まにまにころころ[157]ふんわり中国の古典(論語・その20)多才もまたひとつの長所/川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito

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コロこと川合です。前回の冒頭で瀧ロスがーなんて書いていたのに、配信日がそのピエール瀧さんの誕生日だったことに触れ忘れるというミス。さらには、これもまた以前ファンだと書いていた、博多華丸さんの誕生日でもあったのに。にわかファンということでお許しを。

お釈迦様の誕生日である花祭りの日、4月8日は瀧さんと華丸さんの誕生日で。その3日後の11日は私の誕生日。あと、森高千里さんの誕生日でした。そして、ルパン三世の原作者、モンキー・パンチ先生が亡くなられたのが11日のこと。

ちなみに今日22日は、長年アニメのルパン三世で峰不二子を演じられていた、増山江威子さんの誕生日です。哲学者のカント、政治家のレーニンも。

その22日の事についてはググって調べたんですが、当たり前のことですけど、毎日毎日、どなたかの誕生日だったり命日だったりするものですね。

もちろん有名人に限らず、日々、誰かが産まれて誰かが亡くなってというのをずっとずっと繰り返して、歴史は積み重なってきたんだなあなんて感じる今日は、ついに平成最後のデジクリ寄稿です。次回はもう令和ですってよ。

いつの間にかもう東京オリンピックも来年に迫り、その五年後には大阪万博。大阪万博の前年、令和六年には、紙幣デザインも一新されるとのことで。

五千円札になる津田梅子の肖像が左右反転だなんてニュースもありましたが、それよりも何よりも注目したいのは、やっぱ一万円札です。渋沢栄一ですよ。

日本近代経済の父・渋沢栄一。大阪人としては同時代を生きた大阪経済の父・五代友厚を推したいところですが、知名度も実績もやはり渋沢栄一が少し上なように感じます。「西の五代・東の渋沢」と並び称されていて、上も下もなくどちらも欠かせない人物ですけどね。

渋沢栄一って誰? 福沢諭吉は知ってるけど渋沢栄一なんて知らない、なんて声が、新札発表の時に一部でありましたが、渋沢栄一を知らない人ってどうせ、福沢諭吉のことだって慶應義塾と『学問のすゝめ』くらいしか知らないでしょ。逆に言えば、渋沢栄一のことも、それくらいは知っておいてほしい!

渋沢栄一が何らかの形で設立に関わった企業の数は、およそ五百社。いくつか大学の設立にも関わっており、現在の同志社大学、一橋大学、日本女子大学がその代表格。財界人らしく実学の教育や女子教育に貢献しました。

日本女子大学の件では、NHKの朝ドラ『あさが来た』にも登場していたかと。終盤の100話、101話で主人公のあさが銀行設立のため、銀行の神様・渋沢栄一にアドバイスを求めて訪ね、信用を元にした商いと、人材育成・教育の重要性を教えられます。あさのモデルが、日本女子大学校の発起人のひとり、広岡浅子です。

そして、なぜ今ここでこれほど渋沢栄一を推しているのかと言えば、そうです、渋沢栄一の代表的な著作が『論語と算盤』だからです!

著作というか、訓話集、講演録みたいな感じですが、論語をはじめとした儒学に道義を求め、道義と商売は相容れないものでなく、道義に則って商売をすることが肝要であると説いたものです。

色んな出版社から色んな形で出ていますが、個人的には角川ソフィア文庫から出ているものが読みやすくて好きです。今ならタイミング的に書店で平積みにされている気がするので、探してみてください。

論語ブーム、またくるんじゃないですかね。(笑)

ということで、今回も論語の話に移りましょう。





◎──巻第三「雍也(ようや)第六」八

・だいたいの意味

季康子が尋ねた。仲由(子路)は政治に従事させるべきでしょうか、と。孔子先生は仰った。仲由は果断であるから、政治に従事させても何も問題ないでしょう。

では、賜(子貢)はいかがでしょうか。賜は事理に通じているから、政治に従事させても何も問題ないでしょう。

では、求(冉求)はいかがでしょうか。求は多才であるから、政治に従事させても何も問題ないでしょう。

・巻第三「雍也(ようや)第六」八について

それぞれタイプの違う三人の弟子について、孔子先生はそれぞれの長所を把握されていたんですね。その長所を上手に活かせば、政治でも力を発揮すると。使う側の季康子は、いまいちその辺が分かっていなかった模様。

適材適所という言葉がありますが、なかなかどうもそうさせてくれない世の中。無理に苦手を克服させようとしたり、何でもやらせようとしたり。もちろん、ある程度のチャレンジを求めることも大事ですが、それは適正を見抜いた上で、才能が伸びる方向にチャレンジさせるべきで。でないと消耗するだけです。

……言うは易し、ですけどね。

◎──巻第三「雍也(ようや)第六」九

・だいたいの意味

季子が(孔子門下の)閔子騫(びんしけん)を費の宰相にすべく使いを出した。閔子騫は、私のために上手に辞退してください。もし、私をさらにまた薦める者がいるようなら、私はきっとブン水(ブンはさんずいに文)のほとりに行くでしょう。(=斉国に亡命するでしょう)

・巻第三「雍也(ようや)第六」九について

季子の下で働くくらいなら亡命する、と。まあそれ以上でもそれ以下でもない話ですかね。

◎──巻第三「雍也(ようや)第六」十

・だいたいの意味

(孔子門下の)伯牛が病気になった。孔子先生が見舞われて窓越しにその手を取られ、亡くなってしまうのか、運命というものか、これほどの人物がこんな病にかかるとは。これほどの人物がこんな病にかかるとは、と仰った。

・巻第三「雍也(ようや)第六」十について

伯牛(はくぎゅう)とは、「徳行の士」と称される門人・冉耕(ぜんこう)。不治の病におかされた優秀な弟子を見舞い、嘆く孔子先生の姿です。

こういった人間くささも孔子先生の魅力です。たぶん、弟子の誰かとお見舞いに行った帰りにでもつぶやいたんだと思います。病人のお見舞いに行って「死んじゃうのかー」とは言わないでしょうから。

◎──巻第三「雍也(ようや)第六」十一

・だいたいの意味

賢人だね回(顔回)は。一箪の食、一瓢の飲、陋巷(ろうこう)に在り。(竹の器一杯の食事に、ひさご一杯の飲み物、狭い露地の小屋に暮らしている)他の人であれば憂いに堪えないだろうに、回はその暮らしの中でも、楽しみを改めない。賢人だね回(顔回)は。

・巻第三「雍也(ようや)第六」十一について

また顔回が称えられています。粗末な食事に質素な暮らし。その中にあっても、楽しみ、つまり学問探究の道に邁進する顔回。

顔回を主人公にした長編小説『陋巷に在り』(酒見賢一)の題名はここから。酒見賢一は、『後宮小説』、『墨攻』の作者ですね。『後宮小説』は、アニメ『雲のように風のように』の原作です。

◎──巻第三「雍也(ようや)第六」十二

・だいたいの意味

冉求が言った。先生の仰る道を学ぶことを喜ばないのではないのです。ただ私にはその能力が足りないのです。
孔子先生が仰った。能力の足りない者は道半ばで倒れてしまうが、今、お前は、自ら自分に見切りをつけてしまっている。

・巻第三「雍也(ようや)第六」十二について

今日の最初、八のところで冉求は孔子先生から多才と評されていましたよね。たぶん、冉求は、中途半端に賢いんです。色んな事が人並み以上にできるけど、今ひとつ何かひとつのことに打ち込めない。器用貧乏タイプじゃないかと。

私もこの冉求の劣化版みたいな、わりと何でも五、六十点くらいは取れるけど、専門的なことはなにひとつできない人間なので、冉求の気持ちが少しは分かる気がします。

愚直と言われても何かに打ち込めるというのも、ひとつの才能で。顔回はそのタイプ。孔子先生は顔回を「賢なるかな」と褒め称えていますし、実際顔回はある面では孔子先生をしのぐほどの人物です。

冉求としては苦しい。

でも、多才もまたひとつの長所。用い方次第なのは冒頭にあったとおりです。頑張れ冉求! 負けるな冉求! 友だちになるなら私は、顔回より冉求を選ぶよ!

……雇用するなら顔回を選ぶかも。(どちらも欲しいですけど)

◎──巻第三「雍也(ようや)第六」十三

・だいたいの意味

孔子先生が子夏に仰った。お前は君子の儒(学者)となりなさい。小人の儒になってはいけない。

・巻第三「雍也(ようや)第六」十三について

学問への心構えの話で、君子たれ、と。名利のために学ぶような、つまらない学者になるなと。

子夏だけに言えることではなく誰にでも言えることで、たまたま子夏に対して仰った時の言葉が論語に入れられたんでしょう。

◎──今回はここまで。

平成最後ということで、この連載も期間的には長くなってきていますが、まだ『論語』全体の半分も進んでいません。新紙幣発行までには、最後まで行って、『論語と算盤』についても触れておきたいものです。ペース上げなきゃ……。

『論語と算盤』、訓話集なので(論語もそうですが)短い話の集まりですから、少しずつ読んでいけます。機会あれば是非、手に取ってみてください。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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