ショート・ストーリーのKUNI[246]ウエストまで何マイル
── ヤマシタクニコ ──

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マンションのドアが開き、明るい声が玄関に響いた。

「ただいま、ジョージ!」
「お帰り、メラニー。遅かったね。買い物はできたかい?」
「ええ。特売のティッシュも天ぷら油も釜飯の素も売り切れにならないうちに買えたわ。今夜はあなたの好きな茶碗蒸しとキムチチャーハン、それに私の好きなクリームコロッケをを作るつもりよ」
「ワオー。なんて楽しみなんだ。愛してるよ、メラニー」
「私もよ。ねえ、今日が何の日か覚えてる?」
「覚えてるも何も! 今日はぼくたちがその昔……33年前に初めてキスをして、それからいろいろした日じゃないか!」
「正解! 今日はキスその他いろいろ記念日! 人生で最も重要な記念日。だから祝杯をあげなくちゃね! ワインも買ってきたわ。先にちょっと開けてみる?」
「いいね!」

メラニーは買ってきたものをバッグから取り出してしかるべきところに収めた。それから冷蔵庫や戸棚のドアを何回か開け閉めし、グラスを取り出し、ワインを……

「ねえ、ジョージ。ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「なんだい僕のハニー。遠慮せずに聞いておくれ」
「その……どうして今日はずっと右手をポケットに入れてるの?」
「右手がポケットに入りたいと言って聞かないのさ」
「まあ、ジョージったら。ほっほっほ。冗談はよしこさん。かくさずにその右手を」
「あ、だめだよ」
「どうして?! おかしいわ!」

無理矢理、ジョージの右手をポケットから引っ張り出したメラニーは、息をのんだ。





「オーマイガッ、ジーーーーザス! 何なのその指は、鉛筆をナイフで思い切りとんがらかしたような指先は!」
「いいだろ? いま流行のタッチペン風指先。先が細くてスマホで英文字も打ちやすいんだ。改造手術も最近は安くなっててね。前の会社の同僚もこの間やってもらってきて、なかなかいい感じだというので、そこを紹介してもらったんだ」
「私に黙ってするなんて!」
「いいじゃないか。たいしたことじゃない」
「たいしたことじゃないことないわ! あなたのあの、肉まんみたいなふっくらした指が! あなたの数少ない美点のひとつだったあの指が?! オー、ノー! 信じられない!」
「あの指だと不便なんだ。太すぎてしょっちゅう入力ミスするし、それを修正するときとかコピペの範囲を決めるときとか、けっこうやっかいじゃないか。前からなんとかしたいと思ってたんだ」
「便利だというだけで何でもするわけ?!」
「そんなに怒るなよ、ぼくのかわいこちゃん。ぼくの指先が鉛筆みたいになろうと十徳ナイフみたいになろうと僕は僕さ」
「十徳ナイフだったらよかったのに」

「左手はそれにしようか。それより、僕にもひとつ質問させてくれないかな、メラニー」
「いいわよ?」
「君のウエストがその、妙に太くなったように思うんだけど」
「ああらそう? 気のせいじゃない?」
「そうかな。昨日までの倍くらいあるように思うけど」
「そんなことないわ」
「僕の気のせい?」
「ええ、そうよ、ああ、だめ! さわらないで!」

メラニーが抵抗するのもかまわずジョージはさわって、そしてぎくりとした。

「こ、これは……ワッタヘル! メラニー、君は一体何をしたんだ!」
「ごめんなさい。パワーアシストスーツを体内に埋め込んだの」
「パワーアシストスーツを埋め込んだだとおおおおお?! あのロボットみたいな、でもそれを装着すれば重いものも軽々と持ち上げられるという、あれかい?! ミカン農家とか工場で使われてるとかいう?! それを埋め込んだ?!道理でこんなに、稀勢の里みたいな胴回りになってると思ったよ! 僕のかわいい、折れそうなウェストの持ち主だったメラニーが! あのウエストはどこに行った! ああ、触っても触っても届かない、まるで何マイルもの彼方にあるようじゃないか。ドントジョーク、ヨシコ! オマイガッ、アンビリーバボー! ジーーーーザス!!!」

「おおげさね。最近の流行なのよ、これ。大学時代の友達が『いいわよー、あれ。10kgのお米もひょいと持ち上げられるし、すごく便利! これまでのパワーアシストスーツはそれ自体が重かった上に装着するのが大変だったけど、今はかなり軽量化されてるの。埋め込みならリンク切れの心配もないし』って」
「画像の埋め込みじゃないぞ!」
「だいじょうぶ、そんなに高くなかったし。友達の紹介ってことで割引してくれたの。そこのショッピングセンターの中の、漬け物屋が撤退したあとにできた店で、即日仕上げ」
「クリーニングじゃないんだぞ! あんなつぶれかけのショッピングセンターにできた怪しげな店でするなんて。だいたい、便利だというわけで何でもするのかと、さっき怒ったのは君だぞ!」
「あなたの指は変すぎるもの!」
「変なことないさ! 変なことない! ああっ!」

ジョージは急にうずくまった。

「ワッハプン?! ジョージ、どうしたの?!」

ジョージはテーブルの角にかろうじてしがみついているが、立てないようだ。

「……」

「オーマイガッ! そうよ、あなたって、リストラされてハローワークに通いつめ、やっと次の職場を見つけたもののいまは餃子屋の調理見習いなのよね。毎日毎日うつむいてキャベツを刻む、餃子を包む、中腰で皿を洗う日々。腰をいわしても無理ないのよ、だってあなたって……もう年だもん、60過ぎてるんだもん」
「うるさいよっ! ほっとけ!」
「ソリー!」
「そうなんだ。僕は若い頃から体が硬くて、運動嫌いだし、腰にも不安があった。長時間中途半端な姿勢を保つのはものすごくつらくて、もう限界で……あれ? あれ?!」

ジョージはいつのまにか自分の体がひょいと持ち上げられ、ベッドに運ばれていくのを感じた。そのままふかふかの布団の上にそうっと横たえられる。なんともいえない安堵感が広がる。

「メラニー! なんてことだ、君は……」
「あなたはあまり体が丈夫じゃないでしょ? 毎日大変だと思ってたわ。だから、こういうときのためにパワーアシストスーツを埋め込んだのよ! 今日は私たちの大事な記念日だし、前から予約してたの」

ジョージの目から大粒の涙がぼろぼろこぼれた。

「ありがとう、ありがとう。そうだったのか。そんなことと知らずにひどいこと言ってごめんよ。それなら、僕も」

ジョージは慎重に体の向きを変え、隠していたタブレットを取り出し、ほんの何回かタップした後メラニーに見せた。

「ワオ! これは……」

そこにはメラニーの肖像画があった。ジョージが改造した指先を駆使してお絵かきアプリで描いてみせた、愛する妻の肖像画だ。瞳は輝き、ほほは薔薇色、髪はつやつやとうねり、ウエストはどこまでも細く。みごとなできばえだ。

「今日の記念日に、プレゼントしたかったんだ。僕は何もできないけど、絵を描くのは得意だから」
「ジョージ! あんた、めっちゃええ男やん! うちも、なんかいろいろ言うてごめんな!」
「なんや。急に大阪弁になるなよ」

メラニーも泣き出した。

「泣くなって。メイクがくずれるやん。そや。僕のこの指先、アイシャドウやアイブロウのチップ代わりにもなるで。今度から僕がメイクしたろか?」
「あーん、ジョージ、最高やん! 幸せすぎて泣ける……」
「耳かきにもなるし、あ、そや。鼻くそもほじくったるで」
「そんなんせんでええわ!」

ジョージはメラニーをぎゅっと抱きしめ……ようとしたが、そのウエストまで
はやっぱり遠かった。


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最初、タイトルを「賢者の贈りもの2019」にしようと思いましたが、すぐにオチがわかってしまいそうで変更、でも、ヒントはもちろんあの小説です。

ところで、最近、大学の入学式は黒いスーツばかりで異様、という記事が出て話題になってたので思い出したが、私が大学の入学式に着ていったのは今は亡き姉がわざわざその日のために縫ってくれたワンピースだった(経済的な事情で兄も姉も大学には行かせてもらえず、姉は高校で被服科を選択した)。

一応当時の流行に沿った気合いの入ったデザインだったのだが、色が鮮やかなターコイズブルーで地黒の私に全然、まったく、これっぽっちも似合ってなかった。いま思い出してもはずかしい。

でも、「みんなどんな格好で来るんだろう」と不安だったが、蓋を開けてみたら周囲は割とふつうの服装で、心配するほどのこともなかったなーと思った。事前情報が少なくて無駄にどきどきするのも楽しいもんだぜ(笑)