[4795] 外側について◇Adobe XD ユーザーフェス(東京)に参加して

投稿:  著者:  読了時間:25分(本文:約12,200文字)



《久しぶりの都の空気を堪能》

■羽化の作法[85]
 現在編 外側について
 武 盾一郎

■LIFE is 日々一歩(98)[ウェブ]
 『Adobe XD ユーザーフェス(東京)』に参加してきました
 森 和恵




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■羽化の作法[85]
現在編 外側について

武 盾一郎
http://bn.dgcr.com/archives/20190528110200.html
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●私が見ている世界

例えば、「最近のツイッターは人の悪口ばかりになった」と、思う人がいたとします。ところがそれは「その人のタイムラインに於いて」という前提がありますよね。

ある人のタイムラインは年中エロいツイートに溢れてるかも知れないし、とある人は阪神タイガースのことが常にタイムラインを満たしてたりするかもしれません。

「自分のタイムライン」は「私の偏見の世界」と言えるでしょう。それらを収集して「近頃のツイッター」をジャッジしてたら、当然「偏見の壁」を乗り越えられません。

この「偏見に満ちた世界はSNSの特徴だ」と思うかも知れませんが、実は私たちが通常生きている「現実の世界」も、このツイッターのタイムラインと同様に「自分が作った世界の中を見ている構造」です。

私は「世界という外部」を見ていると素朴にはそう思います。ところが、実際には脳内に生成されたイメージを「世界」だと認識しています。つまり、世界は「私の中」で作り出されているわけです。

とは言うものの、「外部」が存在することもきっと確かでしょう。ひょっとしたら、映画『マトリックス』のように、私は夢を見せられていて、その外側でオゾマシイ世界が広がっているのかも知れません。

そんなディストピアな設定になぜかリアリティを感じてしまうのは、当たり前のように知っているこの世界の姿は「別に真実でもなんでもない」ことを本能的に知ってるからだろうと思います。

例えば、鳥や虫たちには紫外線が見えるそうです。それは私たちが見ている世界とは当然違ってるはずです。こちらに紫外線で撮影した花があります。花粉が光って見えますね。虫さんたちには、このように花粉がキラキラと輝いて見えてるのかも知れません。

『紫外線に浮かぶ花々、見たことのない妖艶な姿 写真17点』
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/18/022800068/

生物たちはそれぞれの「環世界」に生きています。

「環世界」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E4%B8%96%E7%95%8C

ダークマターとダークエネルギーといった謎が96%を占めるこの宇宙。たった4%しかない目に見える物質。広大な地上と宇宙の星々、こんなに世界は広いのに、それでもたった4%を見てるに過ぎないのです。

そして、地球上にはおよそ870万種の生物種がいるらしく、なんとその90%はまだ未発見らしいのです。で、私たち人類はそのひとつでしかないんですよね。

「地球上の生物種、ざっと870万種前後=90%は未発見」
https://jp.reuters.com/article/idJPjiji2011082500367

私たちは雑食で二足歩行する哺乳動物、ホモ・サピエンスにカスタマイズされた世界を見ています。さらに文化背景や各個人の価値観といった、フレームというか偏見で絞り込んでますので、更に狭い世界を認識していることになるでしょう。

この「偏見に満ちた小さな世界に暮らす仕様」になってるのは、身を守る為だとは思います。しかし、ずっと同じ世界に留まっていても息苦しくなったり、つまらなくなったりしてしまうものですよね。なので世界の外側からやってくる「何か」のために、扉を開けることも必要だったりします。

●世界の外側

ところで、ここで「外側はあるのか?」というメンドくさい問いがあります。「認識」とは内側でされるものなのだから、外側は存在しないのではないだろうか? これについてはとても長いウンチクが語れそうですが、とりあえずそこはちょっとスルーしておきます。

では「外側」とはなんでしょうか? ひとつは人間以外の「環世界」でしょうか。紫外線が見える虫の視覚世界がどうなるのかは分かりませんが、上記のようにテクノロジーで翻訳して、擬似的に見ることはできそうです。

また「自然」も外側の世界と呼べるところあると思います。人間社会は自然を世界の外側に追いやってきたといえるでしょう。しかし、いつでも自然は私たちの都合とは別のルールでやってきます。

そして、いつでも自然界の方が普遍的だと教えてくれます。時おり他ならぬ私自身も、自然の一部であることに気が付いてビックリしたりもします。

それから「他者」も外側だったりします。自分と違った価値観を持つ他者は、猫よりも遠いと感じたりすることさえあります。同じ日本語を話してても、言葉が通じないほどに噛み合わなかったりする経験を、誰もが一度はしたことでしょう。

自分の部屋から出たら、それはもう外側だと感じる人もいるでしょう。また、「異界」、「霊界」や「死後の世界」も「現世」「浮世」と対比されて外側にイメージされています。「外側」とは生きる活力源でありながら、襲いかかる恐怖でもあったりします。

そして、「内側」と「外側」の対峙を俯瞰するメタ的な視点が、外側の概念を作り出してるとも言えそうです。「私」と「対象」だけで、メタ的な視点がなかったら、外側を認識できませんからね。しかし、幼い頃のあの瑞々しい世界はきっとそれだったと思います。

メタ的視点とは、世界から自分が切り離されることを意味します。それは自我、そして孤独の始まり、なのかも知れません。メタ的視点を獲得できないと、これはこれで生きづらくなってしまいます。

幼稚さとはほとんどにおいて、メタ的視点の欠如から生じます。しかし臨場感や当事者性やリアリティといった生々しい体験は、自分を俯瞰していては得られません。

私はメタ的視点を得ることは、「薄汚い大人」になることだと思って抵抗していました。しかし、そんなことはなかったんですよね。

“もしも間違いに気がつくことができなかったのなら〜”の歌詞が聴こえて来ます。

小沢健二 - 流動体について


「世界の外側」として私が関心を持つものが2点あります。

1・目に見えているこの景色(世界)は、本当はこうではないかも知れない。だとしたら別の(真の)姿はどうなっているのか?

2・異界や異次元、霊界・死後の世界という外側があるのか? あるとしたら、情報のやり取りは可能なのか?

1の「世界の別の姿」を描いてる画家として、パッと思い付いたのが井上直久さんです。

『イバラードの旅』


『イバラード』とは作者の住む大阪府茨木市から来ています。岩手を『イーハトーブ』と言い換えた、宮澤賢治に倣っているようです。

見慣れた景色も見方を少し変えると違って見えてくる。そこからどんどん空想の世界に入っていけるのです。『イバラード』はジブリアニメ『耳をすませば』や『千と千尋の神隠し』などにも登場しているようなので、チェックしてみると楽しいですよ。

例えば、トーベ・ヤンソンの『ムーミン』は、舞台設定に現実世界が出てきません。ハナから異世界です。これを完全なファンタジーとすると、半分ファンタジーなのが『イバラード』です。これを『ムーミン』はVR(仮想現実)的で、『イバラード』はAR(拡張現実)的だ、と言うことができるかと思います。

テクノロジーはVRとARを組み合わせたMR(複合現実)を作り、そして時間軸を加えたSR(代替現実)に発展し、VR・AR・MR・SRの全てを使ったXRになるようです。

5分でわかる!VR・AR・MRの違い!そしてSR・XRとは?
https://vrinside.jp/news/vr-ar-mr/

この「XR」に展開可能なアーキテクチャを持った作品が、これから増えてくるでしょう。そして、これらのテクノロジーが進歩して行くと、ファンタジーや霊的世界が蘇ると思うんです。

●死後の世界

2の「霊界・死後の世界は存在するのだろうか?」という疑問に対する答えが出る前に、XRデバイスによって霊界を創作するような気がします。霊界や死後に対するイメージが、それらのコンテンツに引っ張られるようにして変化して行くのではないでしょうか。

例えば、生前のツイートが沢山あれば、その人らしさを抽出して本人の死後もツイートやリプライを続けて、それらのツイートも再入力してその人らしさが更新されて行く、なんてことは今の段階でもできそうですよね。

それは縄文時代の死生観、〈集落の中央にある広場にお墓を作ったり、家の中に埋葬したりすることが多
くありました。〉とちょっと似ていたりしませんか?

「縄文人の死生観 ~死は消滅ではありません。自然に還って存在し続けるのです」
https://mainichigahakken.net/hobby/article/61.php

テクノロジーによって、死者とともに生きる社会は起こり得るかも知れません。ただしこれは「死後の世界は本当にあるか?」の答えにはなってませんが。

「死後の世界は本当にあるかどうか」の検証よりも、あると信じると心が安定しそうだ、ということがありそうです。ここで「死後の世界」についてちょっと違う角度から考えてみます。

「死後の世界」とは、「死」を外側に設定して初めて成立します。何の外側かと言うと当然「生」です。現代の私たちにとって、生と死の間にはとてつもなく厚い壁が立ちはだかってるかのように思えます。まさに生と死は次元が違う。それが当たり前だとすら感じてます。

上記の縄文人の死生観の記事を読むと、それとは大分違うような印象を受けます。むしろ「死」はこちら側にあって循環の一形態に過ぎない、という感じですよね。

丸いごろっとしたジャガイモがあるとしたら、すりおろしたジャガイモになってる、みたいな? そうしたら薄く伸ばして焼いて食べられるよね! みたいな? そのくらいの違いしかないようなニュアンスすら感じます。(この例えが的確かどうかは分かりませんが)

もし縄文人が「死」を「こちら側」だと捉えていたら、「死後の世界」という「外側」は存在しないことになります。

ひょっとしたら、「死後の世界」という設定自体が「最近特有のもの」なのかも知れません。幽霊に足がなくなって、明らかに異界から来たような姿になるのが江戸時代。天才絵師・円山応挙(1733-1795年)が売れっ子で忙し過ぎて、幽霊の足を省いて描いてから、などといわれています。

このエピソードが本当かは分かりませんが、足のない幽霊がポピュラーになるのはこのあたりからというのは事実のようです。時代による死生観の変化により、たまたま現在は「死後の世界」をイメージできるだけなのかも知れません。

それにしても「死後の世界は存在する」と考えると、少し気が楽になる感じがありませんか? 「死んだら何もない」とすると、死者とコミュニケーションなんて当然のごとく取れるはずがない。すると、社会として死者とコミュニケーションする共有儀式がなくなってしまう。

「盆踊り」は死者とのコミュニケーション・アプリですよね。年に一度だけ起動させて、みんなで踊る特別なアプリ。だけど本当に「死後の世界はない」と結論付けられてしまうと、お盆の意味は消えてしまいます。現にほとんど意味としては消失しています。だから、現代はどこか少し寂しいのではないでしょうか?

だったら「死はこちら側に存在する循環の一形態に過ぎない」という考えの方が、もっと楽観的に生きれるような気がしませんか?

その為には社会システムがその考えになるように、変化してないとならないのですが。

例えば、人が死んだら死体は肥料になるとか、建築資材になるとか、サプリメントになるとかして、循環する社会インフラが整うとか(その前に糞尿の再利用システムが先だと思いますが)、死んだら誰だって社会のインフラになって役に立つと思うと、自己肯定感が今よりも楽に持てるようになったりしませんかね?

そして、先ほどのツイッターの例のように、死者とのコミュニケーションがツイッター並みに身近になるとか。そしたら「死後の世界」は消えてしまうかも知れませんね。私たちの暮らしや生き方によって「世界の外側」も変わっていくということなんですね。

ただ、この「死後の世界」が消える、というのは生者から見た「死後の世界」であって「私が死んだら死後の世界に行くのか?」、つまり自分を認識する意識のようなものが私の死後も続いていくのかどうか? については言及できていません。

●死んでも私は続くのか? そして生まれ変わるのか?

おおよそ予想されるのは、寝ていいて意識がない時と同じように、または全身麻酔で意識がない時のように、何も感じないのでしょうね。

子供の頃に、この「死んで何も感じない」ことを想像するととても怖くなったのを覚えてますが、今では死に至るまでの痛みや苦しみがなければ、意識が消えて戻らないことは別に怖くはないのかなって思います。

ところがです。なぜか死んでも意識が続いて欲しいという願望があります。これは単なる願望なのでしょうか? それとも信仰の一種なのでしょうか? または事実なのでしょうか?

こればっかりは死んでみないと分かりません。。。

最後に論文のリンクを貼っておきます。

「過去生を持つ子供について」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmbs/20/1/20_KJ00007297291/_pdf/-char/ja


【武盾一郎(たけじゅんいちろう)/異界の人】

◎初恋118人展
令和元年5月31日迄(木金土日祝)
参宮橋 Picaresque
https://picaresquejpn.com/staff-letter/hatsukoi-118ninten-picaresque-artist-introduction-part23/
出展しております! ぜひお立ち寄りください!

アーティストとアートファンを繋ぐプラットフォーム「メセロ(mecelo)」に、私のページができました! 応援よろしくお願いします! インタビューもあります。
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インタビュー前半
https://mecelo.com/artists/take_junichiro/interviews/57
インタビュー後半
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装丁画を担当しています! 『星野智幸コレクション・全四巻』(人文書院)
星野智幸コレクションI スクエア
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b226418.html
星野智幸コレクションII サークル
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b226413.html
星野智幸コレクションIII リンク
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b226414.html
星野智幸コレクションIV フロウ
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b278897.html


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■LIFE is 日々一歩(98)[ウェブ]
『Adobe XD ユーザーフェス(東京)』に参加してきました

森 和恵
http://bn.dgcr.com/archives/20190528110100.html
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こんにちは! 森和恵です。今週末は暑かったですね。土日はウェブのイベントに参加するために、東京へ行ってきました。デザイナーやディレクターなど、200人規模で開催された熱気溢れるイベントでした。

ということで今回は、『Adobe XD ユーザーフェス(東京)』の様子をお伝えします。

Adobe XD ユーザーフェス(東京)
https://xd-study.connpass.com/event/129011/

ウェブ系のAdobeソフトで最も若い「Adobe XD」は、ユーザーグループが活発です。ソフトが正式にリリースされる前からβ版が提供され、ユーザーの意見を吸い上げながら開発が続いているという土壌があるからでしょうか。

ユーザーグループに参加しているひとは、XDのことが大好きで、よりよくしていきたいという気持ちに溢れているように感じます。東京、ついで大阪のユーザーグループが立ち上がり、札幌・秋田・仙台・名古屋・京都・広島・福岡とユーザーグループは全国に広まっています。

Adobe XD User Group Japan
https://xdug.jp/

今回の東京でのXDフェスを皮切りに、全国リレー形式でイベントが開催される予定だそうです。ちなみに、わたしの地元大阪では、6月8日に開催されます。

Adobe XD ユーザーフェス 2019(大阪)
https://xdstudy-osaka.connpass.com/event/130277/

わたしとXDの関係はというと、以前毎日のように使っていた Adobe Fireworksというソフトと似ていることで興味がわき、使ってみて軽さと操作の簡単さに感動し、使い方を広めたいからとYouTubeチャンネルにもXD関連の動画を上げています。

[検証]Adobe XDアップデート
https://www.youtube.com/playlist?list=PL7LtdGFp5DwR6RVe3q0p7Y8fia-iExJnU

今回のフェスでは、6人の登壇者がいらっしゃいました。ディレクター、デザイナー、メーカーの担当者と、いろんな立場から「Adobe XDについて、コレが話したい!」という内容でした。

基調講演の役割になるセッション1では、「あなたはどんなデザイナーになりたいですか?」と題して、長谷川恭久さんの制作者とツールの関わり方についての話になりました。

「Photoshopを使ったらデザインが凝れるけど、XDだとそれなりにしかできない」など、制作者には使うツールへのこだわりがあるものです。長谷川さんは締めくくりに「自分の好きなこと/期待されていることに合うツールを選ぶ」ことが必要だと言いました。

ツールですから、作業する自分自身が使いやすいこと(使っていてストレスがない、好き)は大事ですが、依頼主から期待されていることがスムーズに遂行できるツールかどうか、判断することも大切だということだと感じました。

写真や絵を合成して質感のあるグラフィックを作るPhotoshopでは、DTPソフトのように画面をレイアウトする操作は、あまりスピーディにはできません。画面のレイアウトのスピードだけならXDのほうが勝ります。いろいろなツールの特性を見極めて、仕事を円滑に進められるものをチョイスする大切さを、改めて提示してくれたセッションでした。

続くセッション2は、「PhotoshopとIllustratorが手放せない人のためのXD」と題して、角田綾佳さんのお話でした。いままでのソフトからXDに乗り換えたいと思ったときに、どんなことが起こったかというのを、実際に使ってみた体験を交えて教えてくれました。

その内容は、PhotoshopやIllustratorからXDへデータを持ってくる時に、便利な機能や注意しておくべき内容でした。とくに印象的だったのが、CCライブラリを用いての相互のデータのやりとりでした。XDに完全に乗り換えるというのではなく、PhotoshopやIllustratorを併用し、適材適所でソフトを使い分けていく様子がよく見れたのではと思います。

基調講演からセッション2の流れは、とても納得のいく流れだったのではと思います。

そして、セッション3・小林武蔵さんの「XDでデザインをデザインしよう。」では、自社が運営する「LIFULL HOME'S https://www.homes.co.jp/」の運営で、XDをどのように使って制作を進めているかというお話でした。

不動産会社のウェブサイトですので、アプリケーションに近い画面設計になっているのですが、膨大な画面をXDで作ってプロトタイプを検証し、実際のサイトに反映する流れが公開されました。実例を惜しみなく紹介してくださって、XDを使ったらこんなふうに効率化が図れるんだなという特徴が実感できたのは、とても興味深かったです。

セッション4は湯口りささん「5つの作例で学ぶ2019年5月更新」のお話で、先日の大型アップデートの詳細が語られました。

セッション5は松田直樹さん「XDはBeautiful SVGの夢を見るか」のお話で、XDから生成されるSVGコードのお話でした。

セッション4と5は、すでにXDを使い込んでいる方に対してだされた新しい話で、XDマニアの人たちに「なるほど、すごい。」と思わせてくれた内容でした。とても勉強になりました。

XDをこれから使う人、すでに使っている人、両方を満足させてくれるセッション運びになっていて、双方飽きさせることなくというのが、とても満足な見応えに繋がっていたのだと思います。

最後のセッションは、メーカーセッション。Adobe 轟啓介さん「Adobe XDが目指すこと」でした。XDがどのように生まれて成長してきたか、いま現在どんな現場で、どんな雰囲気の中で開発されているか、これからどんなふうに成長していく予定なのか? ということを聞くことができました。

スポンサーであるメーカーセッションというのは、他のイベントだと宣伝色が強かったり、おざなりになりがちなのですが、轟さんのXDへの情熱というか、愛情を持って製品を紹介しているのだなということが伝わってきて、恐らく会場にいたみなさんが「わたしたちもXDを応援していくよ!」という気分になっているのでは? と思いました。

当日の様子がどんな感じだったかをじっくり見たいというかたは、ツイートまとめがTogetterにアップされていますし、Adobe blogで中継の様子が動画で公開されています。

Adobe XD ユーザーフェス(東京)#XDUFes2019 - Togetter
https://togetter.com/li/1359695

Adobe XD User Fes 2019 - Adobe blog
https://blogs.adobe.com/japan/cc-ccdojo-adobe-xd-user-fes-2019/

ツイートまとめをみると、イベントのハッシュタグ「#XDUFes2019」に対して、600ものツイートがあったことがわかります。YouTubeライブで全国に配信したということを考慮しても、ツイートの数がすごいですね。

XDユーザーが登壇者の話の内容に親しみを感じ、自分事だと思っていて、ついつい突っ込んで意見を出している様子がとても楽しそうです。ユーザーと共に歩むXDの、さらなる活躍に期待したい! と思います。

ということで今回はここまで。行って来いでしたが、久しぶりの都の空気を堪能しました。このレポートの続きを↓にて公開しています。よかったら、合わせてご覧くださいませ。

【Adobe XD User Fes 2019 東京レポート】
https://note.mu/r360studio/n/n876099d7df89

ではまた、次回お目にかかりましょう!
(^^)


【森和恵 r360studio ウェブ系インストラクター】
r360studio@gmail.com
https://www.youtube.com/r360studio
サイト:http://r360studio.com/


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編集後記(05/28)

●偏屈映画案内:「黒い絨毯」The Naked Jungle

チャールトン・ヘストン、エリノア・パーカーという、往年のハリウッドの美男美女が共演した65年も前の映画。南米アマゾン川上流の開拓地を舞台に、人喰いアリの大群と農園主の戦いを描いた、「ホラー・パニック」に分類される作品だが、今見ると全然ホラーでもパニックでもない。95分の2/3くらいは、正直うんざりさせられる“男女の葛藤”みたいな話で、ひたすら我慢して見た。

1901年の南米、アマゾン川の奥地で農場を成功させたクリストファーのもとへ、彼の在米の兄の世話で遠路はるばる嫁いできたジョアンナだったが、彼に歓迎されているようには思えない。こんな美人に対して、なんて無愛想で不器用な対応をするんだ。そんな男の方もなかなかの男前で、客観的にナイスカップルだ。しかし、殆ど一方的に男が拒否している。もったいないどころではない。

女の方は都会での結婚生活に破れてこの地に来た、気丈な大人であるが、男の方は19歳でこの地に来て、恋をする間もなく今までやってきた。村へ夜這いに行く農園主もいたが彼は違い、女を知らない。「話がうますぎる。完璧な女が私に嫁ぐわけがない」と口に出して言うんだから、純情というか世間知らずというか愚か者というか。せっかくのいい女に対してそれはないだろう。

ジョアンナのほうが人生経験が豊かだから挑発もする。「私が気に入らないのかと思ったらこわいのね。欠点を見つけて安心したいの? 飾り物のような妻が欲しかったのね。来たのが間違いだったかもしれない」。「金を充分やるから出て行ってくれ。君はここへ来るべきじゃなかった。2〜3週間後に船が来る」とかなんとか、こういった話が延々と続く。これは殆どホラー映画である。

もう限界! 我慢できないから投げ出そうと思ったら、残り1/3くらいでようやく物語が動いた。やってきた弁務官は「マラブンタだ」と言う。ずっと蟻塚にいた軍隊アリの大群が、突然移動を始めた。望遠鏡で覗いた遠くの山は、山肌全体を黒い何かが蠢いている。幅300m、長さ3kmの黒い絨毯。通り道にある動植物をことごとく食い尽くす。それは1週間後にはこの農場にやってくる。

実寸大の昆虫が映画史上初めて人間を襲った作品である。といっても、動く人間に蟻がたかって食い尽くすようなシーンはない。蟻と人間の死闘ライブもない。流れてきたボートに骸骨があった程度である。スクリーンいっぱいに蟻の大群を行進させただけでも、当時の映画としては勇気あるトライだったらしい。

クリストファーは邸宅に残り蟻を止めるという。無茶である。不可能である。あなた一人ではここを守れない、わたしが出て行ったら使用人達も出て行く、だから残るというジョアンナ。「与えるものは何もない。愛だけだ」「充分よ。ここから始めましょう。今が出会いよ」んな事言ってる場合じゃないだろうが。

クリストファーと使用人たちは邸宅の周囲に火を焚くが、消えると蟻が侵入してくる。彼はダムの水門を爆破して、せきとめてあった水を開放する。蟻軍団は流されて消滅、15年かけて作った農園は川に戻った。クサイ芝居も終わった。CG、SFXなどない頃の「特撮」とカット割りは、なかなかよかった。(柴田)

「黒い絨毯」1954 アメリカ 原題:The Naked Jungle
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003M2EZE0/dgcrcom-22/


●XDは「Experience Design」の略なのだそうだ。XDよりPhotoshopやIllustratorの方が、私の場合は思考が分断されない。使いこなせていない、進化を追えていないのだろう。これができない、あれができないとイライラする。角田綾佳さんのお話を聞いてみたかったな。

動きをつけるにはXDが便利というか、凄すぎるんだけれど、もうこれはXDがXDたるゆえんなんだけど、出来上がったものを書き出したり、PhotoshopやIllustratorでの連携が今ひとつなのがネック。

Adobeのツール全体に言えることなんだけど、Adobeの看板はあるものの、インターフェイスやツールの使い方が、似てるようでバラバラなので、頭の切り替えがしんどい〜。

私がディレクターで、XDがゴールで、あとはデザイナーとコーダーに任せるわ、というものなら使うかも。デザイナーとコーダーの立場でXDのデータもらったら、ええーーここまで出来てるのに〜、と思っちゃうな。仕事柄、そのどの立場にもなるし、全部やることもあって、仕上げのことを考えると、お客さんへの説明含め、なかなか難しいなぁ。

ただ、今の進化スピードと盛り上がりだと、XDでデザインの作り込みもできちゃって、コーディングいらないわ、なんて楽なの、という超スーパーなツールになるかもかも。情報だけでも追っておこうっと。(hammer.mule)