日々の泡[009]人生エッセイの先生だった【江分利満氏の優雅な生活/山口瞳】/十河 進

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僕の映画エッセイは「映画に人生を重ねる」と言われることが多いけれど、エッセイあるいはコラムを書くときの文体、それにスタイルや構成は様々な作家の影響を受けている。

東海林さだおさんと椎名誠さんのエッセイは、数え切れないほど読んだ。「さらば国分寺書店のオババ」の頃、椎名誠さんは「昭和軽薄体」を掲げユーモアあふれるエッセイを書いていたが、椎名さんは影響を受けた作家として嵐山光三郎さんを挙げていた。

カメラ雑誌編集部にいて体験取材レポートを書いていた一九八〇年代の頃、僕は意識的に東海林さだおさんと椎名誠さんの文体とスタイルを真似て、オモシロおかしいレポートを書いていた。東海林さだおさんの言いまわしを、そのまま借用したこともある。

体験取材では、様々なところへいった。カメラ量販店の店員を体験したり、レンズ工場でレンズを作ったりしたこともあるが、様々なジャンルの写真家に入門することが多かった。いつも、そのジャンルでは第一人者と言われる人ばかりだった。





水中撮影では中村征夫さん(まだ木村伊兵衛賞をとる前だったけれど)の弟子になり、初めてアクアラングを背負った。ヨット写真の添畑薫さんにはモーター付きゴムボートに乗せてもらって、駿河湾を疾走した。

料理写真の泰斗だった佐伯義勝さんのスタジオでは、光文社の女性誌の料理頁の撮影のときに弟子入りしたし、早世したネイチャーフォトグラファーの木原和人さんとは一緒に沢登りをした。高所恐怖症なので、気球撮影に誘われたときだけは「勘弁してくれー」と、必死に逃げた。

体験取材レポートは加藤孝カメラマンの写真と共に好評で、一回八ページももらえていた。というか、八ページ分の原稿を書くのは、けっこう大変だった。もっとも、僕は原稿を書くのが早かったので、時間はそれほどかからなかったけれど----。

仕事ではない文章では、「敗れざる者たち」で熱い文章を書いていた若き沢木耕太郎さん、関川夏央さんの中期以降のエッセイにも影響を受けている。一時期熱中し、エッセイも小説も読み尽くした向田邦子さんではあったが、文章的な影響ではなくエッセイの構成のようなものを学んだ。

また、村上春樹さんのエッセイはすべて読んでいるし、かなり影響を受けていると思う。村上さんは女性誌に見開き連載したような軽いユーモア・エッセイも書くし、分析的で長文の音楽エッセイや海外の生活記録、あるいは旅行記など幅広く書いているが、そのすべてのものから僕はインスパイアされた。

しかし、僕がエッセイの書き方として最初に影響を受けたのは、山口瞳さんの「江分利満氏の優雅な生活」である。「江分利満氏」シリーズは、人生エッセイのひとつの頂点と言ってもいい。

「江分利満氏の優雅な生活」を読んだすぐ後、僕は江分利満氏と同年齢だった自分の父親をモデルにして、模倣した文章を書いている。もっとも、「江分利満氏の優雅な生活」はエッセイではなく小説であり、一九六三年の直木賞を受賞した。

僕が読んだのは、その五年後の一九六八年、十六歳のときだった。高校一年生の春休みに読んだのだ。薄い新潮文庫で読み、読み終わるとすぐに続編の「江分利満氏の華麗な生活」を買いに走った。

「買いに走る」と言えば、「江分利満氏の優雅な生活」の冒頭は、江分利満氏の小学生の息子である庄助が手に十円玉を握りしめて、貸本屋へ走っていく場面だった。山口瞳さんの実際の息子が正介さん(現在は作家で映画評論家)であることを知るのは、ずっと後のことである。

「江分利満氏の優雅な生活」は小説仕立てにはなっているけれど、ほとんどエッセイである。東西電機の社宅に妻と息子と住む江分利氏は、山口瞳さん本人と完全に重なる。しかし、小説仕立てであることで、感傷的でストレートな叙懐を照れずに書けるのだ。山口さんは事業を失敗した父親のことも、妻の病気のことも赤裸々に書く。

この手法を後に多用したのが、諸井薫さんだった。諸井さんはエッセイ仕立ての短文の登場人物を「彼は」とか「男は」と三人称で書いた。それによって、中年男のストレートな感傷を描き出し、読者であるお父さんたちは感涙にむせぶ夜を過ごした。一時は本屋に山積みだった諸井さんの本も、今は見なくなってしまったなあ。

おもしろいことに、岡本喜八監督によって映画化された「江分利満氏の優雅な生活」(1963年)は、原作では東西電機とされていた勤め先をサントリー宣伝部に変え、江分利満氏(小林桂樹)を山口瞳に似せたメーキャップにした。

おまけに江分利満氏は直木賞候補になり、記者(中丸忠雄?)に取材されるシーンまであったと思う。才人・岡本喜八監督らしくアニメーションも使用するし、ストップモーションなども多用された。その二年前に日本で公開されたルイ・マルの「地下鉄のザジ」(1960年)の影響を受けていたのかもしれない。

山口瞳さんが開高健と共に、サントリー宣伝部にいたことは多くの人が知っている。「洋酒天国」というPR誌を編集し、「トリスを飲んでHawaiiにいこう」というコピーを書いたことは有名だった。それは、直木賞を受賞した頃から知られていたのだろう。だから、映画では江分利の勤務先をサントリーにした。

「江分利満氏の優雅な生活」を読んでから三十年近くの月日が流れ、出版社に就職していた僕は入社二十年経った頃に月刊「コマーシャル・フォト」という広告写真専門誌の編集部に配属になり、あるとき広告制作会社サン・アドを取材することになった。

「サン・アド」はサントリー宣伝部にいた開高健、柳原良平、坂根進、山口瞳らがフリーになって作った広告制作会社だが、出資したのはサントリーである。したがってサントリーの広告を作るのだけれど、他の会社の広告制作も行い、広告業界では主要な制作会社だった。

僕が取材したのは二十数年前だから、アートディレクターの葛西薫さんがいろいろな広告を作っていた。僕が取材した頃より少し後、葛西さんの仕事ではサントリー・ウーロン茶のシリーズが忘れられない。中国ロケで女性ふたりが登場し、中国語の「鉄腕アトム」の歌が流れるCMなど今も映像と音が甦ってくる。

その「サン・アド」を取材したとき、僕は「ここに開高健、山口瞳がいたのか」と、少し感慨にふけった。もちろん、イラストレーターの柳原良平さんもいた。初めて読んだ「江分利満氏の優雅な生活」の表紙カバーは柳原良平さんのイラストだったから、江分利満氏を思い浮かべると、今もアンクル・トリスの顔が重なってしまう。


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