[4793] 映画もmangaも感情商売だ◇はぐれのどうしても断り切れない事情

投稿:  著者:  読了時間:21分(本文:約10,200文字)



《自己満足できないボク》

■ローマでMANGA[142]
 映画もmangaも感情商売だ
 Midori

■はぐれDEATH[77]
 はぐれのどうしても断り切れない事情
 藤原ヨウコウ




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■ローマでMANGA[142]
映画もmangaも感情商売だ

Midori
http://bn.dgcr.com/archives/20190524110200.html
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ローマ在、マンガ学校で講師をしているMidoriです。私の周辺のマンガ事情を通して、特にmangaとの融合、イタリア人のmangaとの関わりなどを柱におしゃべりして行きます。

今日は、ちょっと話題が飛びます。

●コーヒーとmanga

たった今、コーヒーを淹れた。モカと呼ばれる、イタリアの家庭には必ずある6角形のコーヒーメーカーで淹れた。
https://www.bialetti.it/it_it/caffettiere/moka.html?p=1

上下に別れた下の部分に水を入れる。中間にじょうご型のフィルターを入れて、そこに粉状のコーヒーをいれる。ギュっと閉めて火にかける。水が沸騰するとその勢いでフィルターを通り、コーヒーの間を通ってくるので上の部分にコーヒーとなって上がってくる。

日に何度も作るのに、今作ったのは、水がちゃんと上がらなくてやたら濃くて美味しくなかった。すごく単純な方式で作るのでまったく難しくないのだけど、さまざまな要素が微妙に噛み合って、同じコーヒーメーカーで同じコーヒーの粉を使っても出来上がりの味が微妙に違う。

水と粉の分量と割合、コーヒーメーカーに対しての水と粉の割合。フィルターが粉で詰まってきても味が変わる。今回の出来の悪さは、もう一つの部品、ゴムのパッキンが古くなってきっちりと閉まらなくなり、水が上がってくるときに隙間から水が溢れつつ空気が変に入って、煮詰めたコーヒーの味になってしまったことにある。単純な器械なだけに微妙な要素が大きく作用してしまうのだね。

と、まったくmangaに関係のない話で始めてしまった。

しかしながら、ある真実は他の分野にも応用できるのだ。正確な内容は忘れたけど、科学である分野の真実は他の分野でも真実である、みたいな文章を読んだことがある。初めて飛行機でヒマラヤの上を飛んだとき、確かにそうだと思ったことがある。

紙をくしゃくしゃとして、何かの粉を上から撒いたような光景がそこにあったのだ。つまり、地球規模と机の上の規模という違いはあっても、物理的に起こることは同じ。圧力が加わって紙も地表もくしゃくしゃになって隆起し、くぼみに粉や植物が残る。

コーヒーメーカーで作るコーヒーの出来具合とmanga/マンガにも、「さまざまな要素が微妙に噛み合って」結果が変わってくるというところが共通している。

●コマの中のキャラの位置

我が、ユーロマンガコースでは、無事に3月のサイレント・マンガ・オーディションへの提出が終わって、卒業制作に入っている。

7月初めの卒業試験(課題の講評)に向けて、おおかたの生徒がネームに入っている。

「微妙な要素」のひとつに、manga/マンガでは構図がある。大胆な変わった構図の意味ではなくて、コマの中の微妙なキャラの位置。

クラス14人中の精鋭4人以外は、コマの中に人物をほぼ中央に体の中心線を真っ直ぐに立てて配置する。顔のアップだったり、全身だったり、横顔だったりの違いはあっても、全部真っ直ぐ、真ん中なのでパッと見て1ページ全体の印象が薄い。水が多すぎるコーヒーみたい。もちろん薄い印象のページがあってもいいのだけど、リズムがない。

精鋭4人とそれ以外の生徒の違いって、結局、経験値なのかと思う。年齢は皆さほど変わらない。でも、精鋭4人は描いた原稿の数が違う。課題以外にもどんどん描く。描くから自分に欠けているところ、難しいところがわかる。既成のmangaを読んで、読み方が演出家の読み方になって、取り入れるべき部分を吸収していく。

●私の果たすべき仕事

ユーロマンガコースはmangaでもあり、作画家ではなく自分が言いたいことを表現する作家を目指す。つまり、物語を作ることも授業の一環なのだ。

私は読み手としては長年の経験があるけれど、自分で物語を作ったことはあまりない。教えるために作り手側のノウハウを手に入れようと、脚本の本を読んだりする。

生徒に勧めているのはブレイク・スナイダーのSave theCat
https://maamaa-create.com/save-the-cat/

著者はハリウッドの脚本家で、映画とmangaは共通点があって、mangaの物語作りにもすごく役に立つ。読んで目からウロコがいっぱい落ちた。

最近見つけてKindleで購入して読書中なのが、カール・イグレシアスの「感情から書く脚本術」だ。
https://akkungo.com/emotionalimpact1/

最初の方でこの本の核となる文にぶつかって線を引いた。「映画は感情商売だ。そして脚本家の仕事は読者の感情を掻き立てることなのだ」

残念なことに、イタリア語訳は出ていない。でも、きっと読めるからと英語版を買うように勧めた。

私の果たすべき仕事は、「読者の感情を掻き立てる」方法を生徒にわかってもらうために、どのような課題を考案するか、なのだ。そして、それを表現するための演出(さまざまに噛み合う微妙な要素)。

●日本のmanga賞入賞者のその後

「サイレント・マンガ・オーディション」で、ごく近い知り合いのイタリア人が2人、最優秀賞を勝ち取っている。
http://www.manga-audition.com/japan/

授賞式とマスタークラスに招待されて日本へ行ったほかに、ショートを描いて同サイトのページに掲載されたりしている。
http://smacmag.net/v/mc1shot2j/pizza-king-by-salvatore-nives-j/

うち、ひとりは自ら売り込んで、昨年のイタリアの最大コミックスフェアである「ルッカコミックス」でコンファレンスを行った。「イタリア人女性初の日本での受賞者」ということで、いくつかのマンガ情報誌にインタビューが載ったりしたけど、イタリアで本を出したわけではないので知名度は今ひとつで、あまりお客さんがいなかったらしい。でも、実績を作っていくのが大事。

そのせいか、この4月末にナポリのコミックスフェアにはゲストとして、上記URLの作家と一緒に招待されて講演をした。

2人ともナポリの人だから、凱旋を飾った、という意味合いもあって大いに盛り上がったらしい。私は副業のガイド業があって行けなかったのが残念。

日本主催のコンクールで受賞して本国で活躍できるようになると、manga言語が広まっていくことになって、嬉しい展開。イタリアのマンガ界が広がっていくきっかけになるといいね。イタリア人作家がイタリアで仕事ができるようになるといいね。

【Midori/マンガ家/MANGA構築法講師/】

20年来とっておいた書類や本を捨てた。私のスタジオとして構築した小さな部屋は倉庫と化していた。

マンガ家、ガイド、講師という業務で必要だった書類、地図、本、をとっておいたのをいきなり「必要ないじゃん」と思えたのだ。今まで、捨てることに不安を覚えて捨てられなかった。

地図やある地域の情報は、いまやネットで手に入る。思い出としても、私にしか意味がなく、残りの人生がそう長くあるわけではないし、今までも見返して思い出に浸ったわけでもない。

まだまだ捨てるものがたくさんあるけど、とりあえず、年金生活者となった旦那が事務所の自分の部屋から持ってきた、わずかな書類を置く場所ができた。もっともっとミニマムにしていく。

[注・親ばかリンク] 息子のバンドPSYCOLYT


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主に料理の写真を載せたブログを書いてます
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■はぐれDEATH[77]
はぐれのどうしても断り切れない事情

藤原ヨウコウ
http://bn.dgcr.com/archives/20190524110100.html
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はぐれだから断れんのですよ。だってボクに何か頼み事をするっていうのは、「もう切羽詰まってどないもならん」というシチュエーションしか思いつかないではないですか。

この一連の作文を強引にねじ込んだ編集長は、「切羽詰まって」というよりは、ただ単に面白がってるだけかもしれませんが。これだって最初はかなり抵抗したんですよ。でも気がついたら不定期連載扱いになってるし。というか、そう宣言しちゃったから編集長が。逃げられへんやん…(- -;)

まぁ、色々お世話にもなっているので、しゃあなしと言えばしゃあなしなんですが。

はぐれというのは基本、社会一般的な常識・概念・価値観・倫理観から遠く離れた思考と行動をする。少なくともボクはそう。まぁ表に出さないようには気をつけてますが、それでもやっぱり出るもんは出る。

いわゆる「危ない人」にカテゴライズされても、ボクはなんとも思わないのですが、知ってて頼んでくるというのは、やはりどう考えても尋常じゃないシチュエーションなワケですよ。

ちなみにお仕事も、たいてい尋常じゃないスケジュールとか、どうやっても絵になりそうにないと、編集さんが弱り切った案件がボクのところにはよく来るのですが、これはもうそういう特殊なエカキと割り切っているし、大抵のことならどうにでもなるから、別にボクが困ることはないのですよ。強いて言うなら、「普通にお仕事させて」くらいでしょうかね。

尋常じゃなくなるシチュエーションに至るには、さまざまなプロセスが当然あるわけで、それが頼む人自身のせいなら断ります。ただ、こういう手合いは、ボクのようは「危ない人」ではなく「弱い人」につけいるから質が悪い。

こんな連中の頼み事なんぞ、まともに聞いてたらそれこそ骨までしゃぶられそうなので断固拒否するのですが、色んなアクシデントだのハプニングで、どないもならんというシチュエーションもあるわけで、こういう場合は普通「頼りになる人」に頼むはず。なのにボクの所に鉢がまわることもあるわけで、こうなるともう断れなくなる。

断っておきますが、優しいわけではないのです。単なる自己満足と断言してもいい。

にっちもさっちも行かない状況にもかかわらず、「危ない人」であるボクに頼るというのは、彼(彼女)が切羽詰まっているだけでなく、頼れる人がボクしか思いつかないという、もう最低の状態になっているとしか思えんのです。最底辺を通り越して、鬼や悪魔に頼み事をするようなもんで(!)こうなると引き受けなしゃぁない。

で、大抵金にならん。いや100%金にならんな。その他、得になることも何もない。損な役回りだということは百も承知しているのですが、どうしても断り切れない。さすがに本物の鬼や悪魔のように非情な行動は出来ないので(近いことはしょっちゅうやってるけど)折れる。

それでも、若い頃なら蹴っていたようなことも、最近は何となく引き受けたりしている。歳のせいもあるとは思うのだが、やはりプロセスを想像できるようになったというのは大きいと思う。

若い頃は訳も聞かずに、「こっちに持ってくんな!」とばっさり切り捨てていたような案件も、なんとなく引き受けてる。全部が全部じゃないですがね。そこまで人は良くないし、できればややこしいことはしたくない。それでなくても人嫌いなのに。

そもそもボクが「人嫌い」というところで、間口は極端に狭くなるはずだし、会話を聞いているふりをして、すべて右から左なんてのはザラなので(そもそも会話の内容があまりにつまらなすぎる)口に出すのは「ああ」とか「ほぉ」と、適当極まりない相槌を打っているだけである。これでほぼ9割9分9厘は排除できる。

ボクが聞いていないことに気がつくタイプは、絶対にボクに頼み事をしない。当たり前だ。信用できないことこの上ないではないか。聞いていないことに気がついていないタイプは、ボクが「こいつアホや」と判断してしまうのでさっさとボクから遠ざかる。

日常会話の段階でボクと話があう人なんてのは、もう本当に稀で(まぁ日常会話じゃない、特殊な会話という意見も大いにあるのだが)、一般的な日常会話の内容は、ボクにとってはほとんどがつまらなかったりする。というか、内容がないからね。話したり聞いたりするだけエネルギーの無駄遣い、と思ってしまうのだ。

が、一般的にはこのような内容皆無の会話でコミュニケーションをとる、という方法論がまかり通っているし、それで彼らが円満に人間関係を築けるのなら、ボクがとやかく言う問題ではない。問題はむしろボクにあるのだから。

それでも昔に比べれば付き合えるようになった方ですよ。

昔から比較的まともに話をしたり聞いたりできるのは老人か女性、小さい子だけで、それ以外となるともうほとんどダメ。特に男はあかん。今でも年齢関係なく、男の人でそれなりに話ができるのはめちゃめちゃ少ない。しかも大抵なにか特殊(!)な人だったりするので、一般的な尺度からは明らかに外れてる。そのへん、女の人は気楽なんですがね。特殊性も考慮にないし。

では断れない話をボクのところに持ち込んでくるのは女性かというと、これはもうほとんどない。ナゼなら、彼女たちはボクのダメさ加減をよく分かっているので(ちなみに分かっていない人も稀にいるが、こういう人とは女性でも話さない)相談事を持ちかけること自体あり得ない。

もしかしたら何らかのサインを送っているのかもしれないが、この辺ボクはとことん鈍感なので、気づかずスルーしているケースがあるかもしれない。これはあくまでも推測です。だって、ボクが気がついてないんだもん。分かるわけないやん。

そもそもボクが「頼る」ことはあっても、「頼られる」ということとは縁遠いのだ。生まれや育ち、もちろん性格もあるだろうが、そうなってしまっているのだからどうしようもない。

おねえちゃんやももちにすら、ボクは頼られる存在として認識されていないはずだ。そっち方面は全部奧さんに投げ出して(!)、彼女たちとはひたすら遊ぶばかりなので、どう考えても頼られる存在にはなっていない。彼女たちにとっての「頼れる」に近いボクの存在意義は、「甘えられる」だろうな。とにかく甘いからなぁ…

ボクを頼るというのはここまで狭き門なのですよ、本来は。

それでもボクには絵を描くことと、偏っているにも程がある知識ぐらいしか取り柄といえるものはないので、当然のことながら「もっとちゃんとした人に相談した方がいい」としか言えないのだ。しつこいようですが、ここの作文は本当に特例中の特例です。本来ならあり得ない。

それでもどうしようもないことがあったりするから、結局一肌脱がざるを得なくなる。ここまで自分でハードル高くしておいて引き受けるのだから、ボク的にはもう一仕事どころの話ではなくなるのですが、もう仕方がない。

厄介なのはボク自身に限度というヤツがないところで、とことん付き合うのでエネルギーの消耗っぷりだって半端じゃないのだ。てきとーな所で突き放すなり、自助努力に賭けるなりできればいいのですが、一度ちゃんと付き合い出すと、今度はボクが心配の塊になってしまうので、なかなか「これで行ってこ〜い」とは言えなくなってしまうからだ。それでも、最終的にはその人次第でしかないので線は切りますが、この線切りがなかなかできなくて。

上述したように色んな事情があるにしろ、ボクが引き受けるのはあくまでも自己満足に過ぎない。「頼られる」という事態そのものが、本来あり得ないのだから。マジメに付き合いますが、それでも突き詰めれば自己満足でしかない。

本来あり得ないことが目の前で起こったら、普通の反応はできないじゃないですか。まずめちゃめちゃ驚く。で、困惑する。困惑程度じゃすまんかボクの場合。完全にパニクってるな。

で、少し落ち着いて「ボクでエエんか?」と疑問を抱く。さらに「ボクで大丈夫なんか?」と不安になる。ここまで自己猜疑心が強い人も珍しいのかもしれないが、それでも腑に落ちた時は自己満足のためにしかならない。

「頼られた」と「なんとか解決に導く」という二つの項目をクリアしようとする動機はボクの場合、自己満足以外のなにものでもない。おまけに滅多にないことなのだ。なかなか断れないのですよ、ここまで来ると。

そもそも自己満足というのは、自分の中だけで完結できるケースの方が多いのではないだろうか? 敢えて疑問を呈したのは、ボクが自分の中だけで完結できるほど、自信家でもなんでもないからだ。目に見える形で結果が出ないと満足できない。絵ですらやれることはやっているが、完璧にできたと、描き終わった時に思うことはほとんどない。

本業の場合、編集さんが「バッチリです」と言ってくれるまでは、不安で仕方がない。ここまで他力本願なのも正直どうかと思うが、自分が一番信用できないのだ。

不安を不安のまま放置しておくほどの度胸もないから、また色々描く。描いても描いても不安は減らないし、自信にすらならない。気休めみたいなもんなのだ。当然「これでいい」と落ち着くことはまったくない。むしろ「どこかに見落としがあるのではないか?」と自分で不安を煽るようなことまでしでかす。本業ですらこれである。自己満足とは縁遠いどころか接点すらない。

できることはやっているので、それなりの「達成感」は確かにあるが、それと「自己満足」はボクの場合、まったく次元が異なる価値観で、上述したようにすぐにまた不安が頭をもたげるのだ。

そういう意味では、頼み事をどうにかこうにか落とすところに落とせた、というのは分かりやすいし、ひどい話しょせんは他人事なので(!)ボクは一人で勝手に自己満足に浸っていればよろしい。まぁ、さすがに無責任なことはしませんが。

もう少し素直な生き方ができなかったもんかなぁ、などということは微塵も思っていないので質の悪さは更に倍である。はぐれなんてこんなもんだ、呵々♪

ちなみに、ここの作文は自己満足などというものとは無縁である。とにかくやけくそなので、書けること書いて(しかも無茶苦茶な内容と文章)さっさと編集長に送って、さくっと何もなかったことにしている。

もちろん、これを読んでいる奇特な皆様を満足させようという殊勝な心構えすらない。作文じゃどうやっても無理だし。だから後は、ぜぇ〜んぶ編集長任せなのだ。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com


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編集後記(05/24)

●偏屈映画案内:「俺たちに明日はない」

「アメリカ映画界を変える映画。すぐれた才能を持つ者たちの熱意によって完成した真実の作品。35年前を舞台にしてはいるが、それ自体に大きな意味はなく、どの時代、どの世界にでも起こりえる事件。しかしこの映画が、今この時代に、我々のために作られた奇跡を喜ぼうではないか。Roger ebert. CHICAGO SUN-TIMES(Septenber 25,1967)とDVDパッケージにある。奇跡的傑作らしい。

「流れ者のクライド・バロウ(ウォーレン・ベイティ)とボニー・パーカー(フェイ・ダナウェイ)は、衝動のままに犯罪に身を投じていく。彼らにあったのは危機への熱望と、お互いへの渇望だけ。この衝撃的としか言いようのないバイオレンスの暴走は、映画史を永遠に変えてしまった。我々はこの作品を通して、ボニーやクライドラたちも我々と同じように傷つき、命を落とすのだという事実に恐怖し、これまでの映画が描かなかった真実を目の当たりにした」

なにいってんだか、手放し大絶賛解説だが、1967年当時はこの映画が本当に衝撃的だったのだろう。アメリカン・ニューシネマの先駆的作品として有名過ぎるが、いま見ると無計画な強盗団の始まりから終わりまでを描いているだけの、なんのひねりもない映画に思えるのだが。わたしのような、映画の途中で迷子になる映画鑑賞下手にとってはありがたいが、しかし正直、物足らない。

原題は主人公名の「Bonnie and Clyde」だから、「俺たちに明日はない」は日本公開時に誰かさんがつけた。これはいい出来だ。2年後の「明日に向かって撃て」もいい出来で、主人公名の「Butch Cassidy and the Sundance Kid」が原題だ。30数年後、両方とも自作8ミリ映画のタイトルに借用した記憶がある。

クライドは刑務所で自分の右足の指を2本、斧で切った。作業をサボるためだ。そんな愚かなエピソードからも、男っぷりはいいがあまり頭がよくないのが分かる。実際、無計画な行き当たりばったりの強盗を続ける。平凡な生活に飽きたボニーは、そんな男に惹かれる。「町の男は今の君でいいだろうが、俺はそうは思わない。君はただの女じゃない。僕と一緒だ。何かを求め続ける女だ」

バカな口説きに乗る方もバカだ。二人は車を盗み、町から町へと銀行強盗を繰り返すようになる。少年院出の頭の鈍そうなC・W・モスが、自動車の整備係として仲間入りする。クライドはまだ顔を知られていないボニーに、一緒だと危ない、今なら逃げられるから、バスでママのところへ帰れ、君のために別れよう、と持ちかけるが拒否される。お気楽な兄夫婦も強盗団に参加し5人組となる。

神出鬼没の強盗クライド・バロウと金髪の同伴者ボニー・パーカーが今も逃走を続けている、と新聞にでかでかと出ている。市街戦で警官3人を殺している。パトカーに追われても、州境を越えると逃げ切れる。やがて、兄夫婦は逮捕され、3人は「なんで俺はいつも身元不明の共犯者なんだ」とぼやいていたC・Wの実家に逃げ込む。父親は歓迎するが、やがてC・Wに姿をくらませと指示する。

ラストシーンが「死のバレエ」と呼ばれているのを知って、なるほど、うまいことを言うと感心した。待ち伏せする警官たちの、繁みの中からの銃撃は容赦なしの87発、銃弾に翻弄される二人の姿。しょぼい強盗から始まり、短絡的な殺人を犯し、警察を翻弄してみせたクライド、どこにも魅力がない。「死のバレエ」がなかったら、調子に乗った若い殺人犯の話という凡作だ。(柴田)

「俺たちに明日はない」Bonnie and Clyde 1967 アメリカ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B07B2V33B9/dgcrcom-22/


●あれはモカって言うんですね。サイフォン式なのか〜。使ってみたい。ずーっと以前、船場センタービル地下の喫茶店で出される、サイフォン式のコーヒーがとても好きだった。目の前でいれてくれ、ナッツ類がついてくる(その当時から)昔ながらの喫茶店。検索すると1973年からの営業で健在とのこと。久しぶりに飲みに行きたい!

/QRコード決済の続き。きっかけは、昨年末のPayPayキャンペーン。それまでも現金以外の決済方法は利用していた。何でも試してみたいのよ。「便利になる」は魔法の言葉♪ 入会・登録方法やそれに伴うサービスなども、とても勉強になる。

非接触型のiD、交通系ICカード、クレジットカード、Apple Payなど。LINE Payはプラスチックカードでの利用のみ。

中国ではQRコードが〜なんてニュースを見ても興味はなかったし、日本では流行らないと思った。かざすだけで決済できるサービスがあるのに、わざわざQRコードなんて使わないだろうと。

けれど、以前にも書いたが、PayPayのキャンペーンは凄かった。CMをほとんど見ない私でさえも目にする出稿量、100億という数字の力、その上20%還元というメリット。MacBook Proを買うのに、20%還元チャンスなんて滅多にないからと飛び乗った。Mac製品は除外となっていたら、先送りしていたかも。続く。(hammer.mule)

船場センタービル創業3年後からの開店 レトロ喫茶ホーマー(食べログ)
https://tabelog.com/osaka/A2701/A270106/27038790/dtlrvwlst/B353957746/

堺筋本町の純喫茶『HOMER(ホーマー)』でモーニングを
https://comfy-dining.com/homer
私がよく行っていたのも4号館