で酒を飲みながら騒いでいたが、品川駅あたりから一部の仮装客が停車するたびにホームに飛び出し、すれ違う他の客とハイタッチして別のドアから乗車するようになった。ホームに飛び出す客は停車駅ごとに増えていき、電車に遅れが生じるようになったかも知れない。

こうした行為はあったが、それ以上の混乱はなく電車は新宿駅に到着、大半の仮装客は新宿駅で下車し、私達もそのまま解散した。

◎2006年

翌2006年10月28日の山手線ハロウィンも私は撮影に行った。

前回、私はパーティーそのものの様子を撮影したが、車内の混雑によって上手くは撮れなかったので、今回は個々の仮装客を撮影しようとした。この年はCも新宿駅から参加した。ネットや口コミのためか、新宿駅に集まった仮装客は、日本人の参加者が前の年に比べ多くなったと思う。

車内の状況は前の年とあまり変わりがなかったと思うが、新参者が増えたせいか、網棚に寝そべったりという悪ふざけが目立つようになっていた。さらに、以下に記す事件が起こった。

渋谷駅の手前だったか、誰かが私達が乗っている車両の蛍光灯の一本を外してしまった。すると、それを真似する人が続出、あっという間に全ての蛍光灯が外され、私達の車両だけが真っ暗になってしまった。

その様子を見てCは「その発想はなかった」と驚いていた。私達は新宿駅で下車するのをやめて、大半の仮装客が降りた後、蛍光灯を付けて車内の復旧を試みた。しかし、仮装客が車内に飲み捨てた大量の空き缶やビンは、どうすることもできなかった。

フリーパーティーに通い慣れたCが「おいおい、現状復帰が鉄則だぞ。こんなことでは来年のパーティーはできなくなる。」とつぶやいていたのが印象的だった。電車が池袋に着くと、連絡を受けていたと思われる大勢の作業員が車内に入ってきて、ゴミの回収作業を始めた。私達はそれを確認して電車を降り、新宿方面に引き返した。

◎2007年

2007年は前年のことがあったため、Cたちは参加を止めたが、私個人は事の成り行きを見ておきたいと思っていた。事前に山手線ハロウィンのことをネットで検索すると、2ちゃんねるの掲示板がヒットした。そこには、前年に騒ぎを起こした仮装客を非難する書き込みであふれていた。

中には、自ら電車に乗り込んで彼らの暴走を止める、と息巻く書き込みもあった。私はそれらの書き込みを見て、仮装客との間でトラブルがあることを予想し、行ってみることにした。

2007年10月27日、その日は確か、ギャラリー小柳での野口里佳展のオープニングがあり、富永剛総さんに誘われて顔を出したが、途中でパーティーを抜け出し新宿駅に向かった。

警察の取り締まりがあることも予想していたが、警察官の姿は見かけず(当日記録されたと思われる映像には警察官が映っていた)、仮装した外国人と2ちゃんねるから来たと思われる「自警団」の男性達の姿を見た。

自警団の中には、デジタルカメラで仮装客の狼藉を記録しようとするもの、ノートPCにウェブカメラを付けて中継するものがいた。しかし、仮装した外国人たちは自警団を「おたく」呼ばわりして威嚇、また日本人と外国人男性との体格差もあり、自警団は仮装客が乗車して騒ぐのを阻止することはできなかった。

一方、去年騒ぎを起こした仮装客たちは、2ちゃんねるなどで非難されたせいか姿を見せなかった。また、車内で酒を飲んで騒ぐ仮装客は相変わらず多かったが、自警団の監視もあったためか、私が見た限りでは網棚に上がったり、ホームに飛び出す者はいなかったように思う。

この年は警察の取り締まりがなかったこともあり、私は、もしこの程度で騒ぎが収まればパーティーは当分続くのではないか、と思った。

◎2008年

警察による取り締まりが始まったのはその翌年であった。警察は事前に取り締まりを行うことを発表したのだろう、ネットのニュースで、2007年のハロウィンで仮装客が騒ぎを起こしたと報じれられた。ところが、現場を見ている私にとっては、報じられた騒ぎが起きたのは2006年のことだったので、報道には違和感を覚えた。

2008年10月25日は、警察官がホーム上で警備に当たる中、常連と思しき仮装の外国人達が集まりはしたものの、互いに挨拶を交わすだけで、電車が到着する前に解散、皆それぞれのパーティー会場に移動したようであった。それは、逮捕されるリスクを負ってまでパーティーを行うことはないという判断であったのだろう。賢明なことだと思う。

私は一人で21時06分発の山手線に乗ったが、車内はガラガラで、他の仮装客の姿を見ることはなかった。ただ、途中、御徒町駅あたりで仮装客を見物に来たと思しきドイツ人男性2人組が乗車した。2人は警察の取り締まりがあったことを知らず、車内に誰もいないことを不審に思いながらも、シートに腰掛け酒を飲んでいた。それはまさに山手線ハロウィンの最後に相応しい光景だったかも知れない。

◎2009年

2009年は、私は新宿駅には行ってみたが、21時06分発の電車に乗ることはなかった。ただ、山手線ハロウィンの再発を防止するためか、警察は新宿駅の警備をさらに強化していた。警察は新宿駅構内からすべての仮装客を排除しようとしたのだった。

私は、明らかに山手線ハロウィンとは関係のない仮装客が、乗り換えのために新宿駅構内を歩いているところに警察が職質していたのを目撃している。それは、個人的にはやり過ぎであったと思うが、そこまでしないと警察の面子が立たなかったのかも知れない。この年を最後に、私もハロウィンパーティーの様子を見に行くことはなかった。

山手線ハロウィンについては、最初から関わったわけではないので推測でしかないが、当初は小規模なイベントではなかったかと思う。それが次第に規模が大きくなり、フリーイベントの流儀を知らない参加者がパーティーを荒らし、その結果、警察に取り締まられるという展開だったのかもしれない。

私が疑問に思っているのは、なぜ2007年に警察の取り締まりが行われなかったのかということであった。もしかすると、2007年には警察は前年より騒ぎがさらにエスカレートすることを予測、取り締まりに乗り出すための口実が得られると考えたのかもしれない。

ところが、この年は予期した騒ぎは起こらず、とはいえ、取り締まりを行わない訳には行かなかったので、2006年の騒ぎを2007年に起こったことにしたのかもしれない。いずれにしても、山手線ハロウィンは警察の取り締まりによって終わりを迎えたのは確かである。

現在はどうかというと、この数年、10月31日に渋谷109前の三叉路付近を封鎖して、大規模なハロウィンパーティーが行われるようになった。

私自身も2016年から毎年様子を見に行っているが、仮装した連中が渋谷の道路を埋め尽くしている様は、かつての山手線ハロウィンを彷彿とさせる。


昨年は通りすがりの車を横転させる騒ぎはあったが、犯人が逮捕されたことで、今年も合法的に続くのだろう。

結局、私は祭りが好きなのかもしれない。


【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos(2019年3月まで)


1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔


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■crossroads[62]
デジタルの良いところと悪いところ

若林健一
https://bn.dgcr.com/archives/20190409110100.html

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こんにちは、若林です。

先日、奈良県の生駒市で開催しているCoderDojoに、71歳の女性が参加してくれました。高齢だからといって特別扱いするのは間違っているかとは思いますが、71歳という年齢で且つ職業プログラマーでもなかった方が、プログラミングをされているということについては素朴に驚いています。

Word/Excelだけでは飽き足らず、子供たちがやってるプログラミングに挑戦してみようということで、数年前から始められたとのこと。

Javaにも挑戦したけれど挫折し、今はScratchを楽しんでいるということで、そのチャレンジ精神に驚きを隠せません。デジタルの世界は楽しさと難しさの両面がありますが、楽しさを感じてもらえるようにしっかりサポートしていくつもりです。

■デジタルの良いところ

自主的にコンピューターやプログラミングに取り組む方がいる一方で、「私はアナログ人間なんで、デジタルはまるっきりダメなんです」という方も少なくありません。私は、デジタルなんて道具にすぎませんよ、ということを常に訴え続けています。

今、人間が関わっていることはすべてアナログであり、デジタルという道具を使って一部を置き換えているにすぎません。基本は全部アナログです。

では、なぜデジタルに置き換えるか? というと、その理由は圧倒的にコストが安いからです。

たとえば、写真。アナログの時代はフィルムを買い、現像とプリントをしなければなりませんでした。一枚の写真を撮るためのコストが高かったので、あたりかまわずバシャバシャ撮るわけにはいかなかった。

これがデジタルになって、フィルムを買わなくてよくなり、残り枚数を気にせず写真を撮れるようになりました。プリントは今でもコストがかかりますが、必ずしもプリントしなくても楽しめるようになったおかげで、プリントも必須ではありません。

複製がしやすくなったのも大きいですね。フィルム時代は、写真を焼き増しして遠くの友人なら送料もかかりました。今は、取った写真をLINEで送って終わりです、このコストの差はひとりで考えると小さなものですが、世界中の人間の単位で考えると莫大な金額になります。

もうひとたとえるなら、本。アナログしかなかった時代は、紙に印刷しなければなりませんでしたから、生産や輸送に大きなコストがかかっていました。さらに昔の手書きの時代になれば、そのコストたるや想像を絶します。

文章や図、画像をデジタルで扱えるようになって、印刷以外の手段が使えるようになり、出版にかかるコストが大幅に下がりました。電子書籍はもちろんですが、自分の書いたものを自由に発信する手段と考えれば、webサイトやSNS、メールマガジンもそのひとつです。

デジタル化によって、コストが安くなると一気に敷居が下がり、誰でもできるようになります。色んなアイデアを実現しやすくなるので、社会変革が起こりやすくなり、実際にいくつかの変化が生まれました。

これがよくいう「デジタル革命」というやつです。人工知能やIoTばかりがもてはやされますが、デジタル革命は生活の色々なところで起こっているのです。

■デジタルの悪いところ

その一方で、その変化の多さや速さについていけなくなった方々が「デジタル疲れ」を起こしています。必ずしも年齢の高い低いによるものではなく、一応IT系の私でもちょっと疲れたなと思うことがあります。かつては他人事だった「デジタルデバイド」も、今や他人事ではなくっています。

先に述べたように、人間が関わることはすべてアナログであり、その一部をデジタルに置き換えているだけ。本来道具のはずのデジタルによって、人間が疲れてしまうというのは本末転倒ですよね。

少し話はかわりますが、Twitterで2つの写真の添付された投稿がタイムラインに流れてきました。


一枚は2019年の入社式のものとされる写真で、もう一枚は1986年の同じく入社式のものとされる写真です。(写真の出所が確認できないので「される」としています)

1986年は私が就職した年で、本当にこんなに自由だったかな? という思いはありますが、2019年の写真に見られるほど画一的ではなかったと思います。少なくとも「リクルートスーツ」といった言葉は無く、髪型ももっと自由だったはず。

1986年、インターネットはおろか携帯電話もありませんでしたから「みんなで同じものを着よう」といっても難しい時代でした。

そんな時代でしたが、1984年に発売されたサザンオールスターズの曲「ミス・ブランニュー・デイ」では、流行に流されて画一的なファッションを楽しむ若者を揶揄しているように、当時でも個性は失われつつあったのです。2019年の若者を当時のサザンオールスターズが見たら、驚くでしょうね。

これもまた、デジタルが巻き起こした情報流通の変化によって生まれたものと考えられます。そう考えてみていたら、2019年の若い人たちが「コピー&ペースト」で増殖されたように見えませんか。人間そのものがデジタルの波に飲み込まれているようで恐ろしくなりました。

デジタルの良いところと悪いところを、しっかりと使い分けていける社会にすることが、道具を作っている私たちIT系の人間の役割だなとあらためて感じさせられました。


【若林健一 / kwaka1208】
https://croads.jp/aboutme/


子供のためのプログラミングコミュニティ「CoderDojo」
https://croads.jp/CoderDojo/

貧困問題に取り組みお寺の福祉活動「おてらおやつクラブ」
https://otera-oyatsu.club/



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編集後記(04/09)

偏屈映画案内:おしゃれ泥棒 1966 アメリカ

とても古い名作である。なにしろ主役の二人は既に現世にはいない。思いがけず素晴らしい自動車が出てきた。ニコル・ボネ(オードリー・ヘプバーン)が乗るのは、深紅の可愛らしいオープンカー、1965年型のアウトビアンキ Eden Rocだ。シモン・デルモット(ピーター・オトゥール)は、1965年型の「ジャガーEタイプ シリーズ1 4.2 ロードスター」ときたもんだ。たまらんな〜。

わたしは映画で見る古い欧州車のデザインに夢中だ。ヒッチコックの「鳥」では「アストンマーティン・DB2/4 マーク1ドロップヘッドクーペ」に見とれた。映画の内容よりも、自動車の氏素性が気になる。映画の展開はさておき、すぐに調べたくなる。だいたい、ストーリーの方はたいてい途中で迷子になるが。

原題は「How to Steal a Million」で、この二人の美形が100万ドルの価値のあるヴィーナス像を、警戒が厳重な美術館からいかにして盗み出すかという、スリリングでユーモラスなお話で、日本語題の「おしゃれ泥棒」は最適解だ。ヘプバーン37歳、寝るときもメークしてるんかいと思わせるが、まあキレイなほうだ。ピーター・オトゥールは、「アラビアのロレンス」の4年後である。

ニコルの父親は文化的泥棒と自称する贋作家、豪邸の隠し部屋がアトリエで、自分が描いた「名画」の贋作を本物として競売にかけている。まず、疑問がある。名画なら持ち主が特定できるはずで、贋作なんかすぐバレるのではないか。と思ったが、インターネットが本格始動する遥か以前の話だから、充分ありうる設定であった。太眉に鋭い目。髭も立派な堂々たる押し出しの芸術家だ。

彼が所有する「チェリーニの『ヴィーナス』」という彫刻が、美術館で公開される。展示は厳重な警戒に加え、赤外線で守られており、保守は完璧だ。しかし、専門家の科学的鑑定を受けねばならなくなった。受けたら贋作であることがバレてしまう。この危機にニコルは、たまたまアトリエに忍び込んだ美術品盗人シモンを仲間にして、ヴィーナスを盗み出すというできすぎた話だ。

この二人はおしゃれでスマートでラブラブで。充分に下見して、時間をかけてみごとに盗み出しに成功する。その下準備から達成までを、細かく丁寧に描いている。ご都合主義なところもあるが、スリリングでエンタメで、よくできたお話だと思う。「パパの監獄行きとわたしのアメリカ行きが消えたわ」と歓喜のニコル。ヘタしたら、アメリカの美術愛好家に嫁ぐところだったのだ。

「ぼくは盗難美術品が専門の私立探偵なんだ」と長めに語るシモンが、鼻高々で多少イヤミ。映画を見ている人に向けての説明であるが。この人があのロレンスであったとは思えない、明るく品のある台詞まわしである。二人のファッションも非常に洗練されたものだった(ってわたしにはよく分かんないけど)。

ヴィーナス像はニコルの祖父が彫った。モデルは祖母だった。顔はニコルにそっくりだ。ニコルの父はヴィーナス像が偽物だと知っていながら美術館に貸し出した。「科学的判定を許可する」という書類を、よく見ずにサインしてしまったことから起きた事件で、結局ハッピーエンド、よくできた話だ。(柴田)

おしゃれ泥棒 1966 アメリカ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000H1RGQ8/dgcrcom-22/



●大阪ダブル選挙は維新の圧勝であった。都構想が一番大きな争点ではあるが、これ自体は段階を踏んだ上での住民投票となるため、「どこに任せる?」という選挙であったと思う。

投票率52.7%は、投票所でも感じられた。日曜日の朝なのに小学校のまわりに、たくさんの人が行き来している。体育館入口から受付までの5mぐらいに人が並んでいる。30%ぐらいだとせいぜい2列。

投票率が50%超えてくると組織票は役に立たないみたいで、以前なら当選していたような人が落ちちゃうのね。

大阪府知事はダブルスコアになるぐらいの勢い。かと思えば「投票に行くなんて意味がない」そんな言葉を払拭するような、区によっては4票差で当落が決まる厳しい状況。東成区の人は、一票の重みを実感しただろうなぁ。
(hammer.mule)

大阪市議選 東成区
https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/touitsu/2019/27/14022/skh44668.html