まにまにころころ[159]ふんわり中国の古典(論語・その22)中庸の徳たるや至高だね/川合和史@コロ。 KAWAI Kazuhito

投稿:  著者:  読了時間:9分(本文:約4,100文字)



コロこと川合です。いつの間にか六月ですねえ。関西ではここのところ雨の日なんかも増えてきて、そうこうしているうちに梅雨ってことになるのかなと。

雨自体は嫌いじゃないんですが、パソコンだなんだと機械モノを持ち歩くので、どうせ降るなら寝てるうちに済ませて欲しいなあ、なんて勝手なことを思っちゃいます。

晴耕雨読ってな生活をできれば、梅雨は読書三昧で最高じゃないかと思いつつ、実際に畑を耕す生活していたら、最近よくある豪雨を思えば優雅に本読んでる場合じゃないですよね……雨降っても降らなくても気にせず、本読んでいられる優雅な生活したい!

もう最近「積ん読」が過ぎて、漫画さえ山積み状態で。

そういう意味では、一冊をゆっくり何年もかけて読んでいるこの論語タイムは、優雅といえば優雅かもしれませんね。なかなか終わりが見えませんけど、まあ、千里の道も一歩からということで、今回二十二歩目の論語の話に移りましょう。






◎──巻第三「雍也(ようや)第六」二十一

子曰わく、中人以上は、もって上を語ぐ(つぐ)べきなり。
中人以下は、もって上を語ぐべからざるなり。

・だいたいの意味

中級レベル以上の人に対しては上級レベルの話をしてもよいが、中級レベルに満たない人に対しては、上級レベルの話をしてはいけない。

──巻第三「雍也(ようや)第六」二十一について

話は相手の教養レベルや学習進度に応じてしなければいけないよ、と。

現代の教育でもだいたいに言えることだと思いますが、孔子先生の道徳的な話になると、余計にそうなのかもしれませんね。理解されないだけならまだしも、曲解されると面倒くさいことになりそうですし。


◎──巻第三「雍也(ようや)第六」二十二

・だいたいの意味

樊遅(はんち)が知について質問した。
孔子先生が答えられた。
民が義につとめ、鬼神(霊的な神秘の存在)に対しては敬いながらも依存せず距離をとる。これは知と言えるだろう。
続いて仁について質問した。
孔子先生が答えられた。
仁者は大変なことに先に取り組み、利を得ることは後からとする。これは仁と言えるだろう。

──巻第三「雍也(ようや)第六」二十二について

いずれもピンポイントな例ですけど、分かりみが深い、ってやつですかねこれ。

知とは、正しく生き、神頼みしたり宗教にはまったりしないこと。仁とは、やるべきことをまずやって、メリットは後から考えること。どちらも、それだけではないですけど、知者仁者というのはこういうものだと。


◎──巻第三「雍也(ようや)第六」二十三

・だいたいの意味

知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かである。知者は楽しく生き、仁者は長生きだ。

──巻第三「雍也(ようや)第六」二十三について

ひとつ前の続きですね。知者と仁者について。今度のは、分かるような分からないような。知者はパリピ? いや、パリピに知は感じないか。(偏見)

知者は好奇心旺盛で活動的なんでしょうね。仁者は心静かで長生き、と。

ちなみに孔子先生は七十四歳まで生きています。長生きと言っていいですね。


◎──巻第三「雍也(ようや)第六」二十四

・だいたいの意味

斉国は少し変われば魯国のレベルに至れるだろう。
魯国は少し変われば道に至れるだろう。

──巻第三「雍也(ようや)第六」二十四について

孔子先生の思い描く、理想的な道徳政治へのレベル感についてですね。

魯国はなかなかに高水準という評価で、斉国はあと一歩。その魯国も理想にはあと一歩、と。いい線まで行ってるよ、という話でなくたぶん、そのあと一歩がなぜ変われないんだよ、ってことじゃないですかね、孔子先生だから。


◎──巻第三「雍也(ようや)第六」二十五

・だいたいの意味

觚(こ・祭祀用の酒器)が觚ではない。これが觚だろうか。これが觚だろうか。

──巻第三「雍也(ようや)第六」二十五について

諸説ありますが、ようするに本来の姿から変わっちゃってるじゃないかという嘆きです。祭祀用の觚って、こんなものじゃなかっただろう、って。

例えば、そうですね、お正月のおせち料理ってひとつひとつに縁起物としての意味があり、また日持ちのする品が多く、正月に火を使うことを避けることで火を神聖視すると共に主婦の負担を減らすといったものであるのに、最近ではそんなことをまるで無視したおせち料理があるじゃないか、これがおせちかよ、これがおせちかよ、と嘆く感じですかね。


◎──巻第三「雍也(ようや)第六」二十六

・だいたいの意味

宰我(さいが)が孔子先生に質問した。
仁者は、誰かが仁者に「井戸に人が落ちた」というと、信じて井戸に入りますでしょうか。
孔子先生は答えた。
どうしてそのようなことがあろうか。君子は、井戸まで行かせられてもそこに落とし込むことはできない。騙すことはできても、判断力まで奪えない。

──巻第三「雍也(ようや)第六」二十六について

これもまた諸説あるんですが、君子は騙して井戸に向かわせることはできても、考えなく井戸に飛び込むようなことをさせることはできないよと。

君子だから陥れられないのか、陥れられないようだから君子なのか、ともかく、君子はそうらしいですけど、おそらく宰我がこれを質問した背景には、何かがあったんでしょうね。

なんか、どうもうさんくさい話なんだけど困ってる人がいるらしくて、助けてやってくれってな話がきたとか。

それに対する孔子先生の答えは、とりあえず行きはするけども、どうするかは行ってからちゃんと判断するのが君子だよ、って感じですかね。


◎──巻第三「雍也(ようや)第六」二十七

・だいたいの意味

君子は、広く書を学んで、礼でそれを引き締めれば、道に背かないだろう。

──巻第三「雍也(ようや)第六」二十七について

なんとなく分かりますよね。広く学びなさいと。でも、頭でっかちになって、知識に振り回されるんじゃなくて、そこは、きちんとした規範にのっとって、知識を整理して行動するんだよと。そうすれば道に反することはないだろうと。

学ぶのはいいけど、それだけじゃダメ。

学校なんて行かなくていいじゃん、ネットで調べれば何でも出てくるじゃん、なんて言う人もいますが、まあ学校に行くかどうかはともかく、ググって知識を得るだけじゃダメで。

人としてのベースとなる、孔子先生の時代で言えば礼、今で言えばなんでしょ、精神性というか人間性というか道徳心というか、規律・規範・秩序となるものが併せて必要なんですよということですかね。


◎──巻第三「雍也(ようや)第六」二十八

・だいたいの意味

孔子先生が南子に会われた。子路は喜ばなかった。孔子先生は誓って言われた。私にいけないところがあれば、天が見捨てるだろう。天が見捨てるだろう。

──巻第三「雍也(ようや)第六」二十八について

南子(なんし)というのは、衛国の霊公夫人なんですが、スキャンダルの多い女性だったそうで。そんな女性に孔子先生が会ったというのが、子路としては面白くなかったんですね。

で、孔子先生は、何もそんなエロい気持ちで会ったわけじゃないよと。もしも、自分に何かそんなよこしまな気持ちでもあった日には、天が私を見捨てるよ。だから絶対にそんなことないから! 天に誓ってないから! って言ってるんです。

会いたいと言われたら、学びたいと言われたら、拒まないのが孔子スタイル。


◎──巻第三「雍也(ようや)第六」二十九

・だいたいの意味

中庸の徳たるや至高だね。民から(この徳が)少なくなって久しいけどね。

──巻第三「雍也(ようや)第六」二十九について

中庸というのは、論語の中で、ひいては儒学の中で最も重要視される概念で、簡単に言えば、極端に過ぎることも足りないことも偏ることもない状態です。

ギリシャ哲学にも同じ「中庸」という言葉がありますが、同じものではなく、ギリシャ哲学の用語を日本語に訳す際に既存の儒教用語を当てはめただけです。似た感じの用語なんですが、ちょっと違います。

儒教で言えば、そのままその名も『中庸』という書があって、以前にもこれは紹介しましたが、いわゆる「四書五経」の四書のひとつ。『礼記』という書の抜粋なんですけどね。

また仏教には「中道」という言葉がありますが、これまたちょっと違います。似た意味で使うこともありますが、色んな意味で使われるので説明はパス。

中庸も中道も説明するの難しいので、詳しくはパス。(笑)


◎──巻第三「雍也(ようや)第六」三十

・だいたいの意味

子貢が言った。
もし広く民に施して、民衆を救うことができれば、どうでしょう、仁と言えるでしょうか。

孔子先生は仰った。仁どころではない。聖じゃないか。堯や舜でさえ、そのことで悩んでおられた。そもそも仁者は、自分が立ちたいと思えば人を立たせてやり、自分が達したいと思えば人を達せさせてやる。自身の例から周りを考えてやれる。仁とはそういうものだ。

──巻第三「雍也(ようや)第六」三十について

仁というのは、できもしないような理想をどうこうって話じゃないんだよと。そんなもの手が届かないでしょ。そうじゃなくってね、という話。

ここの仁と同じような話が、巻第六「顔淵第十二」二に出てきます。

そこでは仁についての説明のひとつに、己の欲せざる所は人に施すことなかれ、と語られています。ここの逆ですが、同じことですね。

自分がしたいことを人にさせてやるのと、自分がされて嫌なことは人にするな、というのと。自分の心に引き比べて、周りに対する行動を考えられるのが仁者。

世の中みんなが仁者だったら、どれだけ生きやすい世界か……


◎──今回はここまで。

以上で巻第三が終了です。十巻のうち三巻を読み終えました。十巻とはいえ、長い話ではないんですが、いちいちあれこれ書いていると進まないですねえ。

それだけ色々と考えさせられるんですよ。なんだこの話ってなのもありますが。耳の痛い話もいっぱいあって、あれこれ我が身を振り返っては、ここに書いている以上に思い悩まされたりもして。(笑)

味わい深い本だなあと、読む度に再認識しています。仁者への道は遠いなあ……


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
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