[4790] 初めての一般参賀◇1998-1999に見た2つの展覧会◇脱Googleやめました

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《日の丸に隠れて何も見えない状態》

■装飾山イバラ道[245]
 初めての一般参賀
 武田瑛夢

■Scenes Around Me[50]
 1998年-1999年に見た2つの展覧会
 関根正幸

■crossroads[64]
 脱Googleをやめました
 若林健一




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■装飾山イバラ道[245]
初めての一般参賀

武田瑛夢
https://bn.dgcr.com/archives/20190521110300.html

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令和のゴールデンウィーク、今回は特に旅行の計画もなかった。一般参賀と言えば、毎年行列がニュースになりとても大変そうだ。しかし正月に比べて暖かいこのシーズンなら、行けそうな気がした。

私は初めての一般参賀で、新しい時代の幕開けに、行っておいたら記念になりそうだと思ったのだ。本来はもっと厳かな気持ちで行くべきなのかもしれないけれど、夫婦ともに体調も大丈夫そうだったので行くことになった。

結果ずっと立ちっぱなしなので大変だけれど、貴重な経験ができて良かったと思う。夫も私も疲れた以外の、健康上の問題もなく帰ってくることができたのも幸いで有難い。早朝に出発して、お昼ご飯を東京駅で食べることができた。その後帰宅して爆睡だったのは言うまでもない。

●お出ましの時間

皇居宮殿の前の広場は、宮殿東庭と呼ぶらしい。よくテレビで見る場所だ。ここが思っていた以上に広かった。長和殿は南北に全長163mの建物で、これまた物凄く大きいし長い。高さがさほどないので、平たい印象。

この長和殿のベランダに天皇陛下は、皇后陛下・皇族方と共にお出ましになられる。

前に進もうにも人でぎっしりだ。一回目の10時のお出まし時間の前に、宮殿前の広場に入れたのは幸運なのかもしれない。だがしかし、そんなに甘くはなかった。

数回のアナウンスで、どのような段取りになるかの簡単な説明がある。お出ましの時間になると、一斉に日の丸の旗が振られ、ワーっという人の声。私の立っている所からは、この第一回目にお出ましの姿は、肉眼では見ることができなかった。

・日の丸の旗
http://eimu.com/dgcol/sanga

日の丸に隠れて何も見えない状態というのは、一般参賀に行った人の大半が経験する光景なのかもしれない。私たちも日の丸の旗をバシバシ振った。あちこちからお祝いの声がする。

何も見えないけれど、iPhoneカメラのズームを利かせて、やっとお立ちになっている天皇陛下と皇后陛下、皇族方の姿が映るといった具合だ。モニターも用意されていたので、状況は確認できた。

その後、お出ましをご覧になった人は退出を~とアナウンスで促される。少しづつ前へ移動して、次のお出ましに備える人が大半だった。最初は後ろすぎて何も見られず、前へ押し出されて次のお出ましの回でやっと見えるようになる感じだ。

ここまで既に1時間~2時間待っている人たちは、次回が50分後でも待つ覚悟がある人がほとんどのようだった。

●体調管理

ニュースでよく取り上げられる、倒れたり搬送される人がいるというのは実際に数人を目撃した。自分たちの目の届く範囲でも数人なので、全体からするとかなりの数になるのは想像できる。

具合の悪い人が出ると、周りの人が協力して手を挙げてスペースを作って、人の列から出すといった感じだ。宮殿の前では列というより、縦も横もない群衆。日傘を差すようなスペースの余裕はほぼない。

体調不良の原因としては、直射日光や気温、行列の中での圧迫などが考えられる。飲み物と帽子は必ず用意していった方がいいと思う。

私も色々なイベントで行列を経験するけれど、今回の経験はキツイ方の部類に入ると思った。

キツイ理由の一つは、美術展等で並びの列に用意されているテントのような日を遮る工夫がないこと。これは舗装されている道路から砂利の敷かれた内部の道まで、行列の長さがとても長いためで致し方ない。皇居という場所柄、日陰は少なく、空が大きく開かれているのだ。

そして、トイレも用意されているけれど、行列を離れてまで行こうという気になるのは、切迫した状況の時だけかもしれない。

人の流れは混乱なく制御されていたと思う。他の催事のようにイベントスタッフではなく、制服の警察官が誘導しているので、信頼感と緊張感が違うせいかもしれない。

あの日あの場に、一体何人の警察官が集まっていたのだろう。荷物預かり所のテントにいる人たちまで、何人もの制服警官なのだ。本当に初めて見る光景だった。確かにどのポジションであっても、適当ではならないというのは想像できる。

行きの手荷物検査では、ペットボトルの飲み物は一口飲んで見せて、飲み物であることを確認していた。ボトルは燃える液体の持ち込みの危険性が考えられるので、厳重なチェックが必要なのだ。バッグの中身も確認される。

警察官でなさそうな人は、日の丸の旗を渡してくれるボランティアの方々、黒いスーツの、宮内庁関連の方々だろうか。紙製の旗は私たちは記念に持ち帰ったけれど、不要な旗は出口付近で回収もしていた。

アナウンスされた通りに待ち、前に進む人がほとんどだった。他のイベントで見かけるような、不満爆発の人を私は見かけなかった。お祝いに来ているのだから、穏やかなマインドの人が多いせいだろうか。待てないなら帰ればいいだけなのだ。

●予想のつくこと、つかないこと

お出ましの時間ははっきりと決まっているので、どれだけ待てばいいのかという時間的不安がないのが救いだ。

私たちは朝の回と違って、かなりはっきりと肉眼で見ることができる位置につけた。お出ましになって、お言葉が始まり、皇族の方が中へ戻られるまではとても短い時間だった。その後は、そのまま退出の流れに乗った。そこへ残る人の流れと、帰る人の流れ。

もしまた一般参賀に参加する時は、もっと朝早く出かけると思う。私たちは比較的体力があったので、疲れたぐらいで済んだけれど、体調不良になる人が出るのも無理はないと思った。

しかし、行きたいと心から思う時にはすでに高齢で、体調に自信がなくなっているというのは、何とも言えないものだ。初めて行くのなら屋外での体調の予想は、どんな年齢の人でも難しいと思う。

自分の前にも後にも大量の人間がいるという状況で、ずっと立ちぱなしなのだ。一か所に留まる時間も長い。歩けて景色が変わってくれるだけで、だいぶ体もほぐれ、気持ちが晴れた。

できれば体力に自信のあるうちに一回参加して、どの程度の行程になるかを体験しておくことが良いかもしれない。経験値を貯めて、流れの予測がつくようにしているだけでも心持ちがぜんぜん違うと思う。

気温や日照は日によって変わるし、行列の進行具合もどの門から入ったかなどで変わり、予想がつかない。常に何かを改善しているとすれば、次に来た時には同じではないのだ。

こういった予想のつかない条件は、受け入れるしかない。一旦人の流れに組み込まれたら、その中の一部になるしかないのだ。

そして状況によっては途中で諦めて帰るという選択も、良い判断だと思う。無理そうなら帰ろうと、事前に話し合っておくのだ。

一般参賀には最近は若い人も増えたという。もしかすると、若い人はディズニーランドのような180分待ちなどを経験しているので、案外楽勝かもしれない。ただ、待っている間に楽しめるようなキャラクターの人形はない。もちろん皇居の門や壁の造りは美しく、立派な木々も多いので、写真を撮りたくなる個所は山ほどある。

私も帰りに何気なく撮った皇居の石垣の写真が、思いのほか気に入った。一般参賀感がないじゃないと思うでしょ。しかし左奥の人の流れの多さに、しっかりとその日が写っている感じがするのだ。

・皇居の石垣
http://eimu.com/dgcol/ishiga01

・帰る人々-部分拡大
http://eimu.com/dgcol/ishiga02


【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/


令和でもよろしくお願いします。そして、新一万円冊。諭吉何枚って言い方があるように、これからは栄一何枚となるのかな。既にその事は言いづらさで話題になっていた。笑。


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■Scenes Around Me[50]
1998年-1999年に見た2つの展覧会

関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20190521110200.html

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当初、前回の続きとして、駒場寮の最期についての思い出を書くことも考えていたのですが、いくつかの理由で先送りします。

それは、駒場寮に対する強制執行が実施されたのは2001年で、私が駒場寮に行かなくなってから2年以上後の事であるのが一つの理由です。

また、強制執行の現場は私も目撃しているのですが、その時の状況をどこまで公にしてよいかわからないこともあります。

そして、2001年頃、駒場寮に出入りしていたイラストレーターのオオスキトモコさんが、当時の思い出の連載を始めたことも挙げられます。
https://www.danro.bar/article/12342305


私もそれを読んで何か思い出すことがあるかもしれません。

そこで、私は引き続き、駒場寮を離れて共同生活を始めたオブスキュアの人たちとの思い出を書くことにしますが、その前に、この頃開催され私の写真の撮り方に影響を与えた二つの展覧会について書いておくことにします。

1. ウジェーヌ・アジェ回顧展ー開かれゆく20世紀のパリ
東京都写真美術館
1998年9月3日〜11月4日

以前の連載で書いたように、この頃の私は他の写真家にそれほど関心がありませんでした。

例外的に、ダダイズム、シュールレアリズムとの関連で興味を持ったマン・レイや、NHK教育の番組で知った、ジョエル・ピーター・ウィトキン、ロバート・メープルソープ、サンディ・スコグランド、シンディ・シャーマンなどの写真家については、写真集を購入したり、展覧会に行ったりしました。

アジェのことは、本屋で立ち読みした写真家の辞典にマン・レイが発見した写真家、と書いてあるのを見て、興味を持ちました。

とはいえ、その本に紹介されていたアジェの写真はぼんやりした画像で、アジェがどんな写真を撮っていたのか分かりませんでした。

そうしているうち、東京都写真美術館でアジェの展覧会が行われると知り、見に行くことにしました。

東京都写真美術館はガーデンプレイスができる以前、広大な恵比寿のビール工場跡地の片隅にぽつんと建てられているのを何度か見ていたこともあり、気にはなっていましたが、展覧会を見に行くのはこの時が初めてでした。
https://bn.dgcr.com/archives/20180925110100.html


展覧会を見た印象は、以前の連載に書いた通りなので繰り返しませんが、この頃から他の写真家の写真にも関心を抱くようになりました。

私はカメラのことについて何も知らなかったので、1998年頃からディアゴスティーニが出していた「DO PHOTO」という週刊誌を購読するようになり、そこに紹介されていたアンリ・カルティエ・ブレッソンやヨゼフ・クーデルカの事を知るようになります。

また、都立中央図書館で岩波書店「日本の写真家」のシリーズを読み、森山大道、東松照明さんなどの写真を初めて見ました。

森山大道さんの写真は、オブスキュアのコーキくんが当時、森山さんのことを頻繁に話していたので、気になっていました。

森山さんの写真はともかく、私自分がシュールレアリズムに関心があったこともあり、東松さんの写真には興味を覚えました。



2. アクション 行為がアートになるとき 1949-1979
東京都現代美術館(MOT)
1999年2月11日〜4月11日

東京都写真美術館と違い、それまでにも、MOTにはアンディ・ウォーホル展を含めて何度か足を運んでいました。

この展覧会に興味を抱いたきっかけは思い出せませんが、ハイレッドセンターやフルクサスが取り上げられていたからかもしれません。

ただ、展示物や記録映像の多さもあったのですが、結果的にこの展覧会には会期中に3回通いました。

また、この展覧会を通じて、ヴィト・アコンチ、マリーナ・アブラモヴィッチ、ゴードン・マッタ・クラーク、アル・ハンセンなどのアーティストの名前を知りました。

私が特に影響を受けたのは、図録にも使われている記録写真のカッコよさでした。特に、ウィーンアクシオニズムのルドルフ・シュワルツコグラーの写真には興味を惹かれました。



それに関連するかもしれませんが、今回は2002年7月22日に渋谷EDGEで撮影された写真を紹介します。

プチ耽美は、アラカワアツコさんとホタル(宮エリコ)さんのユニットで、二人がまだ大学生の頃、緊縛師に師事していたそうです。

二人は最初、岡画郎の岡さんたちが、クリスマスイブの夜に歌舞伎町でゲリラ的に行っていたイブトーというイベントに飛び入り参加し、その後、岡画郎の定例会にも顔を出すようになりました。

1998年4月のお見合い展でも展示を行っています。
https://bn.dgcr.com/archives/20170725110100.html


プチ耽美はその後も何度かイベントを企画していますが、2000年頃にPT2001Turboと改名、2002年7月に渋谷EDGEで開催されたグループ展で「矛盾するペルソナの花」という展示を行いました。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/a7/9c24cad11fcfd4bf172a80e9265d8163

プチ耽美の展示は、小部屋の中二階で行われました。ホタルさんのマネキンと大量の縄を使った展示に感動し、何枚も写真を撮っています。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/56/9e3804430ec2bdc66bc84ee4c4e7740f

狭い場所で引きが取れなかったので、21mmの広角レンズで撮りました。ある程度絞って、シャッタースピードが5.6秒だったのを覚えています。

三脚をセットしている時、中二階への階段で立ち話をしている人がいたのですが、振動が伝わってきたので、「お願いだから、シャッターを開けている間動かないで」と念じながら撮った記憶があります。


【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos(2019年3月まで)


1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔


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■crossroads[64]
脱Googleをやめました

若林健一
https://bn.dgcr.com/archives/20190521110100.html

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こんにちは、若林です。

昨年の終わり頃、それまでメインで使っていた検索エンジンを、GoogleからDuckDuckGoというプライバシーを保護する検索エンジンに変更しました。

また、ほぼ同時期に、サブブラウザとして使っていたChromeをすべて「プライバシー保護」をうたっているBraveというブラウザに変更しました(メインのブラウザはFirefoxです)。

プライバシーを保護することで、私たちの生活はどのように変わるのか? それを実際に試してみたかったからです。

ChromeブラウザはGoogleの開発・提供ですので、検索エンジンと合わせて「脱Google生活」だったのですが、この度「Google依存生活」に戻りました。

DuckDuckGo
https://duckduckgo.com/


Brave
https://brave.com/


●DuckDuckGoをやめた理由

実は、DuckDuckGoを使い始めた後も、Googleを完全に使わなかったわけではありません。あくまでも「メイン」の検索エンジンをDuckDuckGoに変えたのであって、サブとしてGoogleは併用してきました。

DuckDuckGoだけでは思った結果に出会えないことがあったので、そういった時にはGoogleが必要だったからですが、その頻度は減るどころか、場合によっては最初からGoogleを使うケースまで発生するようになったのです。

これではDuckDuckGoを使っている意味がないなと思い、Googleに戻したというわけです。DuckDuckGoを使った印象は、良く言えばオーガニックというか素朴な感じ、悪く言えば物足りない感じでした。

検索エンジンの使用感が「オーガニック」というのも、なかなか伝わりにくいと思いますが、食べ物に例えるとちょっと味が薄い、そんな感じでしょうか。いまひとつ物足りない感じがしたのです(ちなみに、食べ物に関しては味の濃くないものが好きです)。

それはプライバシー保護が影響しているのか、そもそもDuckDuckGo自体のデータベース量がそれほど多くないからなのか、そのあたりはわかりません。もし後者なのであれば、時間が解決するかもしれません。

もしかすると、もっとたくさんの人が使うと精度が上がるのかな? とも思ったのですが、そもそも検索結果に対する行動を監視しないのがポイントなので、それはあまり関係ないでしょうね。

プライバシー保護ということ、Google以外の選択肢ということでDuckDuckGoを使っていたわけですが、プライバシー保護に関してはその効果のほどが分からないまま、ブラウザの検索エンジン設定をGoogleに戻しました。

●Braveをやめた理由

サブのブラウザとしてBraveをやめた理由は、一部のサイトやリンクが正しく動作しなかったからです。

Braveのバグなのか、プライバシー保護が働いたからなのか、具体的な原因の追及はできていませんが、おそらくJavaScriptを使っていると思われるリンクで動作しないものがありました。

必要だからリンクを辿っているわけで、それが正しく動作しないと困ります。それによってプライバシーの保護が損なわれるかもしれないけれど、必要なものは必要なのでやむをえず、別のブラウザで開き直していました。

単に開いているページのURLをコピーして、開き直せばいいのなら被害は少ないのですが、ログインしてからでないと目的のページにたどりつけないというのは結構な手間です。

また、まれにリンクが正しく動作していないことに気づかないこともあり、リンクをクリックしてダウンロードしたはずのファイルがない。そんなことがストレスとなって、BraveもまたChromeに置き換わっていきました。

●わかったことわからなかったこと

私の「脱Google生活」(厳密には完全に脱していたわけではありませんが)は半年あまりで終わりましたが、その中でわかったことは、ほとんどのサイトがプライバシー保護機能を働かせることでなんらかの影響を受けている、ということでした。

先に書いたような「動作しない」というレベルではなく、動作する表示はするけれど普段はみないメッセージがでる(とくに広告ブロックによるもの)サイトが多くありました。

プライバシー保護機能により動作に影響が出ている=プライバシー上問題のあるサイトというわけではありませんが、殆どのサイトがCookie(ネット上でのユーザーの行動を監視できる仕組み)を利用していることはわかりました。

一方でわからなかったことは「プライバシー保護の効果」です。プライバシー保護機能を使うことで何かいいことがあったか? というと、コレというものがなかったですね。強いて言えば、DuckDuckGoの検索結果をクリックした時に、リダイレクトが働かないのでリンクが早く(といってもわずか)開くぐらいでしょうか。

だからといって、「プライバシー保護は不要」とは思わないですし、プライバシーに関する議論はますます高まっていくでしょう。引き続きプライバシー保護機能も使いながら、様子をみていくこととします。


【若林健一 / kwaka1208】
https://croads.jp/aboutme/

子供のためのプログラミングコミュニティ「CoderDojo」
https://croads.jp/CoderDojo/



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編集後記(05/21)

●偏屈BOOK案内:「壊されつつあるこの国の未来」辛坊治郎

官僚がおかしい、政治家がおかしい、北朝鮮情勢はどこへ向かう、思いもよらなかった事件が増えている、メディアを巡る闇……という章立てで、危険領域に入った日本の未来に斬り込む辛坊治郎。日本の役所の規制は相変わらず酷い、東京のメディアの「御用体質」も相変わらずだ、と歯に衣着せぬ物言いが素敵。

マスコミが年金について本当のことを報道すると、厚労省に睨まれ仕事がしづらいので、厚労省記者クラブ所属の記者は年金について本当のことを書かない。辛坊は本当のことを書く。政府は厚労省主導でまたもやアホな「高齢社会対策大綱」を決定した。受給開始年齢を選べる公的年金を、さらに遅らせて受給することができるように法整備する方針を示した。この制度は○か×か。

年金制度というのは大きなプールに入っているお金(今後入ってくる予定のものも含めて)を長い時間にわたって高齢者に配る制度だから、今の高齢者が得をするということは、イコール将来の高齢者が損をするということだ。かつては年金開始は60歳だったが、殆ど誰も気がつかないうちに65歳に引き上げられた。民間の保険や年金でこんなことをしたら、間違いなく詐欺で訴えられる。

現在の制度で65歳から満額支給される公的年金は、受給開始を繰り下げると受給額が増える。限界の70歳までのどのタイミングで受給を開始しても、損益分岐点は約12年である。いくら説明されても算数に弱いわたしはよく分らんが。政府は70歳をさらに遅らせることができる制度も提案している。たとえば、75歳まで受給開始を遅らせると、65歳受給開始の人より年金月額で1.84倍になる。

この場合、10年分の年金を取り返すのに必要な年金は約12年、87歳まで生きるとトントン。男性の平均寿命を考えると、72歳を超えて受給開始年齢を遅らせると損する方が多くなる。女性は長生きで、65歳女性の平均寿命は90歳に達しているから75歳まで受給開始を遅らせても、一般論としては総額で得をする。

厚労省が考えているのは「多くのお年寄りが72歳を超えるまで受給を遅らせてくれると、年金支給総額を圧縮することができ、年金財政的に助かる」ということらしい。もっと言うと「1円も年金を受け取らずに高齢者が死んでくれると助かる」ということだ。多くの高齢者は受給開始年齢を遅らせる余裕はない。

一部の富裕層は受給開始を遅らせられるが、一般的に富裕層ほど長生きである。健康管理をしっかりしているからだ。富裕層は超高額の年金を超長期にわたって受け取る権利を得られる。さらに、公的健康保険が使えるようになった新種の抗がん剤は、近い将来がんが克服される時代を予感させる。そうなると平均寿命はさらに延びる。年金額は死ぬまで保証されるから、長生きするほどお得。

ということは、年金制度という大きなプールに入っているお金が減り、制度の将来像も危うくなる。「厚生労働省は本当にアホです。若い皆さん、こんな連中に制度を預けておくと、ホントに皆さんの老後は暗いですよ」と辛坊。わたしはとっくに年金生活者で肩身が狭い。若い人に申し訳ない。つづく。(柴田)

「壊されつつあるこの国の未来」辛坊治郎 KADOKAWA 2018
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/404604098X/dgcrcom-22/



●私の知人はIngress内の地図を見ながら、こっちの方が近道だと言い、皇居の中に入ろうとしました。ええ、大阪人なので、大阪城と同じ感覚だったに違いありません。ここがかの有名な皇居だと教えてあげました。/関根さんの写真にワクワク。/DuckDuckGoは調べ物には向いてないとギブアップしたことが。

/ドラマ「きのう何食べた?」の続き。その独り言を聞きながら、自分の頭の中でバーチャル料理をしてしまう。説明が細かいので、できあがっていく料理の味がわかり、すっごく食べたくなる。

使われている食材には、特別なものはない(覚えている限りは)。近所のスーパーで手に入れられる。余り物の再利用のあるところもいい。余らせがちな、ピザ用チーズを冷凍室から取り出したのを見て真似してるよ。冷凍できるのを知らなかった〜。続く。(hammer.mule)