Scenes Around Me[48]番外編:東京インディペンデントへのステートメント全文
── 関根正幸 ──

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まずは告知です。4月13日(土)から5月5日(日)まで、東京藝術大学陳列館で開催される無審査の美術展、東京インディペンデントに富永剛総氏との共著のzine『4747』(よなよな)と、写真を1点展示することになりました。

https://live.staticflickr.com/4295/36119506885_d0a26d0f7a_c
(写真は展示予定の写真と関係はあるが別のもの)

写真にはステートメントを付けるつもりですが、長文になってしまったため、会場で読んでもらうことが期待できないおそれもあり、今回は番外編としてステートメントを転載することにしました。





◆以下がステートメントになります。

今回、私は富永剛総さんと共著のzine『4747』(よなよな)を展示するために東京インディペンデントに参加しますが、zineの製作を全て剛総さんに任せているため、私はzineとは別に写真を展示することにしました。

ところが、その写真は個人的に公にするには、少々問題があると考えています。そのため、今回あえてその写真を展示する理由を、ステートメントとして記すことにします。

今回展示する写真は、2006年に山手線の車内で撮影された、いわゆる山手線ハロウィンの写真です。この写真を展示しようと思った理由は三つあります。

一つめの理由は、zine『4747』に使われる写真が何になるか、自分でも分かっていないのですが、断片的な情報を見る限りあまり穏やかな写真ではないようです。そのため、私が展示する写真もそれに負けないものを選びたいと思いました。

二つめの理由は、私が高円寺岡画郎、東京大学駒場寮、246表現者会議、芸術公民館など、色々な場に関わって、個人的な立場から写真記録をしてきたことがあります。

それらの場の中には、今ではなくなってしまったものも多いのですが、いくつかの場とは長期間関わって、その場が終了していく過程も見ています。今回、山手線ハロウィンを選んだのは、それが終了していく過程が非常に分かりやすかったということがあります。

三つめの理由は、今回の東京インディペンデントに「一筋縄では行かない祝祭性」を期待しているからです。

このステートメントを書いている時点で、参加する作家は200名を超えたという話を聞いています。

もちろん、蓋を開けてみないとわからないことはあるにしても、私が東京インディペンデントに少々の問題作を展示しても大丈夫、というより、問題作を展示した方が相応しい状況を期待しています。

今回、zineおよび写真を展示する機会を与えてくださった、東京インディペンデントの企画者およびスタッフの皆さまに、お礼を申しあげます。

次ページ以降に、山手線ハロウィンに関する個人的な覚え書きを掲載します。

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■山手線ハロウィンのこと
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山手線ハロウィンのことは2005年に友人Cから聞いた。テクノ系のフリーパーティーの情報に詳しく、自らもパーティーに参加していたCは、山手線ハロウィンの情報がチェーンメールで出回っていることを教えてくれた。

残念ながらその時のメールが見つからないが、毎年10月最後の土曜日、新宿駅21時06分発山手線外回りの電車に仮装して乗り込み、山手線が一周して新宿駅に戻るまでの間、仮装パーティーを行う、というものだったと記憶している。

この文章を書くにあたりネット検索したところ、山手線ハロウィン(ジャック)は2006年から2008年にかけて起こったとされているが、実際にはそれ以前から続いていたと思われる。

私が山手線ハロウィンのことを最初に知った時は、まだ後述する騒ぎが表面化する前だったし、面白そうなイベントだと思った。また、私自身は仮装して騒ぐ気はなかったが、主催者(首謀者)が不明で、告知がチェーンメールで出回っていることには興味を覚えた。

それは、同じ年(2005年)に渋谷アップリンクで作曲家リュック・フェラーリのドキュメンタリー映像(宮岡秀行「リュック・フェラーリ ある抽象的リアリストの肖像」)を見たのだが、その時ゲストだった高橋悠治氏の発言が記憶にあったからだった。

高橋悠治氏は、リュック・フェラーリとブリュンヒルド・フェラーリ夫妻の仲の良さについて、「孤立しているのだから団結せざる得ない」と、にべもなく切り捨てた。

また、「ピエール・ブーレーズのように大きな存在になれば、体制に取り込まれてしまうリスクはあるが、世界を変えることが出来るかもしれない。一方で、(リュック・フェラーリのように)小さな存在で居続けることも可能で、その場合は全てを偶然の成り行きに任せることになる。大きな存在になるか小さな存在で居続けるかは、選択の問題でしかない。」というようなことを話していたが、他に次のような発言があった。

「昨今の海外のデモは首謀者は顔を出さず、デモの参加者はメールで連絡を取り合っている。そのネットワークは竹の根の様であるが、竹の根は大木を枯らしていく。」

この発言がどういう話の流れで出てきたかは覚えていないが、メールがSNSに置き換わったものの、数年後に起こったジャスミン革命がまさにその一つの例となったし、山手線ハロウィンのやり方に興味を持ったのも、この発言が記憶に残っていたからだった。

◎2005年

話を戻す。私は山手線ハロウィンの情報の真偽を確かめるため、2005年10月29日21時前に別の友人と新宿駅に行った。すると、15番線ホームの渋谷寄りに仮装をした人たちが談笑しているのを見かけた。

私は仮装できる物を何も持っていなかったので、申し訳程度にGoreTexの青いレインコートを羽織ってみた。仮装した人たちは21時06分発の山手線の電車が到着すると、大挙して電車に乗り込んだ。その結果、電車の後方の2、3両は仮装客により占拠されてしまった。

私の乗った車両も見渡す限り仮装した人たちで埋め尽くされていたが、あまりの混雑に車内で身動きが取れず、同行した友人ともはぐれてしまった。仮装客は外国人の割合が多かったので、普段、満員電車に悩まされている外国人が意趣返しに山手線ハロウィンを企画したのではないかと、考えたりもした。

後日、その考えを別の人にしたところ、彼らがそんなラッシュ時の電車など使うわけはない、と一笑に付されたが、後から参加した外国人はともかく、少なくとも山手線ハロウィンを思い付いた人は、そのような状況だったのではなかったかと思っている。

電車が池袋を過ぎると他の乗客が下車して少し余裕が出来たのか、わずかではあったが車内を移動できるようになり、はぐれた友人と合流できた。私はカメラ以外に特に何も持って来なかったが、友人は持ち込んだ缶ビールを開けて一息ついていた。

電車はもちろん山手線の各駅に停車するため、ダイヤを知っていれば途中駅で合流することも離脱することもできた。実際、仕事の都合で新宿駅に間に合わなかったCは、秋葉原駅で犬の着ぐるみを着て乗車した。

仮装客は電車内で酒を飲みながら騒いでいたが、品川駅あたりから一部の仮装客が停車するたびにホームに飛び出し、すれ違う他の客とハイタッチして別のドアから乗車するようになった。ホームに飛び出す客は停車駅ごとに増えていき、電車に遅れが生じるようになったかも知れない。

こうした行為はあったが、それ以上の混乱はなく電車は新宿駅に到着、大半の仮装客は新宿駅で下車し、私達もそのまま解散した。

◎2006年

翌2006年10月28日の山手線ハロウィンも私は撮影に行った。

前回、私はパーティーそのものの様子を撮影したが、車内の混雑によって上手くは撮れなかったので、今回は個々の仮装客を撮影しようとした。この年はCも新宿駅から参加した。ネットや口コミのためか、新宿駅に集まった仮装客は、日本人の参加者が前の年に比べ多くなったと思う。

車内の状況は前の年とあまり変わりがなかったと思うが、新参者が増えたせいか、網棚に寝そべったりという悪ふざけが目立つようになっていた。さらに、以下に記す事件が起こった。

渋谷駅の手前だったか、誰かが私達が乗っている車両の蛍光灯の一本を外してしまった。すると、それを真似する人が続出、あっという間に全ての蛍光灯が外され、私達の車両だけが真っ暗になってしまった。

その様子を見てCは「その発想はなかった」と驚いていた。私達は新宿駅で下車するのをやめて、大半の仮装客が降りた後、蛍光灯を付けて車内の復旧を試みた。しかし、仮装客が車内に飲み捨てた大量の空き缶やビンは、どうすることもできなかった。

フリーパーティーに通い慣れたCが「おいおい、現状復帰が鉄則だぞ。こんなことでは来年のパーティーはできなくなる。」とつぶやいていたのが印象的だった。電車が池袋に着くと、連絡を受けていたと思われる大勢の作業員が車内に入ってきて、ゴミの回収作業を始めた。私達はそれを確認して電車を降り、新宿方面に引き返した。

◎2007年

2007年は前年のことがあったため、Cたちは参加を止めたが、私個人は事の成り行きを見ておきたいと思っていた。事前に山手線ハロウィンのことをネットで検索すると、2ちゃんねるの掲示板がヒットした。そこには、前年に騒ぎを起こした仮装客を非難する書き込みであふれていた。

中には、自ら電車に乗り込んで彼らの暴走を止める、と息巻く書き込みもあった。私はそれらの書き込みを見て、仮装客との間でトラブルがあることを予想し、行ってみることにした。

2007年10月27日、その日は確か、ギャラリー小柳での野口里佳展のオープニングがあり、富永剛総さんに誘われて顔を出したが、途中でパーティーを抜け出し新宿駅に向かった。

警察の取り締まりがあることも予想していたが、警察官の姿は見かけず(当日記録されたと思われる映像には警察官が映っていた)、仮装した外国人と2ちゃんねるから来たと思われる「自警団」の男性達の姿を見た。

自警団の中には、デジタルカメラで仮装客の狼藉を記録しようとするもの、ノートPCにウェブカメラを付けて中継するものがいた。しかし、仮装した外国人たちは自警団を「おたく」呼ばわりして威嚇、また日本人と外国人男性との体格差もあり、自警団は仮装客が乗車して騒ぐのを阻止することはできなかった。

一方、去年騒ぎを起こした仮装客たちは、2ちゃんねるなどで非難されたせいか姿を見せなかった。また、車内で酒を飲んで騒ぐ仮装客は相変わらず多かったが、自警団の監視もあったためか、私が見た限りでは網棚に上がったり、ホームに飛び出す者はいなかったように思う。

この年は警察の取り締まりがなかったこともあり、私は、もしこの程度で騒ぎが収まればパーティーは当分続くのではないか、と思った。

◎2008年

警察による取り締まりが始まったのはその翌年であった。警察は事前に取り締まりを行うことを発表したのだろう、ネットのニュースで、2007年のハロウィンで仮装客が騒ぎを起こしたと報じれられた。ところが、現場を見ている私にとっては、報じられた騒ぎが起きたのは2006年のことだったので、報道には違和感を覚えた。

2008年10月25日は、警察官がホーム上で警備に当たる中、常連と思しき仮装の外国人達が集まりはしたものの、互いに挨拶を交わすだけで、電車が到着する前に解散、皆それぞれのパーティー会場に移動したようであった。それは、逮捕されるリスクを負ってまでパーティーを行うことはないという判断であったのだろう。賢明なことだと思う。

私は一人で21時06分発の山手線に乗ったが、車内はガラガラで、他の仮装客の姿を見ることはなかった。ただ、途中、御徒町駅あたりで仮装客を見物に来たと思しきドイツ人男性2人組が乗車した。2人は警察の取り締まりがあったことを知らず、車内に誰もいないことを不審に思いながらも、シートに腰掛け酒を飲んでいた。それはまさに山手線ハロウィンの最後に相応しい光景だったかも知れない。

◎2009年

2009年は、私は新宿駅には行ってみたが、21時06分発の電車に乗ることはなかった。ただ、山手線ハロウィンの再発を防止するためか、警察は新宿駅の警備をさらに強化していた。警察は新宿駅構内からすべての仮装客を排除しようとしたのだった。

私は、明らかに山手線ハロウィンとは関係のない仮装客が、乗り換えのために新宿駅構内を歩いているところに警察が職質していたのを目撃している。それは、個人的にはやり過ぎであったと思うが、そこまでしないと警察の面子が立たなかったのかも知れない。この年を最後に、私もハロウィンパーティーの様子を見に行くことはなかった。

山手線ハロウィンについては、最初から関わったわけではないので推測でしかないが、当初は小規模なイベントではなかったかと思う。それが次第に規模が大きくなり、フリーイベントの流儀を知らない参加者がパーティーを荒らし、その結果、警察に取り締まられるという展開だったのかもしれない。

私が疑問に思っているのは、なぜ2007年に警察の取り締まりが行われなかったのかということであった。もしかすると、2007年には警察は前年より騒ぎがさらにエスカレートすることを予測、取り締まりに乗り出すための口実が得られると考えたのかもしれない。

ところが、この年は予期した騒ぎは起こらず、とはいえ、取り締まりを行わない訳には行かなかったので、2006年の騒ぎを2007年に起こったことにしたのかもしれない。いずれにしても、山手線ハロウィンは警察の取り締まりによって終わりを迎えたのは確かである。

現在はどうかというと、この数年、10月31日に渋谷109前の三叉路付近を封鎖して、大規模なハロウィンパーティーが行われるようになった。

私自身も2016年から毎年様子を見に行っているが、仮装した連中が渋谷の道路を埋め尽くしている様は、かつての山手線ハロウィンを彷彿とさせる。


昨年は通りすがりの車を横転させる騒ぎはあったが、犯人が逮捕されたことで、今年も合法的に続くのだろう。

結局、私は祭りが好きなのかもしれない。


【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos(2019年3月まで)


1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔